ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

写真に捉まる

2009-08-25 18:57:14 | WORKS
平均律という老舗の珈琲屋さんで、写真に親しむキッカケを貰いました。
岡田邦明さんというフォトグラファーのご指導のもと、写真の豆本を
作りました。


私は元々映像好きです。学生時代は映画が好きで年間200本以上観たこともありました。映画を見るのも、映像を見ていました。ストーリーや俳優ではなく、画面の美しさばかりを観ていました。

京都芸大に入って、映像の授業はそれはそれはパラダイスでした。
だって短い映像作品を自由に(アートなので)作れるのです。
パソコンで編集も自由にでき(final cut pro とimovieを使いました)、すっかりハマり高いソフトを買いそうな自分を引きとめるのが大変でした。

写真もその延長線で、興味深々でしたが、ハマると夢中になりそうなので
自制して、コンパクトカメラではなかなか思うよう写らないフラストレーションを溜めつつ、遊んでいました。

私は絵を描く方が好きなのだ。
絵を描くのだから、写真にとらわれてはダメなんだ、
なんとなくそう思っていました。

でも違いました。

写真は絵とは根本的に違いますが、ところが絵を描くことと本質的に同じ部分がありました。
絵と写真は両立する、という思いと、自分の手で作り出せない被写体を切り取る作業の面白さ、に素直に身を任せることにしました。

写真が身近な表現手段になった時、私の表現手段のライフワークに選んだ版画や文章はどう影響を受けるのか。
よく、映像的な文章とか、写真のような絵とか、たとえられますね。
きっと根底で何らかの影響を受けるのだと思います。

今、岡田さんのアドバイスで早速気づいたこと。
私は世界を色で見ている、らしい。色を消してモノクロームの世界でファインダーを覗いたら、世の中を切り取ったら、私の目が見ているものの形がもっと鮮明になる、はず。

期待しちゃいます。


目で見る レンズで見る

2009-08-19 22:14:26 | WORKS
お盆には、田舎に帰省しました。

山があり、田んぼがあり、川が流れている長閑な山奥です。
このところどこへ行くにもコンパクトカメラを持って出て
被写体を探す目で、モノを見ることが増えました。

今回もいつものようにカメラの充電をいっぱいにして、持っていきましたが
なぜか結局使わず…

撮りたいものはたくさんあったのに。

その代り、今回は小さなスケッチブックと濃いめの鉛筆を鞄の隅に入れました。


昼間は何せ暑い。外に出るととたんに熱中症になりそうな、湿気と気温。
古い木造の家は、山の中腹にあり、風が通り抜け、意外に涼しいのです。
家の中でゴロゴロ昼寝にも飽きたころ合い

スケッチをしてみました。

実際の風景やモノを見て鉛筆を走らすのは久しぶりです。
私はアカデミックにデッサンを習得した経験はないので
「絵を描ける」わけではありません。基礎もなくまぎれもなくへたくそです。

ただ、ちょこちょこと自己流でも描いていると
モノを見る目がそれなりに鍛えられるのを感じます。

久しぶりにスケッチをしてみて、
見慣れているはずの風景も全然ちゃんと見ていないものだらけだと気付かされました。

絵に写し取るには、一生懸命見なければならないのでした。

このところ写真ばかりでモノの見え方が変わって来ていたのです、写真は写真で
一生懸命見なければならない
ポイントがあると思うのですが、絵を描く時のポイントとは少し違うようです。


絵を描くことで見ていないものに気づき
写真で見るべきところにも気づけた気がしました。

ほんとうは…
モノを見るのは、目ではなく脳なのですね。
脳(心)の状態が見え方を決めますね。

ダビデくんのバッグ

2009-08-13 09:45:32 | 職人芸
若きバッグ職人 見城ダビデ くんに私の思い入れ素材 紙衣と紙布 でバッグを作ってもらいました。

ダビデくん と「くん」づけなのは、まだ彼が少年のような面立ちの若さだから。
でも、バッグはなかなか凄いです。

何が凄いか…

彼は現場の人で現場を知っているから。
彼のバッグは手作りの一点もの、バッグ作りも独学で体得したそうです。
そういう意味でも現場の人そのものですが
彼は、プロのメッセンジャーとして活躍していたので、メッセンジャーバッグの使い手としても現場のプロなのです。

メッセンジャーだった彼は、あるとき思いついて自分のメッセンジャーバッグを作ってみた。工夫や改良を重ねて自分で愛用しているうちに、仲間のメッセンジャーさんたちから欲しいといわれ作っているうちに、評判になってしまった、らしい。
すごいですねその心意気。

私は筋金入りの現場主義者。
作業場、工房、工場を見るのもそこで働く人も大好きです。
できることなら、興味のわくモノはできる工程からじっくり知りたい。
工場で工程を見せてもらうのは至上の喜びです。

私の仕事の原点は、伝統工芸の職人修行から出発しているのだから、それは刷り込まれているも同然。
手を動かし道具を使いこなしメンテナンスも工夫も…というのが現場です。
そういう現場から生まれたものしか、信じない。
そういう現場を知っているまたは知りたいと思っている人しか信じません。


使い手であり作り手でもあるダビデくんのバッグは、機能的で、小粋なデザインでありながらどこか骨太な感じを受けます。

温厚で華奢な彼が、ミシンに向かっている姿を想像する…かっこいいですね。


町工場で、職人のオジサンが汗を流して開発した素材を、こういう風に形にしてもらうと、とても嬉しい。
まだファーストサンプルですが、制作の背景や過程を話していると、もうそのまま鞄職人さんの思いを乗せて売ってもいいんじゃないかと…つい思ってしまう

…おいおい私のコンセプトはどこへ行った。しっかりせい。

食べないこと

2009-08-10 18:03:22 | 生活改善プロジェクト
このところ食欲がありません。

この蒸し暑さで、夏バテでしょうか。
あまり冷たい飲み物を飲まない私。夏でも基本的には熱いお茶とか珈琲です。
ジュース類、アイスコーヒーはあまり飲みません。
冷茶は冷蔵庫にストックしてあって飲むか。

食欲がないのは、普段常用する薬の種類が変わったせいかも知れません。

精神状態が低下気味のせいかもしれません。



食欲がない時、食べないでおこうと思いました。

それほど大食いでもないし、間食やおやつも食べないこと多いですが
一時期太ってからちっとも痩せないのは、
摂取カロリーが、消費カロリーより多すぎるせいだという
簡単な論理。


著名な音楽家の方の持論、一日一食でいいんだ。
その方が、健康的で、ハングリーになる、感性も研ぎ澄まされる
(だったと思います)
というお話に妙に納得したこと。


珈琲店のご主人が、一日二食でちょうどいい、
断食するともっと体調が整うよ。
と言っておられたこと。


夜、夕食を抜いたり、軽くすると
朝の目覚めが良い気がすること。
食べずに寝ると胃腸が休まるというけど、そういう気がする。


朝起きて、おなかすいた…と思いながら朝ごはんを食べるのが気持ちいい。
朝はご飯とお味噌汁と、焼き魚とかだから
朝にけっこうな食材を食べているのだ。


食事を作っていて、このカロリー、多すぎないのかなあ。
と、時々疑問に思う。
野菜を多く取るようにしているけど、油も使うし、チーズやバターや
卵も多いし。

そんなこんなで、食べたくないときは食べず、カロリー摂取を減らしていこうと思うのでした。先進国の現代人は絶対食べすぎだと思う。カロリー摂取を減らせば
それに伴って、生ゴミも、汚水も減って食料自給率は上がる…というのは
考えずぎかしら。

柿渋紙衣の帽子

2009-08-09 17:21:26 | 独立起業
仕事の話題です。

大阪の小さな町工場で、職人気質の社長さんが作っている素材

紙衣 というのは、和紙を揉んで布状にした古来からあるもの。

白い和紙の清浄さから、僧侶の衣になったり

柿渋を引いて防水性を持たせて合羽にしたり

軽いので旅に持って行く臨時の着物になったり


そんな歴史のある素材を使いやすく開発したもの。

和紙を揉んだ感じがいい味が出ています。


バッグや、ジャケットやGパンもかっこいいデザインにしてみたいと思います。

とりあえずはバッグで開発中ですが

メーカー独自で作っている帽子を入手。
市場の反応を見たいと思い販売することにしました。

なにより軽いし、調湿性があるので、蒸れないのがとっても被り心地がいいのです。帽子としてお勧めできることを、自分で使って見て確認。
機能としても帽子に合ってるなあ。

帽子もオリジナルを作りたいなあ。
作るのならもうちょっと、オサレなのがいいなあ。


なんとも悩ましいところです。

蝋燭能って初めての経験

2009-08-04 23:00:38 | 日本文化
このところ毎年楽しみにしている「台東薪能」
浅草寺の境内での薪能ですが、今年は浅草寺が大規模修繕中にて
浅草公会堂で「蝋燭能」の試みだった。

「蝋燭能」というジャンルがあるわけではないそうです。
電気のなかった時代の夜の上演の「暗さ」を再現する試み

字の通り、舞台に篝火の代わりに蝋燭をたくさん灯して、
舞台が薄ぼんやりと闇の中に浮かび上がる。

演目は「葵上」
これまた六条の御息所の怨霊が葵上に取り付くという
ぞわっとするストーリーと舞の、展開の速い能。

六条の御息所の怨霊が、後シテでは般若の面をつけて、激しく舞うあたりで

ぼんやりと浮かぶ舞台
スコーン、と澄んだ音色の大鼓
地謡の畳みかけるような声に

少しの間、異次元へ感覚トリップしました。

舞台全体がゆらゆらと燃えあがるように見えました。

能ってまるでオペラに似ています。
単調な音なのに、ものすごく厚みと広がりを感じます。
フルオーケストラと合唱が鳴り響いているのに、似た感覚。

病に伏す葵上を「小袖」を舞台において表現する演出も
伝統的な演出なのに、不気味でホラ―な演出表現ですよね。
「象徴」とか「見立て」の表現なのでしょう。

大鼓の張りつめた高い音が、とても力強く響き
気になっていた。
柿原弘和氏 
調べてみたら、若手の実力者だった。

能の上演中はいつも眠くて仕方ないのに
この演目上演中は、舞台にしばりつけられたように
圧倒され惹きつけられた。
実験的試みをしてくれた今年の台東薪能
台東区もなかなかやりますね。





それぞれの見方とそれを壊す勇気

2009-08-03 21:58:19 | 職人芸
仕事上で、いろいろな立場に方にお目にかかります。

町工場や小さい会社の経営者の方、職人さん、デザイナーさん、問屋さん
小売店を経営する方…

私がお近づきになりたい方々なので、皆さんご自分の信じる道を信念を持って
歩まれている方ばかり。

私の事業の理念に共感して下さるかどうか、というところが共通項と言えば言えなくはない。

基本的な理念では共通していても、それぞれの背景や立場によって
意見は様々。
一つの商品をいろいろな方向から眺めると、切り口や見え方が十人十色だということが、しみじみ身にしみる毎日です。

そこをどう共通を結びつけるか、が私の仕事なのですが

我ながら、難しい仕事を選んだな、と思います。

意見の異なるどちらの考え方もわかる。
こちらから見ると、こういう風に見え、そちらの方から見ると、そういう風に見え。
わかります。。。と思ってしまって、私が八方美人をやっていては進む物事も進みませんから、どこかを切りすたたり、説得したり、しつこく食い下がったりして
なんとか進めます。
なかなか一筋縄ではいかない作業です。
仕事というのはどんな分野でもそうだとは思いますが。
そういう意味では今、初めて仕事らしい仕事をしているのかもしれません。

難しいのは皆さんその道のベテランであって、自信や革新をお持ちなこと。
そこに一般素人の視点(私の立場)を入れてもらうには…
結局人の信頼感でしょうか。

私自身も信頼できる方という気持ちが働かないと、一緒に取り組むのは難しいです。相手の方から見ても同じでしょう。

信頼を得て、はじめて異なる意見も聞く耳を持っていただける、それは会社員時代から感じてきた実感です。
自分の意見を主張するのも、難しいことですが、もっと難しいのは自分の意見を壊すこと。誰でも自分の実績や成功を覆すような考え方には耳を傾けません。
でも、自分の成功体験の中にだけ真実があるわけではない、それも薄々分かっていながら、やはり認めない。
皆さんそうです。
私もそうです。

だから、人の意見は心して聞く。
大事なことなのにしょっちゅう忘れそうになるのですが、その都度思い出すようにしています。

心から敬意を表して聞けば、自然と相手の方も自分の殻を壊してくださる。
そう思います。