茶聖陸羽も『茶経』で言及されているように、
お茶とお水の関係はとても深い。
普段はあまり水と言うものを意識していなくても
同じお茶を同じ条件下で水を変えてテイスティングすると、
その差は歴然とすることがある。
以前、紅茶教室で何種類かの紅茶を
水道水そのまま、浄水器を通した水、汲み置きした水、ペットボトルの水など
水の条件だけを変えて試したことがある。
結果は浄水器も通さない水道水の水が意外と美味しかったのを覚えている。
そのお教室の先生も、たいていは水道水の水をそのまま使うそうだ。
空気が含まれている関係からか、
狭い浄水器の中を通ってきた水よりも新鮮な感じがすると言う。
ただ、水道水の水と言うのは、
その日によってかなりコンディションが違うことも事実。
雨が降った時や季節によって、水質も若干変ってしまう。
地域によってはやはり臭いが気になるという場合もある。
私は家では手軽に入手できて、状態が把握しやすい水を使っている。
中国茶の場合は水だけでなく、他の要素でも味は変化するので、
とりあえず水だけはいつも使うものを決めてしまうことにした。
だから、普段はあまり水のことであれこれ考えることはない。
水に気を遣えばもっと美味しくなるお茶もあるだろうが、
そのこと一つ一つに捕らわれると迷宮に入ってしまいそうな気もする。
でも、たまに水の恩恵をひしひしと感じる瞬間がある。
先日行った奈良県吉野郡下市町にある「カフェピクルス」でのこと。
天河神社に行く途中で立ち寄ったのだが、
まず普通のお水がものすごく美味しかった。
そして、食後にオーダーした紅茶。
普通の紅茶、だと思うのだけれど、
とても甘くてすっきりとした美味しさだった。
聞けば、日本の名水百選にも選ばれている、
天川村洞川の
ごろごろ水を使っているとのこと。
洞川はそこから車で行けばそう離れていない場所にある。
きっと、その場所で、その水を使った紅茶を飲む、
ということも大きく影響しているのだと思う。
その場所の雰囲気、空気、景色、全てが作用して、
その土地のお水を使った紅茶というものが輝くのだろう。
結局お茶の美味しさは全ての調和から生まれるのではないかと思う。
そのシーンでの最上のお茶、というものがあるはず。
だから、逆説的ではあるが、私は家で入れるお茶のお水にはこだわらない。
ごろごろ水が美味しかったからと言って、
それを取り寄せても同じ味が出るとは思えないからだ。
その代わり、旅に出た時には思い切りその土地のお水を楽しもうと思う。
それが旅先でカフェや茶館を訪れる楽しみの一つにもなっている。