つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

目下 安静中です!

2011年09月30日 | Weblog
いろいろ楽しんできた結婚式と富良野・美瑛のこと
書きましょうと張り切っていたのですが・・・・。

足の浮腫の悪化にとどまらず、
足の付け根が痛くなり、
大腿部にはついに発赤があらわれました。

病院にいきましたが、やはり蜂か織炎。
というわけで安静を命じられて
足を高くして横になっております。

来週はじめくらいまでに改善が見られなければ
入院ないし通院して点滴ということに。

これまでも少々の無理をしておりましたが、
さすがに今回ばかりは
できる限り安静を保って
横になっています。

とはいっても食事も作らなくてはいけないし
いっそ、入院の方が楽ですが。

来週はじめには炎症から脱出して
お目にかかりたいです。

北海道から無事帰ってきました。

2011年09月27日 | Weblog
嵐に追われながら北海道に行きました。
台風が本土直撃といわれた日
前日からテレビとにらめっこ、
当日何とか台風に追いかけられながらも
飛行機にのって、新千歳航空に到着。
花婿と花嫁はそれより2時間遅れで滑り込みセーフでした。

 帰りは
駆けどうしに駆けてリムジンに飛び乗り
真夜中に、自宅に帰り着きました。

帰りの飛行機が15分遅れ。
一番遠い登場口でした。
予定していたリムジンバスの乗り場がこれまた14番と一番遠く。
乗り継ぎに10分しかありませんでした。
この間重い荷物をもってくれた友人の後を必死に追いかけて
走りに走って、
最後はxxxx、xxxxですと叫びながら走って、
切符をチェックする係りの機転に助けられて
まさにドアが閉まろうとする車にセーフ。

今朝は体中が痛く、
脚はパンパンにはれています。

結婚式と
富良野・美瑛の自然は存分に楽しんで
帰ってきました。

詳細はまた後日。

いや~いろいろありました!
お楽しみに。


 いよいよ明後日は札幌です。

2011年09月19日 | Weblog
 息子の結婚式は木曜日。
水曜日には札幌です。

準備と仕事に追いまくられている息子は
私と顔を合わせるのも稀なほど。

息子ということもあるのかもしれないけれど
ヤキモキの仕様もないほど・・・。
まだ新居への引越しも済んでいません。
メールをすると生きてますからと言ってきます。

「素晴らしい家具調度になったからね」と息子。(出資した彼女の選択)。
なんと贅沢と思いながら
「じゃ~、新居へのご招待よろしくね」と応える私。

あまりに最初から立派では後が心配などというのは
いらぬ老婆心かしら?

そいいう私はこのところ快調さに気を許して
これからの旅に備えてのトレーニングの意味もあって
人並み、いやそれ以上だったかも、
出歩く生活をしていました。

甘かった!!
気持ちとは裏腹に、リンパ浮腫が
悪化というか、ぶり返しました。

折角何軒もお店を回ってやっと買った靴が
入らなくなってしまいました。

あ~あ~、やっぱりおとなしくしていれば良かった。
気力と体は別物でした。

どう頑張っても2~3日で腫れが引くのは無理でしょう。
出かければ足を使わないわけには行きませんから。

ここは気分を切り替えて、
ロングスカートに隠れるを幸いに
ヒールのない普段の靴でごまかしましょう。

蜂窩織炎にだけはなりませんように。

事なきをえれば、富良野、美瑛をめぐって土曜日には
帰ってくる予定です。



月に向かって走る!

2011年09月12日 | Weblog
 夕刻、まだ暮れなずむ前。東に向かって走っていた。
その正面に何時になく大きな月が昇るところ。
その月に向かって一直線に走る。
都会から月の世界に向かっているような気分。

今、月は中天にある。
そういえば今夜は中秋の名月。今夜は薄も飾らず、お供えもしなかった。

その習慣が途絶えたのは何時のことか。
月を見るのも適わなかった3年前以来だろうか。

秋の月はどこか暖かい。
寒空の深夜、煌々と照る月は
それはそれはどこまでもしんとして遥かに遠い。

仕事帰りの深夜、
見上げた空の月は遥か宇宙を感じさせた。
体の芯まで清められて、
苦々しい思いも、苦しい思いも消し去ってくれた。

月に抱く人の思いは久遠のときから積み上げられてきたもの。
それが眺めるひとりひとりの脳裏に、五感に蘇る。

野田総理、順番が違っていませんか!

2011年09月08日 | Weblog
 誕生したばかりの野田総理は、福島の視察に出かけました。
誕生早々で、すばやい行動です。

まず、活動中の自衛隊に出向き、深々と頭を下げました。

続いて、進入禁止区域に県民が入り込まないように検問している所に出向き、警察官にもあなた方の活躍こそが国や世界が望んでいることの解決に貢献していると、感謝の言葉をかけられた。

それから福島第一原発に出向いて、所長らに面会しました。
どんな、会話があったのかテレビではよくわかりませんでしたが、
放映されたのは、なでしこジャパンの選手の一人が、ここの職員だったということで、そのユニホームがアップされました。

私はこれらのことに強い違和感を感じました。

まず、労をねぎらうべきは、いまだに生活の再建のめどもなく、
避難所や仮設住宅で生きておられる被災者の方々に対してなのではと思うのです。
半年たっても何もめどが立たないままにおかれている被災者にあって、いうべきことがあるのではないかしら!!

テレビの放送で再三見聞きするのは、国が一向に方針を出してくれないために、
町をどう復興すればいいのか方針がたてられないと嘆く地方自治体の職員の声であり、漁業者や町の工場主の声です。
泣く泣く故郷でも再建を諦めて、故郷を後にする若手工場主も出てきています。
国からの予算が出されなければ、自治体もまして住民は身動きができないのは当然でしょう。

今回の視察にに見られた野田総理の姿勢は、被災住民の生活の建て直し、地域を復興させたいという人々の思いをくじくものだと感じます。

一体誰を大切にしようとしているのか、誰のための問題の解決なのか、
深々と頭を下げるべきは何の非もなく被災された方たちに対してなのではと・・・・。