つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

あっという間に 時は過ぎて・・・

2007年05月31日 | Weblog
 午後から降り出した雨は 雷を伴い、時々 稲光が窓をてらします。
このところ気圧配置が不安定な日が続きます。

時はすでに初夏でしょうか?
春と梅雨の間をなんと言うのでしょうね。
今年ほど 新緑を 春の花々を満喫した年はない様に思います。

草花や木々の命が美しく、輝いて見えたこともありません。
こんな時が自然界に、自分の周りに流れていたのだと、
初めて知ったような気がして、驚いているのです。
時があわただしく流れていった頃は 知りえなかったこと。
この中で生きていられれば人は穏やかに優しくなれることでしょう。

 それにしても、テレビから見えてくる日本という国の
なんとあわただしく、薄汚いことでしよう
自殺した大臣を潔く武士らしいと褒め称えた知事もいました。
死者に鞭打つのは非人間的だという言葉も。
でも彼は何の責任も取らず、沈黙したまま死を選びました。
事実を明らかにして責任を取ることこそ 潔いことだと思うのです。
ことを明らかにして政治への信頼を取り戻すことこそ、
残された人たちのなすべき人間的なことだと思うのです。

急に通夜の知らせが入りました。
一生、まじめに生きき続けた一女性の通夜です。
世の中には、そんな人のほうが圧倒的に多いのに、
政界はそれとは正反対の世界のようです。
その世界が、まじめに生きている人たちの暮らしぶりを決めているのです。


モディリアーニと妻ジャンヌの物語展

2007年05月21日 | Weblog
きっと絵に少しでも関心のある人ならモディリアーニの絵を知らない人はいないでしょう。
Bunkamuraのザ・ミュージアムで展示されている表題の展覧会に行ってしました。

あのほっそりとしたちょっと首の長い人物像を描いていたモディリアーニの生涯を詳しく知る機会になりました。
イタリア出身の画家、ハンサムで「モンパルナスの灯」という映画のモデルになった人物でした。
若くして認められながら酒や麻薬におぼれ、女性との交際も華やかな美男子だったようです。
36才で夭折。

一番驚きだったのは晩年をともにした若い妻ジャンヌが二番目の子どもを妊娠中ながら、一児を遺したまま、直後に飛び降り自殺したことでした。
時に彼女は22才。出合ったときは若く有能な画学生でした。きりっとしたまなざしの美しい女性でした。
彼のいない世界に生きていたくなかったということなのでしょう。

彼の死の前から、すでに死を予感し死の翳にとりつかれてはいた様子を伺わせる絵を書き残しています。

その時の幼子はその後どんなふうに生きていったのでしょうか?


新緑のなかでの墓参り

2007年05月15日 | Weblog
 もう今年でちょうど13回忌
新緑が鮮やかな小高い山間での墓参と会食も12回目を、迎えました。

とうとう義母は今年も参加できませんでした。
90歳を過ぎ、急に気弱になったのか不安が先にたってしまうようです。
「そこは遠すぎるよ」という声を聞くとちょっと申し訳ないような気になります。

でも思い出の多い多摩川の渓流が近い、
新緑滴るという形容がぴったりのこの地に立つと
自然に吸い込まれるようで悲しみもやわらげられる気がするのです。

もっとも悲しみは閉じ込めて固めてしまっている、そんな時を重ねていて、
その塊を、この場所はほぐしてくれる。
そのほうがあたっているかもしれません。

車での往路山藤の紫が一段と鮮やかでした。

大型連休真っ只中 1

2007年05月07日 | Weblog
 別に働いているわけではないし、我が家には働いている人もいないので、本来大型であろうと飛び飛びであろうと関係ないはずだけれど。
それでも全く無関係というわけではありません。
ある意味初めての大型連休を喜んでいる人が身近にいたので、その人へのお付き合いの毎日を過ごしていました。
 半ばも過ぎて、何をしていたかしらと。
ありふれた日常生活だった気がします。
それでも、地域9条の会の勉強会に参加して今更ながら改憲手続き法案の恐ろしさを実感。
1日はメーデーに行くつもりでしたが、
雨は降ってくるし、体調いまいちなので無理をするのはやめました。
2日は、ちょっとしたトラブルの後、
今話題だとか言う、六本木ミッドタウンなるところへ。
我が家を出てから、六本木にもどってくるまで6時間近く。
あまり街中を歩きなれない足は相当に疲れました。


「紙屋町さくらホテル」(井上ひさし作)

2007年05月06日 | Weblog
息子の彼女のプレゼントで2日に見た劇です。
6本木の俳優座での上演でした。

昭和二十年、五月、広島。

紙屋町ホテルは、名優丸山定夫とスター女優園井恵子を迎えた。そして、女主人をはじめ宿泊客までが、まるごと移動演劇隊「さくら隊」に入隊することになる。公演は2日後。演し物は「無法松の一生」。しかしかれらの前途には山のような困難が待ち受けていた。

役者はみな素人。しかも薬の行商人を装う男は、じつは海軍大将。傷痍軍人もじつは陸軍省の密偵。さらに彼ら全員を、特高刑事が監視している。(こまつ座HPより)

といった具合の劇です。

でもこの劇は、明るく陽気なのです。
どんな時代にあっても、自分を大事にしながら生きる人々の生命力、あるいは楽天性を感じさせるのです。

移動演劇隊というのは戦争末期、国が組織した軍隊を慰問して回る演劇隊だったのです。
このさくら隊は実在し、広島の原爆の被害にあったのです。

このシリーズは、井上ひさしが戦争中、戦後の人々の日常(正確にはやや普通ではない)を通して、戦争についての思い、戦争責任を問いかけているような気がします。

と同時に今回の劇は演劇、新劇というものがどんなものであるのか、丸山定夫のせりふで熱く語られているのが印象的でした。

この劇は、心に緊張と感動をプレゼントしてくれました。