神融心酔 

中国茶・台湾茶を中心とした素敵な出会いの数々を綴っていきます

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茶話⑥ 覚醒

2024-10-30 | 茶話
芸事やスポーツの世界で
「覚醒する」「化ける」という言葉が使われることがあります。
ある時期に急激に成長し、変化を遂げること、
何らかの気付きによって一皮むけたようにいい状態になること。

とは言え、パッと覚醒したり、一夜で化けるわけではありません。
それまでコツコツと積み重ねてきたことが花開く、そんな感じだと思います。
例えれば、階段を上を見ながら一段一段ゆっくりと登り、
ふとした瞬間に振り返ると眼前に素晴らしい景色が拡がっていた、というような。

何を以て「覚醒した」のか「化けた」のか定義するのは難しいことです。
一般的には成績として結果を出したり、周囲の評価が上がるといったことが判断基準になるのでしょう。

茶の世界においては、自分の立ち位置が定まり、覚悟が決まった時がそうなのではないかと思っています。
足るを知り、感謝を知り、自分が今為すべき事を為す。
その道を進む先に光がある。
その光を得た先に「覚醒」がある。
そう信じて今も一歩一歩進んでいます。
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茶話⑤ 茶席考~余白

2024-10-15 | 茶話
「中国茶の茶席はおしゃべりが自由でいいですね。」

初めて茶会に参加してくださった方によく言われます。
確かに中国茶の茶席は茶道や煎茶道の茶席に比べると自由度が高いかもしれません。

もちろん流派や教室によってはおしゃべりできない雰囲気の茶会もあります。
それはまた別のケースとして、ここでは置いておきましょう。

私自身、普段は教室のレッスンで
お茶の説明をしながら茶を淹れることが多いせいか
茶会の時もよく話をします。
お客さま同志の相性を見ながら、
雰囲気が硬い時にはあらかじめ仕込んでおいた話題を振ったりもします。

以前、とある茶会にお客として参加した時のこと。
複数のテーブルがあり、それぞれ5名ほどの客に茶をお出しする
典型的な茶会スタイルでした。
会場の雰囲気はいい感じに盛り上がっており、
隣のテーブルではおしゃべりに花が咲いていました。

私が座ったテーブルの席主は少し緊張していらしたこともあり、
お話は茶の簡単な説明にとどめ、
静かに、とても丁寧に淹れてくださいました。
それがとても心地よく、じっくりお茶の味わいを楽しむことができました。

おしゃべりが弾む茶席はもちろん楽しいものです。
それでも、飲み手がじっくりと茶を堪能するためには、
席主が与える情報で満杯にするのではなく、
余白があった方がいいと思うのです。


中国の茶人、李曙韻氏の著書「茶味的麁相」の第一章にこんな文章があります。
 
 ベテランが茶を淹れる際、手慣れた様子から、知らず知らずのうちに、
 悪い意味での玄人っぽさが出てしまう。
 茶を淹れる時には適度にある種の渋さを見せるといい。
 (中略)
 茶人であるからには、常に渋さを意識し、
 最初に茶事の門を叩いた時の初心を忘れないよう、
 自身を律していくことが大切であろう。

渋さとはある程度の緊張感を持って丁寧に茶を淹れること、
そして茶席に余白を与えることだと感じます。

茶席のしつらえも引き算を心がけて余白を作る。
お茶の説明も先入観を与えず、飲み手の想像力の余地を残す。
(もちろん、質問にはしっかり答えますが)

そんな気付きを与えていただいた茶会でした。
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茶話④ ライフワーク

2024-10-07 | 茶話
先日、大学の同期会があった。
私は外国語学部中国語学科出身なのだが、
一学年60名というこじんまりとした学科で
2クラスに分かれて2年まではクラス単位の授業があった。

私が卒業した年は中国の改革開放政策が始まった頃で
商社、大手メーカー、マスコミ、研究職など
中国関係の就職がかなり良かった。

皆それぞれ定年を迎え、
再就職先を見つける人、新たに事業を始める人もいるが、
中国語圏の海外駐在が長かった人が多いので
引退してからも中国語を使って何か社会の役に立ちたいという人も数名いた。

集まれば現在の日中関係の話になるし、
オフレコな話題も聞くことができる。
皆何だかんだ言ってもずっと中国に関わっている。
大学で学んだことがそのままライフワークに繋がっているのは
文化系の学科としては珍しいことのようにも思える。

私自身、日中貿易の仕事は断念してしまったが
やはりずっと中国に関わっていきたいというのが
中国茶の世界に踏み込んだ理由でもある。
いつまで続けられるか分らないけれど、
生徒の皆さんと一緒に中国茶や台湾茶をいただくのは
本当に楽しいし美味しい。

歌舞伎役者の中村七之助が巡業の質問コーナーで
子供さんから歌舞伎役者やっていていいことは何ですかと聞かれ、
「どんなに辛い事や苦しい事があっても舞台に立ってお客様から拍手をいただいたら全て忘れられる。
役者は一度やったら辞められないって本当にそう思います」
と答えたそうだ。

七さまと同列に語るのはおこがましいが、
私も辛くて泣きたい事があったときに
教室や茶会でお茶を淹れ、美味しいと言ってもらえると
一切が吹き飛んでしまう。
今までどれだけこの仕事に助けられただろうと思う。

私は何かを成し遂げたり社会に貢献したわけではないので
偉そうなことは何も言えないのだけれど
ライフワークと思えるものを見つけることができたのは
大学そして留学に行かせてくれた両親のお陰であるし、
好きなことを十分にさせてくれる家人のお陰であるし、
中国茶の楽しみ方を教えてくださった師のお陰である。
そして、教室に通ってくださっている皆さんのお陰でもある。

感謝の気持ちを込めて。
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茶話③ 茶席考~真打茶人

2024-09-15 | 茶話
最近落語をよく聴きに行く。
もともと落語に興味はあったけれど、
足繁く通い始めたきっかけは
個人宅で隔月に開かれる落語会に伺うようになったこと。

それからは気になる噺家さんの独演会に行ったり
中規模ホールで開かれる落語会のイベントに行ってみたり。

先月、初めて浅草演芸ホールに行く機会を得た。
二ツ目の三遊亭遊七さんのご案内ツアーで、
11時から4時半まで、マジックや漫談や紙切りもはさみ
13人の噺家さんが次から次へと高座へ。
桂宮治師、春風亭昇太師、三遊亭小遊三師と
笑点でもお馴染みのメンバーも登場。
これで3,500円って、安すぎでしょ!?
(夏の特別興行だから普段の500円増し。つまり、いつもは3,000円)

遊七さんとお茶する時間があったので、
色々お話を伺った中で印象的だったことがある。
人気の噺家さんたちはもちろん全国で引っ張りだこだし、
独演会を開けば会場は満杯。
テレビ出演のお誘いもある。
でも、ギャラは少なくても演芸場の出演は大切なんだそうだ。
演芸場は10数人の噺家が順番に高座にあがるが、
事前にプログラムが決まっているわけではなく、
何を話すかはその日、その場で決まるのだそう。
前に出た演目はかけられないし、内容も似たものは出せない。
後ろに行けば行くほどレパートリーの豊富さも要求されるし
機転の利いた話し方が必要になってくる。
どういう情況でも対応できなければトリにはなれないし、
それが真打ちというものなのだ、と。

なるほど、どんな世界でも参考になる話だと思う。

茶人もおなじように15年もやっていれば立派な真打だ。
そこまで来れば、自分の主催する茶会では自分で茶譜を采配できる。
自分の好きな茶葉を自分の好きなように、好きな順番で皆さまにお出しする。
それはそれで、とても美味しい素敵な茶会になるだろう。

でも、敢えて自分では普段使わないであろう茶葉や茶器を工夫する機会もあった方がいい。
今年の初め、とあるお茶屋さんの主催の茶会で
お茶を淹れさせていただいたのだが、
支給された茶葉は自分だったら茶会で選ばないタイプのものだった。
美味しいけれど、これというインパクトやストーリーがない。
あれこれ考え、どうにかこうにか25分の持ち時間で
この茶葉のパフォーマンスを披露することができた。
他の茶席とのバランスや相性も考えなくてはならず、
昔エコ茶会の茶席で毎年培った感覚が戻ったような気がした。
貴重な体験だったと思う。

だから、駆け出しの茶人はなるべくたくさんの茶席経験を積んだ方がいい。
それも、独演会ではなく、演芸場タイプで。
もちろん、ベテランの真打茶人でもその感覚は忘れないように心がけたい。
どんな茶葉でも臨機応変に。
自分の好きなお茶ばかり淹れていては真打ちとは言えないのではないだろうか。
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茶話② 茶器

2023-04-14 | 茶話
先日、拙ブログの蔡暁芳工房訪問の記事を読んで
問い合わせをくださった方がいた。
もう10年前に行ったきり訪れていないので、
お役に立てるようなお返事ができず申し訳なかったのだけれど、、。

久しぶりに暁芳窯の茶器を出してみた。
これはクコの実柄。

私が中国茶の勉強を始めた2000年ごろは
台湾茶器の最高峰といえば暁芳窯だった。
造形も磁器土も絵付けもほかの器との違いがはっきりしており、
茶も美味しく入る、との評判で、台湾茶ファンの憧れだった。

その後中国での中国茶ブームが始まると、
値段も上がり、品薄で手に入りにくくなった。
同時に日本でも茶器を制作する陶作家さんが増え、
個性や多様性を求めるユーザーの目はそちらへと向かっていく。

茶器は使い勝手の良さや好みから
一軍選手が自ずと決まっていくもので、
教室でも普段使いでもよく使うものは
茶棚の一番取りやすい場所に置かれている。

暁芳窯の茶器はそれよりも少し高いところから見下ろしていて、
初めてのお客さまやスペシャルな茶会の時などにお目見えする。

当時は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入したが、
もうなかなか手に入らない今となってみれば
あの時買っておいて良かったのかもしれない。


飲んだお茶は祥泰茶業の東方美人2018年。
最後に馮さんご兄弟にお会いしたのはコロナ前の春だった。
そろそろまたお会いできるかな。
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茶話① 花見茶

2023-04-08 | 茶話
気がつけばこのブログを始めてから、
今年の11月で20年目に入ります。
記事数は1275件。
ここ数年は手軽なInstagramへの投稿が増えて、
ブログの記事はめっきり減りましたが、
そもそもブログを始めたきっかけは
お茶の感想や茶旅で経験したことを文章化して整理し、
アーカイブとして残すため。
今一度、自分の茶に対する想いを
ブログ20周年に向けて
素に立ち返り、反芻しようと思います。

* * * * *

土曜日の午後、不安定な空模様で、
予定していた隅田川散歩が中止に。
家でぼんやりと花見茶を決め込む。

我が家の庭にはハナミズキが一本。
巷の桜狂想曲が終わると自分の出番、とばかりに
白い花を咲かせる(実際は花ではなく、苞というものだそうだ)。
春先にはメジロも遊びに来るこのハナミズキ、新緑も紅葉も美しい。

ガラス茶器で淹れたのは定石野茶の萬秀2010年。
自然生態茶園で茶作りをされている高定石老師の包種茶だ。
購入当初は発酵高めではあるが、
個性の輪郭が今ひとつはっきりしなくて、
高老師のお茶にしてはインパクトに欠けると思って飲みきらずに置いていた。

12年を経て、どう変化しているのかと淹れてみる。
香りは飛んでしまっているが、味わいは優しく、透明感がある。
飲み始めると、ふわっと身体が温まってきた。

今年に入って、茶器と茶葉を整理している。
使わなくなった茶器と教室で既に使って余ってしまった茶葉は
生徒の皆さんにお譲りしているのだけれど、
こんな風に中途半端な量で残っている茶葉もいくつか見つかっている。
自分でゆるゆる飲む以外に
機会があれば、外部での茶会などで淹れたいと思う。
お茶と出会った背景などもお話しできれば。
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突然の別れ

2021-10-03 | 茶話
麗香茶課でも講師をお願いしたことのある、龍愁麗先生が急逝されました。
先日、都内某所の霊安室にてお別れをしてまいりました。

夫君は切り絵画家の故宮田雅之氏。
ご自身は中国芸術研究院名誉教授であり、
中国のみならず日本の美術にも造詣が深く、
日本の大学でも教鞭を取っていらっしゃいました。

個人的に2015年から2年ほど、先生の私塾にて
『茶の本』をテーマに勉強をさせていただきました。
5人グループで教えていただいたのですが、
とても厳しい先生でした。
今でも5人で集まると怒られた話で盛り上がります。

私も怒られてばかりで全然いい生徒ではありませんでしたが、
私の淹れた中国緑茶は美味しいと、
唯一褒めていただいて、嬉しかったのを思い出します。

ここ数年はお会いする機会もなく、
こんな形での再会に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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出版記念イベントを終えて

2018-10-13 | 茶話
9月21日に『中国茶のこころ 茶味的麁相』が発売され、
9月29日から10月8日まで東京での出版記念イベントを一気に駆け抜けて、今は抜け殻状態。

本の「一甲子の風格」の章に、老茶を十数煎飲んだ後、
その老茶は
「霓裳のような茶湯を脱いだ後、残ったのはしわしわの繊維になった皮であった」
という表現がある。
私の衣は霓裳ではなく、ピンクの中国通販で購入したひらひらの茶服であったが、
心と体はしわしわに干からびたような気がする。
今はただひたすら水を飲んでいる(夜になるとそこにアルコール分が加わったりするのだが)。

 水と言えば前の記事で書き忘れたことがある。
 今回の蔦屋書店とミナでの茶会では安藤雅信さんが足柄SAで汲んできてくださった富士山の湧き水を使った。
 蔦屋の茶席ではジャスミン茶の後に白湯を飲んでいただいた。
 甘くまろやかで身体に染み渡るようだった。


この本の翻訳編集チームに入れていただき、4年間携わってきたこと。
その4年の間に、李さんも含め、普通ならお付き合いできないような様々な分野での“才能あふれる”方たちに出会えたこと。
そしてイベントを通してたくさんのお客さまと交流ができたこと。

これから少しずつ咀嚼していきたいと思う。
こんな経験は本当に一生に一度きりかもしれない。



今、ひとつだけはっきりと言えることがある。

茶席の可能性は何と大きいことか。

蔦屋書店、ミナのプレスルームと茶会の会場が決まったとき、
「本屋さん?洋服屋さん?どんな茶席になるのかイメージが沸かない・・」と
最初は思っていた。
下見に行き、しつらえを考えている時も半信半疑だった。

しかし、当日会場に行き、設営をして茶席に座ってみると、何とも居心地がいい。
蔦屋では本に囲まれ、ミナでは秋冬物の洋服に囲まれ、いわば都会の真ん中での茶会。
これが妙に落ち着くのだ。

蔦屋はまるで図書館のような知的な雰囲気の中ですっきりとしたしつらえがマッチする。

ミナではショーケースにディスプレイされていたブローチをうらりんさんの提案で茶通置きにお借りしたり、
可愛いスツールが彩りを添えてくれたり、温かみのある茶席になっていたと思う。



李さんも本の中で書いている。
「茶席は暮らしの中に美学をもたらしてくれる。
 (中略)
日常の生活空間でも、茶の雰囲気を醸し出すことはできるはずだ。」

日本の中国茶・台湾茶ファンの皆さまがこの本を読みながら、たくさんの気付きやヒントを見つけてくださったとしたら本望である。

私も水分を補給して干からびた心と体が元に戻ったら、また引き続き日常の中でお茶のシーンを編んで行こうと思う。


この本に携わる機会を作ってくださった安藤雅信さん、翻訳編集チームの仲間である浦川園実さん、田中優伊さん、
そして出版に関わってくださったすべての方々に心から感謝しています。
謝謝!
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肩書

2018-09-09 | 茶話
広辞苑より
かた‐がき【肩書】
①氏名の右上に職名・居所などを書くこと。
②(名刺などで、氏名の右上に記すところから)地位・身分・称号などをいう。「―が付く」
③犯人・容疑者などの前科。


以前から書きたいと思っていて、なかなか書けなかったお題「肩書」。
名刺で氏名のそばに書いたり、HPなどのプロフィールで最初に書く「肩書」。

実は私自身、この「肩書」の記載にはずっと悩んでいて、
“中国茶インストラクター”を使っていたこともあるが、
今では“中国茶教室「Salon de Leecha 麗茶」主宰”のみのことが多い。

中国茶関係の方で多く使っているのは“茶藝師”資格ではないかと思う。
これは中国政府が認定する国家職業資格であるから問題はない。

他にも様々な団体が発行するディプロマがあり、それを書くことも問題はないと思う。

問題は、独自に編み出した言葉の肩書である。

世の中にはいろいろな「自称」の肩書の人々が存在する。
もちろん「自称」ではなく、その人のそれまでの業績に対し周りが自然と認定していくこともあるだろう。
プロとして活躍している人たちの肩書は当然その人の顔となる。

しかし、日本における中国茶の世界はまだまだ狭いし浅い。
確立された業界ではないだけに、自由度も高いし、それがまた魅力でもある。

自分の名刺を作る時、やはり肩書がほしい、と皆さん悩むのだろうと思う。
その中で恰好がつきやすいのが“◯◯家”という肩書だ。

中国茶家、中国茶事家、中国茶評論家、中国茶研究家、中国茶文化研究家・・・

私が目にしたことのある日本で中国茶に携わる方の“◯◯家”が付く肩書である。

日本にはたくさんの“◯◯家”が存在する。
料理研究家、格闘家、作家、評論家・・・既に「家」は市民権を得た言葉である。
日本の職業について“◯◯家”と名乗ることに、私は特に何も引っかかることはない。
ただ、中国茶に関係する場合、どうしても違和感を覚えるのである。

それが何故かということについては考えたこともなかったが、
ある中国語ネイティブの先生に中国茶文化について習う機会があり、
その先生が“◯◯家”と書いた友人の名刺を見て
「あなたは“家”と呼べる専門家なのですか?何か流派を成したのですか?」とお尋ねになった。

そこで自分の違和感の種がどこにあったのかが理解できた。
日本では全く問題ない言葉も、中国語では少し意味が変わってくるのである。
中国語学科で学んだことが自分の体にも染みついていたということだろうか。

中国では“家”という言葉は
(1) ある業種に従事する人や家族
(2) 専門家
(3) 学術流派
に使うとされる。
例えば「儒家」「墨家」などに象徴される言葉であり、
春秋戦国時代の「百家争鳴」という言葉を聞いたことのある人ならピンとくるだろう。

日本だけでこの肩書を使うなら特に問題はないと思うし、
中国語でのニュアンスの違いに気づかずに使う人がほとんどだろう。
中国でも新しい時代になって、言葉の使い方にも変化はあるかもしれない。
ただ、中国茶に従事するのであれば、中国での古くからの慣習にもある程度は目を向けるべきではないだろうか。

もちろん、“◯◯家”としての業績もあり、確固たる自信に裏付けされている方はこの限りではないが。
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年の瀬に・・・。

2017-12-29 | 茶話
2017年も終わろうとしています。
慌ただしい中、いろいろと反芻することも多く・・・。

今年は主宰する「Salon de Leecha 麗茶」の十周年の年でした。
4月には生徒さんによる記念茶会も開催しました。
一つの区切りとして、卒業していく生徒さんもいらっしゃいました。
そして新しく参加される方もいらっしゃいます。

中国茶・台湾茶の世界は中国の成長の速さと相まって、刻々と変化しています。
一昨年の北京、今年の広州の旅はそれを肌で感じる機会となりました。

私自身、お茶に対する思いは以前と少しも変わりませんが、
サロンへの取り組み方はある程度時代の変化に対応していかなくてはと考えています。

この先の10年を充実させるためにもサロンの内容も若干の再編を加えようかと思っています。
春にはサロンのHPも一部リニューアルする予定です。

まず手始めにInstagramでサロン専用のアカウントを作りました。

 リンクはこちらです→ @salondeleecha

ブログ「神融心酔」はこのまま続けていきますが、Instagramではお茶のある風景を日々綴って行こうと思います。

Instagramに連動するFacebookページも立ち上げましたので、
Instagramをフォローできない方はこちらからも写真を見ることができます。
内容はほとんど同じになります。
 
 Facebookページのリンクはこちらです→ 「Salon de Leecha 麗茶

フォローいただけましたら嬉しいです!よろしくお願いいたします。


ここからは独り言・・・

今年はお茶に取り組んでいる方の考えはいろいろだな、と実感する年でもありました。

お茶を飲みながらのひと時が好きな方、
お茶のある風景が好きな方、
お茶と一緒に食べるお菓子が好きな方、
お茶を淹れている自分が好きな方(笑)、
お茶を通しての出会いが好きな方、
お茶の持つ精神性を求めている方、、、

(もちろんお茶で生計をたてていらっしゃる方には深く敬意を表します!)

私は、、、とにかくお茶が好き。
美味しいお茶を皆さんとできるだけ共有して楽しみたい、
そんな思いを確認しながら年越しの準備をしています。


今年もお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
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