ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

pending(考え中)

2011-10-28 11:01:17 | 日本文化
毎日、いろいろなことを、pendingにして生きています。

東日本大震災から、福島第一原発の事故。もう忘れられつつある感もありますが、現在進行中でまだ終息していない大事故です。

このことをきっかけに、原子力発電は必要か不要か、世の中でも盛んに議論されていますが
私自身の態度をどう取るべきか、考えています、が、未だ結論は出ません。

TPPへの参加も、切羽詰まった問題ですが、農業のこと、日本の外貨獲得の手段であり主力産業の製造業工業のこと、世界情勢のこと、いろいろな視点から見ると玉虫色にみえて、やっぱり結論が出ません。

私の仕事である伝統的工芸品のことも、産業として、経済として、従事する人の生活の糧として、今後はどうあるべきなのか、どう発展、保存、していくべきなのか、やはり難しいです。

プライベートな問題も、自分自身のこと、仕事のこと、両親のこと、様々なことに問題があって
でもそう簡単に決断も結論も出せずにいます。


もう、あれもこれも、たくさんのことを棚上げしたまま、毎日が過ぎて行きます。

でも、それでもいい、それでいいと思っています。

少し前までは、pendingは、悪いことだと思っていました。
すぐに決断できること、自分の結論や態度をいつも明確にしておくべきだと思っていました。

…ビジネス本の影響を受け過ぎだったかもしれません。ビジネスの場では確かにpendingはよくない結果を産むことが多いと思います。
忙しい仕事の中では、決断して前に進まなければならない場面にいつも遭遇し、
結論を早く、決断は今スグに、というビジネス思考が知らず知らずに身に付いていたのだと思います。

でも、人生の大きな流れのなかで、そんなに急ぐ必要があるのだろうか。
結論を出すことが、そんなに重要だろうか。

そんな疑問が湧いてきました。

原発の問題も、TPPの問題も、いろいろな社会問題は社会全体の流れに乗って
いつまでも保留にしておくわけにはいかないかもしれません。
のんびりしていると、世界から置いて行かれるかも知れません。

でも、思考を休んでいるわけではないのです。
毎日人生の経験値を積み重ねながら、考えていることが重要なのだと思います。
経験値が増えれば、その都度出せる結論は変化してくるでしょうから
だから、結論が出ないのです。
決断を迫られれば、今出せる結論でするしかありません。

でも、今出せる結論を、人生の結論とする必要はなく
毎日違った結論を出していてもいいと思うのです。
それでも毎日、考え続けることが、一番大事なのではないかと。

結論が出ないから、考えることを止めてしまっては駄目です。
考え続けているから、pendingなのであって、止めてしまっては思考停止、死んだも同じです。

だから、いろいろなことに対してpendingだと胸を張って言いたいと思います。
今現在の結論ならある、でも明日は変わるかもしれない。だからpending。

人生は長いし、人は日々変わっていくものだし、それは前進、更新でありたいと思います。

それでも生きたいか、どうか。

2011-10-26 10:17:54 | 生活改善プロジェクト
のんびりと暮していた毎日に、小さな変化が始まりました。
癌の診断を受けました。(まあ、実は今年二度目ですが今回のほうがより深刻らしい)

今の段階では、まだ初期で、大きな痛み不調は特になく
「へ~、そう?」というくらいの平穏さです。

ただ、そうはいっても、やはり病気は病気なので、
病院の選択や入院の準備や、手術をいつ受けるのか、休んでいる間の仕事はどうするのか、
などなど、日常ではないことを考えなければならないようになります。

今年は本当に精神的に高揚している状態が続いていて、いくつかまとまった仕事もこなしましたし
札幌へ行ったり、関西へ行ったり、新しい友人に出会ったり、私にしてはよく動くことが出来ました。
そんな状態の自分を、どこかで別の自分が冷静に見ていて

「この高揚感が長く続くとは思えない、どこかで体のブレーキがかかるだろう」

と思っていました。

今年は元気に動けるなあ、という自覚の出てきた1月ごろから、並行してもしかすると癌かもしれない
という疑いを自分自身で持ち始めていました。

ちょっとした、些細な体の違和感を感じていました。
本当に些細なことだったので、まあ気のせいだろう、と受け流していたのですが
やはり些細なことが気になり続けて、思い切って検査を受けることにしたのが夏でした。

それから、かれこれ2カ月掛かりましたが、やっと感じ続けていた違和感の結論が出た、という感じです。

さあ、これから手術だの治療だの、ということになるのですが
不謹慎なことに、ちょっとワクワクしている自分を感じています。

もちろん体の苦痛はとても苦手だし嫌ですが
初期の難しくない手術とはいえ、まあ生まれてはじめて手術台に上るわけです。
なにがあるかわからないので、そのまま帰ってこられないことになってもいいような
心と環境の準備はしておこうと思ってるのです。

私は自分が生きることに、執着が薄いと思っています。
仕方なく生きているので、どうせ生きているんなら何なしないとね、と思っていろいろなことをしている
と思っています。
せっかく何かするのなら、自分の興味がもてて、自分の好きなこと、好きな人の役に立てることがしたい
と思って活動しています。何かに手を出すのなら、あまり無責任なことはしたくない、と思ってはいますが。

そんな程度にしか「生きたい」と思っていないのですが、もし「もう生きられない」ということを現実に突きつけられてもまだ、自分は執着なくいられるのか、それとも物凄い執着心がわくのか、それを知りたいと思っています。

その時初めて「自分が何者なのか?」がわかるのではないか
自分は本当はどうしたいのか、周りにどうしてほしいのか
自分でもなかなかわからない本当の自分の声が聞けるのだ
と思うと、ちょっとワクワクするのです。

それから、人生の棚卸が出来るなあ、というのも少し楽しいことです。
私の周りにある無駄なもの、無駄なこと、を整理するきっかけがもてた、と思います。
「どうして私はこんなにいろいろなものを持ってるんだ?」とため息が出るほど
たくさんのモノに囲まれて(埋もれて?)暮らしている自覚はあるのに、なかなか整理・捨てることができません。
それはモノだけではないのです。
棚卸をしなさい、と声なき声に指摘されたのだと思います。


そんなわけで、いろいろなことを考えるチャンスをもらったこれからの1~2ヶ月間。
自分の変化をじっくり観察しようと思います。



クラッシック音楽のライブ それもトゥランガリラ交響曲。

2011-10-23 17:41:54 | art
テレビでN響アワーを観ていたら、
なんとこの秋のN響定期演奏会で
「トゥランガリラ交響曲」アンドレイ・プレヴィン指揮 
というプログラムを発見。

貧乏なので滅多にライブには行かない私ですが、これは聴きたいな、と思い

滅多に行かない渋谷までのこのこ、NHKホールまで行ってきました。

この曲はクラッシックのなかでも、現代曲の部類に入るし、なにせ1曲で80分と長いし、人気曲ではありませんから、ライブのプログラムにはなかなかなりません。

土曜日の午後、若者で混んでいる渋谷を通ってNHKまで。

お客さんはほぼ満席でした、老夫婦が多いのでビックリ。

結構多いかったんです老カップル。
それも、会話らしい会話をしていないから、絶対ご夫婦。
ご夫婦でこの曲のコンサートか…どんなご夫婦なんだろう?興味あります。

この曲は、10楽章まであります。
約80分、の休憩なしです。

人間ですから、演奏者はともかく、聴いている方としてはずっと緊張感を持って集中して聞くのはムリ。

初めのうちは、ところどころ眠たくなったり、大音響に起こされたりしなががら、

曲を聴いているのですが、慣れてくると視覚からの情報も面白くなってきます。
指揮者はご高齢のため座ってるし。指揮台の前にピアノがあるのでほとんど見えません。

弦楽器の弓の上げ下ろしや、管楽器の揺れ具合で、どのパートがどの音を出しているのかが見えてくる。
曲の骨格が視覚情報からはっきりしてくるんですね。
そうすると、あっちのパート、こちらのパート、打楽器奏者やソリストの動きを追うのが忙しくなってきます。

そのうちそれにも疲れてきて、観ていて聞いているんですが、頭の一部分で全然関係ないことを考え始めます。

夕ご飯何食べよう、とか、毛糸を買いたいな、とか。

変なことを考えつつ、耳で聴いて目でオケの動きを追っていると
目の前でライブ演奏をしていることが、夢かうつつか不思議になってくる、おかしな感覚に陥ります。

そうこうしているうちに、オケも指揮者も曲にのってきて、
演奏自体が盛り上がってきます。
9楽章で、演奏者の熱気と緊張感が伝わってきて、こちらも興奮気味に。

10楽章でフィナーレで爆発して、最後の音は背中がゾワっとしました。

朝歩く

2011-10-20 09:21:36 | 生活改善プロジェクト
秋がだんだん深まっています。
私は、お天気・季節にとても影響を受けやすい体質です。

夏と暑さは得意なのですが、冬の寒さはとても苦手です。
秋から冬にかけて寒くなっていく気配や景色は好きなんですが、体は冬を受け付けないようなのです。

日の長さが、急に短くなったように思えるこのところ、
お天気も曇りがちな日が多くて、肌寒さも増してきました。

冬季鬱、という病気があります。
冬になって日が短くなり、日光に当たる時間が短くなることで、鬱の症状が出る。

確かに、病気じゃなくてもお日さまに当たらないと、元気が出ないんじゃないでしょうか。


自宅のマンションが9月から大規模修繕工事に入って、今年いっぱい全面をシートで覆って
工事中です。
ベランダや窓のすぐ外で、職人さんが工事作業をするので、レースカーテンを閉めっぱなし。
ビックリするくらい暗い!日光がほとんど入りません。
晴れた日の昼間でも、薄暗くて部屋の照明をつけたくなるくらい。

そんな状態を1カ月過ごしてきて、心身の不調が出始めました。

朝起きられない、だるい、やる気が出ない…
心身の不活性状態に陥りかけています。

これからどんどん寒くなって行き、日が短かく弱くなっていくのに、今からこれではヤバいと感じ始めました。

朝、何とか早めに起きられた日には、外に出て30分以上歩くことにしました。

久しぶりの朝の外の様子。発見がいろいろある。

もう朝の空気はひんやりして、マフラーを巻きたくなるくらい。手袋が欲しい日もあります。

7時前に外に出ても、もう出勤や通学のの人もちらほら
ここは下町で町工場がたくさんあるのですが、もうお仕事をしているオウチが結構あるんですね、職人さんは早起きなんだなあ!

お寺では、奥さんと思しき人が道路の掃き掃除をしていたり、お花に水をやっている人がいたり
町のお豆腐やさんやパンやさんは7時過ぎるともう営業してるんだ。

という、当たり前の朝の風景を、朝はほとんど家に閉じこもっていた私にはとても新鮮な刺激になって
ちょっと元気が出て来ました。

朝活が流行って大分経ちますが、やっぱりお日さまの動きに合わせて活動する方が
人間は自然な状態でいられるんじゃないかと、
夜暗くなったら寝て、朝日が出たら起きる
リズムにしたいなあ…なかなか現代では出来ないけれど…と思うのです。

朝歩きは、この冬は続けようと思います。


第一回すみだがわものコト市

2011-10-16 14:37:20 | 工芸
墨田区は、職人の町です。
皮革、製本、靴、アクセサリー、いろいろな地場産業がある、モノづくりの職人さんや小さな町工場がたくさんあるところです。

秋のいい気候のこの土日
あちらこちらで、手作り工芸市が開かれていて

あちらもこちらも行きたい。

多摩川でもみじ市
市川で工房からの風

どちらも行きたかったのですが、先週の疲れが残って動けず…
今日はいいお天気に綺麗な秋晴れ。
気温も夏のよう。

そうすると気分も復活してきたので
地元「すみだがわものコト市」に行ってみました。
今回が初開催の手作り市。
会場の牛嶋神社も、由緒ある神社ですが小さくてかわいいところです。

久しぶりにわたる隅田川。
お日さまの光が水面に反射してキラキラ流れていました。

本当は昨日の土曜開催だったのが、悪天候で今日に順延したので
日にちのやりくりがつかず、出店出来なかった方も多かったようです。
お天気に左右されるのは、露天の市の宿命ですね。

皮製品のお店が何店かあり、さすが墨田区だなあと思い
ふるほん日和で出会った篆刻のお店を発見。
アクセサリーも、手づくりだと思うと、一点ものだしなあ…と欲しくなる。

暑いので、「東向島珈琲店」のアイスコーヒーを飲みながら会場をぐるぐる。

みなさん、出店の方もお客さんも、ガツガツしていなくて、
楽しそうでのんびりした雰囲気が、手作り市のいいところだと思います。

それから、作り手の方のお顔をみられるのも、いいところ。
作っている人が私の好きなタイプの方、のモノはなぜが欲しくなります。
お話ししてみて、この人感じよくて好き、と思うとつい買っちゃいます。
ヒトの相性とものの相性は同じなんでしょうか。

見に来ている人の、ファッションや表情を眺めるのも楽しいです。



小一時間、日差しに当たりながら、見て回って楽しかった。
できることなら、出展者のほうに、一度なってみたいなあ。

札幌は、現在進行形

2011-10-14 10:10:25 | 日本文化
札幌を訪れました。
今年は縁があって、3回目の札幌です。

札幌は私が生まれて、長い間育った土地でもあります。

故郷だというのに、いや故郷だからなのか、長い間札幌を好きだとは思えませんでした。

東京や京都などの古い歴史があり、その痕跡が建物や街並みや、風習などに
濃く残ってることへの強い憧れがありました。

私の嗜好として、歴史のある寺社や、古い文化財や昔の美術品が大好きなのも
自分の生まれ育った土地は、歴史が浅くて文化がない、と思っていた
コンプレックスの裏返しなのかもしれません。

札幌は、おおらかな街です。
古くからの慣習もあまりありませんし、その分しがらみというものも少ないところです。
東京や大阪ほどの都会でもなく、田舎でもない都会なので、人との関係もさっぱりしているように思います。人がさっぱりしているのは、北海道の風土が影響しているのかもしれません。

そんな、おおらかで歴史のない街を物足りなく思っていました。




今年何回か札幌を訪れて
その前から、札幌でモノづくりをしている人や、ミニシアター映画館の様子を見聞きしていて、なんだか面白そうなことをしている人がいろいろいるんだな、と興味を惹かれていました。

ここ最近の札幌では、小さなお店や、自分で何かを作っている人達が、少しずつネットワークを作っているように思えます。

札幌発のオリジナルなモノづくりも広がっているのを感じます。

北海道では老舗の企業が、設立から何十年を経て、成熟企業となり、文化活動をしているところが増えています。
北海道の風土、広い土地や、気候や、豊かな森なんかを生かした活動が気になります。

ネット上で知ったミニシアター映画館「蠍座」は、もう東京でも少なくなった
館主が自分の感性で選んだ無名の映画を上映する、個性あふれる単館映画館です。

そういえば、私が高校生だった頃から、札幌にはこういう単館ミニシアターが何軒もありました。どれも個性あふれるプログラムで、映画好きを楽しませてくれていました。
今ではそのほとんどの映画館が無くなってしまっているのですが、まだ少しだけ
今でも頑張ってるのです。

そう思うと、札幌には文化がない。というのは少し認識が違っていたのかもしれない
と思うようになりました。
札幌は文化がないのではなく、今文化を作っているさ中なのです。
だからきっと成熟した歴史と文化がある本州の(北海道の人は「内地」と呼びますが)
都市より、今現在がダイナミックなのかもしれません。
そして、歴史がない分、自由な活動もできるように思います。
札幌を訪れる際に、いつも札幌駅を降り立つ多感じる
「空気の軽さ」と「澄んだ感じ」
は、歴史のない自由さが生んでいるのかもしれません。


「今」の人が、自由な感覚で活動することが、札幌の歴史と伝統を生み出している
現在進行形のワクワク感を、札幌の街に感じるようになりました。

和紙のレース

2011-10-05 08:06:37 | 工芸
和紙作家 森田千晶さんの個展
「白い葡萄園」 ギャラリーみずのそら

透かしの技法を逆手に取ったかのような、発想の逆転のレースの和紙

何年か前に、空間アートとして展示されていた作品を観て
とても強いインパクトを受けた作品です。

いままで、和紙でレース模様を漉くことをどうして思いつかなかったんだろう?と思ってしまうほど、楮の和紙の白い繊維の感じと、レース模様があまりにも自然に出来上がった、という印象でした。

和紙がもつ「日本文化」や「伝統」の少し重たいイメージが取り払われて、
「和」と「洋」という垣根を飛び越えた軽やかさを感じました。
その上、西洋紙にはない和紙の特徴や良さを、肩ひじ張らずに語ってくれる作品だと思います。


大きな面積の作品は広い空間におかれると、そこをとても温かな温度にしてくれるのです。
インテリア材になればいいなあ、と思います。

今回の「白い葡萄園」では
カフェスペースに、天上から葡萄の蔓の模様の和紙をたくさん下げた展示をしていました。
それが白い葡萄園なのだと思います。
白い和紙の葡萄が、蔓が絡んだようにランダムに下りてくるカフェの空間では、外から入ってくる光を和紙が柔らかに乱反射して、お茶タイムにふさわしい心和む雰囲気を作っていました。

小判の作品を購入した時に、作家の森田さんが
窓ガラスに水張りをして楽しむといいですよ、とおっしゃっていました。

窓をきれいに拭いて貼ってみようと思います。
きっとクリスマス時期の華やかさをそっと演出してくれるだろうと思います。