やっと「バチェラレット」フルで見れました。
関西では、DOIの放送は21日なんですけどね。
まさかその前に、CSフジの「スノーブレイク」で見れるなんて思わなかったですよ。しかもアンコールまでフルに付けて。F1のためにフジのCSチャンネル契約してるのがこんな所で役に立つとは。
そういう訳で「バチェラレット」。相変わらず、「言葉はいらないですねー」と力説しながら喋り倒す八木沼さんと、のんびりムードな荻原次晴さんのゆるーい雑談付き。
***
個人的には全然OKです。寧ろ感涙モノです。
以前にも書きましたが、「ノクターン」を見た時から大ちゃんに期待していたもの、それが期待以上のカタチで現実になったという感じ。
何とも深い表現ですよね。あの濃厚なエロスを漂わせる「ロクサーヌ」でさえ、表層的だと感じてしまう。
しかし…尖ったアート作品というのは、決してお子様からお年寄りまで万人に分かりやすいというものではありませんね。その意味では、とても不親切な作品(敢えて作品と呼ばせて頂きます)であると言えます。
見る側に要求するハードルが結構高いかも。
フィギュアスケートの演技というよりはアートパフォーマンスのようで、オーソドックスで分かりやすい演技を求める向きには、戸惑いの方が大きかったかも知れません。
本来単館上映で、コアなマニア向けにやるようなアート指向の強い難解映画を、大型シネコンで分かりやすい娯楽作品を期待している人たちの前で上映しちゃったような「いいのか? これで」というギモンも感じない訳ではありません。それでも敢えてこれをやった宮本さんと大ちゃんは、すごく勇敢だし挑戦的だ。私は買いますよ、その心意気(でもさすがにこれをトリでやることは想定してなかったんじゃないかなとは思いますが)。
しかしこれの後でアンコールのオペラ座を見ると、モロゾフさんてやっぱり抜け目ないなーと思いました。とても親切です。分かりやすい。
大ちゃんのファンだからと言って、無理にこれを好きになる必要はないと思いますよ。分からない人には分からない。コレはそういうプログラムだと思います。
でも逆に、コレを見て、これまでフィギュアや大ちゃんに興味がなかった人が「おっ、結構やるじゃん」と思ってくれたりしないかなーとか実は密かに思ってたりして。
***
それにしても、見れば見る程奇妙にイメージがかき立てられるパフォーマンスです。
ていうか段々、大ちゃんがキマイラ化しているように見えて来ました。
夢枕獏のキマイラシリーズ
って、実は内容知らないんですけどね。
高校の図書室にあったのを8巻くらいまで頑張って読んだんですが、どういう話なのかさっぱり分からなくて途中で投げました。
でもマジで最後のステップの所なんかは、若者の体の中で目覚めた幻獣が獲物を求めてひしりあげ、本能のままに襲いかかる様を思わせました。
ていうか、「ひしる」という夢枕語はなるほどこういう事を言うのかと見てて思いました。
天野喜孝氏の美麗なイラストに魅かれて読んでたんですよねキマイラシリーズ。故に、このプログラムの大ちゃんは私の中では天野絵のイメージです。
***
私が何より大ちゃんに魅力を感じるのは、スケート靴を履いていることを意識させないくらい自然に足の動きを踊りの中に取り入れて、尚かつスケートでなければ不可能な表現を成立させていること。
スケートの技の合間に踊るのではなく、スケートそのものが踊りになっている。
私は本来「フィギュアスケート」のファンではありません。だからパフォーマンスが「スケートである」ということを実はあんまり意識したくない。でも同時に、スケートとは無関係な「美しい踊り」なら、無理にリンクに行かずにバレエなりなんなりを見れば良いことだとも思います。
嫌な観客ですね。
そんな私の我がままに応えてくれるのがこの人のスケートであり、表現なのです。
卓越したスケートの技術と高い身体能力。ダンサーとしてのセンスと、表現者としての強烈な意志(何かを伝えよう、という明確な意志がなければ、どんなに美しくてもそれは芸術ではない、と私は思っています)。それらを兼ね備えていなければ、到底実現できない表現だと思いました。
ていうか、何度も書いているように、ベタや王道は正しいのです。それをやれば間違いはないのです。
故に、王道を大幅に外したこのプログラム、センスのない人がやると目も当てられないことになるのではないかと思います。その辺り、宮本さんは多分分かってやってると思いますけどね。
とりあえずFOI。席が北側なので余り良く見えないかも知れませんが、そこの所は覚悟の上で、生で見れるのを楽しみにしてます。
***
最後のスピン、あの首元に食い込む指が生々しくて息苦しい。でもすごく好き(笑)。
DOIそれ自体に関しては、21日の放送見てから書くと思います多分。
関西では、DOIの放送は21日なんですけどね。
まさかその前に、CSフジの「スノーブレイク」で見れるなんて思わなかったですよ。しかもアンコールまでフルに付けて。F1のためにフジのCSチャンネル契約してるのがこんな所で役に立つとは。
そういう訳で「バチェラレット」。相変わらず、「言葉はいらないですねー」と力説しながら喋り倒す八木沼さんと、のんびりムードな荻原次晴さんのゆるーい雑談付き。
***
個人的には全然OKです。寧ろ感涙モノです。
以前にも書きましたが、「ノクターン」を見た時から大ちゃんに期待していたもの、それが期待以上のカタチで現実になったという感じ。
何とも深い表現ですよね。あの濃厚なエロスを漂わせる「ロクサーヌ」でさえ、表層的だと感じてしまう。
しかし…尖ったアート作品というのは、決してお子様からお年寄りまで万人に分かりやすいというものではありませんね。その意味では、とても不親切な作品(敢えて作品と呼ばせて頂きます)であると言えます。
見る側に要求するハードルが結構高いかも。
フィギュアスケートの演技というよりはアートパフォーマンスのようで、オーソドックスで分かりやすい演技を求める向きには、戸惑いの方が大きかったかも知れません。
本来単館上映で、コアなマニア向けにやるようなアート指向の強い難解映画を、大型シネコンで分かりやすい娯楽作品を期待している人たちの前で上映しちゃったような「いいのか? これで」というギモンも感じない訳ではありません。それでも敢えてこれをやった宮本さんと大ちゃんは、すごく勇敢だし挑戦的だ。私は買いますよ、その心意気(でもさすがにこれをトリでやることは想定してなかったんじゃないかなとは思いますが)。
しかしこれの後でアンコールのオペラ座を見ると、モロゾフさんてやっぱり抜け目ないなーと思いました。とても親切です。分かりやすい。
大ちゃんのファンだからと言って、無理にこれを好きになる必要はないと思いますよ。分からない人には分からない。コレはそういうプログラムだと思います。
でも逆に、コレを見て、これまでフィギュアや大ちゃんに興味がなかった人が「おっ、結構やるじゃん」と思ってくれたりしないかなーとか実は密かに思ってたりして。
***
それにしても、見れば見る程奇妙にイメージがかき立てられるパフォーマンスです。
ていうか段々、大ちゃんがキマイラ化しているように見えて来ました。
夢枕獏のキマイラシリーズ
高校の図書室にあったのを8巻くらいまで頑張って読んだんですが、どういう話なのかさっぱり分からなくて途中で投げました。
でもマジで最後のステップの所なんかは、若者の体の中で目覚めた幻獣が獲物を求めてひしりあげ、本能のままに襲いかかる様を思わせました。
ていうか、「ひしる」という夢枕語はなるほどこういう事を言うのかと見てて思いました。
天野喜孝氏の美麗なイラストに魅かれて読んでたんですよねキマイラシリーズ。故に、このプログラムの大ちゃんは私の中では天野絵のイメージです。
***
私が何より大ちゃんに魅力を感じるのは、スケート靴を履いていることを意識させないくらい自然に足の動きを踊りの中に取り入れて、尚かつスケートでなければ不可能な表現を成立させていること。
スケートの技の合間に踊るのではなく、スケートそのものが踊りになっている。
私は本来「フィギュアスケート」のファンではありません。だからパフォーマンスが「スケートである」ということを実はあんまり意識したくない。でも同時に、スケートとは無関係な「美しい踊り」なら、無理にリンクに行かずにバレエなりなんなりを見れば良いことだとも思います。
嫌な観客ですね。
そんな私の我がままに応えてくれるのがこの人のスケートであり、表現なのです。
卓越したスケートの技術と高い身体能力。ダンサーとしてのセンスと、表現者としての強烈な意志(何かを伝えよう、という明確な意志がなければ、どんなに美しくてもそれは芸術ではない、と私は思っています)。それらを兼ね備えていなければ、到底実現できない表現だと思いました。
ていうか、何度も書いているように、ベタや王道は正しいのです。それをやれば間違いはないのです。
故に、王道を大幅に外したこのプログラム、センスのない人がやると目も当てられないことになるのではないかと思います。その辺り、宮本さんは多分分かってやってると思いますけどね。
とりあえずFOI。席が北側なので余り良く見えないかも知れませんが、そこの所は覚悟の上で、生で見れるのを楽しみにしてます。
***
最後のスピン、あの首元に食い込む指が生々しくて息苦しい。でもすごく好き(笑)。
DOIそれ自体に関しては、21日の放送見てから書くと思います多分。