つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

今一番楽しいこと!

2012年03月25日 | Weblog
 庭もだんだん春めいて、いろんな花が咲き始めてきました。

いつになく早い紫はなな。
そのオレンジ色が太陽のように温かい金盞花。
ブルーのヒヤシンス。
深紅のクリスマスローズ。
木々の新芽が膨らんで・・・・。

昨日は息子が誕生日を祝って、創造和食の店に
招待してくれました。
これが文句なくおいしくて、そして和食にしてはさほど高くはないのです。
でもいきなり8%もの賃金カットされた息子にとっては安いとは言えないでしょうが。

そうそう本題を忘れては。
今一番楽しいこと。
それは、投稿していたフォトエッセイを出版するための
準備を進める時です。
ほぼ5年間にわたってアップし続けた(と言っても間隔はさまざまですが)ブログから、作品を選び出している最中です。
いろいろと思い出しながら選んでいます。その中には1年以上にわたる闘病の時期も含まれています。

あまり社会性はないけれど、精いっぱいの写真とエッセイがそこにはあります。

ブログでは縦にしか写真が並びませんが、そこに編集という技が加わると、自分でもおやっと思うような印象が生まれることに気がつきました。

そのことが、とっても楽しいのです。

忙しくても、楽しいのです。

時よ緩やかに流れて!

2012年03月20日 | Weblog
 
時よ、もっと緩やかに流れて。

[ハウステンボス][女三代]




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そんな風に願う人は多いことでしょう。

若い時は1日が30時間だったらとか思ったものだけれど。
今は一日がそんなに長くては体が持たない気がします。

でもやることはとても多くて、神経がピリピリしてきて、
タイトルのような言葉になります。

この1週間もめまぐるしさ。
そのめまぐるしさにお付き合いいただくのも、
申し訳ないので、パス。

メインイベントの長崎のハウステンボスに
女3代で行ってきました。

周囲の人たちは、花々が咲いていてきれいよと
教えてくれたのだけれど、とんでもない。
パンジーやビオラが咲いている一角は確かにあったけれど、チュウーリップは見事にまだ蕾も固いまま。

楽しめたのは見事なイルミネーションとヨーロッパ風のシックな建物、運河。
橋の欄干にかかるハンギンバスケットに咲く花々。

リンゴの形をした帽子をかぶり、黒いコートに黒いタイツそして黒いボンボンのついたブーツをはいたさきはにこやかに笑い、トットコトットコかけていきます。
いろんな人にかわいいね~と言われて、大丈夫かしらと私としては、心配になるほど。

いろんな意味でさきに振り回された3日間でした。

帰京してから今日で4日間。
のんびりする日もなく過ぎてしまいました。

友人いわく、私のようなタイプは貧乏性というのだそうです。

ノーと言えない日本人ならぬ、ノーと言えない性分に
ジレンマを抱え続けている私めです。






昨日・今日・明日

2012年03月12日 | Weblog
昨日は東日本大震災から一年。
全国で復興や原発ゼロを目指すさまざまな集会や追悼会が開かれました。

東京でも井の頭公園で原発ゼロをの集会が開かれました。
1時間以内で行けるので、参加したいとも思ったのですが、できませんでした。

何しろ書かなくてはいけないニュース原稿やら、
市への申し入れ書の作成などが残っていて
とても時間がありませんでした。

今日はこれから明日の旅行の準備をまずやってから、残っているニュースの作成に取り掛かります。

明日から木曜日まで咲ちゃん母子と長崎はハウステンボスにに行ってきます。
私の大いなる誤解から連れて行ってもらえることになった旅行です。

でも「みんなの食事代はお母さんだしてよね」と昨夜娘から確認の電話が入りました。
まあその位はね。

でも実はハウステンボスがどんなところか、あまり知らないのです。これから雑誌を買いに行きます。

ニュースが出来上がるかどうかちょっと心配になってきました。
私の旅行は、いつもこんな風にあわただしく出かけるパターンなのです。

でもそろそろのんびりと出かけられるようになりたいな~と。

映画 「汽車はふたたび故郷へ」を見ました。

2012年03月10日 | Weblog
 久しぶりで映画を見ました。

動機は簡単。日経新聞で五つ星なので、行ってみようとお誘いがありました。
ほかにも見たいものはありましたが・・・、行くことにしました。
その題が「汽車はふたたび故郷へ」。
グルジア出身のオタール・イオセリアーニ、監督による自伝的作品とか。
上映は岩波ホールでした。紳士然とした人がむかえてくれて、落ち着いた雰囲気です。

実は後で気がついたのですが「ここに幸あり」も、この監督の作品でした。

グルジア どこだったかと調べなくてはわかりませんでした。かってソ連の一共和国だったところです。

詩情ゆたかな珠玉の人間讃歌
ゆったりと流れる時間、と論評されています。
確かに住んでいる村は詩情ゆたかで、人間は淡々と
生きています。

3人の子どもたちが学校から帰って、
貨物列車のような汽車の乗り口につかまってでかけ、
森の中の教会らしき建物のタイルをはがして持ち帰る

そんなシーンがモノクロで流れていきます。
大人と子どもたちは、お互いを認め合いながら、叱るべきところは叱りながら、淡々と過ごしていきます

その子どもの一人が映画監督に、女の子はどうやら政府の文化部門の役人らしき人に。

彼の映画は完成するけれど、フイルムはカットされ、上映されない。この経過での政府関係者とのやり取りが、つかまって拷問を受けるなど、淡々と描かれる。
見ていると滑稽の思えるけれど、あれが現実なのだと。

大臣だか高官に海外に出ることをすすめられて、フランスへ。(あれは亡命なのだろう)

フランスでは、いろいろ職をかえ、動物園の飼育員をやったりしながら食べていきます。
やっと認められて映画を撮りますが、映画会社の陣営の人たちによって、またも撮影の終わったフイルムはずたずたに切られる。

彼はこれでは同じだと故郷に帰っていき、家族に囲まれた自然の中で過ごしますが、釣りの最中に川に落ち不思議な魚に導かれて、亡くなってしまいます。

見終わって私たちはなんと言い表していいのか、困惑していました。鑑賞し評価するにはバックグランドが乏しかったように思いました。

私にはこの作品を評価する力はありませんので映画紹介のHPにあた紹介文を載せておきます。

故郷を離れざるをえなかった数多くのアーティスト達にオマージュを捧げた「イオセリアーニの集大成」なのです。
かつて監督が「最高に深刻なことを、微笑みをもって語る」のが自分のやり方だと語ったように、盗聴や監視、検閲や抑圧など、主人公が体験する事柄はいずれもシビアでありながら、その描き方はあくまでもユーモラス。生きてゆくことのほろ苦さと甘さを、絶妙なさじ加減のユーモアで描いてみせる“人生の達人”イオセリアーニならではのノンシャランの真骨頂といえましょう。
 ンシャランとは歌わぬ人という意味です。

監督のメッセージは「何よりも大切なのは、自分自身でいること。
僕が僕であるために、曲げない、めげない、あきらめない。」だそうです。


こういったことを頭に入れてみるべきだったと痛感しました。

病人続出。

2012年03月07日 | Weblog
 私の周りで、病人続出。
かく言う、私もしばしばその一人になっています。

一緒に行動している女性8人とその連れ合いを入れると13人。
16人にならないのは相棒がいなくなった人が3人。
同じく私もその一人。

 ちなみにみな60歳以上。うち2人は70歳以上。
まったく通院していない人はいないけれど、
2人は癌の手術後経過観察中。
1人は糖尿による心臓の冠動脈の劣化でバルーン挿入したばかりで静養中。


夫さんは2人が50代前半で癌で死亡。1人は70歳後半で同じく癌で死亡。
60代半ばの夫さんが心筋梗塞で突然入院。集中治療室へ。
同じく60代半ばの夫さんが入院中。
健康な人は一人だけ。

女性群はみんな働く女性でした。その上活発な行動派。

男性群も同じく。

さぁ、この人たちは日本人の平均的パターンでしょうか?