ホウジョウキ  ++ 小さな引籠り部屋から ~ ゆく川の流れは絶えないね

考えつつ振り返り、走りながらうずくまる日々。刻々と変わる自分と今の時代と大好きなこの国

大麻博物館!?へ行ってみました。

2013-11-02 00:01:01 | 独立起業

大麻?それってマリファナのこと?そうです。

植物としては同じですし、麻薬成分も含まれるので日本では麻薬取締法で、栽培が許可制になっています。

そういえば、ときどきマンションの1室で、大麻が大量に密栽培されているのが検挙されたりしますね。

 

その「大麻」の博物館って?どういうこと?

    

 

由緒正しき伝統的織物「繊維としての大麻」を伝えるためのところです。那須にあります。

栃木県と福島県で主に栽培されているそうです。それも数件だそうですが。

 

今、日本の伝統的な麻織物は「苧麻(ちょま/ラミー)」を原料にしていますが、元来は大麻でした。麻薬の関連で大麻(ヘンプ)の栽培が禁じられて、苧麻に取って代わったと言われています。

西洋は「亜麻(リネン)」です。亜麻も大麻も繊維がとても丈夫です。その繊維を糸にする方法が日本と西洋では違うのだそうです。日本では、大麻の表皮を剥いで細く裂くことで糸にします。

西欧では、繊維を細かくして撚ることで糸にするそうですが、wikipediaによると、リネンの実の中の綿状のものを撚って作る、とありますが、よくわかりません。リネンについては勉強不足です。

 

そのゴールドに光る繊維を、ちょっとだけ購入してきました。編んでネックレスとか作ろうと思いますが、まずは、苧麻(ラミー)の専門家わが師匠に見てもらってからです。

糸に知るときの最大の難関、「節」の無い繊維を取るための栽培、という奥義を聞いてきました。

何事も専門家のお話を直接聞くのは勉強になります!

 

帰りは大谷インターで、ジャージー乳ソフトクリームでご機嫌でした♪

 

 

 

 

 

 


インディーズ着物ショップの井戸端着物マーケット in ISETAN

2012-09-08 06:27:05 | 独立起業

今年の初夏、目白の古民家ギャラリー「ゆうど」で開催した

インディーズ着物の「井戸端着物マーケットvol.2」

去年、震災後の不安が東京中に充満する中、大好評だった第一回に続き、今年の5月に開催した二回目も大盛況で楽しかった着物のマーケットイベント。

今度は、場所を新宿伊勢丹百貨店に移して、少しイメージの異なる三回目を

9月5日(水)~9月11日(火) 新宿伊勢丹本館7階で開催しています!

 

私は初回からお手伝いに参加して、今回が三回目。

新之助上布の搬入と初日5日の店頭に立ってきました。

今回のメンバーは

雨待ち小町(ユニット)雨が楽しくなるような着物周りがテーマのユニット

重宗珠緒   新進気鋭の友禅作家 インパクトのあるデザインの友禅染

新之助上布  近江の伝統工芸品近江上布の織元

はじめてのきもの小梅 着物が初めての方に最適、セパレートきもの、二部式帯など

モダン機もの☆小物梅屋  モダンでおしゃれな本物の着物周り

山崎佳子(着物スタイリスト) 女の子心をくすぐるセンスの着物周りをセレクト

結城紬・織り子店rico 結城紬を織っている女性三人組 結城紬を使った小物たち

和キッチュ ベトナムで一針一針さしているペタコさんデザインの刺繍半襟など

会場のディスプレイなど

右側は、フェイクレザーの着物!クール!

 

 

大人気、和キッチュさんの刺繍半襟

 

 

 

梅屋さんごめんなさい、後ろ姿も素敵です(汗)

 

着物に魅せられた女性が、自分の欲しいものを作っているのが、今どきの女の子に受け入れられる理由だと思います。

着物というと、格式や、作法や、茶道華道、踊りや歌舞伎・・・そんな取っ付きにくさがついて回ります。

でもそこをいったん通り抜けて辿り着いた、やはり着物は衣服でファッションだから、自分が可愛い、お洒落と思うものを身に付けたい、という自然な思いに共感していただけるのだと思います。

そうやって、着物が「古くさい」「特殊」なものから、「カッコいい」「ファッショナブル」なモノになれば、伝統としても衣服としても生き残ると思うのです。

着物姿の店主もお客様もみんな素敵できれい。その姿だけでも見る価値あり!と思ったのでした。


ハンディキャップを持ちつつ働くことについて、全く正論ではない現実論的な。

2012-09-03 11:34:32 | 独立起業

働くこと、について考える機会が最近多い。そういう年齢なんだろう。

若いときはただ闇雲に働いていても先がある気がしていたから問題なかったけれど、だんだんそうも行かなくなってくるのだ、とわかって来た。

大学を卒業してから、数ヶ月間の失業期間はあれど、なんとかずっと仕事をして、生計を立てて来た。

最近私の個人的なことばかりで、なんだか恐縮するけれど、私の個人ブログだからそれも仕方が無いか。

私は、現在働くとか社会生活に追いていくつかのハンディキャップを負ってしまっている。

・女性である(仕事上は未だにハンデだ)

・がんの治療中

・20歳からずっと持病と障害の境界線上のようなモノを抱えている(ただし外見からはだいたい見えないので普通の人に見える)

・・・トリプルネガティブということばが思い浮かんでしまった(乳がん用語です)

最近はがんに罹患してもその後の人生が長くなり(すぐには死なない)社会復帰をする人も多いし、治療をしながら働く人も多い。けれど、がんになった人の約半数は、仕事の仕方を変えるもしくは離職する、ことになっている現状がある。治療費は高額で、生活費も必要なのに、職場や社会が受け入れてくれない。

もっと、がん患者の仕事に理解を。最近そういう趣旨の報道が多い(私が当事者になったので気になるだけなのかもしれない)

・・・難しい問題ですね。

日本は今景気が悪いし、日本の社会は「普通」から外れた人に対して不寛容だし、「24時間働けます」という人を想定した仕事のシステムだ。

がん患者は、体調も安定せず、薬などの副作用もあり、定期的に跳梁に寡欲必要があることが多いから、日本の従来の普通の職場では受け入れがたいと思う。

 

もうひとつは、障害を持った人の働き方について。

上記の理由で、障害を持っているとやはり非常に受け入れられにくい。

障害者を雇用してほしい、もっと社会で生きていけるように。と障害を持った側はずっと主張して来たが、ほとんど受け入れられているとは思えない。

乙武氏のように手足はなくとも驚異的に明晰な頭脳と行動力があるようなひとは、その能力で十分仕事ができるのだと思うが、障害と引き換えにそれほどの能力を贈ってもらえることは稀だと思うし、もし有ったとしても自分も周囲も気づけないかもしれない。

私は、一見分からないので、なんとか隠して社会や仕事の場に滑り込んで生きて来た。

その方法がいいとも思わないし、正当だとも思わない。周りに迷惑をかけていると思う。でも、今の日本では、そうするよりほかになかなか生きていくだけ十分な報酬をもらえる仕事に有りつけない。

今のストレスフルな社会で、鬱やその他の精神病に罹患してしまう人がとても増えていて、その人たちの生活をどうしたらいいのか、どうやって働けばいいのか、大きな問題になって来ている。「鬱病であることを申告しただけで、十分働けるのに門前払いだ」という嘆き。尤もだ。差別だと思うし、悲しいと思う。でも、残念ながら「ある日急に休んでしまうかもしれない恐れの有る人」とわかっていて、雇用する勇気と余裕は今の日本社会にはほとんどない、と思う。

だったらどうしろというのか。諦めろ、社会の片隅で消えていけというのか・・・

 

日本は未だ女性というだけで、働きにくい。女性にもっと社会進出を、と叫ばれてどれほど経っていると思っているのか。「青鞜」の時代からなんですよ。

「雇用機会均等法」なるものが成立して、少しは進んだのではないか?ですって?だって雇用「機会」均等法ですよ、雇用条件均等でもなければ、労働条件均等でもない。

門戸は少し開きましょう、というだけ。

未だに、働きたい女性はレジスタンスを続けている、おそらく孤独に。

 

だから、それが良い訳ではなく、全く正しくもないが、「普通」の範疇に入らない人間は、戦って権利を勝ち取る厳しい道しかないのだと思う。今の日本は、「普通」以外に大して本当に酷く不寛容な、余裕の無い社会だから。


「会社組織」を見くびるな

2012-04-19 19:26:01 | 独立起業
経済状況も、実感としてあまり改善しないようですし、
東日本大震災から立ちあがっている、とも言いにくい、本当に困難で閉塞した日本、だなあと感じます。

高度成長期に仕事をしてきた世代の人には想像が難しいのではないかと思いますが
「会社に入って仕事をどんなに続けても、その先に豊かさや幸せな人生を想像できない」
という、全く悲しくなる現実を、今の日本の若者を生きてます。

そもそも、昨日まで技術立国日本、経済大国日本、を象徴してきた巨大企業は
完全に斜陽産業への道をたどっているのです。

大学を卒業して、一流大企業に就職する、というかつて(短い間でしたが存在した)黄金エリートコースは、もはや消滅したといってもよいかと思います。

それでも、就職活動をする学生は、まだそんな現実を見て見ぬふりなのか、名の知れた企業に殺到していますが
その結果、どこの企業にも採用されず、途方に暮れつつその日暮らしの刹那へ転落する若者が溢れてきました。

その一方で、企業なんか、会社なんか信じられない、と見切って
自由業へと踏み出す、ノマドワーカーなんてものももてはやされてきました。

私は、大学を卒業し企業に就職して会社員生活をして、その後中小零細企業を転々として
そして自由業になりました。
いろいろな立場を経験して、身に沁みて感じたこと
それは「本当にいい組織というのは、大きなパワーを持っているから可能であれば、
そういう組織の一員として仕事をすることが自分にとっても社会全体にとっても効率的だ」ということです。

最近体を壊して無職へ転落!の危機にさらされましたが、本当に身近な仕事の仲間が心の底から有難いと思いました。
わずかでも隣の人の役に立っている、という実感が、人生を救ってくれるものです。

ただ、働き方というのは人それぞれ大事にしたいことが違ってくるでしょうから、組織に属して働くことも
一人で働くことも、どちらがよくてどちらが悪いとも一概には言えないと思います。
大事なのは、自分が仕事と人生を通じて何をしたいか、何をしたくないか、なのではないかと思います。
組織に属して働いていると、なんだかその辺が曖昧になりがちです。会社員の大前提として、毎月の給与がちゃんと得られるので、それが自分の仕事と自分の存在の対価であることをうっかり忘れるからですね、きっと。


そんな結論に至った理由を書きます(自分の備忘録でもあります)

○自分ひとりの力というのは、自分で思っている以上に微力

組織で仕事をしていると、自分以外の人の助けを借りたり、組織の看板を背負ったりしていることを
見失いがちになります。
自分が仕事への意欲旺盛で、何かを成そうと頑張っているときほど、自分の力だけで結果を得たような錯覚を持ちます。でも、それは本当に錯覚です。自分の知らないところ、自分には見えないところで、仲間や上司や部下や、経営者が頑張って得た成果を目いっぱい使わせてもらって仕事をしているのが、自分なのです。

そして、みんなお互いに得手不得手をカバーしあって均衡を保っているのが組織です。
自分ひとりになってみると、思い知るのが、自分には出来ないことがこんなにたくさんあったのか!ということ。
そして、それを組織(の仲間)に頼ってきたことを痛感します。

○誰かの役に立っている自分を探す困難さ

自分ひとりで仕事をするのは、成果も失敗も実は見えにくいものです。
「それいいね、助かったよ」と言ってくれる人は基本的にいない、報酬と次の仕事という形で還って来ることもありますが、それすら果たして自分の仕事への正当な評価なのか?という自信の無さを自分に問いかけているようなものです。
組織で仕事をしていれば、すぐ隣に誰かがいて、自分のアイディアを問いかけてみることも、それに対しての評価を得ることも、すぐに出来るのです。疲れて溜息をつけば、気遣ってくれる時もあるし、愚痴を吐けば誰かの耳に入ります(無視されるかも知れませんが)
良くも悪くも、周りの人に影響し影響されて仕事をしているのです。そのこと自体が大きなパワーの源です。
誰かに迷惑をかけることもあれば、誰かの役に立つこともある。自分の仕事の存在を、実感しやすいのです。

○一人でなにもかもをこなすのは非効率的

自分ひとりというのは、自由なようで実はとっても不自由です。
自分をきちんと律しないと、糸も簡単に仕事自体を失ってしまうからです。誰も守ってくれませんし、言い訳をしたくても、誰も聞いてはくれません。
あれもこれも手一杯の時でも、どんな小さな雑用でさえも、うっかりないがしろにすれば、信用と仕事をすぐに失います。その緊張感はなかなかなものです。
自分をコントロールできない意志の弱い人間は、一人で仕事をして生きて行くのは無理です。

○役割分担の功罪

上記の理由から、役割分担はという方法は偉大です。
自分の得手とすることに特化出来れば、こんなに幸せなことはありません。
ただし、組織の都合と自分の能力の兼ね合いはいつもちょうどいい具合にはいかないので、自分の得手としないことを分担しなければならなかったりします。

そして、たとえ自分の得意とすることであっても、その分担が固定化すると窮屈です。

だから人事って難しく重要なものなんだと思います。

不得手なことを担って苦労しているうちに、意外な自分の可能性を発見することもありますが、それはやはり自分の力だけで能力を開発したわけではなく、人に発見してもらったり伸ばしてもらったりしているものです。
苦手なことを自分に課して一人でもがいているだけでは、克服できません。
他者からの視点や、発見、指摘がとても大事です。



もはや昨日の大企業には、この先の明るい発展と成長が無条件に用意されてはいないことは、はっきりしました。
ただやみくもに大企業一流企業をめざすのは、今やあまり賢い選択ではないと思います。

これから、自分の力を試してみよう、と一人で働くことを目指す方は、是非佳き経営者を目指してほしいと思います。
今の社会にはまだ無かったり、不足していたりする分野や、自分はこれが得意で腕を生かしたい、という分野がある方は、ぜひ沈みゆく巨大戦艦なんかにしがみついていないで、一人で漕ぎ出してほしいと思います。

そういうふうに新しい視点の産業を生みだして行かなければ、もう日本は立ち行かなくなるだろうと思います。

一人で漕ぎだす方は、ずっと一人でいないでください。
是非仲間を集って、いい組織を作ってどんどん仲間を育て自分も育っていくべきだと思います。

ただし…経営者も、長くその位置に居ると、一人で出来る限界を痛感した昔の一人ぼっちの自分を忘れてしまうようです。
自分自身の中で、経営で頭を痛めている自分ばかりが肥大して、なにもかも自分で成し遂げてきた、自分が社員の面倒を全面的に見ている側だと、これまた錯覚してしまうことがなんとも多いのです。
どんな優秀な経営者だとしても、最初の出発点は、自分ひとりの無力を痛感して悩んだはずです。そしてそれを助けてくれる仲間を集めてこれたから、今の大きな自分(の組織)になっている。

一人では出来なかったあんなこと、こんなことも、仲間が集って出来るようになったという経験を忘れずに居られる経営者が、自分も組織も仲間もそして社会も、そして自分の人生そのものを大きく出来るのだと思います。

これから、社会に出る人たちへ
自分の力を信じて、自分の努力の可能性を信じて、何かにぶら下がることなく自力で仕事をみつけてください。
そして今の閉塞した日本を変えてください。
ただし、一人気ままにこじんまり自由にやろう、なんて、ただの甘えです。
大きなうねりになるべきです、仲間をかき集めて、巻き込んでみんなで大きくなる。

私も、まだそれを目指します。(気持ちだけは)


素人とプロの微妙な関係

2012-03-10 14:54:52 | 独立起業
現代は、プロが職業人でいること、が難しい時代になってきました。

プロフェッショナル(専門的技術や経験を持って職業としてそれを生きる糧にしている人)で
居続けることが困難な理由を考えてみました。

・一般の人が扱えない技術等を持つ専門家であるゆえに、大きな責任を負わされる(ハイリスク)
・これまで専門家のみ取り扱える領域だったことが、技術や情報技術の進歩により一般の人が扱えるようになったので、領域が犯される
・専門技術やそのことに対する需要が、高速に複雑化・高度化することにより、高コストになるが、日本の経済状態ではそのコストに耐えられない

そんなところが思い当たりますが、技術の進歩は確実に「技術」の平準化を推し進めているのですね。
ここで「技術」と言ったのは、一般ユーザーが容易に扱えるように作り上げられた後のユーザー技術であって
それの開発の為の基礎的技術や研究や歴史や経験による施行錯誤は、含まれません。

そんな基本的なところ、面倒くさいところ、時間とコストがかかるところを、
平気ですっ飛ばすことが出来るようになったのだ、と思っています。

それは多くの一般の人にとっては幸せなことだし、自分の手で何かが出来るチャンスや可能性が広がることなのですから
技術の進歩は素晴らしい恩恵なのだと思います。

もう一方で、専門技術は、より専門的に深化、先端化してどんどん先へ行くことを要求されているように見えます。
一般人が手の届かない領域を、次々と開発していかなければならない、フロンティアになっているかのようです。
無資源技術立国日本の宿命的要求を突きつけられているように思いますが、それにかかるコストが、もはや稼げない、という足もとの砂が崩れ落ちているかのような現状もあります。


さて、この「すっ飛ば」されてしまった部分はどうなるんだろう?
お金と時間がかかり、それに見合ったお金を十分稼げない地味な分野。
このまま「すっ飛ばし」続けていっていいものだろうか…。


たとえば、デジタルカメラの出現で、写真は比較的容易に、美しくそれらしく撮れるようになりました。
しかし、このカメラを自分で修理点検、改造出来る人は少ないでしょうし
そもそもどういう仕組みで写真が写るのか、どういう仕組みでデータになるのか、何も知らずともきれいな写真は撮れ、デジタルデータで保存できるのです。
構図や光の仕組みについての知識や、人間を取る場合ならコミュニケーションで被写体の深部を探る技術も
なくても大丈夫なのです、優秀なカメラが十分補ってくれるので。

でも、そういう知識経験技術を身に付けた「写真を写すプロの人」はもはや必要ないんでしょうか。

プロフェッショナルになるためには、時間とコストがかかります。
その時間とコストを省略しても、そこそこ75点の結果が得られるとしたら…

その世界はまるで、ファストファッションの洋服のようです。

そこそこ75点を、素人が楽しく気軽に楽しめることが悪いとは思いません。
しかし残りの35点を無視し続けていると、技術はいずれ崩壊すると思うのです。

技術の進歩で省略できた残りの35点分の労力とお金を、是非面倒くさくて報われない経験や作業や研究に回す仕組みを
作るべきだと思います。

その35点分を、無駄に放蕩してしまった結果が、ギリシャの危機的国難のような気がするのです。

バブルはとうに去りました、世の中誰も浮かれていません。
だったら、先端技術の水面下で、もっと地味で単調で日の当らない作業を繰り返している世界に
興味と尊敬の念、と対価を払う意識を持ちたいと思います。

なにより、多くの人が75点と99点の差異を見分けられる、感じ取れる、社会であることが文化的成熟だと思います。
日本は十分に豊かになり、もはや下り坂にさしかかっているとも言えます。日本が成熟した社会へと、次のステージへの階段を上がれることを、日本が大好きな私は願ってやみません。



Happy Birthday! gallery園二周年

2011-11-14 12:47:26 | 独立起業
今年ずいぶんとお世話になった、大塚のgallery園さんが、開廊2周年目になります。
昨年の秋にOPENしてから、もう1年経ったなんて信じられないくらいあっという間です。

廊主のゆき子さんとは、商工会議所の起業ゼミを通じてのお付き合いです。
バイタリティーあふれる素敵な女性、という最初の印象は今も変わりません。
バイタリティだけではなく、とても女性的なたおやかな側面を、今年はたくさん知りました。

そのひとつは、お料理がとてもお上手なこと。
展覧会の会期中、何度もご飯をご馳走になりました。
畳にみんなで座って、おいしいご飯とお料理とお味噌汁をいただくのは幸せな時間です。
そんな楽しい時間の演出を自然にされるところが、素敵です。

さて、この2周年の会は、関係者が集まった内輪の会でした。



みなさんが食べ物をそれぞれ持ち寄り、ゆき子さんのケークサレやお料理&お菓子つくりの閑古鳥さんのサラダと、華やかな食卓になりました。

私は、午前中にがんばってミートパイを作って持参しました。

スパークリングワインで、乾杯の後

次々に参加者が登場するたびに、また乾杯。

皆さんが揃ったところで、ゆき子さんが応援する薩摩琵琶奏者 榎本百香さんが「祇園精舎」を演奏してくださいました。祝演です。



お昼から始まった宴は、スパークリングから、赤白ワインへと盛り上がっていき
gallery園さんを介して知り合った人たちのアートや食べ物や、お酒(ゆき子さんは、食いしん坊の日本酒好きでもあります)の話も尽きず、夜までわいわい楽しく続きました。

gallery園さんの来年のプランやもう始まっている計画のお話を聞いて、がんばってるなあ・・・
来年の園さんの新たな展開が楽しみ、私もご一緒に何か出来るかどうか、とてもワクワクします。

最後に、ゆき子さんのお友達から、先月お誕生日だったゆき子さんへ、サプライズケーキ、が登場。

幸せな気持ちと、私もがんばろう!という気持ちを、ホカホカと家まで持ち帰りました。

にびいろのそらwebshop

2011-08-23 10:09:15 | 独立起業
webshopを開設しました。

親しくしている「新之助上布」さんの生地で制作した洋服たちがメインです。
洋服も、巻きスカートに特化したいと思っています。
アイテムやデザインを増やすよりも、織り柄のバリエーション、布そのもの楽しんでもらえてらいいなと思っています。

友人の全面的な協力のもと、撮影した写真がやっとお披露目できます!





もうひとつ、「紙衣」(和紙の布)もメインにしていきたいと思っています。
これからですね。

夏は上布、冬は和紙 にしていきたいと思っています。

実店舗を持たず、小売店に卸しまたは展示会で商品を販売してきましたが、自分の商品を一つにまとめる拠点がないのはとても不便だと思っていました。
これからはwebshopを足場にしたいと思っています。

世の中にwebshopがどのくらいあるのか、たくさんあるでしょう…気が遠くなります。
そのなかで、存在意味を持てるようにするには
自己漢族で終わらないためには

やはり、強い個性が必要かと思います。
その個性が世の中に必要とされるものになればいいのですよね~

自己満足、独りよがりにならないように、でも、流行りではない個性とこだわりを持ちつづける。

持久戦になりそうです。

持久戦を頑張るために、
マラソンランナーのように体力つけなくっちゃ、と思います。
そして体脂肪を減らさなくちゃとも。

新之助上布展 の オープニングパーティで頂戴したみなさまのお志を、被災地応援ファンドへ

2011-07-06 08:41:12 | 独立起業
6月17日~21日 gallery園での
「麻をまとう、涼の風 新之助上布展」

には、たくさんの方がいらしてくださいました。

縁側のある、畳敷きの日本家屋、風が通り抜けて、
古民家の静かな空間で、新之助上布のあたらしい魅力を見ていただけたならうれしいです。

今回は、薩摩琵琶奏者 榎本百香さんの祝演 とささやかなオープニングパーティを開きました。

オープニングパーティでは「投げ銭制」として、「東日本大震災チャリティ 漁業関係のファンドへ投資します」ということで、皆様からお志を頂戴いたしました。

総額 17,056円というみなさまの  温かいお志を頂戴しました。

パーティ経費は、大西新之助商店が全額負担しており、このお志は、大西新之助商店の意思で、全額復興支援へ使わせていただくことになりました。


どこへ使うのがいいのか、さまざまに検討した結果

ミュージックセキュリティーズ株式会社が運営する 「復興支援ファンド」のうち「山内鮮魚店ファンド」へ 
17,056円+鈍色舎出資分を合わせ 21,000円を投資&寄付いたしました。

このファンドの仕組みはというと…
     ファンド投資 5,000円
     応援金   5,000円
     運営者手数料   500円

が一口となっています。
応援金とファンド投資はセットになっており、投資をすれば必ず同額応援金として寄付します。
ファンドの契約期間は8年間、内投資先営業開始から2年は無分配期間に設定されています。
無分配期間以後は、投資先の営業利益に応じて、分配金が配当されます。

分配金は全額大西新之助商店へ送金し、この使い道は長い復興支援のチャリティのような形のための資金にしたいと考えております。
投資先の経営状態のIR情報は、定期的にこのブログと鈍色舎のwebサイトでご報告させていただきます。

投資した先の「山内鮮魚店」の三陸の魚の販売が順調に回復するのを、リアルタイムで知ることが出来ることにワクワクしますね!それが投資の醍醐味なのでしょうか。

出資者特典として、山内鮮魚店のお魚がいただけるそうなのですが、大西師匠のお酒の共として
師匠もちょっぴり特典を楽しんでいただきたいと思います。


そもそもなぜ、ファンドへ投資なのか、と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
日本赤十字などへの寄付が一般的かと思いましたが、
義捐金が被災された方へ行き渡っていない現状や、会計報告が特にないこと、等を考え、

☆確実に被災された方へ渡ること
☆使途が明確にされ、確実な復興支援になること
☆契約期間は投資先の情報が提供され、いまどういう状況にあるのかを知ることが出来ること
☆大西師匠がお魚が大好き、大西師匠も私も漁業への甚大な被害を何とかしたいという思いがあること

から、このファンドへの投資を選択しました。


震災からもう4カ月近く経とうとしています。
日々被災地の様々な情報が流れますが、困難な復興の様子、行き渡らない支援の様子など、
もどかしく、苦しいニュースが未だ多く、どれほどの甚大な災害だったのか、今更ながら思い知ることばかりです。

東北の、そして日本が受けたダメージの大きさは段々と大きく深いことが明らかになるようで、苦しく不安な思いです。

それでも、前を向いて進まなければなりませんね!




撮影日和

2011-06-04 22:00:05 | 独立起業
しばらく梅雨寒な日が続いていましたが、
今日は久しぶりに初夏の日差しが戻ってきました。

1か月前から、予定していた(1週間の雨天延期後)の写真撮影です。

前回のコレクションとは、商品コンセプトとデザインが大きく異なる展開にするので

新たなフォトグラファーさんと、モデルさんを、改めてお願いしました。

弥姫乎さんとのコラボレーションコレクションも、
今年も、浅草の弥姫乎SHOPでお取扱いただいています。

こちらのモダン&粋なイメージ・世界観も、浅草イメージや着物のモードをよく表現していただいていたので
一つの「職人仕事」の表現になっているところがとてもいいのです。
モデルさんにもとっても素敵に着こなしていただいていて、my favorit collection なのです。

そちらの新たな展開があるときには、プロモーションも考えなければなりませんが…

この時のモデルさん(バイオリニストのマヤ・フレーザーさん)は東京都交響楽団の団員になられたので、
またお願いできるのかな…?



今回の撮影は、前回の非日常の雰囲気とは反対の「日常着」の世界を前面に出したくて
とても身近な人・場所で臨みました。





「日常」というテーマの風景を切り取るのは、フォトグラファーさんのお仕事ですが、
私にとっての「日常」でなじみの深い風景や人は、フォトグラファーさんにとっては新体験なことばかりなのに
私のイメージする「普通」「日常」感をくみ取ってくださっているのが分かりました。

表現することというのは、繊細な感性があってこそ、ですね。

表現者である人は常にその繊細さを磨いているのだなあ、と思います。

私自身も、私の中にあり何かをイメージし、思考を表現して伝えることをしようとするならば
やはり鈍感に傾いてはいけないな、と自戒しました。

常に繊細な感性を保つことは、なかなか困難なことでもあるのですが…


今日は、夏の暑さが戻ってきて、程良く暑くて、夏の雰囲気が切り取れたようです。
暑い夏を涼しく過ごすための日本の製品のイメージが、もうひとつ増えました。

自分の世界が広がっていくよう、でも散漫にならないよう、軸はぶれないように
この上布の、布のもつモノの持つ力、が引き締めてくれているようです。
私も、ぶれずに。


夏に想いをはせて。

2011-04-01 21:48:31 | 独立起業
こんな状況下で、お花見もママならない様子ですが
季節は確実に移ろっていくし、時間は待ってくれません。

体調不良を言い訳に、ぼんやり過ごしていましたが、
大震災が、私を揺すり起こそうとしてくれたようです。
少しずつ、自分のことに手をつけることができるようになりました。

まずは、夏に向けての商品。
この大震災で、大きな打撃を受けている工芸品はたくさんあるでしょう。
私の身の周りでは、益子焼の産地の打撃が話題になっています。
直截的には被害のなかった工房の職人さんたちであっても、
消費の減衰やこれからの景気悪化で、さらに厳しくなるでしょう。
みなさんただならぬ危機感を持っている、そういうお話を聞きます。

こういう時に、工芸品ができることは?
自問する職人さんも。

私も、近江上布の夏服作りに追い込みをかけています。



私の生地の織元さん、新之助上布は
東京での展示会も
札幌での初の展示会も
お決めになったようです。


東京での展示会のうち一つは、私もお手伝いします。
洋服だけではなく、会場のギャラリーの古民家に似合うしつらえのものを何か作りたいと考えています。
素敵に観ていただき、手に取っていただけるよう、準備をしたいと思います。

桜は咲きだしました。
夏に向かって、時は進みます。
前を向いて、夏を思います。
今年の夏は暑いのでしょうか。
去年の過酷に暑かった夏。



今年は異常な冷夏、などにならないことを祈ります。
どの産業にとっても、厳しい気候になりませんように。