つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

「幸せのレシピ」楽しみました。

2008年03月31日 | Weblog
昨日からの雨が上がって、薄日が射し始めました。
雨の中、白からアイボリーに変わっていた李の花が、徐々に白さを取り戻しています。きっと花びらが乾いていくのでしょう。

昨日は誕生日でしたが、28日の夜にお食事会をしてもらったので、なんだか変でした。

それでも友人が3ヶ月ぶりに我が家へ。
今を盛りとさく庭の花々を見てもらい、
それからある桜並木に案内しました。
私が入院することになっている病院の駐車場を取り囲む桜並木、内心馬鹿にしていた友人もびっくりした見事さです。

夜は恒例のようにやってきた息子とその彼女と一緒に遅い晩ご飯を。
少し手を加えた有機栽培のお野菜料理、味が濃くていつも大好評です。

その後、彼らが借りてきた「幸せのレシピ」という映画をみました。
ひたすら頑張る女性シェフをめぐる物語、
さわやかで、生きるうえで、本当に必要なのは
愛といいっているような映画でした。
左程作り物めいてはなくて、生活が見えるいい映画でした。****かな。

素敵な誕生祝い

2008年03月29日 | Weblog
昨夜は、子どもたちや息子の彼女たちが誕生日のお祝いをしてくれました。
いつからか、恒例になっています。
私自身はそういったイヴェントはどちらかというと苦手です。
私の世代はこういったイベントには無縁の貧しいときに育ったからでしょう。

恵比寿の新しいフランス料理のレストランに招待してくれました。
こじんまりとしたとってもおしゃれな店で、息子が見つけた店でした。

とってもおいしくて、おしゃれな料理を楽しんで、おしゃべりをしていたら3時間も
たっていました。
注文にかなったハンドバックのプレゼントもありました。

同席してくれた私の友人が、いい家族だね~と羨ましそうでした。
本当にやさしい子どもたちです。

私の病気のことには誰もほとんど触れませんでしたが、
8日の方針がでるはずの再受診の日には、息子が同伴してくれるということになりました。
私は一人で行くつもりなのですが、即入院となれば保証人がいるからというのです。

写真のゼミに出席!

2008年03月28日 | Weblog
昨夜は月2回の写真ゼミに出かけました。
都心の四谷で、夜なので帰りが12時近くになります。
体力の消耗は避けたほうがいいと思いもしたのですが、
一つのけじめと思って出かけました。
忙しくてこれまで欠席が多かったのですが
それでも間もなく2年、すっかり顔なじみにはなりました。

各自、写してきた写真を講師に見せて選んでもらいながら、寸評を聞くスタイルです。
その選ぶ過程を見聞きするのがとても役にたちます。
良い作品とはということを直感的に学んでいけるのですから。

私は親子で体操をしている子どもたちを撮ったのを持っていきました。
100枚近くある写真から15枚くらいが選ばれました。
我ながらまだまだ完成度が低いと思いました。

でもとてもうれしかったのは、私たちの講師だった竹内先生に送る私たちの写真集が出来上がっていたことです。
「よく出来てるわよ~」何人かの先輩に言われて、ますますうれしくなりました。

ちょっと高価だったのですが、子どもたちにプレゼントしたくてその分まで申し込んでしまいました。

たった1日しか経っていないなんて・・・

2008年03月27日 | Weblog
とても信じられないくらい、長い時間が経ったような気がします。

色々急いで引継ぎをするために、どうしてもこちらの事情を話さざるを得ません。

話すことは相手をびっくりさせますし、
結構しんどいことです。
一方で自分の側にある種覚悟というか
受け入れざるをえないという心理が働きます。

それが、ある種の落ち着きというか冷静さをもたらす結果になっているのかもしれません。

今日は月に一度の絵手紙の日、
もしかするとこれが最後かもしれないと
心の中でひそかに思いながら
一生懸命やってきました。
入院しても絵手紙はやれるかもしれないから・・・などと
冗談を言いながら。

最悪の新たな出発

2008年03月26日 | Weblog
今日は大変な日でした。
3ヵ月に一度の検診の日。もう数年前から卵巣に3センチばかりの腫瘍を抱えていました。
悪性なのか、良性なのかわからないままでした。腫瘍マーカーはあがっていませんでした。
大きくなったら切りましょう、そういわれて過ぎてきました。

ところが3月いえ2月中旬ごろから違和感を覚えるようになって、
堅いものがある感じがしてきました。
さすがに心配で待ちかねて病院にいきました。

医者が「随分急に大きくなりましたね」と驚いています。
「できるだけ早く手術をしましょう」と
慌てて手術に必要な検査の申請を始めました。
「悪性でしょうか?」
「切ってみないと判りません」
医者が右の卵巣と書いています。
「????いままで、左といわれていましたが右なんですか?」
「そうですね、だから何なのかCTで調べます」
「??????」
そして入院手続きには「卵巣がんの疑い」とありました。
はっきりとした宣告もなく・・・。

こんなに早く大きくなるのであれば最早播種がおきているのではとか、入院したまま家に帰れないのは困るとか、あれこれ考えました。

いずれにしても私の人生は大きな嵐の中に突入しつつあるようです。
入院までは、手術までは嵐の前の静けさなのです。

のんびり楽しく過ごそうと思うと、必ずそれが許されない。
妙なジンクスです。

夫の癌の発病もそんなときでした。夫52歳、私51歳。
半年の命でした。あれから14年です。

まだ半信半疑の私は、せっせといろんなことの引継ぎを頼んでいて、
我ながら妙に落ち着いています。

夫の時に一番辛かったのは癌とわかったときではなく、
手術後末期だとわかった時でした。
そして夫がその意味を私ほどには理解していなかったことでした。

私には自分の人生を整理する時間だけは与えてほしい、
それが願いです。

どうなるのか、それがはっきりするのはちょうど2週間後です。

病院の帰り、美しく桜が咲いていました。