ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

わかり合えないことを乗り越えること(世界報道写真展2013)

2013-07-14 10:27:51 | 生活改善プロジェクト

しばらく、放ったらかしにしておいたこちらのブログ

ブログやらSNSやら、twitterやら発信ツールが多すぎて、それぞれをどう「棲み分け」すればいいのかな。

とりあえず、ここは一応「匿名」なので、いいたいことを吐露する場にすることにしました。

匿名とはいえ、簡単に辿れちゃうので「完全匿名」にはなり得ないことは承知の上。web上での発言は、調べれば大抵出所は割れるので、完全匿名なんて存在しないのだと思います。

「方丈記」にしよう。ブログ名、後ほど変えます。

 

++++++

東京都写真美術館で開催中の「世界報道写真展2013」を観ました。https://syabi.com/contents/exhibition/index-1862.html

毎年チャンスがある限り観るようにしています。こういう報道写真は、普通に生活していると目に出来ないからです。規制にひっかかるものが多いのでしょう。でも、こういうことも事実としてあること、そしてそれを単に芸術作品としてみてしまう自分がいること、いろいろなことを感じます。

今回は友人に付き合ってもらいました。

友人の感想

・西側(反イスラムのバイアスを感じる)

・展示の仕方のルール?が意味不明でよくわからない

・なぜいいのか、何がいいたいのか、さっぱりわからない作品が何点もある

 

若干機嫌を損ねてしまいました(笑)

私はどの作品が気になったのかと聞かれて

「女性が虐げられている作品が気になった」「イスラムの女性の?」

「それよりも、貧困から来る女性の置かれた状況の写真が気になった」「オランダでは売春は貧困層の仕事ではないよね?」

むーん。私はそこで黙ってしまったのです。

女性が虐げられているテーマの作品は何点かありました。イスラムの女性の差別を物語るもの、移民としてアフリカからヨーロッパへ渡り草むらで売春生活で生活する女性たちの写真、夫に劇薬を浴びせられ顔が崩れたまま生きている母娘の写真、売春が合法であるオランダで一人娘を育てているシングルマザーの写真

特に売春に付いては男性とは意見が食い違いますね、仕方ないかもしれません、男性は「買う」方です。私も、ここでこれ以上私がなぜこの人たちが貧困故にこういう生活をするのか、心の中ではどう感じているのか、を主張したところで、実際そういう女性を買う側の彼が、私の主張を納得はしないだろうと思い口をつぐみました。

経済的に普通かそれ以上、そして教育や環境が整っていれば、体を売って生計を立てる生き方はハイリスクなので自ら進んでは選ばないはずです。そして夫からの暴力も多くは男女ともに生育歴も含め貧困に原因があることが多い、ハイソサイアティの男性でDVの人もいますが。

男性に抗えないことは、多くの場合、経済的な貧しさが女性の側の事情でしょう。

+++

そんなことを話せなかったのです。わかり合えないことを確認するだけの結果を見るのが怖かったからです。

最近、おなじような経験をよくします。ああ、これ以上言っても、わかってもらえないから黙ってしまおう。

男女どちらのの友人でもあります。所詮人のことなんかわからないものだから、と思って生きて行けば、ある程度楽なのかもしれないけれど、そうやって厚い仮面の下に自分を隠して生きて行くことは、自分の人生においてだけではなく、社会を形成するという意味でも、果たして意味ある行為なんだろうか?

もっと、わかり合えないけれども自説を述べ合う方がいいのではないか。しかし自分にその勇気も、戦う気力も、そんな好戦的な生き方を生け入れる社会的土壌もないです。

どちらがいいのか、まだわかりません。

++++

「世界報道写真展2013」 東京都写真美術館 8/4まで 

私も「西側バイアス」を感じました。そして、展示方法にも主催者の意図的な偏向のようなものを少し感じました。作者の意図を曲げていないか?と感じる展示が何点かあったように思います。

ですが、「(日本以外の世界の)西側から見た世界」を知るには、いいチャンスだと思います。

日本にいると、本当に世界は平和なんじゃないか、と錯覚しさえ起こしかねません・・・

 

10月になると、手帳とカレンダーです。

2012-10-03 22:53:52 | 生活改善プロジェクト

私は手帳好きです。なんといっても、常時3冊持ち歩いているのだから、手帳好きに決まっています。おかげで鞄が思いの何のって。

子供の頃、小学校入学する前の記憶があります。

父が会社の仕事を家に持ち帰ってきていました。なんだか方眼紙のような冊子に文字やら数字やら計算式やらを書き込んでいました。私が子供の頃は小学校入学前に字なんか教えられなかったので、文字は書けず、鉛筆でぐるぐる線を書いて、仕事をする父のまねをしていたことを覚えています。冊子に何か書いているのが、凄く羨ましくて、自分もやってみたかったのです。

学生時代も、勉強はしませんでしたが、ノートをきれいに作ることは好きでした。ノートに書くのが好きだったので、大事なことは何も覚えませんでしたが。先日実家に帰省して、大学時代の自分のノートを発見して読んでみましたが、まあ、よくも美しく丹念に書いてあること。なぜこのノートであの無惨なカフカな成績だったのかが不思議です。

 

毎年、10月になるといっせいに翌年の手帳類が売り出されます。

文具店や書店に手帳コーナーが出来るこの時期、ワクワクします。

私の常時持っている手帳はここ数年同じものです。来年のものもきっと同じものを用意するのだと思います。

スケジュールは、京都造形大のタイポグラフィの教授の作っているものをずっと使っています。基本的に過去の手帳は捨てないので、みたら2006年から使っていました。この手帳のデザインは本当に秀逸でフォントがライノタイプユニバースなのが自慢。おまけにこの先生のライノタイプユニバースは、シリアルNo.1なのです(マニアックな自慢)

 

主に仕事用の何でも書き込み手帳は、gentenのカバーに中身はMUJIの文庫本サイズの無地ノートです。無地のノートに思いついたことを書き留めるのが好き。

そして、短歌ノート。これも無地の文庫サイズのノートに文庫本用の革のブックカバーをかけています。隙間時間とか、カフェに入った時とか、何かいい感じのことばを思いついた時とかに書き込んでいます。

そういえば、この3冊にはどれにもカランダッシュのボールペンを付けています。(無駄だなあ)それぞれ、無地のお手頃なもの、ブルー地に雪の結晶柄のもの、銀製の高級ラインのもの。この3本のカランダッシュが、鞄を重くしているのかもという気がしてきましたが。

最近は、「ほぼ日手帳」とか「ミドリノートの手帳」とか「ツバメノート」とか、手帳好きには気になるものがいろいろ。

もひとつ好きなのが「旧暦日々是好日」旧暦のスケジュール帳で、凄く楽しいし素敵です。

 

 


自分に出来ないことを助けてもらう

2012-09-21 06:32:15 | 生活改善プロジェクト

このブログを、自社WEBサイトから切り離すことが出来ました。

WEBサイトにリンクされていると、あまりプライベートなことは書きにくく(書いてしまっておりましたが)気になっていました。

夏からずっと続いている「身辺整理」の一環でもあり、仕事環境を整えて、

対外的な窓口であるWEBサイトを手直ししたいと考えていました。

しかし

悲しいかな、WEBの知識が皆無なのでどこをどうしたものか解らずに困っていました。人生のキャリアを積んでくるとある程度様々な分野の「専門家」のかたに、伝手をたどって巡り会うことができるような気がします。

伝手のたどり方とか、お願いできるおつきあい、どういうスキルの方なのか等々、「専門家」であればどなたでもいい訳ではなく、やはり信頼できる方には信頼できる方を通じてしか巡り会えないものかもしれません。

ともかくも、親しい友人の知人にお願いして、WEBサイト管理の手段を探ってもらい

今後の管理方法を教えてもらいました。目の前で、ご飯を食べながら、私の乏しい情報で一時間くらい私のノートPCを動かして、解決していただいたときには、まるで知恵の輪をくるりを外してみせられたような、感動がありました。

あとは自分で触って学べば何とかなりそうです。

自分でもどうにもならないことを助けてもらえるって、やはりとても嬉しいことです。私もで自分の専門分野でそんな風に誰かを助けられたらいいのに・・・と、思います。

 

プライベートブログに戻ったので、これからはもう少し自由気ままに書こうと思います。


孤独を畏れる。

2012-09-02 20:26:46 | 生活改善プロジェクト

********** 思いつき。**************

自分はどうしてこんなに「楽しく仕事したい」ということにこだわるのだろう。

楽しい仕事、というのは、自分の能力を発揮しそれが役に立つと認められていると実感できること、だと思っている。

逆に、苦手なことを失敗を繰り返し、反省したり自己嫌悪に陥ったりしながらそれでも苦手でしかない仕事、ほど苦痛なものはない。

 

思うに、私の得意で能力を役立てられる範囲は、とても狭い。しかし、あまり競合相手は居ないようで(要はニッチな市場)そこにハマると、とても楽しく仕事ができる。

そんな状態になると、仕事以外のことをしたくなくなるので、それはそれで厄介なことになるのだが。

まあ、残念なことにニッチな市場を開拓するのはそう容易ではない。

だからあまり需要は無い、故に私は楽しく仕事ができる場面になかなか出会えない、という仕組み。しかし、私の狭い能力のうちの一つに、諦めず挑戦し続ける、というのがあるので、あちらこちらの職場に漂着しては、自分の需要開拓をし続けている。時々は開拓に成功したりするけれど、だいたいは需要と供給のミスマッチ状態に陥る。

 

こんなことを繰り返しているのは、要するに私が自分自身の孤独を自覚していて、

その孤独を畏れているからだと、思い至った。

人間、みんな孤独だということくらいわかっているし、自分だけが深い孤独に居るなんてファンタジーを、さすがに信じてはいない。

ただ、私自身は、自分の抱える孤独を制御することもできず、忘れることも出来ず、

常に仲良くしているくせに、深く畏れているようなのだ。私はいつも隣に居る孤独が怖い。

だから、私は楽しく仕事がしたい。

 

そこで気がついた。

人一倍孤独を制御できず畏れていることそのものが、私の最強の武器になりうる唯一のものなのだと。

これ以上、私を救ってくれる武器はなかったのだ。

そんなことを、今更気づいた、なぜは、夏の終わりの休日の夕方、アイロン掛けをしながら。

欠点は、最強の武器(となりうる。)あとは努力次第。


休眠口座、ありませんか?

2012-08-30 05:28:20 | 生活改善プロジェクト

身辺整理が止まらない、はまだ続きます。

私は「モノを捨てられない」性格なので、いろいろなモノが「とりあえず」保管してあります。

きれいな包装紙や紙袋(日本の印刷物は本当にきれい)、洋服のタグ(だってデザインが素敵なんだもん)、昔使ったノートやスケジュール帳、ノベルティでもらったボールペン・・・

「とりあえず」いちいち取っておいたら、身辺は本当にモノだらけです。

そんなモノたちをバッサリ捨てたり、取捨選択をしているのですが・・・

銀行通帳も、どっさりあります。

今のメガバンクが合併する前、都銀と言われた頃の今はなき銀行の通帳。

京都の信金。札幌の唯一の都銀にして初めて潰れてしまった都銀の「たくぎん」。

数えれば20冊以上。

なぜこんなにバリエーション豊かなのかというと

都銀が何度も合併して新しい銀行が出来てはなくなったりしてくれた、ということもありますが

小さい会社に勤めると、会社が自社に(経理担当者に?)都合の良い銀行に、給与振込口座を勝手に作ったりしちゃうんです。それは法律違反ですが、業務上楽なので普通に行われています。零細企業にコンプライアンスを求めるのは難しいことが多いことの一例。

そんな零細企業を何社も渡り歩いているうちに、本来の自分の銀行口座以外に、給与口座がいろいろ増えて、そしてその会社を辞めるとなんとなく放置してしまったり・・・(銀行口座を放置していて平気なのは、私の金銭感覚の鈍さを表していると思いますが)

20冊ある通帳を、残高を確認してみて、

今利用しているメガバンク2行につながる歴々の銀行の通帳を時系列に並べてみると

あらら、遡る途中で繋がらない通帳が2つ。どうも、そこそこ残高を遺して、そのまま口座が放置されているのかもしれない。単に記帳していない状態だとしても、繋がらない口座が2つ。

早速、合併後の現メガバンクの窓口へ

残っていました・・・残高が。どちらも十万単位で・・・(なんということ!)

一行は、10年出し入れが無い口座でしかも合併前の口座なので、封鎖されていますのでセンターで調べないとわかりません、ということで待つこと1週間。で、残高があるという連絡を受けて、口座閉鎖と残高を今の口座に移す手続きにもう一度行きました。

もう一行は、10年以上前、こちらも合併前の口座でしたが、こちらは当日残高がわかり、現メガバンクの口座に定期を作って放り込みました。

国が、休眠口座の忘れられた預金をちゃっかり国庫に、と狙っている訳がわかりました。1円単位で、節約している一方で、こんなずぼらなことを平気でしてしまう人間も居るのです。たぶん、そういう方がけっこう居るのでしょう。

休眠口座、ありませんか?

今はなくなった、旧都銀の通帳、怪しいです!

残高が残っていたら儲けもの!

銀行窓口に行きましょう。窓口で時間がかかっても、面倒くさそうにされても、調べてみることをお勧めします。

 


食べること、食べないこと、の功罪

2012-08-14 10:18:50 | 生活改善プロジェクト

身辺整理が止まらない。と昨日書いた。

この「片付けたい」欲求はどこから来ているのだろう。何かを新しく始めるため、リセットするための、準備体操のようなものなのか。

そういえば、食欲減退も止まらない。

何故食欲が極端に減退しているのかは、胃の検査、色々飲んでいる薬や治療についての各担当医の見解もはっきりしない。

でもとにかく食べられないので、食事の量は極端に減り、体重も減っている。

それで、身の回りを片付けたくなったのは、食べていないことに関係があるような気がしてきた。

食べられなくなって、多少体の不調が出ている。血液検査で栄養失調状態だと言われたし、手足は頻繁にツルし、めまいも起きる。でも、けっこう元気に生活している。仕事もしているし、思考力が極端に下がっている様子も無い。

 

これは・・・普段が食べ過ぎ、なんじゃないか?

先進国の現代人の摂取カロリーは、そもそも過剰だという説をよく聞く。確かにハイカロリーな食事をこれでもかと食べて、間食もして、甘い飲み物もアルコールも飲んで。

後進国、途上国に住む人は我々の何分の一のカロリーで生きているのだろう?はたまた、ほんの少し昔の日本人、たかだか50年とか70年とかくらい前の日本人の食事と比べて。彼らはちゃんと生きて労働も生産も思考もしている、(いた。)

宗教の修行には絶食がよく取り入られられる。仏教の僧侶の修行食はほんとうに乏しい食事で、かなりの労働と思索をする。過剰なカロリー摂取が生産活動と思考活動の邪魔をしているかのごとく。

過剰に食べることで、人間の本能的な欲求がすべて十分すぎるほど満たされてしまって、食以外の欲求が麻痺するような。

食べること、はおそらく人類のDNAに累々と刻まれてきた根本的な本能だから、それを満たされればとりあえずOK、と体も脳も停止するような気がする。

逆に考えれば、食べられない、という事態は、自分の体をフル回転させて「食べられない」危機から自分自身を救おうとする。だから、生産効率が上がるはずだ。

それから、食べられなくなって、もうひとつ気がついたこと。

お腹が空いて、食事を美味しいと感じる、ことがいかに人を幸せにするか。結局人間は食べること至上主義なのだ。動物なのだから当然だ。

食べられればOK。さらにそれが美味しく楽しければ、オプション付き。

そう思えることも、とても人生をシンプルに片付けてくれる。食べないことが、違う景色を見せてくれた。

 


身辺整理 これはbroken windows theoryだと思う

2012-08-13 20:39:27 | 生活改善プロジェクト

1ヶ月くらい前に、いつものように週末土曜日ののだら~んとした朝、ほんの少しだけ片付けて、自分のデスク周りくらいは奇麗にすれば、きっとやる気が出る・・・と思って片付け始めたら、止まらなくなった。

デスクの上からパソコン周り、本棚、仕事の書類、と際限なく続き、止められない。

「片付けたい気分」は思いのほか長続きし、ずっと解決しなかったfontインストールを解決して長年思い続けていたPCのMac 移行、(さようならWindows、まあ残してはあるけど)積年の年賀状の処分、不要な本の処分、放ってあった壊れたままのスキャナの処分、多分、言葉通り売るほどあるポストカードの分類整理・・・もう、止まらない、止まらない。

とうとう、長年放置していた銀行口座まで奇麗にした。二行、今はもうなくなっている都市銀行の通帳の残高確認をして、現在の口座に移した。いくらかのお金を発掘してしまったというおまけ付き。

どんどん片付いて行く自分の身の回り。

そうすると、新しいものを増やすことを、以前に増して躊躇する。

正確には違う、新しいものを増やすことに躊躇しているのではなく、不要なものが増えることへの嫌悪感が増したのだと思う。

一時、欲しい!と思っても、手に入れてみるとそれほど嬉しくないもの、使わないもの、はとても多い。

今私が本当に必要で欲しいものは何か、ということを考えていると、行動もシンプルになるように思う。よけいな行動も無くなるのだと。

自分の周囲から不要なものを削ぎ落とすと、不思議とどんどん削ぎ落としたくなる。

ああ、憧れ続けている数寄屋造りの日本建築の部屋のように、何も無い、いらないという精神世界へ、近づけているのではないだろうか、とさえ思う。

ものを作るときの、究極まで削ぎ落とす作業はきっとこれなのだ。

削ぎ落とし続けることで見えてくる本当に必要なもの=本質。

人生半ばにして、やっとたどり着けたこの境地の入り口。

今度こそ、洋服をごくシンプル、オーソドックスなものだけにして、最も自分を表現できる個性的な着こなしができるようになれる、気がしている。

 

 


私ってなんて可哀そう、病

2012-02-17 23:10:17 | 生活改善プロジェクト
今年ももう2月も半ばを過ぎ、立春もバレンタインデーも建国記念日も終わってしまいました。
年明けから始まり、毎日通院というちょっとしんどい放射線治療がやっと終わりました。

今日、はっと我に還ったのですが…

「私ってなんて可哀そう病」に罹ってしまっていました。


もともと、ネガティブな要素の強い性格なので、
ちょっと油断すると「私可哀そう」と思いがちだという自覚はあるのです。
いつも気をつけて「私は可哀そうではない、全然可哀そうではない」と自分をコントロールしようと努めていました。

だというのに、
すっかり「私可哀そう病」に取りつかれてしまっていました。
病気の診断から手術まで半年あって、その間「私は全然大丈夫」と気を張っていたのでしょうから
その反動が出たのかもしれません。

それに、5週間の放射線治療も、激しい副作用はないですが、地味にしんどかったのだと思います。
そして、人気関係の構築が苦手なので、次から次へと新しい人に関わって自分の体の説明をしたり受けたりする
というのも、なかなか精神的に疲れることだったと思います。


そんなこんなで、「私ってなんて可哀そう」病の自覚なく陥っていたのですが
今日、無事抜け出すことが出来ました。
「痛いし、しんどい」と担当医訴えて、「普通に回復してるから気持ちの問題だ」と喝を入れられて、ハッとしたのです。
ああ、若干厳しい気もしましたが、先生ありがとう。

そうだった…
ステージは初期で、手術も簡単に済んで、短期間で退院して
そんなのって全然、重病ではありません。

毎日治療に通って疲れてきたら、すっかり重症患者の気分に取りつかれていました。

病気の心配でモヤモヤしているのはもう終わりにして、サッサと次の仕事のプランを考えなければ!
ぼやぼやしているうちに、また一年が経ってしまう。
今年こそ、まとまった仕事の成果を出さなければ。

気持ちのスイッチは切り替わりました。
さあ、やるべきことはたくさんあります。
見たい展覧会も、行きたいところも、会いたい人もたくさんいます。
なんだか病気だった…ことは一旦忘れることにしました。そう思うと、かなりスッキリしました。

今、世の中、日本全体が、私と同じ病気にかかっていませんかねえ?
日本社会全体の空気が「私って可哀そう」に支配されている気がしてなりません。

去年大震災が起こって、原発が爆発して、放射能で汚染されて、タイで洪水が起こって、欧州の信用不安から経済が冷え込んで景気は更に悪化して、政治は混迷して、年金は破たんして、増税しなければもう国にお金がないなんてことになって

なんだか、ジャブが効きすぎている気がしますが

それでも「私可哀そう」と思って内向きになることは、全く何も生みません。
おまけに、「ああ、あなたも私も可哀そう」とみんなでお互いを甘やかすことも、全くいいことはありません。

悩み深い時、その気持ちを吐露して、共感を得たいと思うのは、感情として正しいのかもしれません。
でも、そこでお互いに共感することにいつまでも留まっていて、なにか解決するのでしょうか?
「癒し」って、本当にそういうものですか?

私の担当医が言外に(さすがに直接そうは言いませんでしたが)甘えるなよ、と言ってくれたように、
自分に甘えたい、と思っているときにいつまでもどこまでも甘えさえることが本当に本人の立ち直りになるとは思えません。
(まあ、私の担当医が私の為を思って言ってくれたのかどうかはちょっと疑問ですけど。まあ結果的には助かったので感謝しています。)
最近の教育事情を垣間見るにつれ、そんなに子供たちを優しく守る方針でいいのかな?とさえ思います。

支えあうためには、まず自分でしっかり立たなければ。
そう気付いたので、私は今日から春を迎えた気がします。



「幸せ」に潜む危険

2012-01-03 14:23:18 | 生活改善プロジェクト
昨年は、一年を通じて幸せを感じ続けた年でした。
年末に「今年は一年幸せだった」とコッソリ告白していました。
激動と困難な年だったのに、私個人は何に対して幸せだったのか?

きっと、自分を否定せず過ごせたからだろうと思います。

自分を取り巻く環境がいろいろに変化しても、変化する環境に喰らいついていこうという気持ちを持てたからだと思います。
喰らいつけたのは、自分は何をやってもダメだ、どうせ出来ない、出来ない自分は最低だ、と思わなかったからだと思います。

ただ、そういう自己肯定感というのは心の安定をもたらしてくれるという
素晴らしいものですが
安定に安住する心地よさ、を生んだりましますね。

自分はこれでいい、こんな自分でもいい
と思うことで、チャレンジも変化もしなくなることが危険だと思うのです。

自分はダメな奴だ、価値のない人間だ
と貶めるは、ただただ自分を追い詰め苦しめるだけで、何にもいいことはありません。

自分はこれでいいのだ、こんな情けない自分でもいいのだ
と自分を肯定していていいのは、進んでいるときです、走っているときです。
何かを手に入れて喜んでいるとき、疲れて休んでいるときに、自分をそれでいいと思っちゃ、ダメです。

去年を通して感じた幸福感に
ここに安住しようという気持ちはなかっただろうか?
常に前に進みながら、自分の方向を見据えて肯定していられただろうか?

もしかしたら、
私はこんなに困難な状況の中で、まあまあとりあえず生きているから、という後ろ向きな肯定感はなかっただろうか?

それは堕落です、甘えです。
今スグ、そのヌクヌクしたベッドの中から出てきなさい。
そこに居直っては駄目だ。

と自分を振り返りました。

人生の中で久しぶりに感じた「幸せ」な毎日、の感じ。
しっかり足場を固めて、次に出発するための、足場固めの幸福感でなければなりません。

生活が100%幸福であっては、人間、駄目です。
幸せが半分、渇望や不満ややるせなさが半分。
それが人生の黄金配分だと思います。

そう思い至ったので
今まで目を逸らしてきた苦手なことに取り組むことにしました。
新しいことにチャレンジすることは語学、
そして、本当にやるべきだと思うことの継続、です。

語学はとりあえず必要な情報を苦手意識なく得られるレベルにみにつけるべきだと思いました。
情報を入手する時に、英語が苦手だという意識が障害だと思うようになりました。

継続は、前々からの課題ですが、継続が苦手なのは自分の性質だと思って目を反らしてきました。

今年は「幸せ」に留まらずに生きます。
自分のダメなところを、あえてほじくってみようと思います。

「幸せだ」というセリフは、穏やかな眼ではなく
獲物を追う鷹ような研ぎ澄まされた眼をして言いたいと思います。






絆ばやりに、ちょっと違和感を感じる。

2011-12-30 15:54:45 | 生活改善プロジェクト
私の頭の中は、昨日の続きを延々考えています。

今年の言葉は絆。
家族の大切さを多くの方が実感したということで、結婚するカップルも増えているらしいですね。
クリスマスも我が家でクリスマスケーキを囲む、団欒が好まれたらしく
クリスマスケーキが売れたと聞きます。

家族の絆かあ…

私にはどうも引っかかるものがあるのです。

家族とか親子とか夫婦とか、世の中を構成する最小単位、いわば基本です。
自分の親や子供や夫や妻を大切に出来ない人が、社会的に大きなことを成し遂げようとすることに
無理があるのも分かります。

幸せは毎日繰り返される普通の日常の中にある、と私もしみじみそう思うのです。

ですが、家族や身内の絆がもっとも大切なこと、という空気に危ういものを感じてしまいます。

社会というものは、多くの人が若干の我慢や犠牲を
差し出しながら成り立つものだと思います。
人の価値観や考え方は万別で、すべての人が思い通りになる人間社会はあり得ないし、
誰かだけが大きな我慢を強いられ犠牲になる社会も、歪んでいると思います。

みんながすこしずつ、納得いかなくて、我慢して、何かをみんなの為にさしだして
初めて社会が成り立つはずです。

そういう社会で、身内や家族という最小単位の人間関係が
一番大事で、最も優先されるべきことで、
愛する人を守るためなら、形振り構っていられない、と多くの人が思っていたら
社会は壊れるような気がするのです。

私は個人的に家族というモノに重きを置いていなくて、最小単位は自分、家族といえども他人の一人
と思っているので、若干クールさが極端だとは思います。

でも、社会全体の風潮が、人間関係が濃い人とだけ更に密接につながって行こう
となってしまたら
人とのつながりはどんどん狭く濃くなり
排他的になり
自分と異なるものを受け入れ難くなり
ナショナリズムを形成するだろうと思います。

私と考え方の違うあの人とは分かりあえないし、関係ない。
私と生きている環境や育った境遇の違うあの人は、理解できない。

そうなった社会は、結局窮屈で冷たい。

家族のいない人は、誰とつながればいい、誰との絆を心の支えにすればいいの?


ネットの発達で、国も宗教も違う人と、簡単に出会えて、つながろうという意思があれば
広範囲の人と繋がれるチャンスが出来ました。

SNSで、掲示板で、ブログで
顔も見たことがない人と、会話が出来、友達になるチャンスが出来ました。


私は、そんな顔も知らない人たちとの繋がれるチャンスが嬉しい。
そんな出会いを大事にしたいと思います。

私の生きている生活圏にはいない誰かと、ふとしたのきっかけで生まれる会話
そこから生まれる絆を育むことを、大事にしていくことが
大らかで、価値観が違う人同志が認め合っても生きやすい社会の始まりなのではないかと信じています。