随分のご無沙汰になってしまいました。
危険を承知で、何とか乗り切れたら思ってこの夏かなり無謀な計画を立ててしまいました。
キッチンのリホーム(やったことに比べて予想以上の費用がかかりました)、
3階の屋根裏をはじめとして、家中にたまった積年の不要物の片づけ(想像を絶する労力と時間がかかり、
何と2トントラックに収納しきれないほどの廃棄物が出てきました)
そしてかって、ネットにアップしていた写真付き日記を本にすること(こちらも結構気合いが必要なことでエネルギーを消耗)
これだけの私的なことを、日常の活動を縮小することなくやり続けました。
暑い暑い夏だというのに。
誰もが驚く愚行でしたが、本人にその認識が弱く、突入してしまいました。
その結果は、いろいろ。
確かにキッチンは使いやすくなり、不要物が無くなった場所は広々として快適です。
そんな中、8月末以来、3度目の蜂窩織炎の再燃に見舞われました。
10月の4日、少し頑張りすぎかなと思いながら日記を書いた翌日の朝、
目を覚ましたら右足は太ももまで発赤で真っ赤に。
蜂窩織炎の再燃です。
あわてて、病院へ。
偶然会えたリンパ浮腫外来の先生の紹介で、皮膚科に。
やっぱり蜂窩織炎は皮膚科の領域。
脚の様子を見た先生は「入院できますか?」
予定はいろいろあるけどこの際目をつぶって「できます」と答えました。。
入院の手続きをして、お昼前には病棟へ。
点滴を受けてから入院に必要なものを取りに帰ることにして、とりあえず息子と友人に電話を。
ところが突然の入院なので病棟の受け入れ態勢がととのわないのです。
何とか点滴が終わった時は4時過ぎ。
今回は熱も上がっていて、こちらはフラフラ。
着替えるのも面倒で寝巻のまま「帰ります」と言った私。
驚いた看護婦さんが「お着替え手伝いますよ」と言ってくれたのですが「いいです」と断って、
そのままエレベーターへ。
病院の出口の近くにタクシーがいます。
そのまま、崩れるように乗り込んで行き先をつげて、
25分くらいで、我が家に到着。
家では延々と待たされた息子たちが待っていました。
頭が働かなくて、あまり準備もできないまま、
今度は息子の車でふたたび病院へ。
息子いわく、「どう見ても痴呆症の老女の脱走に見えたよきっと」
髪が真っ白のパジャマ姿の女性がフラフラと乗ってきたのですから、
タクシーの運転手さんもそう思ったかもと
あっさり認めてしまいました。
血液の培養で、細菌が検出されていわゆる敗血症。
担当医に「薬の効き目が悪いので一日の抗生物質を3倍にします」と宣言されました、
2週間ほど、一日3回の点滴を受ける羽目になったのでした。
殆どをベットの上で過ごすこと2週間、やっと退院の許可がでて、帰ってきたところです。
保育園に行っている孫の初めての運動会にも行けず、
かっての写真学校の同級生たちとの旅行にも行けず(せっかく私がセットしたのにです)
いろいろ呼び出しはかかりますがそれにも参加できず、
家にいるのです。
あまり本を読む意欲も維持できず、
サスペンス物や刑事もののテレビを見るくらいで
気力は沈んでいくばかり。
こういう状況にふさぎ込むことなく
前向きに行動していくには、どうすればいいのかと・・・・・。
救いは、今のところ写真集への前向きな気持ちだけは残っていることです。
危険を承知で、何とか乗り切れたら思ってこの夏かなり無謀な計画を立ててしまいました。
キッチンのリホーム(やったことに比べて予想以上の費用がかかりました)、
3階の屋根裏をはじめとして、家中にたまった積年の不要物の片づけ(想像を絶する労力と時間がかかり、
何と2トントラックに収納しきれないほどの廃棄物が出てきました)
そしてかって、ネットにアップしていた写真付き日記を本にすること(こちらも結構気合いが必要なことでエネルギーを消耗)
これだけの私的なことを、日常の活動を縮小することなくやり続けました。
暑い暑い夏だというのに。
誰もが驚く愚行でしたが、本人にその認識が弱く、突入してしまいました。
その結果は、いろいろ。
確かにキッチンは使いやすくなり、不要物が無くなった場所は広々として快適です。
そんな中、8月末以来、3度目の蜂窩織炎の再燃に見舞われました。
10月の4日、少し頑張りすぎかなと思いながら日記を書いた翌日の朝、
目を覚ましたら右足は太ももまで発赤で真っ赤に。
蜂窩織炎の再燃です。
あわてて、病院へ。
偶然会えたリンパ浮腫外来の先生の紹介で、皮膚科に。
やっぱり蜂窩織炎は皮膚科の領域。
脚の様子を見た先生は「入院できますか?」
予定はいろいろあるけどこの際目をつぶって「できます」と答えました。。
入院の手続きをして、お昼前には病棟へ。
点滴を受けてから入院に必要なものを取りに帰ることにして、とりあえず息子と友人に電話を。
ところが突然の入院なので病棟の受け入れ態勢がととのわないのです。
何とか点滴が終わった時は4時過ぎ。
今回は熱も上がっていて、こちらはフラフラ。
着替えるのも面倒で寝巻のまま「帰ります」と言った私。
驚いた看護婦さんが「お着替え手伝いますよ」と言ってくれたのですが「いいです」と断って、
そのままエレベーターへ。
病院の出口の近くにタクシーがいます。
そのまま、崩れるように乗り込んで行き先をつげて、
25分くらいで、我が家に到着。
家では延々と待たされた息子たちが待っていました。
頭が働かなくて、あまり準備もできないまま、
今度は息子の車でふたたび病院へ。
息子いわく、「どう見ても痴呆症の老女の脱走に見えたよきっと」
髪が真っ白のパジャマ姿の女性がフラフラと乗ってきたのですから、
タクシーの運転手さんもそう思ったかもと
あっさり認めてしまいました。
血液の培養で、細菌が検出されていわゆる敗血症。
担当医に「薬の効き目が悪いので一日の抗生物質を3倍にします」と宣言されました、
2週間ほど、一日3回の点滴を受ける羽目になったのでした。
殆どをベットの上で過ごすこと2週間、やっと退院の許可がでて、帰ってきたところです。
保育園に行っている孫の初めての運動会にも行けず、
かっての写真学校の同級生たちとの旅行にも行けず(せっかく私がセットしたのにです)
いろいろ呼び出しはかかりますがそれにも参加できず、
家にいるのです。
あまり本を読む意欲も維持できず、
サスペンス物や刑事もののテレビを見るくらいで
気力は沈んでいくばかり。
こういう状況にふさぎ込むことなく
前向きに行動していくには、どうすればいいのかと・・・・・。
救いは、今のところ写真集への前向きな気持ちだけは残っていることです。