つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

ミステリアスな出来事

2011年08月29日 | Weblog
 本当に変です。

木曜日は生協の日。

週末に娘一家と息子とその婚約者が来ることになっていました。
息子の独身最後の誕生日を(なることを切望しているのですが、私は)我が家でということにしてありましたので。

で奮発してスイカとちょっと上等なブドウを頼んでありました。
確かに受け取って、緑のボックスに入ったまま
玄関の上がりかまちに置いたのです。

ブドウは白い箱に入っていましたが、開けてみませんでした。
出かける時間が迫っていたので。

その後、生協の車のおかげで路上駐車になったわが車を庭に入れて、
バックと手提げをもって出かけました。
このときの鍵をかけたという記憶がちょっと曖昧なのですが。

バスで立xに出て、伊勢丹で息子の結婚式に履く靴をやっとこ見つけて
買いました。
浮腫で左右の足の大きさが違うので、ちょうどよい靴を探すのが大変なのです。
何足もトライしてやっとなんとか購入にこぎつけました。

その後、病院の医局主催で開かれた「福島原発と放射能問題」という講演を聞きに行きました。立命館名誉教授の安齋氏の講演です。

滅多にに聞く機会がない人なので聞いておきたかったのです。

終了後 知り合いの方の車に乗せてもらって、夜の10時前に帰宅。

実はこの時、玄関にスイカとブドウがあったという定かな記憶はありません。

そして、いよいよ土曜日の朝、スイカを冷やそうと思ったら、どこにも
見当たらないのです。

お掃除の応援に駆けつけてくれた友人は、「どこかにしまったんじゃない」と冷ややか。
でも結構大きい箱だし、重いから移動させないでおいたはずです。

考えられない場所もあれこれ探したのですが、結局見つかりません。

息子に聞いても見ていないといいます。

折角の親心だったのに・・・・。
食べさせられなくて残念!
 
それになんとも不可解。

もしかして、鍵をかけ忘れて出かけて、帰ってくるまでの間に・・・
なんて思ったり。

私の好きな緑のブドウだったのに、
いったいどこに行ってしまったのでしょう?


ほんの一瞬の思い

2011年08月18日 | Weblog
本当に不思議だと思ったことはありませんか。
お盆を過ぎると実に正確に 虫が鳴き始めます。

あれは蟋蟀でしょうか。
一昨日あたりから、確かに鳴いています。

我が家は両親の代からほとんどお盆の儀式をした事がありませんでした。
京そだちの次男坊の父は 盆のお迎えや送ることを見ていたはずなのでが、
東京に住まいを移してからも一度も見たことがありませんでした。
何か、わけがあったのかもしれません。

働き盛りだった夫を亡くしたのに、
私は新盆用に、提灯を買って飾ったままで、
そのまま仕舞い込んだままでした。
亡くなって以来、夫に語りかけて何かを相談するそんな時を持ったかどうか?

仕事をしながら子ども達を育てること 地域での活動にも手を出して
ただただ忙しく、生きることに追われていましたから。
子ども達は大学と中学在学中でした。
保険を嫌った夫が残してくれたのは、あまりなく。

なのに、今日、夕食の支度をしているとき、野菜を切りながら ふと夫がいないことを寂しく思ったのです。
不思議な感覚でした。

それは子どもたちの小さかった時から これまでの子ども達のことを話す相手がいないことの寂しさです。

子ども達のことを見守っていてくれた母もすでになく、
私の記憶もさほど確かではなく・・・・。

いろいろ息子に「お母さんはこうだったよ」といわれては「そうだった?」と答えるしかないのはなんだかつまらないものです。

どうやっても取り戻せない時は 流れていくだけです。

悲しい忘れ物。

2011年08月13日 | Weblog
そ日は朝から悲劇的でした。

10時半に娘と新宿で、続いて11時に
出版社の方とあう約束になっていました。
一時間以上かかるというのに、目が覚めたのは10時15分。

週初めから足のしびれからくる痛みをとるために、新しい薬を飲み始めたばかり。
どうやら、その薬の副作用のせいのようです。

とにかく大慌てで二人に電話。時間をそれぞれ1時間半遅らせてもらったのです。

大急ぎで着替えて、そのまま飛び出しました。

電車に乗ってから、「あっ、忘れ物」と再び真っ青、でも今更ひき返すことはできません。

義手や義足の方はそれらをつけ忘れて外出することはありません。
でもこれはまれに忘れることがあるのですよね。

マスクを買いたくても途中にお店が見当たりませんでした。

会った娘が開口言いました。
「お母さん、その顔どうしたの? すごく老けて見えるよ」
「わかってます」というしかない私。

結局、このまま、出版社の方とお会いすることに。
うつむき加減で話すようにしていましたが
つい話が弾んで笑ったりしたときは悲劇的でした。

こんな悲しい忘れ物。
がっくりですが起きたことは仕方がないと立ち直りが早くなりました。
これも年の功でしょうか。

ごめんね、中学生諸君。

2011年08月06日 | Weblog
 今日は来年度からの中学生の教科書採択の日でした。
市内の中学生に申し訳ない結果になってしまいました。 とてもとても残念な結果に。

市の中学校で来年から使われる歴史と公民の教科書に、 新しい歴史教科書を作る会の流れを汲む「育鵬社」の(新しいみんなの公民)と(新しい日本の歴史)が使われることが決まってしまいました。

これらの教科書のひどさ、絞るのに苦労するくらいで、ちゃんと知ったらびっくりさせる方が多いのではないかと思うのです。


*公民
第2章私たちの生活と政治の「日本国憲法の基本原則」
トップページには天皇から総理大臣が恭しく任命書を受け取る写真で始まります。
大日本帝国憲法のほうが時間をかけて検討され、アジアではじめての近代憲法とたたえてあり、現憲法には批判的です。

「国民主権と天皇」のところはすべて天皇ないし夫妻の写真ばかり。


*歴史
神話に見るわが国誕生の物語にページが割かれ、神話が歴史であると思わされそう。

南京虐殺については事件については否定しないまでも、まだ本当のことはわからないという立場でした。

日本軍の東南アジア占領:東南アジアやインドの人々に独立への希望になったと記載。

沖縄戦と集団自決:軍の関与は一切記載なし。 などなど。

でも問題の記載内容については、検定を合格しているのだから問題はないとの立場で一蹴されました。

選択で再三再四 強調されたのは改定教育基本法の骨子「日本の伝統や文化を学ぶ」ものになっているかどうかがであり、教育委員の質問、評価はほとんどここから出ていました。

教育委員のかたは歴史・公民を除けばそれなりに細かい質問や意見を出していました。
でもわずか2時間弱で全教科について選定委員の報告を聞き、
その後30分で質問をする。その後別室で10分あまりで全教科の採択教科書を決定する、
それはとても人間業だとは思えませんでした。

 教育委員の質問や選考委員(各科校長がなっていました)の答弁も用意されておりすっかりできレースの様相。

それに父母、市民が教科書をあらかじめ見る機会はわづか2週間、市内で1箇所だけです、これで父母は意見を出すことができるでしょうか。

それにしてもこんなおかしいことに立ち会わされて、
どっと疲れて、 横にならずにはいられませんでした。


もう八月、いつもの道を・・・

2011年08月02日 | Weblog
 いつものお気に入りの並木道を通って
検診の結果を聞きに行きました。

新緑の霞み立つようだったすずかけは
濃い緑の並木になっていました。

市内に曲がる道の角には、息子が急に買うことになったマンションが見えます。
レンガ色なのです。
一昨日、自分でも興奮したように「買っちゃったよ、本当に!」といって、帰ってきたのです。

病院は予約の時間には着きましたが、1時間半近く待たされて、診察室に呼ばれました。

先週受けたCTと血液検査の結果を聞きにきたのです。

「強く疑う変化は見られない」という文字が見えました。
「強く疑うですか?」とやや不満そうに尋ねる私に、
医師は淡々と「疑う変化はないとは書けませんよ。再発した時すぐ裁判になりますからね」と。

とにかく、今日のところは明らかな再発の様子は見られないと。
やっぱりホッとしている自分がいます。


段々間隔は広がりますが、その度にやっぱりヒヤリとしながらいくのだと、静かに思う自分がいました。