つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

痛む体に・・・

2008年07月31日 | Weblog
 朝に 1

きのうの朝が どれほど美しかったか
     それを知っているのは私だけ

雨の雫が檸檬の木の枝先を輝かせ、
     木々の緑のえもいわれぬ香りを含んで
           しっとりとした空気が流れていく

バイオレットブルーのサルビアの先端から
     静かに移動した朝の光は
          赤いルビスターの花を開かせたばかり。

自然の息づかいにとけ込めた一刻
     痛む身体への素晴らしいプレゼント


 朝に 2

きょうの朝が どれほど涼やかだったか
     きっとどこかで誰かも知っていそう

あげられない布団から見上げる空は
     まだうすい雲のヴェールの奥

カーテンが ゆったりゆらぐ
     あなたがつけてくれた簾もかすかに揺れる

風が 痛みの走る体をなでていく
     猫たちが枕元で 足元で くつろいでいる

手にしたメモ帳も ゆらぐカーテンの影をうつしだす

宝物のような一時の朝の涼やかさ

今日もきっと真夏日

猫のために帰ってきました。

2008年07月30日 | Weblog
 予定では水曜日に退院することになっていましたが、火曜日に退院してきました。
副作用が軽かったわけではなく、飼い猫のためです。

我が家には2匹猫がいるのですが、そのうちの肥満猫ちゃんが病気で衰弱激しいので、火曜日には病院に連れて行って欲しいという息子からの要請があったのです。息子が日曜日に病院に連れて行っての判断でした。

私だって病気だよな~、それも結構辛い状態・・・と思ったのですが、息子にとって余程心配な状態だったのでしょうか。

ここ3日ほど薬の副作用でほとんど食べられなくて、足腰が痛くて・・そんな状態でいきなり暑い外に出て、声も出ないくらい疲れました。

幸い、いつもの友人が運転をかってでて下さったので何とか病院に連れて行けました。
急にスマートになってはいましたが口内炎も良くなりつつあり、投薬を続ければよいのではということでした。

夜はパジャマに着替えるのもままならずダウン。
 
いつもは母親思いの息子なのに、なんだかな~と思ったのでした。

追伸:息子から釈明のメールが入ってきました。
このままでは猫が死ぬのではと思ったようです。
なんとかそれを防ぎたかったので、無理を承知で頼みましたと。



絶句!

2008年07月23日 | Weblog
また簡単に何の落ち度もない人が
個人のやけのために殺されました。

どうしてこんなに簡単に人を殺すことが出来るのでしょうか。

なにかこれまでの知識では理解できないことが起きているような恐怖を感じます。

行き詰り感、希望がない、生活の不安
自己肯定感がもてないなどなど。
ここからの脱出には何が必要なのでしょうか?

愛でしょうか?

院生の我が息子もパワハラスメントにもあい、まだ就職も見通しがなく、
不安に溢れた厳しい毎日のなかにあります。
体力の限界近い状態で、必死に実験を続けています。
きれることはないだろうか、そんな心配を持ってしまうほどで、他人事ではないのです。

宮崎駿のアニメが好きで
今日、私を「崖のうえのポニョ」を見に
連れて行ってくれました。
どこにも連れ出せない事の穴埋めだったようです。

そんな優しい息子がなぜこれほど苦しまなくてはならないのか、そう思ってしまうのです。

でももしかすると無差別殺人をおかす彼らもまた苦しんでいたのかもしれないのと思いました。

その苦しみを殺人に走らせないためにはどうすればいいのか、教育家、臨床心理士、精神医、父母・・・沢山の人の力が必要なのでしょう。



4クール目を受けることになりました。

2008年07月22日 | Weblog
 今日は定期検査の日。
化学療法に関係ない以前から罹っていた診療所の受診と掛け持ちでした。
おまけにいつも送迎してくださる方が
都合が悪く、思い切って自分で運転して行くことにしました。

幸い2つの病院は徒歩10分の場所に、でも病院の近くには薬局がありません。こういうときは院外処方が恨めしい。

ちょっと頼りない足取りながら炎天下歩いて往復。
何とかなりました。
やれば出来るじゃないというのは明日まで待った方がいいかもしれませんが。
息子にすっかり気弱になったといわれていたので、ちょっと自信回復。

先週打った増殖促進の薬が効いたのでしょう、白血球、好中球が治療可能なところまで回復していました。
木曜からまた1週間ほど入院です。
終われば2/3終了になります。

さすがに疲れて、昼食の場所までは選べず、病院の食堂で食べたカレーライスのまずかったこと。
あんな料理でお金を取るなんて、許せないという味でした。
もしかしたらこれが2度目かも。
そう思うと忘れていた自分が腹立たしい。

不連続の時

2008年07月20日 | Weblog
梅雨明けの暑い日
窓ガラス越しの檸檬の木、
もっと向こうの杏の木、
たくさんの木の葉が風にゆれています。

風に乗ってあなたに着けてもらった風鈴の音が響いてきます。

韓国の古刹で求めた風鈴の音は涼やかに流れてゆきます。
かけているCDは九塞溝、
ふと足をとめたギャラリーで流れていた静かな調べ。

お気に入りに囲まれた贅沢な時の流れに
浸りきれずにいる私。
かって憧れていた贅沢な時なのに。

手術が終わったあの日から不連続になってしまった私の時を
どう紡いでいけばいいのかと
思案にくれているのです。

薬に繰り返し叩かれている今は
思考が止まったままで、
生きているだけでやっとです。

それだけで、手一杯の人もいるのだと
人それぞれなのだとわかってはきたのですが、
そんな自分を心から納得しきっていないのでしょうか。
往生際が悪いというのでしょうか。
思案に暮れているのは。