多分、テレビの特集だったと思うのですが、
井上ひさしさんの言葉に
「今生きてあることは奇跡なのだ」というのがありました。
これまでも、人間の誕生までには何億分の1という確率をくぐりぬけて
存在するということは知ってはいましたが。
だから一人ひとりの存在は、
奇跡なのであり、大切にされなくてはならないことなのだと
そんな風につながる強い思いは
私にはなかったように思うのです。
もちろん違ったことから一人一人は大切にされるべきだと思い、
いろんな行動の礎になっていましたが。
ここ数年、体調を崩し、
できていたことができなくなり、
思うに任せなくなって・・・。
そこに老化という現実が追い打ちかけ、
喪失感に苦しめられる日々にあって、
この言葉はなにか自分のさまざまなことへの
視点を変えてくれそうな予感がするのです。
あの井上ひさしさんの人への
やさしさのようなもの。
これも「今生きてあることは奇跡なのだ」という見方と
つながっているように思えるのです。
こまつ座の劇でしか、
ほとんど知らなかった井上ひさしさんのことですが、
もちろん、憲法9条の会の発起人であったことは知っていましたが、
もっと触れてみたいと思うようになりました。
やさしいということとは異なるところで
行動してきたような気がして
私は写真を撮り始めました。
やさしい写真を撮りたくて。
今は、やさしいということを
もっと深めてみたいと思うのです。
この言葉に刺激されて。
井上ひさしさんの言葉に
「今生きてあることは奇跡なのだ」というのがありました。
これまでも、人間の誕生までには何億分の1という確率をくぐりぬけて
存在するということは知ってはいましたが。
だから一人ひとりの存在は、
奇跡なのであり、大切にされなくてはならないことなのだと
そんな風につながる強い思いは
私にはなかったように思うのです。
もちろん違ったことから一人一人は大切にされるべきだと思い、
いろんな行動の礎になっていましたが。
ここ数年、体調を崩し、
できていたことができなくなり、
思うに任せなくなって・・・。
そこに老化という現実が追い打ちかけ、
喪失感に苦しめられる日々にあって、
この言葉はなにか自分のさまざまなことへの
視点を変えてくれそうな予感がするのです。
あの井上ひさしさんの人への
やさしさのようなもの。
これも「今生きてあることは奇跡なのだ」という見方と
つながっているように思えるのです。
こまつ座の劇でしか、
ほとんど知らなかった井上ひさしさんのことですが、
もちろん、憲法9条の会の発起人であったことは知っていましたが、
もっと触れてみたいと思うようになりました。
やさしいということとは異なるところで
行動してきたような気がして
私は写真を撮り始めました。
やさしい写真を撮りたくて。
今は、やさしいということを
もっと深めてみたいと思うのです。
この言葉に刺激されて。