舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

セルフレジ初体験

2009-07-21 00:28:53 | 徒然話
さっき「ぶざーびーと」というドラマをやってました。
プロバスケットボールチームに所属する人が主人公のお話だそうです。
でも、どの人を見てもあまりに恋愛ばかりしているので、てっきり高校のバスケ部の話かと思っちゃいました(高校だってもっと真面目に部活や勉学に励んでる人もいるはずだぞ)。
というより、恋愛シーンばかり撮っていたから出演者の皆さんがバスケの練習をする時間がなく、こないだのスマスマの連ドラ対抗フリースロー対決で最下位になっちゃったのかな。
だから、バスケが主体と思って観ると可哀想なので、我々視聴者はあくまでもメインは色恋でバスケ云々は味つけ程度と思った方がよさそうです。


かように穿ったモノの見方に走りがちなのは(ていうか私はいつでも穿った見方をしてるような気がするけど)、この二日間、世間は三連休だ夏休みだと華やいでいるのに、自分はほぼ終日自宅にカンヅメだったからに他なりません

休日ゆえ一般のレッスンは無いのですが、さりとて仕事が無いわけではないので、どこかに遊びにいったり、いつまでも寝ていたりするわけにもいかず。
外の空気を切実に必要としている私のような人間には、昨日今日のような「休日とは名ばかりの休日」が一番辛いです。
朝から晩までレッスンで忙しい平日の方が遥かに良いですね。

マミちゃんは発表会に向けて新しい衣装(もちろんデモ用のではない、そんなのは後回し後回し)生地サンプルを床一面に拡げてウンウン唸っており、そういう時はたとえ母にセンスを莫迦にされると分ってても、誠心誠意お手伝いするのが私の役割です。

もちろん、プログラムを作るのも大事な作業です。
その前段階として、各グループの皆さんに提出いただいた書類をまとめ、人数や出演曲を一覧にします。
私はこういう作業が大好きなんですね。というより、衣装関連の作業はデザイン画を描く段階まであまり役に立てないので、プログラム作りの方が好きです。

発表会は出演者が楽しむ事を一番の目的にしたイベントです。
しかし、我々の矜持にかけて、観ても充分に楽しめるステージにしなければなりません。
いくつかのグループを掛け持ちしている人は無理なく出演出来るようにとか、同じようなイメージの曲や似た色の衣装のグループが続かないようにとか、プログラムを作るにあたって考慮すべき要素は沢山あるのです。


二日間のうち唯一出掛けられたのが昨日のジャスコでした(私はこの二日間、日光市を出てさえいないのです...!!!)。
出掛けたと言ってもスーパーへ必要なものを買いにいっただけだったのですが、今の私にはそれでも十分有難い息抜きでした。

特に嬉しかったのが、画像のセルフレジというものを初体験できた事です
久々にジャスコに行ったら、こんなものが鎮座していたので、そらもう驚きましたよ。ってか、どんだけ行ってないんだ地元のジャスコ。

使い方は簡単。銀行とかのATMみたいなものです。
まず左の台に籠を置き、レジ袋を使うかどうか選択したら、良くスーパーの店員さんがやっているように、目の前の機械にバーコードを読み取らせるのです。
実は私、そうとう小さい頃から「レジ打ち作業」に憧れていたんですよ。もう少し人生に時間があったら、是非この仕事のバイトをしてみたかったです。
ああ、今からでもコンピニの深夜勤務とか、やってみようかなあ(←そもそも誰が雇うかこんな奴)。

最初にバーコードが読み取られ、「金谷ベーカリー マフィン」とか表示された時には、おもわずさかなクンのような異常な奇声を上げて喜んでしまいました。

読み取った商品は横にかけられたレジ袋に入れていきます。
おお、袋は好きなように使っていいのね。ありがたい。
よく、レジ袋のサイズや枚数をお店の方にお任せしておくと、温かいものと冷たいものがあるのに袋を一枚しかくれなかったり、買ったもののサイズに対して明らかに小さすぎる袋が来たりと、なかなか上手く行かない事が多いので、自由に使わせてもらえるのは嬉しい事です。

最後の「法蓮草 胡麻和え」を読み取り終わったとき、感慨に浸ってパックを持ったまま暫くボーッとしていたら、「商品がまだ袋に入れられていませんと警告されてしまいました(笑)。
たぶん籠の中身と袋に入れたものの重さを量る装置でもついていて、万引き防止などの役割を果たしているに違いありません。ハイテクだあ~。感動するなぁ~~。

全部バーコードを読み取らせたら、支払い方法を選んで(現金でオッケーなのはアンチ電子マネーの平安人には嬉しい限り)めでたく完了です。
嬉しさのあまり携帯でこんな写真まで撮り、もっと隅々まで調べたかったのですが、既に次の人が来ていたので諦めました(笑)。

とてもいい方法ですね、これ。
私は平安人のくせにATM的な機械は大好きで(機械好きと人見知りが相まった結果だと思う)銀行の手続きはほとんどATMにすれば、銀行の人の手間も減って一石二鳥だと思っています。
なのに、百何十円受け取るだけの取引まで窓口が身分証が必要になっちゃったなんて、レジさえ機械化してる時代に明らかに逆行してますよね。
ナントカ詐欺防止のためとか理由はいろいろあるようだけど、それを技術の力で何とかするのがハイテク時代ってモノでしょう。と、穿った見方の平安人は思います。



「ハイテク時代」とか言ってる時点でどうなの。

お花の中からこんにちは

2009-07-20 00:51:05 | カエル偏愛
尊敬するダンサー、「ひとりでできるもん」さんのブログを初めて読みました。
私の能書きブログ(笑)と違い、簡潔ながら彼のセンスの片鱗を伺わせる、笑いのツボを押さえた文章でした。

実はこの方、私と同学年なんですよね。月で言うと年下なくらいで。
ダンスを観るとひたすら尊敬のひと言なんですが、ブログ読むとやっぱり若者(それも若干ヲタ気味)で、「ひぐらしのなく頃に」が好きだったりとか非常に共感する箇所がチラホラ見つかって、嬉しかったです。

まったく、ダンスの完成度と実年齢は関係ないですね。
こないだのミスアロハフラのチェリッサさんもまた然りです。
彼女はケアリイ・ライシェル(どうしても英語の発音がそう聞こえるからそう書こうっと)の従妹で、お母さんの家系もフラ一族だったらしく、ケアリイさんの留守中は生徒さんたちの指導にあたっているのだそうです。
そんな環境を思えば、あの老成した踊りもうなずけますね。

しかし、環境だけが踊りを成熟させるわけではありません。
興味深かったのは、ケアリイさんが「彼女の指導は厳しいんだ」とおっしゃっていたことです。
高い理想を持っているからこそ、あの若さであの踊りに達することができたのですな。
とはいえ、その高い理想を自分自身のみならず人にも求める所が、やっぱり「若い」んだなと思いました。

まあ、踊りがあれだけ成熟しているのですから、今の段階ではそれで充分という気もします。
歴代ミスアロハフラの居並ぶ舞台を観ても、彼女の踊りは決して引けを取っていませんでしたもの。
フラは(道さえ誤らなければ)年を取れば取るほど磨かれる踊りです。彼女の将来が楽しみでなりません。


前置きが長くなってしまいました。
掲載の画像は、土曜日に鹿沼の生徒さんがくださった写真です。

なんと、生徒さんのお家のカラーの花に、かえるさんが住み着いたのですね
はぅ~、可愛ぃぃ~~、お~持ち帰りぃ~~~♪(←ひぐらし化現象)
こんな萌える写真を何枚も頂いてしまい、すべて犯罪的に可愛いので、どれを載せるか非常に悩みました。

かえるたちは基本的に夜活動し、日中はうずくまって休んでいる事が多いです。
それも、安全性を考慮してか、ちょっとした窪みや隙間などにピッタリ収まっているのが好きらしいです。
壁の角や窓枠などにいる事が多いですね。

で、この子はきっとお花の中がお気に召したのでしょう。
確かに程よく日陰になっているでしょうし、むき出しでない安心感もあり、かえるが落ち着きそうな場所です。
撮ってくださった生徒さんによれば、ちょっと顔を出したけれどすぐもとの場所に戻ったのだとか。
かえるは安住の地を見つけると暫くそこにとどまる傾向がありますので、もし日中にまったりしている子を見かけたら、どうぞそのまま住まわせてあげてください。
気に入れば数日、運が良ければ1シーズンを同じ場所で過ごす事もあります。
夜は出勤(?)していますが、日中に見るとまた戻っていたりしますね。

そして、奇跡のような確率で、ひと冬越えた後また同じ場所に戻って来る子もいます。
私達には同一人物が戻れば必ず分ります。
一年経って同じ子が同じ場所に戻ってきたのを見ると、私達は涙が出るほど感激します。
でも、あまり熱烈に歓迎しすぎてウザがられたら悪いので、愛を迸らせるのは程々にしておきます。

ところで、これを撮ってくださった方はもともとかえるがお好きではないとの事です。
それなのにこんな萌え写真を撮れるなんて、きっとこの子の事を可愛いと思っていただけたのでしょうね。
これを機会に、かえるをちょっとでも好きになっていただけたら嬉しいです。

実は私の母も元来はかえる好きではありませんでした。
それが今や、家に来る子や去年お話ししたコインランドリーにいる子を見つけて萌えまくる人間に...!!!
もちろんこれは私の影響です(笑)。

蛙の名(Rana)を授けられ、物心つく前からかえるの絵ばかり描いていたこの私に課せられた使命は、人々にかえるの魅力を伝道していく事だと思っています。
世の中のかえる好きを、一人でも多く増やしたいと思い、かえるちゃんと一緒に毎日活動しております。

でも、そう言えば私の一番の友達は凄いかえる嫌いなんだよな...。
是非一日も早く改宗していただきたいものです。いや、そのせいで絶交されても困るけど(笑)。

夏休みはやっぱり短い

2009-07-19 01:09:00 | 徒然話
世間は今日から夏休みだそうです。

いいねぇ夏休み。心躍る響きだね...って、本当にそうか?
よく考えたら(いや、よく考えなくたって分るだろう)私はかなりルーニィな子供だったため、今思い返すと夏休みの過ごし方もとてもまともだったとは思えません。


何より鮮明に覚えているのは、小学校に入って最初の夏休みです。
悪名高い「なつやすみのてき」(違)がついに私のもとにも降臨したのです。

もっとも、そこに延々と羅列されたドリルの類は、私にとって何一つ「敵」ではありませんでした。
だってひたすら量が多いだけの単純作業だもん。

ぶっちゃけ小学一年時の授業内容は「既に知っていること」か「一目見れば分ること」のどちらかで、では退屈だったかといえばそうでもなく、あの緩衝剤のプチプチを際限なくつぶしている時のような、単純作業ならではの面白さがありました。
その経験のおかげで、私は今も単純作業がけっこう好きなのかもしれません。マミちゃんと家の仕事を分担していても、すぐに飽きてしまう母に代わり、私が内職っぽい仕事を一手に担っています。

だからドリルは別にいい。それなりに楽しくさえある。
問題はページの各所に添えられた「おわったら いろを ぬってね」の文字でした。

小学校低学年の「なつやすみのてき」には、しばしば素人に毛が生えたような感じの挿絵が入れられています。
で、それを彩色しろと、冊子の各所で言っているわけです。

困った事に、私は塗り絵が大嫌いでした。
理由は簡単です。私はイチから絵を描きたいのです。自分で描いた絵なら喜んで塗ります。
既存の絵に色を塗るなんて、そんなクリエイティビティーもへったくれも無いような作業、私にとっては苦痛以外の何者でもありませんでした。

年を食った今なら、当時の私の思い違いが分ります。
塗り絵は決して創造力を必要としないものではありません。塗り方や配色のセンスで、いくらでも個人の芸術性を発揮出来るのです。
しかし、今よりもっと若気の至りだった私に、そんな事が分ろうはずも無く。
そもそも、ノートやファイルの表紙を絵で埋め尽くしてカスタマイズし、カスタマイズの叶わないような絵柄が既にある場合はその上に紙を貼ったりして抹殺してでもオリジナルデザインにしたがるタイプの人間に、塗り絵におけるクリエイティビティを論じてもムダです。

冊子の一文が「おわったら あまったところに えをかいてね」だったら、私は飛び上がって喜び、寝食を忘れてカスタマイズに励んだでしょう。
でも残念ながら要求されているのは塗り絵だったため、私は祖母に援護を頼みながら色を塗りおおせました(そこまでして塗り絵をしろという要求に従う辺りがA型です)。

にしても、ドリル部分に関しては援軍を頼まないんだね。
私は、母にも育ててくれた祖父母にも感謝と尊敬を惜しみませんが、彼らは「あいうえお」の5文字以外、けっきょく一度も勉強を見てくれませんでした。
そうとう過保護だったくせに、勉強に関してだけは異常なまでに放置プレイだったようです。
ま、私が頼まなかったからというのもあるんでしょうが。
宿題をしたかどうかなどと聞かれた事は一度も無いですし、テストの点数にも無関心で、良い点を取ったからといって「ヘェ~スゴイネェ(棒読み)」とおざなりに言われるだけなので、自己満足にしかなりません。

そういう家族ですから、夏休みの宿題も自由工作的なもの以外は手伝ってもらった記憶が無いですね。
自由工作は頼まなくても手伝ってくれて、祖父は自由課題の絵としてスタジオMの建物の絵...というより綿密すぎてほとんど設計図を描いてくれました。
それに私が彩色し、まぁ課題として適切だったかどうかはともかく、祖父と共作の絵を描けた事は嬉しい思い出でした。


私はこういう、こと勉強だけは異常に自由な家風で育ったものですから、夏休みの宿題に関しても自由に取り組めるものはむしろ好きでしたが、高校の強制登校日には辟易しました。
私は強制されて勉強する事に余りにも慣れていなかったのです。勉強は趣味の領域で、好きじゃない分野はやらないし、好きなら頼まれなくても際限なくしたがります(国語の教科書とか社会の資料集は学年始めに読み切った)。

まして、建前上「夏休み期間」となっている時間に拘束されるのが許せず、よく自主的にサボりましたっけ。
夏期講習の時期にやたらハワイ旅行が被っていたのも、必ずしも「不幸な一致」ではなかったわけで...。

あ、これ、ここだけの話ね。まぁもう時効だからいいか。

今日はさっくり

2009-07-18 03:01:50 | 徒然話
今日はどうにも頭痛がおさまらず、モノを考える事が困難なので、とりとめのない記述になってしまう事をご了承ください。


かえるさんが裏窓に来てくれるようになりました。
今日はこちらから姿が見えた子だけでも二人いて、ガラスにぺたっとくっついて活動していました。

そのうえ、表玄関も上まで二人来てくれました。
一人は椅子の上にちょこんと座っており、もう一人は手すりの所にたたずんでいました。

表玄関に来てくれると、姿がとても良く見えるのは嬉しいのですが、人が通る場所なので、踏まれてしまわないかが心配です。
それに、あまり手すりの落ちそうな所にいられるとそれも心配。「危ないからあまりそっち行っちゃダメだよ」と声をかけるのですが、迂闊に近づいたために慌てて落ちでもしたら一大事です。


あ、ウチの発表会にもどうやら○○○に来ていただける事になりそうです。
○○○は「かえる」ではありません(笑)。もちろん本場の方です。

こないだ、再び会場を見てきました。
会場は今、大規模なリノベーションの真っ最中です。しかし、メインとなる発表会の会場は当日滞りなく使える事を約束していただいてますので無問題です。


今、テレビでエヴァンゲリオンをやってます。
エヴァンゲリオンはアニメに詳しくない方すら名前くらいはご存知であろう大ヒット作ですが、そのわりに、私は観た事がありません。
一般知識として観ておくべきだとは思うんですけれど、アニメとはいえ私の好みとは若干違うんですよね(笑)。
「使途」と呼ばれる敵はカワイイのが多いんですが。

第一、今はあまりに頭が痛くてテレビ観るどころじゃないな。
こりゃ、大人しく寝た方が良さそうです

がんばりましょう

2009-07-17 02:04:45 | ダンス話&スタジオM
このたび、なんとマミちゃんではなく私にピンでお役目を仰せつかりました。

それも、踊りではなくハワイ語分野でです。しかも、栃木県どころか関東の外でのお役目だったりします。
若輩者の私にはなかなかプレッシャーな大役ですが、いつもお世話になっている方からのご依頼ですので、微力ながらお役に立てるよう、精進する所存でありんす。

プレッシャーを感じつつも、お役目を拝受するといきなりアドレナリン上がって「がんばりましょうモード」になるのが私の性格です。
今から既にどういう事をするか構想を妄想中だったりします。

思えば、私は昔からそうでした。
文化祭など外部の人を招き入れて集客が求められるイベントとなると、私は俄然張り切り、ディスプレイから宣伝まで一手に請け負いたがります。
いつもの「団体行動なんて知ったこっちゃねー」な生活態度が一変する...かと思いきや、やはりそこはしょせん一匹狼、誰の手も借りずにすべて自分でやろうとします。
そうするとアレですよ、いつものように心の広い友人達が、完全なるボランティア精神で手を差し伸べてくれるわけです。
その頃は「気の合う人とやると楽しいな~」位にしか思ってなかったけど、今思い返すとみんな私に付き合ってくれていたわけで、つくづく助けられていたんだなぁと気づきますね。

しかしこれは大人のお仕事、友達の助けに頼るわけには参りません。
完全に独力でやらなくちゃならないとなっても、私のアドレナリンはもちろんガッツリ放出されます。

例えば2年に1度の発表会、あの数百人規模のダンサーが出演するイベントの屋台骨を組み上げる人間はマミちゃんと私の二人しかいないわけで、とにかく仕事の量が半端じゃないのですが、それでも私のアドレナリン放出に何ら支障はありません。
「私がやらなくちゃ!」という使命感が私を突き動かしてくれるようです。
大学在学中の発表会の準備のために実家と東京を往復し、過労でぶっ倒れて入院を勧められた病院から脱走してまでやり続けて、あまりの楽しさに家事手伝いの歓びに目覚め、大学院進学を断念したというのは有名な話です(笑)。

あの時は流石に身体がヤバかったらしく、その後も暫く大した事ない(※主観)オーバーワークだけで熱出して倒れる身体になってしまったため、それ以来あの時ほどの無茶はしないようにしていますが、それでも大仕事のための追い込みは私の活力です。

...あれ。もしかして私、ドSとばかり思っていたけど実はM......?

公開初日『ハリー・ポッターと謎のプリンス』

2009-07-16 02:27:09 | 徒然話
今日、公開初日の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を早速観てまいりました

といっても今日は(今日も)夜までレッスンだったので、観られるのは20:50からの最終上映のみ。
しかし、このチャンスを逃しては水曜日レディースデーがない(というより、この時間帯に観に行くしかどのみち選択肢はない)ため最後の力を振り絞って敢行しました。

公開初日のギリギリに行ってもチケットは先ず手に入らないので、午前中のうちに映画館に出向いてゲット。
ってネットで取れよ。片道1時間かかる映画館に馳せ参じてないで。
いや、そうなんだけどさ。生徒さんが「ネットで取った」とおっしゃるまで、正直思いつかなかった...。私、流石平安人。

プログラムを買っていったん退散し、一日のレッスンを終えた後、映画館に舞い戻りました。
館内は夜9時近くとは思えない人、人、人。うう...覚悟はしていたけど、やっぱり公開初日は混んでる......
しかも私の不安を煽るように「ハリーポッターの入場が始まると○○(たぶんトイレとか)」が非常に混み合います!!」などという放送まで入り、どんだけ混んでんだとテンション下がります。

それでも同じ回を観に来た生徒さんの顔を見て元気づけられ、ドリンクとディッピンドッツをゲットしてから、勇気を出してシアターに入りました。

果たして、一番大きい部屋だというのに、館内はいっぱい。うううう...いや、ここでめげちゃダメなんだ。
っつーか、こういう普通の席に来ると、こないだの品川のペアシートの有難みが分るなぁ。
TOHOシネマズのもまあまあ広いと思っていましたが、やはりすぐ隣に知らない人が来ると、私の身体は硬直し、胸がつかえ、正座した時のように末端から痺れてきます。
なんとか隣に他人がいる事を忘れるように心がけながら、映画に集中しようと努めました。


んで、集中してみた結果をひと言。
君ら、手近な所でくっつきすぎじゃーーー!!!
あんたらビバヒルかーーー!?!?


まぁ原作で予習済みの人なら周知の事実ですし、私だってその一人ですが、こうして映像で観るとやはり衝撃的なほど手近で手を打ち過ぎです。
つーかそもそも色恋どころじゃないだろうというツッコミは根幹を揺るがしかねませんので、とりあえず心に仕舞っておきます。

そういえば、マミちゃんが東京から今市に引っ越してきた時、東京では誰もがグループサウンズに夢中だったのに(おお年代がバレる)、こっちでは「誰々君が良い」「誰々先輩素敵」なんて内輪の話しか聞かずに衝撃を覚えたと言っていましたっけ。
それに近いほどのビバヒルっぷりです、ハリーさん達。

誤解されぬように言っておきますと、私は決して身近な人との色恋に反対なわけではありません。
むしろ私自身は、口先ではジョージクルーニーがどうとかロベルトバッジョがこうとか言ってますが(笑)現実の男性に対しては鋼鉄の壁を作りたがる性質なので、年単位で長く接してからでないと、マジ惚れまで発展する事は先ずありません。
だから彼らの気持がわからないではない。というより、長年の親友から満を持して恋愛関係に発展したハーマイオニーとロンなどは、なまじ最初から色恋ありきで始まったカップルよりずっと良い関係を築けると踏んでいます。
ハリーのように後々になってから青い鳥に気づくか、それとも初志貫徹するかの差こそあれ、運命の人が遠くにいるとは限らないのです。

しかし、だ。そうは言っても、この人達はいくら何でも身内でローテーションし過ぎです。
初恋の人も生涯の伴侶もツナギの人(笑)も、みな内輪。しかも、すべての登場人物がその調子です。同じ学校内なのはもちろん、寮さえ同じである事も。
そうなってくると、右を向いたら元カレ、左を向いたら今カレの元カノ...なんて状態になりそうで怖い...。

そのうえハリーとその仲間達ばかりでなく、彼らの親世代もまた身内で結婚とかしているのですから年季が違います。
だいいちハリーの両親からして同級生ですし。
こうも限られたメンバーで数世代に渡って身内でばかり恋愛していると、「同じ家系は同じ寮」という傾向が多い事を考えると、もはやハワイ王朝のような状態なのではないかと、他人事ながら心配せずにはいられません。

こりゃひとつ、外国の他校(私のタイプのカルカロフ校長がいたダームストラング校とか)との国際合コンでも開催して、せめて他校の学生との出会いの場を増やしたらどうでしょうか。


まぁ色恋の心配をしている場合ではないな。さっきも言ったように、このエピソードで語られるのはもっとずっと深刻な話です。
どう深刻かはネタバレになるから触れないとして、私が言いたい事は只一つです。

この映画をご覧になっても、どうぞスネイプ様を嫌わないでください。

スネイプ様がどんな酷い事をしているように見えても、それは真実を示してはいません。
ハッキリ言っておきますと、私がこのシリーズ全編を通して最も愛した人物はスネイプ様なのです。
彼を好くかどうかは意見の分かれる所だと思いますが、私は彼の生きざまに何より心を打たれましたし、最終話を観れば、少なくとも彼が悪一辺倒の人間ではなかった事が分るはずです。

スネイプ様は心に想像もつかないような傷を抱え、さまざまなジレンマに挟まれて苦しい人生を送った方ですが、それでも自分の信念を貫き、自分の思いを守り通した高潔な人物です。
それなのに、その高潔さを隠し通していたために、味方からも敵からも疑われ続けていたのが悲劇です。

でも私はスネイプ様のそういう芯の通った生き方にこそ惚れているのです。
彼の心は永遠に一人の女性のものだけれど、私はそんなスネイプ様をどこまでもお慕いしております。

う~~、2010年後半とか言ってないで、早く続きを公開して。
そしてスネイプ様が高潔な心の持ち主だって事を証明して~~~。

祖父の発明品

2009-07-15 00:03:47 | 徒然話
横井良美は、私の自慢の祖父です。


祖父こと良美さんは孫の私の姿からは想像もつかないくらい(笑)穏やかで優しい人で、私も母も良美さんが怒っている所を一度たりとも見た事がありません。

彼の凄い所は、その優しさが家族だけでなく、およそ全人類にまで及んでいる所です。
自分からはお節介を焼かないけれど、困っている人が居れば黙って手をさしのべ、自分が楽しむ事より他の人の幸福を願う人間です。

そういう人間の前には、人の優しさにつけ込んで利用しようとする人が必ずと言っていいほど現れるものですが、それでも良美さんは決して疑心暗鬼になる事がありません。
おかげで、とても大勢の方が良美さんを慕ってくれました。あまりに「いいひと」であるがゆえに苦労も多かった祖父の人生ですけれど、私としては、その人望こそ良美さんの財産であり、分ってくれる人に良美さんの良さを覚えていていただければ、それで十分だと思います。

母がダンス教室を開いた時、良美さんは既に自分自身の仕事の第一線からは手を退いていて、ダンス教室を裏方として運営する事に専念しました。
その一環で、一日中忙しい母親に代わって私の事も育ててくれたわけです。祖母と一緒に。だから祖父母が私の育ての親です。
一般的に祖父母は4人いるものですが、私にとっての祖父は良美さんだけですし、祖母は絢子さん只一人です(もう片側の祖父母も存じてはいますが、育ての親ともいえる母方の祖父母と同列の繋がりとはちょっと認識しづらく、とりあえず「父親」共々「遠縁の親戚」カテゴリに分類してあります)。

とにかく、ダンス教室の裏方として人生を歩み始めた良美さんは、まずスタジオMの建物を自ら設計してくれました。
建築はもちろんプロの大工さんにお願いしましたが、設計図を描いたのは祖父です。あと、入口のブランコも設計し、他の工場にお願いして作っていただきました。

スタジオ内の照明に関しては、取り付けたのも祖父です。
まるで大ホールの機材のような操作板が家の片隅にあり、それをいじる事でミラーボールが回ったり、室内の色が変わったり、豆電球がチカチカしたりするようになっています。
祖父はレッスンを外から見ていて、進行に応じて照明効果を変えていました。(※通常レッスン時の話です)

母がダンスを教える傍ら、良美さんは音楽を教えていました。
例えばバイオリン、カラオケなどです。バイオリンを教える時はピアノを弾き、カラオケではアコーディオンを鳴らして、生徒さんはあまり多くありませんでしたが(そりゃそうです、特にバイオリンなんて25年前にどれだけの人が習おうとしたでしょう)、とても楽しんで教えていました。

そして、主宰者と同等レベルの愛情を生徒さん達に注ぎ、「ダンスの健康効果」を調べてまとめた文章をレッスンスケジュールに添えて配ったり(あれ、やってる事が今の私と酷似してるぞ)、生徒さんのためとあらば、イベントやパーティーを企画してみんなが楽しめる創意工夫を怠りませんでした。

とりわけ発表会に際しては気合いが違いました。
なんたって大道具を自作するのですから。
スタジオ1階のマイ作業場で「M」型の土台に電球をはめ込んでみたり、後ろの巨大看板(しかも板に描いただけの奴じゃなく、一文字一文字カーヴィングしたもの)を制作してみたり、ブラックライトを付けてみたりしました。

もし、彼がもう少し長く生きていたら、ウチの発表会では頭上をUFOが舞っていたはずです。
じっさい、ラジコン操作のUFOの設計図もかなりの所まで出来上がっていたようです。
あぁあ、それを引き継ぐ理系脳を持たない自分が、ただただもどかしい。


にしても。
いくら「他人の楽しみのためなら労力を惜しまない人」とはいえ良美さん、家設計したり音楽教えたり大道具作ったり、いくら何でもやる事が素人じゃなさ過ぎると思いませんか。
それもそのはず。良美さんは只の祖父にあらず。多方面においてプロな強者祖父なのです。

一番最初にプロとなったのは音楽の分野です。
兄からバイオリンを習い、武蔵野音大を出て(作曲科だったそうだけど、彼の作品は一度も聴いた事がない)良美さんは一通りの楽器をマスターしました。
東京でバンドマンとして活動していた頃に祖母と知り合い、こちらに来てからもバンドをしていた時期があったようです。

バンドマンをしていない時期の良美さんは発明家でした。
ラジコン(昭和30年頃に発明されたそうです)の開発にも携わりました。
自分の興した会社でも、フォルクスワーゲンのラジコンカーや、脚でステップして鳴らすピアノなどを世に送り出しました。

そして、この画像の広告に載っているラジコンオバQです。
これも良美さんの会社で設計・製作され、オンワードに特注した衣装を着せられて(おいおい、衣装へのこだわりはこの頃からなのか)、不二家の賞品として出回りました。
ウチはとても引っ越しが多かったため、このオバQをはじめとしてほとんどの発明品は手元に残っておらず、こうして広告だけでも見つかって、感激するほど嬉しいです。

良美さんは他にもいろんなものを発明したらしく、祖母は祖父の発明を登録するために何度も特許庁へ出向いたとか。
そのわりに特許から得る利益には興味がなかったのか、はたまた縁がなかったのか(笑)。
まぁ、そんなのはどうでもいいことです。私にとって重要なのは、良美さんの人生が幸せであったかどうか、ただそれだけなのです。

良美さんと私がじっさいに一緒に過ごせた時間は長くありませんが、4人家族の中でも我々は共有している部分がとても多く、私の黒かったりシニカルだったりひねくれていたりする部分以外の人間性はほとんどすべて良美さん由来のものです。
だから、発表会やその他のイベントの準備のためにウッカリ寝食を顧みないでいた事にフト気づいたりすると、良美さんが今も我々とともに生きている事を再認識する次第です。

Watching is Studying

2009-07-14 01:12:33 | ダンス話&スタジオM
ミヤ・ヒーリングスクールの校長先生から「ろまんちっく村でレッスン前の待ち時間に流す用のフラのイメージ映像はないかしら」と頼まれまして、今年のメリーモナーク映像をお持ちする事にしました。
で、このさいだからオススメチームを生徒さん達にご紹介しようと思い立ち、さっき会場で描いた野鳥の会記録をめくりながら映像を見返しました。

会場で見るとどうしても衣装やフォーメーションなど「パッと見で目立つもの」に意識が生きがちですが、映像で間近に観ると、それぞれのチームやダンサーの踊りが非常に良~く見えます。
ためになるなぁ。こりゃ、ますます生徒さんに観ていただかなくちゃ。

最初に観たのはケアリイ・レイシェルさん(しかし司会の方の声を聞くと「ライシェル」と発音されていますね)の輩出したミスのチェリッサさんの映像でした。

そして、会場で思ったとおり、今回のミスは「ミス」たる資格が十分にある実力の持ち主ですね。
何が素晴らしいって、ただただ踊りがシンプルな事に尽きます。

フラをシンプルに踊るのは決して簡単な事ではありません。
一見単純であるが故に、「フラは簡単」と誤解される素人さんがとても多いのですが(いえ、確かに取っ掛かりとしては高度な運動神経も必要とせず、踊りの素養がなくても始めやすいのは事実ですが)、さて、これを上手に素敵に踊ろうとした時、フラのシンプルさはむしろ「世の多くの踊りよりも難しい技術」となります。

シンプルさが求められているからといって、無味乾燥な動きをしているのではないという事も、難しい点ですね。
たんに「ムダな装飾を外すべき」なのであって、じゃあエアロビとかラジオ体操みたいな余韻・遊びのない動作をすればいいという意味ではないのです。
シンプルでありながら、優雅に丁寧に。...けっこう難しい注文ですよね(笑)。

しかし、ミスになったチェリッサさんは、指先まで神経の行き届いた繊細な踊りを踊っていながら、ムダな所は一切動いていません。
それは決して「無理くり固めている」ワケではなく、私が常日頃から理想に掲げている身体に真っ直ぐな芯の通った「ブレない踊り」なのです。
もちろん頭の動きも静かです。よく見るとダウンする動作もけっこうしているし、肩だって使っているのですが、それらに嫌らしさが一切なく、とても自然な流れの中で行われているので、見る人が見なければ気づかないほどです。

良いのです、それで十分なのです。「上下してる」「肩を使っている」なんて気づかれる必要はないのです。逆に、それらのスパイスが流れの中に完璧に溶け込んで注意深く包み隠され、スパイスの存在すら分らないような踊りこそ、フラにとっての「美しい踊り」なのです。

こんな風に言うと、「フラって難しいやん」と敬遠されてしまうでしょうか。
でも、そんな心配は一切無用です。今私が言っている事は大変な高等技術なので、ミス・アロハフラに出るような年代(というより、フラのキャリアですね。出場者紹介の時にそれも表示されます)ではとてもそこまで達してない方が多いです。
ミスに出られるのは25歳までと決まっていますから、ほとんどの出場者の場合フラ歴が20年を超えている事は稀で、そのように短いキャリアで身につけられる事は限られています。
今回のミスのチェリッサさんのように、この若さで身についている事の方がむしろ貴重な例外なのです。

したがって、彼女の踊りをじっくり観たとき、「まるで老成したダンサーのようだ」と私は感じます。
私が「老成」「老練」と言った時はそれは褒め言葉です。私自身、老成したダンサーになりたいと思っており、自分の踊りをチェックしていて一番憤りを感じるのは、己の踊りに若さを感じた時です(言うまでもなく、私が踊りの技術を語る上での「若さ」にはマイナスの意味しかありません。演技で若々しさを演じるなら良いけれど、本当に「技術が若い」のは恥ずかしいだけです)。
そのためには、ほんの25年ごときの短いキャリアでは足りないと思う一方で、25年のキャリアに相応しい踊りを踊らなければいけないと、いつも責任を感じています。

閑話休題。
日本にはなかなかキャリア25年って人はいないでしょうから、私が自分の踊りに課している基準を、他の人にまで押し付ける事はしません(もちろん、相手が自称先生やプロだってんなら話は別ですよ)。

では、フラが上手くなりたい人にまず何をお勧めするかというと、それは「シンプルさ」を追求する事です。
どうしても動いている部分に目がいきがちですが、そこをグッとこらえて、思うように動けないと思っても、まずはとにかく「ムダを省くこと」を心がける事をお勧めします。

ムダがないように心がけていれば、必然的に動きが丁寧になるはずです。
丁寧にしようという部分で、みだりに装飾を付けない事も大切です。
シンプルに丁寧に踊ってさえいれば、自然な腰の揺れも優雅な手の動きも必ず身につくのです。

フラは塗り重ねる事で完成に近づける油絵ではなく、削れば削るほど完成に近づく彫刻型の踊りです。
もし、削るべき部分に余計なものをくっつけてしまったら、そこを削り落とす所から始めなければなりません。
また、くっつけてしまったものの種類によっては、落ちない染料が染み込んでしまって綺麗に削り取れなくなる事だってあります。錆のように、本来の素材を浸食する危険さえあります。
だから、最初から余計なものをくっつけない事が上達への最重要条件なのです。

ま、ここでつべこべ並べ立てるよりも、じっさいの映像をご覧いただいた方が遥かに良いですよね。
いつも言っているとおり、質の高いものを観て見る目を養う事が非常に大切です。
というわけで、ろまんちっく村のフラレッスンにいらっしゃる方は、あの大画面で流す「ホンモノのフラ」をとくとご堪能くださいませ。
お見せする踊りの質に関しては保証しますので、是非、先程述べたような観るべき箇所をしっかり観察していただければ、きっとものすごく有益なはずです。

一線の話

2009-07-13 02:35:35 | 徒然話
世の中には、さまざまな「一線」が存在します。
我々は、日々そのような一線を踏み越えたり、越えるかどうしようか悩んだり、はたまた片足だけ突っ込んでみたりして人生を送っております。

私の場合、眠気の一線が毎晩日付変更線の前後にやってきます。
基本的に夜はいつまで起きていても平気な性分なのですが、このまま放っとくと夜を明かしかねないと己の身体がよく分っているらしく、無理くり猛烈な眠気に引きずり込むようです。

ありていにいえば、私はあんなに楽しみにしていたF1ドイツGPを先程まるっと見逃しました(泣)。

あああ、なんてことでしょう、直前のハリーポッターまでは普通に起きていたのに。
今季のF1は相変わらず何かの奇跡が起きたとしか思えないような予想外の展開続きで、今回もまたまたレッドブルとブラウンGPが上位独占という、今季を象徴するような予選結果だったのに,そんな時に例の一線が到来してしまうなんて......。

これでも一応さすがにスタートはこの目で確かめました。
なんと、今や名前も忘れそうな昨年王者ハミルトンが派手に飛び出し、一瞬だけ一位に躍り出たにもかかわらず、前方の2台が接触したせいか大きくコースアウトし、そのまま最下位まで一気に後退してしまったのです。
ってか、そこまで衝撃の展開があったにもかかわらず、眠気の一線に勝てないってどんだけ...。
私の身体は余程「ここでこいつを寝かせなくちゃ!!」という使命感に燃えていたのでしょうか。

んで、フト気づいたら2時間後
もちろんF1はとっくに終わっていました。レース結果も不明です...。
...あとでネットで調べよう...。

この眠気の一線は毎晩やってきますが、明日の支度をしている間に乗り越えられる時もあれば、ウトウトするだけで復活出来る時もあり、しかしそれらに成功しない場合、私は2~3時間眠りこけてしまいます。
私は、本来自分の身体が欲している睡眠時間(それはおそらく普通の人より長い)に到底足りてない生活を送っているため、身体としてはスキあらば寝たいと考えているらしいです。
通常、睡眠時間の短い生活を送っていれば身体がそのように変っていくものなのに、私の身体に関しては必死で抵抗しているようですね。


そして、今日感じた「一線」がもう一つありました。
それは聞くだに恐ろしい結婚の話です。

こないだも「立て続けに『結婚しているんですか』的な事を訊かれた」なんて話を書きましたが、今日法事で親戚が集ったところ、またまたその話題が出たので私はショックを受けました。
それも、「ラナちゃん、そろそろ結婚は」とか「良い人いないの」「そろそろ探さなくちゃ」などと、あまりにもあからさまな言い回し!!!
皆さん、私の親が結婚に向かない人間だったと知っているのに何故私にそれを訊く...いえいえ、そのことじゃなく、この不気味なまでのタイミングの一致にです。

そこでフト気づきました。私は「結婚に関する話題が出される年齢の一線」を、知らず知らずのうちに跨いでしまったんじゃないかと。

じょ、冗談じゃありません。
私は、婚活などしている暇があったら大人なバー(紫煙が漂っていて、女子向けの可愛いカクテルより酒好きのための酒が充実しているような店)のカウンターのスツールに一人で座っているのが絵になるオンナを目指したいのです。
その私に、たかだか年齢くらいの理由で、何かのマニュアルのように結婚の話題を出されていたらたまりませんって。

どうやら、問題の一線は「25歳の後半」あたりに踏み越えてしまったようです。
そしたらマミちゃん曰く「20代のうちは言われるわね」とのこと。って、あと4年もですか。そ、そんなぁ~~~。

そこで、私は今後同じようなハメに陥った時に泣き寝入りせずに済むよう、「相手との間に波風を立てず、しかし私ばかりが不快な気持になる事のないよう、軽やかに爽やかに話題を強制終了する粋な受け答え」を考える事にしました。
ちなみに私と同じくらいの頃、マミちゃんもまったく同じ事を非常にウザイと考え、「まだ魔が差してないから」などと応える事でかわしていたようです。

もし、皆さんが実体験でお使いになった効果的な言い回しや、オススメのフレーズなどありましたら、是非私にお知恵をお貸しください(笑)。

私は「粋な受け答え」ってのが苦手だから自分では書けませんが、婚活などとは無縁な自立した大人の女性が増えている今、こういう「言われてちょっとイヤになる話題」や「それってセクハラじゃね?な話題」を投げかけられた時のスマートなリアクションを一問一答形式にして出版したら、けっこう需要があるんじゃないでしょうか。
斎藤美奈子先生あたりが書いてくださらないかしら。

こんなん出ましたけど~

2009-07-12 02:33:25 | 徒然話
相変わらず、発表会プログラムに使う写真を物色中です。

そしたら、こんなのが出てきました。
こないだの冬に中東に行った時に撮った写真です。って、やっぱし異様にミズっぽい......。

とはいえ、まさかホンモノの中東をこんなベタオリエンタルな格好で歩いたわけでは決してなく、日が暮れて宿泊施設に引っ込んでからの扮装です。
私達が泊まったのはイタリア系の所だったため、出て来る食事もお客さんも施設内の使用言語もほとんどイタリア(いちおう英語は通じますが)。
しかし、折角中東に来ているのですし、イタリア人から見たら私も十分アジア人ってことで、夜の装い用に、絞り染めのインド製ストールとスカートのセットや、なんちゃってキモノ、額飾り、和柄ちりめんブラウスなどを持っていったのです(そーゆうことしてるから荷物のガサと重量が)

この写真の扮装は、とくに「アラビアンナイト」と銘打ったイベントが開催されていた夜に着たものです。
イベント自体は非常に大した事なかったのですが(笑)、スタッフがアラビアの衣装を着ていたり、手の甲に「love」を意味するアラビア語を書いてもらったりと、それなりに趣向を凝らしているようでした。

こうしてみると、普段はアジア離れしていると思っている自分の顔もけっこうアジアですね。
モンゴロイドとは若干違う感じのアジアですが(ちなみに私は、生まれつき蒙古斑がない5%のモンゴロイドのうちの一人です)。

いや、人種以前に性別が違う感じです。
そういえば、こないだ遊びにいったニューハーフショーのトップダンサーさんにも、やけに親しみのこもったまなざしを向けられている気がしたものです。

ご存じない方のために断っておきますと、私は一応生まれも女、育ちも女でございます。

いえ、この写真で最も異彩を放っているのは、人種も性別もあやふやな私ではありません。
私の手の上に乗っているかえるちゃんです。

このケバい女(?)の手元に、どう考えても似合わない淡い色合いのかえる...。ってか、色合い以前に、こんな女(?)がかえる連れな事がそもそも異彩でしょう。

しかしながら、このかえるちゃんは私の愛しのかえる王子、つまり家庭内カーストにおいて最も高い位置に君臨するドンです。
したがって、かえるちゃんは我々が(というより私が)どこへ行くにも一緒についていき、私のおなかの上でまったりし、甘いものを充分に与えられています。

かえるちゃんは運や愛嬌だけでこの地位まで上り詰めたわけではありません。
この子、それはそれは肝が据わっているのです。私が世の中のすべてのかえる達に愛を注いでいても、そしてそのうち数名を溺愛してお持ち帰りしても、彼の心が乱される事はありません。
「自分の地位が脅かされるんじゃないか」なんて心配は欠片もせず、むしろ新しく来た子を優しく迎え入れ、「かえるがふえてうれしい」とニコニコしています。
人間としても、是非見習いたい器の大きさなんです。

でもこの泰然自若ぶりは、自分に対して絶対の自信がなければ至れない境地ですよね。
私は、ムダに謙遜する人よりも、自信があって誇り高い人が好きです。
これほどまでにかえるちゃんを好きなのも、その辺りに理由があるのでしょう。

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