私は、職人見習いとして働いていたことがあります。
木版画を制作する、かなり独特の会社で、先輩の職人さんは4人いました。
木版画を摺ったり、彫ったりする仕事は
個々に数注する作業で、
工房の中でそれぞれバラバラの位置に座って
しーんとする中、紙を擦る音や、木を削る彫刻刀の音が響いていました。
そんなとき、突然として、一番ベテランの職人である上司が
「○○さーん!」と声をかけて
キャンディーやチョコレートを、ポーンと投げてきて
おやつタイムになったりするのでした。
その日私は、上司が一週間かけて刷り上げた版画に、会社の名前を摺入れる
という仕上げの作業をしていました。
2時間くらいかけて、出来上がり、上司に渡しました。
上司は、その仕上がりを確認していました。
午後、別の作業に取りかかった私を
「近藤さん、ちょっと」
と上司が呼びました。
いつになく、素っ気ない声でした。
上司は私が仕上げた版画を渡して、200枚全てに、私が汚れを付けてしまったこと、これでは
全部が売り物にならないことを指摘して、厳しく叱咤しました。
普段温厚な上司の厳しい叱責に、そして、自分がしでかした失敗の大きさに
身が凍る思いでした。
「申し訳有りません」と謝って自分の席に戻ったものの、作業を続けようとしましたが
すっかり動揺した私は、何をやっているのか自分でもわからないほどでした。
そんな状態でどのくらい時間が経ったか、
後ろの上司から、いつもの優しい声で
「近藤さーん」と聞こえて、クッキーが飛んできました。
いつもは、チョコレートやキャンディーでしたが
その日は、珍しくクッキーでした。
全員に1こずつ投げ渡されたあと、
「あれ、ひとつ余っちゃった、じゃあ近藤さん」
といって、もう一つ、クッキーが飛んできました。
が、おそるおそる上司の顔を見ると
いつもの優しい笑顔でした。
すると、突然涙が溢れてきて、あわててトイレに駆け込みました。
その日のクッキーは、やさしいバニラとバターの味で
心底美味しいと思いました。
木版画の仕事から離れたいまでも
その上司には季節のご挨拶を送っています。
必ず、甘いお菓子を選んでしまいます。そして一番よく選ぶのは、バニラとバターの香りの焼き菓子です。
****************************************
六花亭のエッセイ「思い出のおやつ」その2です。
木版画を制作する、かなり独特の会社で、先輩の職人さんは4人いました。
木版画を摺ったり、彫ったりする仕事は
個々に数注する作業で、
工房の中でそれぞれバラバラの位置に座って
しーんとする中、紙を擦る音や、木を削る彫刻刀の音が響いていました。
そんなとき、突然として、一番ベテランの職人である上司が
「○○さーん!」と声をかけて
キャンディーやチョコレートを、ポーンと投げてきて
おやつタイムになったりするのでした。
その日私は、上司が一週間かけて刷り上げた版画に、会社の名前を摺入れる
という仕上げの作業をしていました。
2時間くらいかけて、出来上がり、上司に渡しました。
上司は、その仕上がりを確認していました。
午後、別の作業に取りかかった私を
「近藤さん、ちょっと」
と上司が呼びました。
いつになく、素っ気ない声でした。
上司は私が仕上げた版画を渡して、200枚全てに、私が汚れを付けてしまったこと、これでは
全部が売り物にならないことを指摘して、厳しく叱咤しました。
普段温厚な上司の厳しい叱責に、そして、自分がしでかした失敗の大きさに
身が凍る思いでした。
「申し訳有りません」と謝って自分の席に戻ったものの、作業を続けようとしましたが
すっかり動揺した私は、何をやっているのか自分でもわからないほどでした。
そんな状態でどのくらい時間が経ったか、
後ろの上司から、いつもの優しい声で
「近藤さーん」と聞こえて、クッキーが飛んできました。
いつもは、チョコレートやキャンディーでしたが
その日は、珍しくクッキーでした。
全員に1こずつ投げ渡されたあと、
「あれ、ひとつ余っちゃった、じゃあ近藤さん」
といって、もう一つ、クッキーが飛んできました。
が、おそるおそる上司の顔を見ると
いつもの優しい笑顔でした。
すると、突然涙が溢れてきて、あわててトイレに駆け込みました。
その日のクッキーは、やさしいバニラとバターの味で
心底美味しいと思いました。
木版画の仕事から離れたいまでも
その上司には季節のご挨拶を送っています。
必ず、甘いお菓子を選んでしまいます。そして一番よく選ぶのは、バニラとバターの香りの焼き菓子です。
****************************************
六花亭のエッセイ「思い出のおやつ」その2です。