つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

またも出遅れました!

2011年03月23日 | Weblog
地震後、休んでいた体操サークルを再開しました。
家にいるだけだと、うつうつした気分になりがちですし、
体の動きも悪くなるので。
2/3のメンバー来てくれていました。

節電で電気がついていませんでしたが、窓が大きい部屋でしたから大丈夫でした。
1週間休んだだけで、結構きついね~などといいながら終わりかけた頃、携帯がなりました。
「何だか東京で水道の水は赤ちゃんに飲ませてはいけないって言ってるわよ」「濡れるのもいけない」というのです。

さあ、大変皆さん浮き足立って帰宅を急ぎました。
取り残された形の私は、はたと思ったのです。

さきちゃんがいるじゃない、まさに該当者!
そこで急遽スーパーへ。
棚のミネラルウオーターは見事に空。
売れ残っているのはカナダのミネラルウオーター500mlサイズのみ。
またも出遅れた・・・。

その時、中野の娘から電話が。
「ミネラルウオーター買って、送ってくれない」、どうやら職場からです。
水道水を飲ませないでという指示が出たというのです。
カナダのものが硬水なのかどうかもわからないまま、とりあえずバスケットにつめてさらにノンカフェインということで麦茶のペットボトルも一緒にレジへ。

そこにいる私は完全に日頃批判している、顰蹙モノの買いだめおばさんに成り果てていました。

泣きたいほど重い袋をもって、よろよろしながら自分の車へ。鍵を開けて、トランクに入れようとしたのです。
その時、運転席から人の声!!
誰??と。
その時一瞬にして事情を理解しました。

そうです。それは他人の車でした!!

すでにショックでよれよれになった私はとりあえず自宅に帰り、気を取り直し箱につめなおし、宅配便のxxやまとに
運び込んだのでした。

つい先ほどまで、体は重く何もする気になれなかったのに、
この話を友人にしながら大笑いしたら、やっと元気が出てきたのですから、不思議です。

困ったことになった・・・。

2011年03月21日 | Weblog
毎日毎日ニュースに釘付けになっていました。

トラウマにならないために、普段どおりの生活をしましょうとあったのに。
守らないで、釘付けになっていたのです。

強烈な津波のやってくる様、
引き波の破壊力のすざましさ、
もちろん、そこには多くの人々の命が
のみ込まれていたのです。

避難所は一向に改善されない。
政治主導を履き違えたらしい内閣の構成者達は
どこにいて、何をしているのか姿が見えてこないし、成果も見えない。

繰り返される原発のトラブル
まことしやかに語られた回復の手順。
それはどれ一つとして当たってはいなかった。
何も展望が無い事態を引き起こした当事者の東電は、
ただ淡々とそこまで言っても意味が無いほどの詳しさで言うだけ。
丸で立派なシナリオを読むがごとく。

突然当事者として引き込まれた消防局のレスキュウ部隊の方々が命がけの救世主として登場する。
相変わらず東電からは一言の侘びも無い。

いつものような普通の心地よい眠りがやってこなくなりました。

あまりに不条理な出来事の連続にのめりこんだせいか、
悪夢を見るようになってしまったのです。

うなされながら苦しい息をして目が覚めるようになりました。





やっと連絡がつきました。

2011年03月13日 | Weblog
 私の妹が仙台市に住んでいます。

どちらかというと海ではなく、郊外の方なので
津波の心配は少ないと思っていましたが、震度が震度ですから心配で。

何回かけても、つながりません。
緊急伝言板も、録音の1を押しても話中。

今日の午後、弟の奥さんから電話。
「旦那さんからさっき無事らしいという電話があったよ、よかったね~」と。

無事らしいというのも曖昧で変だと思ったのですが。

なんと妹の夫さんは東京に出張中で、
帰るに帰れない。
連絡を取り続けて、やっと2日後にメールのやり取りに成功したということでした。

本当に何が起きるのか、人の運命というのはわからない。


初体験の揺れでした。

2011年03月11日 | Weblog
始まりは何気なく。

それが何だか建物が、自分の体が揺れだして
コンクリート?の2階建ての建物が揺れています。

視野の中で窓ガラスが、壁が動くのです。
その部屋は会議室で、何の仕切りも無い広い部屋。

大きい地震!と居合わせた誰かが叫びました。
そこに居合わせたのは中高年の女性20名近く。

私は、初めての経験ですが、
初対面の女性軍にいつもやっているセラバンド体操を教えに(一寸偉そう)行っておりました。

その後の女性軍のとった行動は様々。

私はさてどこにいればいいものかと見回しましたが
生憎何も隠れることが出来る場所はありません。

ニュージランドの地震被害者の方たちは
何も考える間さえなく、天上が落ちてきたのだったと思ったり。
とりあえず太い柱とドアの側に身を寄せました。
気がついたら、手にはお茶の入った湯飲みを持っていました。

誰かが外に出たほうがいいわよと叫びます。
うっかり外に出て、落花物の被害にあいたくないし・・・。
結局、今度は玄関で様子見。

後から出てきた女性達はかばんを持ち、
コートまで着ているではないですか。
この違いはなんだろうかとひそかに考えましたが、
わかりませんでした。

何十秒経ったのか、何分だったのか
しかとはわかりませんでした。
でもこれまでで一番ゆれを経験した地震でした。
パニックにはならなくて幸いでした。

その後車に乗ってわが町まで帰ってきましたが
自宅内での落花物は意外に少なくて済みました。

でも困ったのは電話が通じないこと。
安否を知らせようにも出来ませんでした。

連絡方法をマスターしておく必要を痛感したのでした。

テレビで見る津波の引き潮の力
やはり自然の力のすざましさがまざまざと映っています。
多くの方の命を奪っていったようです。
冥福を祈ります。
それは私たちだったかもしれないと思いつつ。

やっぱりやってきた花粉症!

2011年03月09日 | Weblog
2月25日に東京でも春一番が吹きました。

やっぱりダメでした。
何がって?
見事に花粉症が出てしまいました。

春一番前にも、すでに花粉が飛び交っているといわれていたのに
花粉症が出ていなかったので、
1月からのんでいた薬が効いていると思っていたのでした。

1月になってから、かってのような忙しさが復活し始めていました。何とか体力を使わなくてはならない仕事を避けるようにしてはいましたが。

その忙しさは2月になっても、3月になっても変わりませんでした。

そんな最中での花粉症発症はこたえました。
体のしんどさ、気力減退。

今年も確定申告をしなくてはなりませんでした。
これまでで、3回目になります。
退職時、これをしないと余計に取られた税金がかえってこないということで。
昨年は、税金を余計に払い込むための確定申告でした。
一時的な収入があったおかげで昨年の介護保険料や市都民税が
目が飛び出るほど高くて、びっくり仰天。
そのまま固定しては大変と今回の確定申告を。〔そんなことは無いとは思いましたが念のため)

領収書をそろえながら、思ったのです。
税金を取られるのは実に簡単、
でも返してもらうのは何と面倒なことかと。

それに整理整頓、さらに事務能力の無いことを痛感したのでした。
よく生きてこられたものと思うほどでした。

花粉症のせいなのか、
年齢によるものなのか、
生来のものなのか・・・・。
いずれにしても憂鬱なことです。