つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

リフォームついにスタート!

2012年07月20日 | Weblog
 とうとう始めました、キッチン等のリホーム。
それを整理のチャンスにすることになったのです。
私の本音はガスコンロの入れ替えと、焦げたとことを取り変えればいいと思っていたのです。

ところが、子どもたちが購入した新しいマンションに住み、そのスポンサーである私が20数年たったぼろい家に住んでるって変じゃないかと、いろいろサポートしてくれている友人がいうのです。
 設計を仕事としてきた友人は、いろいろ設計図を作っては、どうと聞いてきます。
自分の好意が私のためだと信じて疑いません。

形の美しさにこだわる立場と、機能を優先してきた私のセンスがぶつかり合ってあわやということも。

片づけることをこのまま放棄していいだろうかという思いと、片づけはあきらめて最後は業者にゆだねようという思いが交錯。
迷う理由は、体力が無いということ、あまりに捨てるべきものが溜まっていてダウンするのではと心配にありました。

あまり乗り気ではなかったのですが、リフォームにあたって、トラック2台で不要物を運び出すというメニューをつけたしてとうとう始めることになりました。

ちなみ4.5畳の部屋から出てきたバザーを含めて処分する衣類は45Lのポリ袋で20袋近く。

勿論友人は手伝ってくれますが、判断をするのは私。
この判断が一番疲れるのです。
この作業を3日間やっただけで、私は食欲が激減。
家を建てたり、リホームをしたりすると病人や亡くなる人が出るというジンクスが頭をよぎります。

着工は9月にしてもらいましたので、倒れることなく、すっきりしたマイホームにしなくてと思い始めています。

でも片づけるのは暑い暑い8月。
うまくいくでしょうか?

さよなら原発10万人集会 ネットで参加。

2012年07月16日 | Weblog
今日は代々木公園で、さよなら原発10万人集会が開かれています。

参加する予定でしたが、脚の浮腫がひどくて参加ができませんでした。

せめてと思って、インターネットの実況を見ながら参加しています。

これまでにない動きが広がっているようです。
原発再稼働反対、原発NO,
とても当たり前で、未来を見据えた願いを携えて
多くの人が集まってきています。

この多くの国民の声を、音と言い放った野田首相は、相変わらず、国民の願いに応えてやるべきことをやりますと 言っています。
彼のやるべきこととは誰のための政治なのでしょう。

こんな行動と言葉がかけ離れている者が政治の最高責任者であることの不幸。

そのことを知っている野田首相は選挙で民意を問おうとはしていません。

国民のために政治をするのが、政治家ですが
彼はだれのために政治をしようとしているのでしょう。

国難を解決するのではなく、
国難を作り出している3党合意政治。

新しい日本誕生の力を見つけ出したい。

しゅう活、難しい。

2012年07月11日 | Weblog
昼間は暑くてたまらなかったけれど、10時にもなると、肌にあたる風はひんやりと冷たい。

最近、「終活」という言葉を作り、そのことを広めている女性の記事を目にしました。

「就活」「婚活」に続いて、「終活」があってしかるべきだと言われる。

私の世代は、「就活」「婚活」という言葉はありませんでした。
私の子どもの世代はどちらの言葉もすでにありました。

あえて言うなら、私は大学に入ってから、ひたすらいかに生きるべきかばかりを考えていたような気がします。

そして、なんとかやりたいと思う分野の仕事について、結婚をし、子どもを育てながら働き続けました。
50代を過ぎたころから、これでもかこれでもかとというほど、さまざまなトラブルや不幸に巻き込まれました。

それらはすべて立ち向かうしかないことで、苦しかったけれど迷うことなく立ち向かい続けられました。
あまり悲しみに暮れることもできず。

でも定年退職して、間もなく、死を意識せざるをえない病気に見舞われました。

幸い、余命を宣告される事態は免れたのですが、
治療の後遺症で、体がこれまでのように頑張れない状態に陥ってしまいました。

そして、痛感せざるを得なっかたのです。
私には「終活」なるもの、言葉を換えればいかに人生をおえるかという見通しが全く欠落していたことを。

エンディングノートとか、遺言書とかに集約されそうだけれど、
人生を閉じるまでいかに生きていくかという事と言っていいでしょう。

いかに生きるべきかを考えることは、成長のプロセスで考えればいいのだし、
ある意味死を意識することは無かったようです。
頑張れば行きつける可能性は高かったのです。

でも終末に向かって生きていくのは、あらゆるものが衰退の方向にあるのです。
このことは、同じ未経験であっても、何だかわびしく、憂鬱なことに思えます。
それに、あまり問われることが無いような・・・・。

いろんな時代、それはどのようなものだったのでしょう?

生活(生きる活動)から終活へ切り替えは難しいような、でも必要なのでしょう。