ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

箒って、どう使おう?

2009-05-31 19:39:27 | 職人芸
スパイラルの若手クリエイターの祭典
SICSで、出会った箒職人兼アーティスト

2000円で、小さな箒を買いました。
もう一か月、机の横の壁にぶら下がって(下げて保管しておいた方がいい、というアドバイス)
手のひらに乗るサイズで、ほうき草をくくってある糸はピンク。
とっても、可愛らしいです。

机の上に溜まった埃を掃除するのにいいかなあ?

でも、そんなに机の上の掃除ってしませんでした。
鉛筆でスケッチやデッサンをすると、消しゴムのかすが溜まります。
木版画を彫っていると、彫くずがごそっと出ます。
そんな時にはいいけど、そうそうないよなあ。
大体は机の上では、パソコン作業ですよね。

いい使い道なばいかしら。

というのも、私の次の商品開発素材に入れたいのです。
その職人さんの、箒という工芸品の衰退を真摯に心配する姿に
同意したいのです。

しかし、箒とは…
メインの使い道である、部屋の掃除に使うには…
絨毯とフローリングのみになってしまって、和室が作られない現代住宅には
箒の出番はないですよね。
和室があれば、まだ提案のしようがありますが。

掃除という固定観念から離れてみなければ…

うーん、なかなか難問です。

今の私たちに必要な箒の使用方法、ないでしょうか…

パソコン掃除かなあ?それははたきの方がいいなあ。うーん。
発想の転換が、なかなかできません。

かわいいんだけどなあ。

カフェに入れる相手、入れない相手

2009-05-29 17:43:03 | お茶
私は昔から父親と仲良しだった。
父とよく出かけたものだが、喫茶店に入ると父は必ず雑誌を手にとって、読む耽る。私は注文したものが出てくるまで、一人宙を見てボケっと待っている羽目になる。

よく、ご夫婦らしい中年の男女が、喫茶店で、会話もなく、お互い水を飲んでいるか、男性が雑誌や新聞を読んていて、女性が手持無沙汰そうに、ボケっとしているのを見て、ああいう夫婦って会話が成立しないのかなあ?よく夫婦やってるよなあ?と疑問に思っていた(独身時代)

今思う。
親密で安定した関係の男女は
カフェに入ってはいけない。

カフェは基本的に、二人以上で会話と雰囲気を楽しむところだ。
雑誌や新聞を、あまり読まない。
一人の場合は、読むか。
カフェに入って、会話ができないことほど、悲しいものはない。
一人で入って、仕事をするとか、本を読むとかは、別。それはそれでありだと思う。

しかし、男女のカップルでカフェにいて、会話がないと、とても気づまりだ。

私の経験では、
★父とうっかりいい雰囲気のカフェに入って、困ったこと。
★彼氏と、夜飲みに行くと会話が弾むのに、昼間のカフェでは、さっぱり話すことが思いつかないし、彼も乗ってこない、すぐ出ようとする。ねえ、お話ししたくないの?という疑問がわく。
★家族になった男性と、カフェは無駄。会話することもないし、男性向けの新聞や雑誌もない場合が多い。居心地が悪い。
家族とは、喫茶店でもラーメン屋でも、昼間入る飲食店では、必ず新聞か雑誌を読む。わざわざするべき会話も思いつかない。


カフェが無理などの男性も、夜飲みに行くと会話ができる。なぜだろう?

男性は、親しくなりすぎた女性と、しらふで会話ができないものなのだろうか?
昼間に会話をするには、適度な緊張感が必要、ということ?
親密で安定した相手とは、あえて場所を設定して話すこともない、のだろうか。

夜の飲みなら、酒の力で、一気にしゃべれるものらしい。

昼間に会話の弾む、カフェに一緒に入れる男性って、貴重な存在だ。
恋愛真っ盛り中か、ごく気の置けない友人か、仕事相手、だと思う。
うーん、その共通点はなんだろう?
やはり、適度な緊張感、だろうか。
相手をよく見ようという、探究心だろうか?

そういう男性に、よく聞いてみよう。




下町が元気を取り戻しつつある?

2009-05-28 16:48:33 | 日本文化
家を拠点として仕事をするようになって、気の近所=かなりベタな下町
をウロウロすることが多い。

自転車圏内を、走りまわっている。
ありがたいことに、このあたりは、台東区の中央区(?)都心なので
公的機関が集まっている。
区役所も、そのほかの都や区の出先機関も多い。
いろいろなことを申請に行ったり、相談に行ったり、が多いのだが
自転車で行けるところがありがたい(交通費が惜しい…)

自転車でウロウロしていると、意外な発見する。
たいていは、私の「好き」センサーがビビと惹かれる
ショップだったり、カフェだったり。

私の「好き」センサーは、けっこう渋いが、敏感なので、自転車で走っていて
気になって、後日、改めて探しに行くことも。

入谷、御徒町、蔵前。最近面白い。

向島の面白い、一番面白いのは、向島という地域で連携を図っているところ。
そういう情報は、店内の張り紙やフライヤーやHPでわかったりする。
向島は、若い店主が連携して街を盛り上げていこうという運動がある。
かなり濃い独特な歴史と雰囲気をもった町だ。それに惹かれて外部からやってくる人もいるだろうし、地元の人が愛してやまない町なのかもしれない。

くねくねと入り組んだ裏道や、昔懐かしい昭和の商店街、
色街の名残の料亭。芸者さん。
裏道から、小唄が聞こえてくる、そんな土地。
観光スポット。
化学工場。

それを全部資源とする、という考え方はいいと思う。
新しいものを、他から、海外から、持ってくるとか
斬新最新のもの、もいい。
日本文化は世界の流行最前線だし。

ただ、足もともよく見たい。
今持っているものから、何かを生みだすことも、地元の人を相手に商いをすることも、これから大事になると思う。

グローバリゼーションには逆行するが、グローバリゼーションは一度崩壊した過去の概念だ。

下町の小さな会社の社長の言葉
「みんなすぐ中国とか海外のマーケットに持っていこうとするが、外国人のために苦労してモノを作ってどうする(怒)」

そう、日本のものはまず、日本で理解し愛して消費しよう。

自転車生活

2009-05-25 00:02:59 | 生活改善プロジェクト
このところ、自転車移動が多いです。

交通費節約のため。
時間節約のため。
運動不足解消のため。
自転車圏内の行動範囲がおおいため。
気候がいいため。

我が家は、自動車を持ちません。
私も家族も運転免許を持ちません。

おまけに、私は実家住まいの時から、実家に自動車があったことがありません。
父はペーパードライバーのまま、70歳で免許を返上しました。
勢い、自動車は酔ったりします。


自転車移動は快適なのですが…
問題だなあ、と思うことも。

自動車との交通が難しい。
自転車は、基本車道を走るのですよね?
交通量の多い幹線道路を走ろうものなら、怖い思いをします。
路注の車があると、自転車は道路の真ん中を車に挟まれて走ることに。
これ、結構怖いです。

でも歩道も人がいっぱいいて、やっぱり怖いです。
自転車は、いったいどこを走ればいいの?

と思いつつ、大通りではなく、裏道を縫って走ることになります。
そうすると、うっかり細い交差点で、走りぬけようよして
自転車同士出会いがしらにぶつかりそうになったり。歩行者とぶつかりそうになったり。


自転車レーンとか、道路とか、確保してほしいです。

自転車乗りのマナーもよろしくないですねえ。
交差点では、一時停止しましょうよ。
歩行者の間を、猛スピードで走る抜けるのは危ないし。
歩行者で溢れている歩道は、降りて押そうよ。


もうちょっと、自転車がメジャーになって
マナーが改善されて
環境が整備されれば

自動車よりいい乗り物だと思うのですが。

確実に、ダイエットになります。体も、家計簿も。



湿暖な気候にあう薫り

2009-05-19 17:03:57 | 日本文化
この土地の最大のイベントともいえる
三社祭が終わりました。

この地では三社祭が終わると夏がくるといいます。

お祭りから、浴衣を着てもいいのだとも聞きました。
お祭り当日は、小雨がぱらついて肌寒いお天気でしたが
翌日から初夏の陽気。

4月から5月になって、ぐっと感じるのが

湿度の上昇です。

あんなにカラリとして、肌が乾いて困っていたのに
このジメっとした、重たい空気感。
夏の予兆を感じます。

日本の夏は、少なくとも、関東以西は、この湿度の高さだと思います。
私が生まれ育った北海道は、また違う気候帯ですね、亜寒帯か?
夏も1週間程度で終わる感じです。

この本州の現代の暑さと来たら。
ヒートアイランド現象も含めて、もう温帯とはいえない暑さです。
そしてこの湿度の高さ。

最近まで、部屋の中でアロマオイルを焚いていました。
私のお気に入りの香りは、フランキンセンスと、ゼラニウム、ティーツリー
ユーカリ、レモングラス。

そんなあたりをミックスして、焚いていました。

が、この湿度を感じはじめて、アロマじゃ物足りない感じに。

そう、この重たい空気に合うのはお香だ。
と、思い出しました。
手持ちの練香を、焚きます。
残念ながら香炉がないので、アンティークの中国茶のお茶碗で。

あー、やっぱりこの感じ。
お香の香木、沈香や白檀の甘い香りが、このまとわりつく空気にぴったりです。

部屋にくゆらせると、さすがに湿度が高いのでかなり強く香り、後にも残ります。
ちょっと神秘的な、平安時代に思いをはせながら、昔はみんなこんな香りを身に纏っていたのだな、と考えると、相当香りが幅を利かす世界だったのでしょう。
いまや、日本人は薫らない国民性ですけどね。

お香の香りに身を沈めながら、思沈する感じ。
日本だなあ、ここは。

アスパラをいただいて思った、生活者の時代

2009-05-17 22:14:08 | 今日の料理
生ホワイトアスパラをいただきました。
生のホワイトはなかなかお目にかかれません。

私は、長年おわとアスパラの缶詰しか食べたことがなくて、缶詰はあまり好きではなくて、生のホワイトをはじめて食した時は、感動しました。
お、美味しい!

たくさんいただいたので、まずは茹でて

ソテーにしたり、ポタージュスープを作ったり。

シンプルなソテーが大好きです。
バターよりも、オリーブオイルで、にんにくを少し入れるのが好きです。

ポタージュは、フレンチシェフのブログから教えていただきました。
爽やかで美味しい!
私はこふぉ\どもの時からポタージュスープ大好きなので、季節の野菜でよく作ります。秋はカボチャとか、初夏はジャガイモのヴィシノワーズとか。
先日、ソラマメが安かったので、ソラマメで作ったら、美味しかった。

こんなふうに食事を作ることを楽しめるのは、心と時間に余裕があるからでしょうか。
企業で正社員で働いて、残業もいっぱいあって、という生活では、食べものまで
手作りは難しいです。
私は、企業に属さずフリーで働くことを選択したので、仕事の合間に、料理をしようと思えばできちゃいます。

起業したい人が増えていますね。
会社員の報われなさ、無意味な長時間拘束、自由にならない時間や仕事、そんな働き方が嫌になった人が多いのでしょうか。
実際やってみると、その人のタイプにもよると思いますが、すべてを自分で決めて自分で実行、というのは、とてもシンプルでやりやすいように思います。
私は、なんでも自分でやってみたい方なので、おまけに人から指示されるのが嫌なので、ある意味ではあっている働き方なのかもしれません。

会社の仕事オンリーの生活から、自分の生活を楽しむ人生へ。
そんな人が増えているから、草食系とか、自炊&お弁当自作の男性が増えつつあるのでしょう。食べることは、体を作る基本ですから、疎かにすると体からしっぺ返しが来ます。眠ることも、笑うことも、そうですね。

そんな基本に立ち返る、新しい「生活者」が出現してきたんだと思います。

異性の友情は成り立つか?

2009-05-14 07:50:27 | 生活改善プロジェクト
私は成り立つ、と信じています。

ただし、けっこう難しいとも思います。
また、若いうちは、さらに難しいのではないかと。

お互い、恋愛の対象となる魅力(性的魅力?)が減っくる年齢から
可能になるのかなあ、と思っています。

男性は、一生男性として自意識が強い様に思います。
男だから~、男でいたい~、男たるもの~みたいなことを
一生言っているようにおもうのですが

女性は、ある程度の年齢になると、自分が女であることを忘れがちになるように思います。
女だから、現役の女でいたい~、よりも、母であったり、主婦であったりすることで精一杯で、(男性からみた恋愛対象としての)女であることの自覚が薄くなる
ように思います。いわゆる、オバサンっていう存在ですよね。

男性も、オジサン化しますが、女性に対する意識は、オジサンになっても
なくならないようです。本能的なものですかね?


要は、女性が、恋愛対象としての女性でない状態、が、男性にとっての友人である女性、というものではないかと考えます。


私は、男性と話すほうが楽なことが多くて、男性諸氏と友人になりたいことが多いので、どうやって意中の男性に友人として見てもらうか。をかなり一生懸命考えます。

恋愛状態であっても「あーこの人が彼氏じゃなくて、男同士の親友だったらもっと楽しいのに~」とよく考えます。
本末転倒というか、恋愛中の彼氏に申し訳ないのかもしれませんが。
男同士の友情にかなり憧れを抱いていますね。

女性が、男性化しちゃうのがてっとり早いと思うのです。
ただし、オバサンという路線で男性化?どちらの性でもない化?しちゃうのは
どうも、美意識として美しくなくて嫌なので、中性化という路線を目指します。
年齢不詳で、オバサンではなく、男性に、女だという認識をなくしてもらう、よう努力することになります。

具体的には

可愛くなく

色っぽくなく

かつ、醜くなく(申し訳ないのですが、オバサンという存在は醜いと思います。人間男性でも女性でも、美しいものが好きで醜いものは嫌い、なんじゃないかな)

やたら理屈っぽく論理的で

感情をなるべく抑えて、男性の論理に共感し

女性特有の話題は避けて、仕事などオフィシャルな話題を提供する

そうして、意中(?)の男性に「こいつは女じゃない、男だ」と思っていただくこと、が最終目的です。

こんなヤヤコシイことを考えて、友人を作らなければならないなんて
ほんと、もとから男に生まれていれば問題なかったのに…と思います。

なので、中性路線で、生きていきます。
恋愛をしていなければ、美しくない、という風潮がありますが
恋愛至上主義には、あんまり納得できません。
女磨きとか、嫌いです。
そんなに女である看板を掲げて、どこまで生きていけるのか、と思います。
女であることは、そんなにいいことかしら。
恋愛って、人間として、生物的にそんなに大事なこと?
うーん、正直よくわかりません。

男性の魅力的なところ、女性の魅力的なところ、の間を、ふわふわ、ゆらゆらと
行き来しながら、あわよくば両方手に入れられないかしら~と思い
中性化を目指します。
もしかしたら、一番欲張りで、ないものねだりかもしれません。

だから、ゲイの人とか、大好きです。

女性である前に、人間として何者か?を追求したいと思います。

男性っていいなあ、私も男になりたいなあ~
仲間に入れてよ~

結局それが本心かも。


足袋は道連れ世は情け

2009-05-11 21:25:04 | 工芸
足袋作り講座に参加しました。

足袋って、作るんだ…これが、その講座を発見した時の感想。

そりゃそうでしょう、足袋職人さんが作っていますよ。

着物は直線縫いのくせに、足袋ってどうしてこんなに無理やりな作りなんでしょう。立体(足の形)に布を添わせるためには、どうしても直線では難しいですよね。
着物も直線縫いの平たい布を体に纏わせるのに、着つけがたいへんだったり。

足袋は逆で、立体裁断縫製なので、縫うには大変ですが、はくのは簡単です。

作ってみると…7時間かかりました、講座当日。

でも始めるともう夢中で、早く出来上がりを見たい一心で、7時間はあっという間。
お茶も飲まず、トイレも行かず。

柄足袋が欲しかったんです。

巷で売っているのは、いまいち好きではないものが多くて。

もちろん老舗の足袋屋さんの柄足袋は、かなり粋ですが、高いし、足袋屋さんがまた敷居が高いのです、でも足袋やさんで足型をとってもらって、お誂えとか、してみたいものです。

シンプルで、モダンな柄足袋が欲しいのです。

で、作ったらこんな感じ。

で、思い付いた、柄足袋の企画。

モダンな柄足袋、麻の夏足袋、半足袋とかも。

どうやって、足袋屋さんに作ってもらうか考えています。


自分でまず手を動かしてみる。すべてにおいて私の方針です。
お裁縫は得意ではないですが、自分で作ってみることでわかること湧くアイディア、があります。
はたから眺めているのではわからないこと。
私は、つくづく作るほうに軸足を置いているのですね。

作る側の気持ちに、どっぷり浸って、使う側の気持ちがwからなくならないように
消費者の感覚も(このことばが実は嫌いです、テレビの経済コメンテーターとかが言っていると最悪に嫌)忘れないように、日常生活を丁寧にしようと思います。

妻の座、母の慈しみ

2009-05-05 21:47:12 | 日本文化
この二つが、嫌いです。

そいうことを公言するから、私はいつも異端者のポジションをとることになるのですが、どうもやめられません。いつもそれで嫌な目にあうくせに、治りません。

実際自分は、妻ではありますが母ではありません。

妻でもないつもりでいましたが、最近諦めて妻であることは素直に受け入れました。夫の知人には●の家内です、と自己紹介しています。


なぜ日本の婚姻制度では、妻の権利がこんなに強いのでしょうか。
何を根拠に、ここまで守られているのでしょうか。

手厚く守りすぎて、甘えや堕落が出ないでしょうか。
家事労働もオフィスワークも、これだけ以前と変化しているのです。
なのに、分業制度は変わらない形のまま。
社会で働く男性も、家庭にいる女性も、社会で働き家庭内で家事も担当する女性も(大変ですよね)、やりにくくないですか?


自分のことも含めて思います。

夫は社会で働き、妻が家で家事を受け持つ形態は、ある意味、社会にとってありがたい形ですが、その社会は健全でしょうか。

家庭外の社会は、男性と未婚の若い女性のみで占められ、家庭内、家庭どうしのネットワーク、地域社会は、中年くらいから上の女性が担う、そういう分担は
はたして、生きやすい、子供を育てやすい、働きやすい、生活しやすい、社会の形体なのか、とても疑問です。

特に中世的な個性を持つ私には、生きづらく感じます。


母親の、子供に対する無条件の愛情も、またその裏返しの憎悪や、なんやかや、も好きではありません。

子供が何をしても、許す慈しみは、はたして社会性を持つのでしょうか。
世界中を敵に回しても、子供を守る、生物的本能とは思いますが
はたして動物界でもそうはいっていないのでは?と思います。
人間の「愛」とかいう観念が、生み出した、歪んだ母親の思いではないかと。

自分の子供より、男を優先させて、結果子供を死に至らしめてしまう事件が
最近多いですが、そっちのほうが、動物的本能を感じます。

それを、否定するのは、人間の知性なのか愚かさなのか。


なんだか、社会の変化のスピードが速い部分と、頑なに変わらない(変えない?)
部分の乖離が進んで、ダブルスタンダードのような奇妙な構造になっていませんか?


会社組織を離れて、多くの人が属する世界から、ちょっと引いて傍観者の視点になって社会をみることが多くなりました。
自分の頭、感性を頼りに生きるようになってから、そんなことがとても気になるのです。


好きなことを仕事にすると

2009-05-03 18:45:09 | 独立起業
いい天気に恵まれて、大型連休 黄金週間 は、行動しがいがあります。

海外へ生方や、高速道路もかなりな渋滞の様子、経済効果があって何より、
という私は、毎日近所から少し遠出まで、都内を出歩いている。
インフルエンザの脅威は大丈夫なのでしょうか。意外と平静だともう。
騒いでいるのはマスコミのみ。

青山スパイラルの
spiral independent Creators Festival SICF
http://www.spiral.co.jp/sicf/10thSICF-aboutus.html
に行きました。
たまたま、行きつけのカフェにチラシが置いてあり
これは、行かねばならない。と思うも、

会期はGWの4日間でA会期B会期に分かれている.
ピンポイントで行かねばならない、それも二回も。
入場料は1回700円。高いと思います。
二回の会期共行ったら1400円。うーん、美術展覧会と比べれば妥当な入場料なのだろうか。

フェスティバル(お祭り)だから、仕方ないか。

会場は、ブースに細かく分かれていて、各アーティスとに割り当てられ
アーティストは自由にブースを使いパフォーマンスを行う。
来場者の投票と、審査員の審査で、グランプリ、その他賞が決まる仕組み。

A会期のブースを見てまず思ったこと
着眼点や発想が面白いものはあったが、どうも掘り下げ方が浅い気がしてしまう。
もっと深く掘り下げないと、論破できないでしょ。
そのコンセプトや手法はもう誰かがやってるよ、と感じるものも。

また、アーティストがブースに常駐して、来場者とコミュニケーションをするのだが、
もっと積極的にアピールしないのは、何故?と感じてしまった。

どうも、話しかけれるのを待っている、自己の世界に閉じこもっている感じを受けてしまう。

そんな印象を持ってしまうのも、私がいい歳の大人というか、中年だからだろうか。

ただ、これから生まれるクリエイターの息吹は感じたし、何人かとは名刺交換をして、
興味の惹かれる情報や、仕事につながりそうな芽はつかんだから、成果はあったと思う。


つくづく感じるのだが、好きなことを仕事にする、一人で活動をする
ということは、プライベートが浸食されるんだな、と。
会社というオフィシャルな場があって、ルーティンを含む業務を仕事としている時は、
会社から離れれば、プライベートに戻れることが出来た(いや、実はあまり出来なかったけど)

今は、興味の湧くこと、行くところ、見たもの、感じること、新聞を読んでも雑誌を読んでも、
すべて仕事につながってしまう。というか、自分でつなげてしまう。

今日のような、休日に自分の好きなところを訪れようと考えても
、何か仕事につながる要素があるところを、優先的に選んでしまう。今日のSICFはその典型だ。

会社員であったら、完全に趣味の範疇だあら、好きか嫌いかだけでアーティストを眺めて気楽にお祭りに参加し、
これからのクリエーターの姿が分ればそれで満足、楽しかった、でよかった。
今日の私は、好き嫌いはもとい、仕事の種を見つけよう、という視点が先に立つ。
仕事なのかプライベートなのか、よくわからない。

こういう状況が続き、疲れて行くのだろうか。
それとも、心地よく没頭して行くのだろうか。

自分の「好き」を仕事にしてしまった今、新たな「趣味」を見つける必要を
少し感じる。頭の同じ部分をいつも使っていると、感性も知性も疲れると思うから。

それで、やっぱり数学か?と思っている。

仕事は、全くの文科(文化)系だから。
脳の違う部分、なら理数系。

そんなわけで「高校への数学」5月号をAmazonで買った。
もの作りからは慣れる時間を確保しなければ。
また、無意識に脳がそれを(数学を?)要求しているようにも思う。
数式を(中学生レベレだけど)解いていると、脳のいつもと違う部分を使ってる快感すら感じる。

数学時間の確保だな。