つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

天気晴朗なれど・・・・。

2012年02月24日 | Weblog
今日は晴天。
風もなく、春を感じさせるお日和。

突然の蜂窩織炎の発症からちょうど10日目。
4日ほどの抗生物質の点滴で症状は一応治まりました。
でも気力・体力のほうは今一つ。
とくに昨日は体はだるく、それに眠くて眠くて・・・。
一日中うとうと。
夜のテレビのニュースでスギの花粉が飛んだとか。
そのせいだったのかしらと。
でもとっくに高価な抗アレルギー薬をのんでいたのにおかしい。


この間にいろいろ仕事が溜まっています。
勿論、正規でも非正規労働でもないボランティアの仕事。
遊びや趣味ではないので、私の分類では仕事です。

体力をオーバーして、ダウンする度に、
サークル仲間は「何でもかんでも手を出すからよ」と
呆れて私に非があるように言います。

でもね、自分の好みだけでやってるわけではないのよ、
予定を組む時は元気な時だから、それに私の都合で決まるわけでもないしと
心の中でつぶやいております。

私に呆れながらも理解を示していた息子も
昨夜は私が注文してあげている品物を受け取りに来て
「とうとう、決まちゃったね、連合が馬鹿だから」とつぶやいて早々に帰って行きました。
ローンを組んだばかりの彼にとって8.5%の給料削減は痛いのです。
あの決定は人事院無視の法律違反だと 思います。

 明日からまた、心身ともに力が必要なお仕事が少々続きます。
明日は午後から市内全域に呼びかけた教科書や学校教育に関する、集会があります。
わが市は東京でたった2地区だけが採用した中学の社会科(歴史と公民)の教科書(育鵬社版)がこの4月から使われます。
アジアへの侵略を解放のためだったと評価し、国民主権をないがしろにした教科書だと全国教科書ネットでも批判されています。

 橋下大阪市長のもとではアンケート調査に名をかりた組合活動や政治的な思想信条についてまで強制的に書かせ、書かなければ処罰するという恐ろしい調査が行われました。
憲法違反と専門家が指摘、大阪の労働委員会も調査続行を控えるよう勧告するなど、世論の批判で一時凍結されているようです。

 本当に戦前に戻るようなきな臭いことが大手を振ってまかり通るようになってきたことに愕然としています。

ちょっと残念。

2012年02月18日 | Weblog
 昨夜は、いつ雪が降ったのでしょう?
屋根や車にうっすらと雪が積もっていました。
でも朝方冷え込んだのでしょう、雪が凍っていました。

そんな光景を横目に、今日もまた点滴に診療所に向かいました。
週半ばから、もともと浮腫のある脚に、赤い斑点が出て蜂窩織炎と診断されました。
何の自覚もなく痛みもなく、突然と現れる赤い斑点は危険信号です。
あっというまに、そけい部にまで広がって、万一血液に細菌が入ったら、大変なのです。
今回はさほどの発熱ではありませんが抗生物質の点滴を受けることになりました。

このところ特別忙しくて、気にしてはいたのですが、やっぱり負けました。
手術と化学治療の後、もうすぐ4年たつのですが、免疫力が低下しているのでしょう。
頑張ると、しっぺ返しのように蜂窩織炎が現れます。

忙しさの原因は、近くにできる診療所の開設に向けていろいろやったお手伝い。
友の会の会員のおさそいやら、健康チェックやら、果ては会の会報の編集委員に。
2年ほどかけて取り組まれて、いよいよ3月からオープンです。
今日はその新築移転の祝賀会でした。

でも私は、蜂窩織炎のせいで安静していなくてはなりません。
私もみんなとお祝いをしたかった!
ちょっと残念です。

やっと出来ました、追悼集

2012年02月13日 | Weblog
 たった1冊の追悼文集です。

今年で17回を迎えた年に一度の旅行。
かって同じ住宅に住んでいて、
いろんなところ、 そうですね、
自治会だったり、PTAだったり、保育園や幼稚園で一緒だったことがあるメンバーが、
共通の友人の追悼会で集まって、それをきっかけに
旅をすることになったのでした。
今では茨城から兵庫まで広がった住むところから旅行地に集まって来ていました。

追悼集は突然亡くなったメンバーの一人の方へのものです。。
それも2011年の16回目の旅行の集合の日に姿を見せなくて、しばらく音信不通になりました。
娘と息子はすでに別々に居を構えていましたから、
彼女は一人住まいでした。
やっとついた連絡で、彼女は腎臓や心臓の状態が悪く、意識不明の状態にあることを知ったのです。

お見舞いもかなわないまま、3ヵ月後には亡くなったといういう知らせが・・・。
15回目の旅行は久しぶりに参加したその彼女の案内で萩・津和野を回りました。

いっぱいおしゃべりをして、おいしいものを食べ、
金子みすず記念館、安野光雅美術館を堪能したのでした。
何枚か撮った記念写真の彼女の顔がとても健康な人の顔でないことを私たちは見落としてしまいました。

言葉多くはなかったけれど、頼りにされて、みんなに愛されていた彼女。
私にとっても苦しい状況に置かれた時、最も安心して心打ち明けて、相談できる人でした。東京からわざわざ大阪まで出向いたこともありました。

自分自身のために自由に生きているようにはみえず、現代バレーに生きる娘のサポートに、年老いた母親の介護と看取りに、そして萩で悠々自適に退職後の生活を送る夫の癌との闘病を支え見送って、その2年後に倒れてそのまま眠り続けて逝ってしまったのです。

でも彼女はそんな生活を無念と思うこともなく精一杯生きたと思っていたと思ったりもするのですが、
でもこれからだったのに・・・・。

追悼集をつくりましょうということで上野に集合することにしていたのは偶然あの東北「大震災の直後の日。

結局集まれたのは昨年11月の姫路の旅行地でした。
そこで完成できなくて、でしゃばってしまった私が持ち帰り、やっと何とかなったのはこの2月8日。折りしも彼女の命日でした。

あまりに恥ずかしい装丁になってしまって、心苦しかったのですが、気持ちを伝えることを優先して 今日やっと息子さんのところに郵送しました。

たった1冊の、 でも思いのこもった追悼集です。



我が家がホットスポット!

2012年02月06日 | Weblog
 私の住んでいる市でも、いろんな市民団体による」放射能測定が行われています。
私も2度ほど参加しましたが、思いがけないことが。

何と我が家の北側の雨どい下が、地上5センチで0.5~0.6マイクロシーベルト/時間の値でした。

念のため日数が経ってから再測定しましたが、変わりませんでした。

市内で測定した場所では2番目に高い値なのです。

市当局は地上50センチの値だけしか問題にしない考えです。
住む人間にとって、実際にそこを歩くのですから、問題です。

また公共の土地は除染対象にしていますが、個人宅はご勝手にという態度です。

東電の原発に原因があるのに、個人は自分でというのも納得がいきません。私だって市民ですから。
市の責任で除染してもらって、東電に請求してもらいたいところです。

よりによって我が家とはと思いつつ、
市内の測定結果をまとめて、市と交渉をすることになりそうです。

0.23マイクロシーベルト以上が除染対象だということなので
ホットスポットの地図落としを引き受けました。
また仕事が増えてしまいましたが、このくらいはがんばらなくてはです

行方不明になった宝物

2012年02月02日 | Weblog
 最近連続して、もう30代になった娘や息子が、絵本について呟くのを聞きました。

娘も息子も、眠る前の絵本の読み聞かせのなかで育ちました。

息子は、大きくなってもほとんど本を読んでいるところを見ませんでした。
それでも絵本の事はしっかり覚えていたようです。
「あの第五福竜丸の絵本は良かったね」といったのですが、
私は思い出せません。「とびうおの坊やは病気です」のことかしらと。

昨年母親になった娘は。
「お母さんが買ってくれていた絵本はいいものばっかりだったわね。
今とてもあれほど手に入れられないわ」
娘の子どもはもうすぐ2歳です。絵本を覚え始めています。
いい絵本が欲しいのだけれど、なかなか手に入らないそうです.


私もまた子ども達に読んで聞かせた絵本によって育てられたように思います。

いくつものダンボールにぎっしり詰まっていた絵本。
孫ができたら、見せてあげようと大切にしていたのに、
行方がわからなくなってしまいました。
30年もの間に何人かに貸してあげ、あちこち移動している間に。

もちもちの木、ひさのほし、母さんはおるす、除雪車ケーティ、
ぐりとぐら、こぐまちゃんシリーズ、、いないないばあ、
ムーミンシリーズ、3人のどろぼう、赤ちゃんが帰ってくる日、
あかおにあおおに、ふきまんぶく、りゅうの涙、日本民話シリーズ、
まだまだありました。あの猫が出てくる絵本はなんだったか思い出せません。

わずかに残っていた絵本から、今さきに読んであげられているのは
おっととおへそ(あかぼしりょうえ作)
おもしろい事はおもしろいのですが、2歳の子にはどうかとちょっと思案しています。