つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

過ぎ去ったクリスマスイブ 2

2006年12月27日 | Weblog
やっと目的の汐留地区にやってきました。
そうです。目指したのはブログで見たブルー一色の汐留カレッタ。
プロデユースしたのは東儀秀樹、思いの他小さな空間に、
点灯前はたくさんのチュウブが交錯する無機的なものの塊がみえました。
でも点灯の瞬間、まるで真っ青な海の中に沈んだような錯覚に襲われました。
なかなか見事なデザインでした。
 ついで汐留サイトへ。
こちらは螺鈿のような円柱が並んでいました。全く違ったイルミネーション、全く異なる空間が出来上がっていました。
そのあとは、地下鉄で新宿へ。
新南口のxxxxテラスのイルミネーション、高島屋のちょっと子ども向けのような
イルミネーションと梯子。
7時すぎに、そろそろ夕食を探しましたが、どこもクリスマス向けスペシャルディナーばかり。
そうでないのは若者向けのファーストフード的なお店。
行けども行けども(本当は少し行っただけかも知れませんが)適当な店はなく、
ついに2度目のエネルギーきれ。
やっとのことで、何とか知っているお店にたどり着いての晩御飯。
かくしてクリスマスイブは2度のエネルギー切れと共に過ぎていきました。

過ぎ去ったクリスマスイブ 1

2006年12月27日 | Weblog
クリスマスイブは偶然です。世の中のイヴ的なことは苦手ですと
わざわざ断り書きが付いて、イブの町に出かけていきました。
スタートから大失敗、駅から家に戻って出直し。それでも30分の遅刻ですんだのは、
拝み倒して息子に再度駅まで送ってもらえたから。

目白にある有名な教会(私は知りませんでしたが)に始まり、
懐かしい雑司が谷の鬼子母神により、あとは東池袋から都電に。
雑司が谷墓地を都電の中からちらりと見て、巣鴨、王子・・・・
そうです 現在わずかに残る都電の荒川線の終点三ノ輪まで。
あと1時間で食事だからといわれたのはどこらあたりだったか、すでにやや空腹状態。
ず~と低い家並みの中を縫うように走って行きました。
高層ビルや広い幹線道路とは無縁の場所ばかり。
三ノ輪にも懐かしい思い出が。もう40年近く前のこと、でも見つけることが出来ました。
看板は出ていたけれど営業時間には白いテープが貼ってありました。
もう亡くなられたのかしら・・・。
長い長いご無沙汰だから。
まるで上京以来の足取りを追っているような気分。
現在だけを走り続けてきたのだから、
すべては私の胸の中にだけしか残っていないのかもしれません。

そのあとは地下鉄で浅草へ。
あ~あ、もう3時、水上バスに乗る予定。
あわてて、お店を探して遅い昼食を。
暮れなずむ隅田川はだめでも、夕日の隅田川のはずだったけれど、
すでに雲が広がって、夕日は見えませんでした。(天気予報のうそつき。)
船内でいや~な症状が。エネルギー切れのときに出てくるクラクラ感。
浜離宮はすでに閉園近く、ひたすら通り抜けたらどうやら、汐留だとか。
第2の目的のイルミネーション会場が射程距離に入ったようです。


オシム(サッカー監督)の言葉

2006年12月22日 | Weblog
ナカタがフィールドを去って以来、サッカーは遠いものになっていました。
最近、サッカーが大好きだという知人が、読んでいるというので、
私も「オシムの言葉」(フィールドの向こうに人生が見える)という本を読みました。
日本代表チームの監督として東欧の国からやってきたということは新聞を見て知っていましたが、それだけでした。

でも読み進むうちに彼がすばらしい監督であり、すばらしい人なのだということに感激しました。

ユーゴ連邦国の崩壊という歴史上稀有の厳しい現実の中にあって、ユーゴ代表チームを率いて戦った監督だったのです。
彼は分裂し始めた各民族の集合体である代表チームの選手すべてから信頼されていたそうです。
またどこに行っても、さしていい成績を残していなかったチームを優勝争いに加われるチームに育て上げているのです。
実に選手のことをよく知り、理解しています。
選手は常識を覆す練習方法を指示する監督に反発します、でもそれが実に正しかったことを試合の中で実感していくのです。
まさに名将中の名将だと著者は言っています。
大学の数学教授になれる可能性があったほど数学にも秀でていたようです。

彼の出身地サラエボは包囲され、市民は道を歩くだけで敵対関係になってしまったセルビア人のスナイパーに撃ち殺される日が続いていました。
テレビで見た記憶がよみがえりました。

彼がそのサラエボ出身だとは知りませんでした。
彼の妻は、そのサラエボに取り残されていたのです。
その中で、彼はサッカーの監督であり続けたのです。

オシムのサッカーはまず走れること、それが絶対条件であり、体力があること。
チームとして必要なことが出来なくてはだめなのです。
作戦も選手の起用も、実に深謀遠慮、将来を見通した考え方によって構成されているようにみえます。
なんといっても、年間予算も観客動員数も最下位のチームをナビスコカップで優勝させてしまったのです。
それでも「結実」と評価することを否定する。そう言ってしまったら成長が止まってしまうからと。

なにより、表紙の彼の顔写真を見るといい、私は最近これほどすばらしい表情を持つ人を見ていないような気がします。
机上に飾って眺めていたいすばらしい顔です。


教育基本法改定が強行採決されました。

2006年12月18日 | Weblog
戦後の日本のあり方を根幹で支えてきた教育基本法改定が とうとう数を頼んで強行採決されました。
この改定が、いじめ、自殺、不登校、教師の心の病の多発、
必須科目の未履修などなど山済みの問題解決になると政府は答えられませんでした。
世論誘導のやらせまでやってそれでも採決しました。
これからの人間形成が 国の意に沿って行われる その法律的根拠が作られたのです。
日本の歴史に残る暴挙だと思うのです。

母、快方に向かう

2006年12月18日 | Weblog
回復が難しいといわれた母が快方に向かいました。
効く抗生物質が見つかったのです。
うそのように炎症を示す検査値が下がりました。
顔つきも変わりました。
余病を持たない母は強いのでしょう。
ただ怖いのは肺炎と心機能。

高血圧だの、高脂血症だの持っている私より本当は健康で強かったのです。
脳さえ壊れなければ。

母のそばにいる時間をもっととることにしました。
たとえ分かってもらえなくとも。