ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

「雑巾展」の圧巻

2009-03-30 21:36:56 | WORKS
せっせと楽しんで作った雑巾を、出品してきました。

雑巾展 アノニマスタジオ(蔵前)

天井からたくさんの色とりどりの雑巾がつり下がっているのは、ある種圧巻でさえあります。

二枚出品したので、他に片の作品が二枚いただけます。
選んできました。
素敵なのが多くて、迷っちゃいますね。
みなさん、発想が豊か、きれいにきちんと縫ってあるもの、編み物の雑巾なんかにもとても心ひかれて。

会期が終わったら、交換です。

自分の作品(って雑巾ですが)にも愛着が湧きます。

展示されているのを見ると、尚更です。

こういう交流っていいな、と思いました。
手作りの交換会。
手作りを介しての交流。

モノを作るのが好きな人、似ているところがあるのだと思います。

こんどは雑巾縫いに夢中

2009-03-29 21:48:21 | WORKS
朝6時に起きて出かけるまでに1枚
外出から帰ってきて、21時すぎから1枚

2枚の雑巾を縫いました。

きっかけは、「雑巾展」
参加型の雑巾の展示会です。
出品者は好きな雑巾と交換できます。

さまざまな工夫、デザイン、思い入れ、手法の雑巾がまさに百花繚乱で
楽しくなりました。
で、参加したくなりました。

縫物にそれほど抵抗はありませんが、手芸好きでもありません。
スカートやパンツのすそをまつるとか、ボタンつけをするとか、
そんな程度しか、針を持ちません。
おまけにミシンも持っていません。

着なくなったキャミソールと、シミがついてしまった布巾で
ちくちく縫いました。
デザインを考えながら、運針をいていると、かなり集中できます。
もうやめなきゃ、と思っても、面白くって縫い終わるまで止められません。

で、二つできました。

コンセプトは、リサイクル。掃除が楽しくなる。

ぞうきんがけもやってみればスッキリするもの。

家事嫌いと胸を張らずに、好きになる工夫をしようかな。
そんな殊勝なことをちょっと考えました。
家事は生きていく上で、避けて通れないこと。生活していれば掃除はしなくては
汚いし、健康的に生きようと思えば、食事は作るし。
仕事だとか、義務だとか考えなければ、楽しくしようという気持もわくものかも。

でもやっぱり、掃除自体より雑巾創作のほうが、好きなのは、しょうがないです。

がんばれ!USA

2009-03-24 20:17:35 | 日本文化
この二日間、テレビの野球とPCのにらめっこで過ごしました。

WBCは優勝しましたね。
昨日のUSA戦をみて、日本野球は強いなあ、とつくづく感じました。
日本人も大舞台で臆せず誇りと自信を持って戦えるようになったのですね。
常にUSAの後を追いかけている日本という国、
もっと自信を持っていいと思います。

でも、私にとって、最も身近で重要なUSAはPCです。
自宅ではもう10年以上Macを使っています。
まあ、Windowsもアメリカ製ですが、Macはハードも中身もUSAです。

ハリウッド映画の中では、主人公のUSAの正義の味方はMac製のPCを使い
悪役はDinabookを使っているのだそうです。
日本製品は、悪の象徴ですかね~。

それだけ、MacのPCは、アメリカ人の心の誇りだと思うのです。
Macは、他のPCと違う路線を歩んできた特殊なPCです。
ジョブズという、天才が個性を大いに発揮して作ったPC。
アメリカ人の独創性が込められているように感じます。
もちろん、トラブルが多いところもUSAらしいですが、その分サポート体制を整えているところもUSAです。

USAは、金融工学が行き詰まり、格差社会の弊害がどんづまり、閉そく感と凋落の予感が渦巻いているさなかです。

でも、やはり世界のトップの知性が集積し並はずれた独創性が伸び伸びとはぐくまれることは、アメリカが世界に誇れることだと思います。

私のMacは、ものづくりの感性にはうてつけのコンセプトで作られ、細部にわたって
クリエイターへの配慮とプライドが詰まっている。だからこそ、いちいちフリーズにイライラしながらも、私は今まで尊敬の念をもってMacを愛用してきました。
ソニーのVAIOのこまやかさやや東芝のDinabookの堅実さにも、時々心ひかれながらも、やはり、自分にはない独創性とクリエイター魂の詰まった Macを愛してきました。

ベースボール発祥の国USAが、日本野球に敗れてしまったとき、アメリカ人は、またか。と思ったことでしょう。
ベースボールを野球という似て非なるものに組み替えて、完成させてしまった日本人。でも、ベースボールがUSAで生まれたことは、ゆるぎない事実です。
そして日本野球がどんなに緻密で堅実でよく考えられたものであっても、ベースボール魂はアメリカ人が誇れるべきものなのです。

いまやUSAは世界の覇者から凋落しようとしていますが、アメリカ人はアメリカ人の個性で生きていくべきですし、誇れるものです。
私は、日本的な繊細さやこまやかさや余韻や間といった概念を誇りたいと思っています。決して、大味なアメリカ文化が肌に合うわけじゃない。

でもUSAは、やはりダイナミックな独創性やパワーに自信を持ってほしい。
日本は臆することなく、ものづくり職人の道を世界に示していけばいい。
ベースボールと野球は、同じフィールドでがっぷりよつに組めばいい。

異なる感性や文化をリスペクトしあいたいと思うのです。

筍ごはん

2009-03-22 21:16:46 | 今日の料理
そろそろ桜の開花の便りも届いて、春がやってきたようです。

朝お米を磨ぐ時の水が少し温んできて、冷たさを意識せず、苦にならなくなりました。

スーパーに筍が出ていました。
小振りのものが680円、初物だからちょっと高いけど、筍ごはんを作ることにしました。
皮付きのまま糠を入れて一時間茹でて、また一時間くらいかけて冷まします。
茹で上がった筍を切りながらつまみ食い、ちょっとえぐみが残っていますが、爽やかな香りでオイシイです。
油揚げと一緒に炊き込みごはんに。

炊きあがると、ちょっとお焦げもできていて。

旬の食べ物には力があります。
生命力を感じます。
自分も、生き生きできるような気持ちになれます。

春キャベツのサラダも作りました。
キャベツも柔らかくて甘いです。なんだか春キャベツだと思うと嬉しいので、
食パンでクルトンを作ってシーザーサラダ風にしました。

こんな風に、豪華じゃないけれど、旬の野菜やお魚の食卓を大切にしたい。

そういう気持ちになれるようになった自分を、少し大事にしてみようかな、と考えました。

これまで、自分自身を追い込むことだけが、充実した人生だと考えていました。
生きることは、全速力で走ることだと。
何かに全力で集中できなければ、生きる意味が無いと。
でも、それだけではないのかも知れない。

まだ、確信は無いけれど、気持ちはまだ揺れることがあると思うけれど、少し「ゆっくりであること」の意味も考えようと思います。


飾り気のないお花屋さん

2009-03-19 17:50:20 | 生活改善プロジェクト
下町には意外とお花屋さんがあります。お寺が多いせいかもしれません。

浅草の繁華街の方へ行けば、可愛らしい店構えの、センスの良い感じのお店もあります。入谷なんて地味なところでも、スラワーアレンジ教室を併設した、小洒落たショップが大通り沿いにあったりします。

家にお花を飾るのが、わりと好きです。
ただ、夏は一日二日で萎れるので、秋から冬、春だけです。特に春先はお花屋さんの店先も華やかにいろいろなお花が入荷します。町中の木々や地面にも花が咲き出して、気分もお花になるし。

私がいつも買うお店は、地下鉄の駅のすぐ上にあるのに、看板さえ出していない、店名不明の異常に地味なお花屋さんです。
お洒落も素っ気も無く、一軒間口くらいの引き戸を開けると、ガラスケースと、桶に入れられたお花で狭い店内が溢れ帰っていて、奥は自宅でお昼ごはんのにおいが漂っているようなお店です。

ガラガラとガラスの引き戸をあけて「ごめんくださ~い」と呼ぶと、おばちゃんが出来てくれます。
愛想が特にいいわけではないのですが、お花を見ていると、どの「どこに生けますか~?」と声をかけてくれる。そして、お花が今日は新鮮か、どれがおすすめか、あ、これは先週のだから良くないよ。とか。

話していて、気持ちのいい愛想の無さ。

お店に入って、店員さんがやたらと愛想がいいのも、聞いてもいないのに色々勧めるのも、少し不愉快になります。
このおばちゃんのお客さん(私)との距離感が、心地いい。必要な情報は、きちんと伝えてくれるとう信頼感も湧くのです。
人との関係、距離感の設定は難しい。人の感情は微妙なものだから、このおばちゃんの接し方が心地よいのも、私との相性がいいだけなのかもしれない。

こんな、飾り気の無い花屋さんでも、来る人は来るのだと思います。

飾ればいいというものでもない、ニコニコだけがいいわけでもない。媚びればいいわけでもない。
人との関係性の距離感は難しい。
商売も結局は人の相性なり、なのですね。
万人受けを狙ってばかりいて、作り物になるより、素っ気ない素顔がかえっていいのかもしれません。

版画展は夢のように過ぎて行き

2009-03-15 09:13:34 | WORKS
一週間の会期の版画展が終わりました。

30人くらいの大所帯のグループ展で、作品点数も50点を越え、賑やかな会場になりました。
会期中のお客様は、430人だったそうです。出展している会員の知人友人が主ですが、みなさんに見ていただけて、幸せです。
私自身は、モノを作ることが好きなので、これまで色々製作してきましたが、展覧会という形で何らかの作品を人にお見せするのは、はじめての体験でした。

気恥ずかしくもあり、嬉しい気持ちもありました。

せっかく展示するのだから、もう少しレベルの高いものを作りたかった、というのが一番正直な気持ちです。ですが、一週間、会場に展示されていた、自分の作品を壁から外す時、「あれ?なんだか変わった」と、感じました。
なんとなく(ありえないことですが)人の目にさらされた作品が、なんだか少し自信を持って成長したように感じたのです。
展示をするときには、「こんな作品を出展していいのかなあ・・・」と、自信無い気持ちでいっぱいでした。他の人の作品が、立派に見えて、自分の作品は貧相に思えました。

ですが、外すときには、堂々とある種の風格を感じました。

それは、私自身が、自分はこれが自分だから、いいのだ、と私の今の姿を晒したことが、なんだか少し力になったのです。それで作品が変わったように思えたのでしょう。いろいろな人に、いろいろな感想を伺いました。それも、嬉しいことでしたし、自分の普段人に見せない面を、あえて晒してみて、それについていろいろな人が私という人間について、なにかを感じてもらえた。それが、私自身の成長や励みや新たなエネルギーになりました。

人は人の中で、変化し成長して行くものなのだ。ひとりぼっちでは、人は変われないのだ、と改めて自分の作品を展示するという体験を通じて実感できました。

展覧会で共同作業をしたことで、会員のみなさんともより親しくなれたことも、嬉しいことでした。

最終日、撤去の後の飲み会は、それは楽しい時間でした。

ごく普通の夕食

2009-03-10 20:15:28 | 生活改善プロジェクト
何も特別のことは無い、普通の日の今日の食卓です。

家族が晩酌をするので、つまみ類が先に出して、ご飯を食べるときにおかずを作ります。

今日のつまみは

あさりのワイン蒸し
ほうれん草の胡麻和え
エシャロット 味噌添え
ごはんのおかずは
豚肉のソテー 玉葱とニンニクで焼いて赤ワインと醤油味
夕食時には、お味噌汁は作りません。ウチではお味噌汁は朝です。

こんなごく普通の、むしろ普通のお宅より質素な食事ですが、自分で作ることに
なぜかこだわってしまいます。
自分ではなくても、家族でもいいのですが(そこは特にこだわりません)出来あいのお惣菜や、お弁当や冷凍食品などが嫌なのです。時間がなかったり疲れていて、夕食作りが面倒な時は、お惣菜を買うくらいなら、外食してしまします。

なので、こんな程度でも、小一時間くらいは準備にかかってしまいます。
今は、病気のためやむなく無職に甘んじているので、夕食を作る時間はたっぷりあります。ただ、毎日毎日食事のことばかり考えていると、自分はなんなのか?と不安になります。主婦業というものにどうしても適性が無いようです。

これから、仕事に復帰すると、また夜まで職場に拘束されますから、また、仕事に夢中になりがちな性格なので、夕食が疎かになります。

これが、最大の悩みの種です。
夕食は手作りしたい。栄養のバランスも、家族の体調も、自分のことも考えて作りたいのです。でも、そんな余裕は無くなってしまうのです。そこにジレンマが生まれ、悩みの種になるのです。いつもそんなことを繰り返しては、解決せずに、自爆しました。

今度こそ、この問題を解決したい。
でも、どうすれば、どちらも両立するのでしょう。

仕事をそこそこにする。
週末や休日に食事を作っておいて、自家冷凍する。
朝、作ってから、出勤する。

いろいろ考えてみますが、どれも大変そうです。でも何とか工夫をしなければなりません。

私のライフワークバランスを目指す闘いの第一歩なのです。

版画展前夜

2009-03-06 20:54:37 | WORKS
版画の同好会のギャラリー搬入を明日に控え、やっと出来上がりました。

大1点小1点の二枚組です。

時間は半年以上もあったのにも関わらず、ギリギリにならないとエンジンがかからない性格です。まったく、いつもそうです。
直前二週間で、ほぼ仕上げました。
大は7版、小は4版 彫って摺りました。

版分けに悩み、摺りに入ってから色に悩み、思ったようなイメージが再現できないことのもどかしさに、悶々と考え続けました。
結局、出来上がりは搬入前日夜。

もう少し、前からじっくり取り組めば、もっといい作品が出来たかもしれない。
もっといろいろ検討して、彫りも摺りももっと精度が上がったかもしれない。
でも、こういう風にしか出来ないのが私の現実ですから、まさに実力というところでしょう。

この版画の作業の間、徐々に楽しくなってきました。
始めは、彫りの力仕事に、肩こりと筋肉痛にうんざりし、だんだん時間との闘いに、焦りはじめて。

家事や食事の支度を、何度放棄しようと悩んだことか。いろいろ手は抜きましたが
。ただ、こういう日々に雑事の制約の中で、作品を制作するというのも、鍛錬かもしれません。
日本画家の巨匠、小倉遊亀は、女流画家で、夫の世話や家事の合間にあの素晴らしく精密で繊細な作品を生み出したのです。まさに明治の女の面目躍如ですね。時代や考え方は変わっても、根底に流れる作歌魂、人間としての生き様は、大いに尊敬します。

色をこうしたらいいのかな?とか、ココはこう変えようとか
明日た起きたらやってみよう、と思うと久々に夜布団に入る時、明日の朝が待ち遠しい思いも味わいました。

なにか形あるモノを創作することは、とても精神衛生上いいと思います。
心を病んで悩める方々へ、お勧めします。

明日は搬入です。やっとほっとできます。

お父さんと一緒のカフェ

2009-03-01 21:35:01 | 生活改善プロジェクト
何年も前から浅草の真ん中にあって、時々訪れる、落ち着くカフェがあります。

今日も正午を大分回った頃、自転車でふらりと寄って、ランチを食べようと思いました。
ココのチリコンビーンズとごはんのセットのランチが、好きなのです。

今日は日曜だけあって四五人の人が入っていて、大テーブルに相席になりました。
片隅には、小さな女の子と、30代位のお洒落な若いお父さんがサラダを食べながら
ランチを待っていました。

私は、子供がとても苦手です。こういう場所で子供と同じテーブルになるのは
私にとってとてもアンラッキーでした。
でも他に席は無いし、チリコンビーンズは食べたかったし、日経新聞を読んで気を紛らわすことにしました。
女の子は5歳くらい、サラダを一生懸命食べながら、お父さんと話してました。

ふと、その会話が気になり出しました。

お父さんは、その女の子と、まるで自分の奥さんか友達と話すような言葉で鷹揚に、
楽しそうに話しているのです。
その女の子も、お父さんと対等に大人言葉で話していました。
そして、その声が、とても場所をわきまえた押さえたトーンの声だったのです。

大抵親と子供がいれば、大声が飛び交うことになるので、私はいつも嫌な気分になります。
その会話は「早くしなさい」「どうしてそうなの」と、だいたい不機嫌な大人と
勝手に大きな声で自己主張する子供声で、イライラした空気を醸し出すのです。

ところが、この父子は、とても穏やかに休日のカフェでのひと時を楽しんでいました。
そして、小さな女の子はココが他人の大人がたくさんいるカフェであって
自宅ではないことをちゃんと自覚して振る舞っていました。
お父さんも、子供の声のトーンが上がると「ウルサいよ」と優しくいいました。

しばらくすると、お父さんは席の後ろに隠れていたベビーカーから1歳くらいの子を持ち上げて膝に座らせ、
スープを飲ませ出しました。
またこの男の子は、泣きもせずおとなしくスープを飲んでいました。
時々むせるのですが、お父さんも慣れた様子で、自分のチリコンビーンズを少し食べさせてみて、
「お、結構いけるじゃん」と言って楽しんだりしていました。

この三人の様子が気になって、私は日経どころではなくなりました。
なぜ、この父子三人がこんなに微笑ましく、楽しそうに思えるのだろう、と。
どこで見かける親子連れも、彼らの無意識にイライラした雰囲気に周りを巻き込むのに、この父子には、それが全くありませんでした。
お父さんは、子供との時間を楽しんでいて、子供もお父さんとの時間が普通なようでした。
会話に聞き耳を立てていると、今日お母さんは友人の結婚式へ行って、夕方に帰ってくるまで、お父さんが二人の子供を見ているのでした。

でも、きっとこのお父さんはいつもこうして子供との時間を楽しんでいる生活を送っていることが、よくわかります。
四六時中母親と子供だけで居れば、母親も子供もイライラし身勝手になります。
父親はまた違った接し方をする存在として、子供との日常を送ることは必要なことなのでしょう。子育てに参加しない父親と、子供べったりの母親が、不機嫌な親子の空気の一因なのだなあ、とつくづく思いました。

そして、そんな子供と大人の言葉で会話できるこのお父さんはとても知的に洗練されて見えました。
そして、お店の人との接し方も、爽やかな人でした。
男性も雄々しく外で戦うばかりが、人としてのまた男性としての魅力ではないし、楽しい人生でもないのでしょう。
家族とか、子供とか、そういうものに意味や価値を感じないことを自負する私でさえ、一人ではきっと得られないだろう楽しさを彼らから感じたのでした。

会計をしているときに、カフェの店主に「素敵なお父さんとお嬢さんですね」と聞きました。
常連さんだったようで、墨田区でオーダーメイドの靴職人をしている人だそうでした。
ああ、なるほど。そういう生活の方なんだな。とても納得しました。
今を生きる日本のサラリーマンには、そんなワークライフバランスは困難な日本の社会構造でしょうから。

こんな親子が街に溢れれば、私の家族嫌いも改善するかもしれないな、
職人っていい職業だな。
と身勝手なことを考えながら、楽しい気持ちで自転車に乗りました。