つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

にぎやかに納涼の夕べが・・・。

2010年08月26日 | Weblog
 昨日は、家族に内緒でしたが(安静中なので怒られますから)
サークルの仲間が我が家に集まって、納涼の夕べを。
12-13人も集まって、賑やかでした。
先週急に買ってきて済まそうなどと言い出されて???でしたが、
当日になったら、そんな約束は吹っ飛んで
手作りうどんあり、お赤飯あり、なすの素あげ、おしんこありで盛りだくさん。
にぎやかな夕べになりました。

もう一つびっくりしたのは片付けの見事さ、あっという間に中くらいのごみ袋2つだけ残っただけ。
主婦パワーってすごいものと感心させられました。

私は出来るだけ座っているようにしたのが良かったのか、
今日になっても足の浮腫みは改善方向にあります。
まあ、油断は出来ませんが。

というわけで気分の良い今日です。

楽しいはずの一日は・・・

2010年08月22日 | Weblog
 張り切って井上ひさしの劇『黙阿弥オペラ』見に行ったのですが。

観るころには、浮腫の右足には赤い斑点が広がって、ついに発熱。

翌日は、病院へいくことに。

予想通り、蜂窩織炎。
入院には至りませんでしたが
服薬、自宅安静となってしまいました。


さきちゃんが折角やってきているのですが・・・・。
何をするにも痛し痒しです。

今日は、楽しいことが待っています!

2010年08月19日 | Weblog
今日は午後から、竹内敏信先生の写真展にいきます。
夜は井上ひさしの劇です。

この観劇は、息子の誕生日への彼女からのプレゼントなのです。
これまで、私が井上ひさしの劇を観れたのはこの彼女のおかげでした。
実は 色々あったけれど、また観にいけるようになりました。

さあ、頑張ってそれまでにいろいろやらなくてはいけないことを片付けなくては!

ちょっとこのところ頑張りすぎかもしれません。

ここ2日ばかりなかなか眠れません。

それに、右足の浮腫に赤い斑点が出てきました。蜂窩織炎が心配です。


安保先生の本によれば、体への負荷・ストレスで交感神経が亢進状態にあって、免疫状態が低下しているということでしようか。

コントロールが難しい本当に厄介な体調です。


劇『帰国」を観て。

2010年08月16日 | Weblog
 今日はなにしろ猛烈な暑さ。
冷房がないところでは もあ~とした熱気に包まれました。

このところ、色々と刺激が多すぎて・・・疲れました。

金曜日は富良野グループの劇「帰国」を見るために赤坂へ。
その前にオルセー美術展をと考えていたのですが、会場に行ってその人の多さにびっくり。
待ち時間は70分。それから入場ではとても劇に間に合いません。
美術展は諦めました。

劇は翌日テレビドラマになって放映されましたからご覧になった方がおいででしょう。
私はそちらは観ませんでしたが。

南方の海に沈んでいる兵士達の霊が
今の日本に帰ってきて間のあたりにしたこと、それらへの思いが演じられていました。

必死で家族を育てた妹が、寝たっきりの高齢の老人になっていて病院に捨て置かれている。そのことに怒って妹の息子を刺し殺す兵士の霊。
兵士は国や家族を守るために戦ったのに、許せないと。

兵士の霊に今の日本を批判させるのです。
一見彼らが守ろうとしたことを現在の社会は破壊しているという風にもとれました。

今再び国や家族を守るべきだと言いたいのでしょうか。

確かに戦争が 愛や人々の普通の生活を送りたいという願いを破壊したということが、無言館に絵が収集されている学生などで浮かびあがってはいました。

でもあの戦争は、絶対的な存在だった天皇の名のもとに行われ、
国民の豊かではなかったかもしれないけれど平穏な生活を困難にし、
アジアの多くの国の人たちを死に至らしめた戦争でもあったことはどこに行ってしまったのでしょう。
アジアの人たちは日本国内の日本人を殺してはいません。

戦争で死んだたくさんの国民、戦後をいき抜いて今苦しめられている高齢者にも語らせてほしいと思いました。






声もなく。

2010年08月14日 | Weblog
水曜日の昼前でした。
一緒にいろいろ活動しているお仲間の一人から電話が入りました。

何の前触れもなく
「Kさん亡くなったの」
「えっ、どういうこと!!」
「亡くなったというだけで、後のことはわからない」

私の口から出たのはほとんど悲鳴でした。

お仲間の息子さんで、まだ40代。
最若手の議員さんでもありました。

その前日まで会議にも出ていたとのこと。
朝、電話をしたら出ないので、離れにいってみたら倒れていたと・・。

息子を突然失ったお仲間のことが真っ先に、心に浮かびました。

私が絶対に経験したくないこと、それは子どもに先立たれること。
そんな不幸が彼女を襲ったのです。

どんな慰めの言葉も浮かびません。

彼には自分の状態がわかったのだろうか。
そんなこと聞きようもないけれど、
やり残したことがいっぱいいっぱいあったでしょうに。

私は自分が癌だと告げられて、手術を急いだ時、
思ったことは私に時間はあるだろうかということでした。

目が覚めた時、末期とは言われながら余命を知ることなく半年で逝った夫を見送った後でしたから。
それまで病気知らずの人生だったのに。
私ができたのは片時もそばを離れないことくらいでした。

それからです、今を大切にしたいと痛切に思うようになったのは。

人の死は 家族と一緒に住んでいても見守られて逝くことさえ、
ままならないものなのですね。