つれづれに

きままに書きます。
どうぞよろしく。

ひどいと思いませんか?

2013年01月26日 | Weblog
例の大阪桜ノ宮高校の生徒の自殺をめぐる出来事。
一番おかしく思うこと、それは橋本市長のとった態度。

市立高校と言う教育機関でおきた問題、何の責任も感じることなく教育委員会や教師を罵倒するばかり。

おまけに最初は体育には体罰が必要なことがありますよねと言っていたのに、体罰に対する批判が高まったからなのか教育委員会や教師を罵倒する態度豹変。

挙句には生徒にまで批判のことば、「あなたたちも、見て見ぬふりをしたのでは」と言わんばかり。

一生懸命に勉強してきた生徒のためにチャンスを取り上げないで、入試をやめないでほしいという在校生の要望に対して「チャンスなんて生きている限りありますよ」と。

何と馬鹿げた暴論なのかと。
一生懸命勉強してきた生徒に「安心して進学できるように全力を挙げて取り組みますから」という態度こそ必要なのではないかと。

態度をころころ変える。
力を合わせて問題を分析し対応策を立てるべきことを結果的には出来なくする。
自分の破壊的権限を振り回し、
いやなら次の選挙で落とせばいいじゃないかと、
民意無視を正当化する。

こういう市長の予算執行に基づく職権乱用に対して、
その行政からの独立性を放棄して入試中止を決定した教育委員会も問題だと思えます。

大事なことは生徒たちの学ぶ権利、成長する権利を如何にに保障していくかを真剣に考えるべきなのでは。
そのことは一体どうなっているのでしょう?

自己肯定感をもって。

2013年01月21日 | Weblog
 何度となく、こう言って自分の心を慰めます。

心と言うか、苛立ちをなだめるのです。
年末もお正月も結構あわただしく過ぎて、
そして新しい年は昨年同様にというか
、いえそれ以上にあわただしく過ぎてゆきつつあります。

2週目に、車が追突されて、病院通いと車の修理が加わりました。久しぶりの大雪のため、板金屋が混んだとかで修理がおわりません。

昨年、随分苦しめられた「リンパ浮腫」外来への通院もはじまりました。18日はこの関連の受診のため3か所も回りました。
ただちょっと嬉しいのは腫れが引いてきて、体重の減少はそのせいらしいといわれたことです。
毎日片足に、4枚も長いゴムのバンドを巻きつけ無くてはならないのは、厄介なことに違いありません。

今月はあと二つの科を受診することになっています。

それほど不摂生な生活をしていた自覚はないのですが、
糖尿を除く生活習慣病を持ってしまっています。

病院疲れの症状は今年も続きそうです。

この合間を縫って、セラバンド体操を毎週、押し花アートと料理サークルを月1回づつ。

これらは健康のためだったり、楽しかったりするのでそれほど苦にはなりませんが、それでも責任を伴っている体操はさぼれないのでちょっと負担になることもあります。

写真集の方は、やっと本になるめどがついて、色合わせをしたら、印刷に突入の見込み。
最近撮れなくなって、上達が見られなくなった今、どうしたものかと惑いの中にあります。

会議を伴うその他もろもろは、片手に入り切れず、とても書く気にもなれません。

病院疲れの日々を過ごす私が、
スムースに対処できないからと言って、
年のせいにすることもないでしょうし、
脳の老化のせいだと嘆くことでもないかもしれない・・・・・。

結構頑張っているじゃない、私。
そういって、自分を責めることはやめることにしました。

ながら見をしていた映画「メガネ」(小林聡美主演・荻上直子監督)のような時を持つことは見果てぬ夢かな~。
でもまた旅行に挑戦できるかも。

写真は、今年最初の押し花アート 「カレンダー」 です




クローズアップ現代に学ぶ

2013年01月16日 | 写真
 今日のクローズアップ現代は、”コンビナート危機”急増する事故何故と言う内容でした。

今回に限りませんが、この番組はきちんとした調査がされて、その調査に基づく映像で構成されています。

そしてさらにその分野の専門家が登場し、司会者の質問に答えて、何が問題か意見を述べる。
この専門家の選択を誤ると、おかしい方向性が出されることもあるけれど、それはあまりないように思われます。

今、日本において何が問題なのかを知るのに、とても役に立つ、勉強させられる番組だと思ってみています。

ちなみに今回の番組ではコンビナートの事故は、
老朽化とともに、技術者への継承がきちんと行われなかったことによるレベル低下があったということでした。
このことを大企業のの技術者が直接証言していたのは、驚きでした。

今いたるところで、成長期を支えた技術者が退職し、その後の補充が不十分であったことは、いたる分野に見られていることと言えます。
最近の正職員減少と非正規職員の増加と言う企業がとってきた方法とも無関係ではないでしょう。

高度成長路線を突っ走ってきた日本の大きなほころびが
今日本のいたるところで起きていると思うと、生きた心地がしません。

こんな当たり年なんてね?

2013年01月13日 | Weblog
何もこんな時にあたってくれなくてもね~。

あたったのは車、
正確には当てられました。

信号待ちしていたT字路。
緑になったのに動けません。
曲がりたいT字路が工事中。
この時期、予算の関係かやたら工事が増えます。

交通整理をする男性がいて、こちらを止めてもう一方を流します。
仕方が無いので待っていました。ニュートラルにして、ブレーキをふんで、ハンドルは握って。

突然、ガンと音がしました。
首が変に揺れて・・・・。
一瞬何が起きたのか」わかりませんでしたが、後ろを見て
合点がいきました。

追突されたのです。白い車でした。
その場にとまっているわけにはいきません。あまりに邪魔になるので、少し離れた交通量の少ないところまで行ってから停車。
相手の方は警察、保険会社とすばやく電話。

何だか慣れてる様子。
パトカーも交通事故処理班の車もやってきました。
状況を聞いて、「とまっている車にぶつかったのだから追突した側の責任でしょう。」ということに。

病院に行くなら救急車でと言われる。
私の車の同乗者2名、そんなことまでしたくなさそう。
それに私の車でもいいじゃないですか。

警察は何だか物損事故で処理をめる感じ。
でも首や肩に懲りを感じるし、後が怖いので私は病院には行きたい。

ちょっと時間がかかったけれど、明日にでも病院に行ったら、その旨警察に連絡し人身事故とするということで、とりあえず、現場検証をしておくということに。
私は同乗者を送って行った。

翌日は他のことで通院の日だったから、そちらと整形外科と2つの病院を行ったり来たり。
その合間にこちらと相手側の保険会社から何度となく電話が入る。

幸い怪我の方は頸椎などに異常はなく、首や背中の筋肉の腱を傷めたのでしょうと、痛み止めと張り薬をもらって、痛みが続くようなら来てくださいと。

警察からは病院に行ったら警察だけでなく事故の相手にもいちいち連絡しろと言われるし・・・。
警察に報告したら、診断書を持ってくるように言われる。
昨日の内に言っておいてくれればいいのに、
先生帰ってしまったから1週間後に依頼を出して手に入るのはさらに2週間後だという。
郵送してもらえないかと聞いたら「原則しません、なくなったてもあなたの責任です と事務的!

しかも6500円だとか。」私が払うわけではないけれど。

自動車の方は後ろのバンバーに見事にしわが寄って、
トランクのしまりが悪く、開いていていることを示すランプがついてしまう。
思ったより時間がかかりそう。

ここまで来てもう土曜日、保険会社はお休みで連絡がつきません。事態が動き出すのは火曜日から。

こんな当たり年はがっかり!
まあ、小さな事故でよかったと思えばと言われますが。

私には面倒で疲れます。
体力気力が落ちていることを実感。

それにしても物損にしてあげるべきなのでしょうかね?






親子3人でお見舞いに

2013年01月08日 | Weblog
娘・息子と3人で、仙台に住む妹のお見舞いに行ってきました。

親子3人の旅行は子どもたちが大きくなってからは十数年ぶり。前回はベルギー&オランダへ。
夫の治療に関わる「医療過誤」裁判の和解金で出かけました。
夫の命がこの程度の和解金かと思いましたが、何か記念になることを思って出かけたのです。

今回はホスピスに入ったという妹にびっくりしていたら、子どもたちが結婚式や出産祝いなどお世話になっているのでお見舞いに行きたいと言うので、急遽実現しました。

娘が「親子3人の旅行はこれが最後かもしれないわね」などいうものですから、真意を測りかねて・・・・でした。

「おばさんにあっても顔色は変えないでね」とだけ言っておきました。
夫の時は病院でしたので、ホスピスは初めてでした。
窓からハクチョウが見える湖や、川の流れ蛾見え、林に囲まれた大学が見える自然ただなかにありました。

幸い、自宅から車で十分前後とか、いつでも会いに行ける場所でした。

ご主人と長女が待っていてくれました。
正月休み最後で、日曜日と言うこともあるのでしょうか。
とても静かでした。

医者も看護師も、白衣は着ていないのだそうです。
そう言えば時々入ってくる職員さんも看護師とは気がつきませんでした。

11月に試験薬のトライが無効だったことを受けて、12月下旬に自ら希望して入所したようです。
目が大きくなって、私たちの母の晩年にそっくりになっていました。

私との電話の後くらいから、急速に調子が悪くなったのだと本人は言っていました。
「まだ入るのが早かったかもしれません」と夫さんはいっていましたが、間もなく一度退院するようです。

でも朝出かけると夜は早くても9時すぎないと誰も帰ってこない部屋で、ストーブにかじりついたそうです。すでに左手はマヒをしていたのですが。
夫と子供2人はみな働いていたのです。確か公務員なら介護休暇もある筈ですが。

そんな寂しい毎日に耐えていたのかと思うと私は言葉を失いました。

神経の圧迫により声が擦れていましたが、いろいろしゃべってくれました。私のリンパ浮腫を気遣ってくれて・・・・。

3月の誕生日に写真日記を出すよと言ったら「あらそうなの」と関心を示してくれました。私の娘が「早く見せてあげられるといいわね」と。

妹の昼食を前に、病院を辞して仙台に帰りました。
部屋を出る時、私は何を言ったのか覚えていません。