「中国茶の茶席はおしゃべりが自由でいいですね。」
初めて茶会に参加してくださった方によく言われます。
確かに中国茶の茶席は茶道や煎茶道の茶席に比べると自由度が高いかもしれません。
もちろん流派や教室によってはおしゃべりできない雰囲気の茶会もあります。
それはまた別のケースとして、ここでは置いておきましょう。
私自身、普段は教室のレッスンで
お茶の説明をしながら茶を淹れることが多いせいか
茶会の時もよく話をします。
お客さま同志の相性を見ながら、
雰囲気が硬い時にはあらかじめ仕込んでおいた話題を振ったりもします。
以前、とある茶会にお客として参加した時のこと。
複数のテーブルがあり、それぞれ5名ほどの客に茶をお出しする
典型的な茶会スタイルでした。
会場の雰囲気はいい感じに盛り上がっており、
隣のテーブルではおしゃべりに花が咲いていました。
私が座ったテーブルの席主は少し緊張していらしたこともあり、
お話は茶の簡単な説明にとどめ、
静かに、とても丁寧に淹れてくださいました。
それがとても心地よく、じっくりお茶の味わいを楽しむことができました。
おしゃべりが弾む茶席はもちろん楽しいものです。
それでも、飲み手がじっくりと茶を堪能するためには、
席主が与える情報で満杯にするのではなく、
余白があった方がいいと思うのです。
中国の茶人、李曙韻氏の著書「茶味的麁相」の第一章にこんな文章があります。
ベテランが茶を淹れる際、手慣れた様子から、知らず知らずのうちに、
悪い意味での玄人っぽさが出てしまう。
茶を淹れる時には適度にある種の渋さを見せるといい。
(中略)
茶人であるからには、常に渋さを意識し、
最初に茶事の門を叩いた時の初心を忘れないよう、
自身を律していくことが大切であろう。
渋さとはある程度の緊張感を持って丁寧に茶を淹れること、
そして茶席に余白を与えることだと感じます。
茶席のしつらえも引き算を心がけて余白を作る。
お茶の説明も先入観を与えず、飲み手の想像力の余地を残す。
(もちろん、質問にはしっかり答えますが)
そんな気付きを与えていただいた茶会でした。