昼間は暑くてたまらなかったけれど、10時にもなると、肌にあたる風はひんやりと冷たい。
最近、「終活」という言葉を作り、そのことを広めている女性の記事を目にしました。
「就活」「婚活」に続いて、「終活」があってしかるべきだと言われる。
私の世代は、「就活」「婚活」という言葉はありませんでした。
私の子どもの世代はどちらの言葉もすでにありました。
あえて言うなら、私は大学に入ってから、ひたすらいかに生きるべきかばかりを考えていたような気がします。
そして、なんとかやりたいと思う分野の仕事について、結婚をし、子どもを育てながら働き続けました。
50代を過ぎたころから、これでもかこれでもかとというほど、さまざまなトラブルや不幸に巻き込まれました。
それらはすべて立ち向かうしかないことで、苦しかったけれど迷うことなく立ち向かい続けられました。
あまり悲しみに暮れることもできず。
でも定年退職して、間もなく、死を意識せざるをえない病気に見舞われました。
幸い、余命を宣告される事態は免れたのですが、
治療の後遺症で、体がこれまでのように頑張れない状態に陥ってしまいました。
そして、痛感せざるを得なっかたのです。
私には「終活」なるもの、言葉を換えればいかに人生をおえるかという見通しが全く欠落していたことを。
エンディングノートとか、遺言書とかに集約されそうだけれど、
人生を閉じるまでいかに生きていくかという事と言っていいでしょう。
いかに生きるべきかを考えることは、成長のプロセスで考えればいいのだし、
ある意味死を意識することは無かったようです。
頑張れば行きつける可能性は高かったのです。
でも終末に向かって生きていくのは、あらゆるものが衰退の方向にあるのです。
このことは、同じ未経験であっても、何だかわびしく、憂鬱なことに思えます。
それに、あまり問われることが無いような・・・・。
いろんな時代、それはどのようなものだったのでしょう?
生活(生きる活動)から終活へ切り替えは難しいような、でも必要なのでしょう。
最近、「終活」という言葉を作り、そのことを広めている女性の記事を目にしました。
「就活」「婚活」に続いて、「終活」があってしかるべきだと言われる。
私の世代は、「就活」「婚活」という言葉はありませんでした。
私の子どもの世代はどちらの言葉もすでにありました。
あえて言うなら、私は大学に入ってから、ひたすらいかに生きるべきかばかりを考えていたような気がします。
そして、なんとかやりたいと思う分野の仕事について、結婚をし、子どもを育てながら働き続けました。
50代を過ぎたころから、これでもかこれでもかとというほど、さまざまなトラブルや不幸に巻き込まれました。
それらはすべて立ち向かうしかないことで、苦しかったけれど迷うことなく立ち向かい続けられました。
あまり悲しみに暮れることもできず。
でも定年退職して、間もなく、死を意識せざるをえない病気に見舞われました。
幸い、余命を宣告される事態は免れたのですが、
治療の後遺症で、体がこれまでのように頑張れない状態に陥ってしまいました。
そして、痛感せざるを得なっかたのです。
私には「終活」なるもの、言葉を換えればいかに人生をおえるかという見通しが全く欠落していたことを。
エンディングノートとか、遺言書とかに集約されそうだけれど、
人生を閉じるまでいかに生きていくかという事と言っていいでしょう。
いかに生きるべきかを考えることは、成長のプロセスで考えればいいのだし、
ある意味死を意識することは無かったようです。
頑張れば行きつける可能性は高かったのです。
でも終末に向かって生きていくのは、あらゆるものが衰退の方向にあるのです。
このことは、同じ未経験であっても、何だかわびしく、憂鬱なことに思えます。
それに、あまり問われることが無いような・・・・。
いろんな時代、それはどのようなものだったのでしょう?
生活(生きる活動)から終活へ切り替えは難しいような、でも必要なのでしょう。
定命ほど生きるのでしょうが。。。。。。
十年前に離婚し、三年前に再婚しました。
一人っ子ですし、両親は、とっくに他界しています。
代々の家に対し、三人の子供達に対し、きちんとした終わりかたをしたいです。
とっくに三人共、社会人ですが。
因みに、くちかずこ53歳です(*^^*)
えらいですね。45歳にしてエンディングノートですか!
代々の家というものもありませんし。
両親の御墓は弟が守ってくれるでしょうから。
子どもは独立しましたし。
今住んでいる家は、どうやら私限りのようですし。
問題は辺鄙なところに作ってしまった夫、すなわち私の御墓をどうするか?
それに、健全な精神を保てなくなった時にどうするかを決めておく必要があります。
そう考えていくと、結構進みそうですが、こんなものではまだまだかしら。
でも、
昨年、計画的に(子どもが幼稚園のときにスーパーでパートをはじめ、そこでためたお金でこんどはパソコンを習って、2回、転職し、やっと正社員になったのです)生きてきた友人が、45歳を前になくなりまして、
そのとき、そのときを
精一杯いきようとおもうようになりました。
コメントなのですが、
くちこさんの書いてくださったとおり、
半角英数でスパム防止の欄にいれてみてください。
なんかね、
あそこへ引っ越してから、
スパムメールが入るようになってしまったのです。
数列が、長くて
めんどくさくて申し訳ないのですけれど。
そのたびに話し合う事ですが、延命治療はしない、お葬式は身内で。平均年齢まで元気で生きる。それ以上は望まない。・・・なんて話しながら、まだエンディングノートも作っておりません。
まだまだ忙しく来年におあずけです。
せいいっぱいでも、その中身が問題なんでしょうね。
精いっぱいやってきて、その結果、子どもたちに後始末をのこすのはいけないかしらと。
それにいろいり周りの人の好意に応えてなかったかしらと思ったりetc.
コメントの件 後ほどトライしてみますね。
こめんと
あんまり考え過ぎて、将来に向けての活動がなくなるのも考え物ですね。
かといって、何もないままというわけにもいかず。
本人が納得できる範囲でということになるのでしょうか。
色々と考えをまとめておくのは大切ですね
身内に迷惑を掛ける事、
最小限にしたいものです