先日の日経新聞のセミナーが記事になってました。
高橋大輔「明日への一歩」~ケガから復活、五輪秘話 電子版セミナーから
http://s.nikkei.com/AhkpCZ
これ、すごく興味あったんですけど平日だし東京だしと思って諦めてたらユーストリームで中継があって、Web生中継なんて初めて見たけど良い時代になったもんだと思いました。
フィギュアに詳しくない人でも分かるように的なセミナーなので、大ちゃんファンにはおなじみのエピソードも多かったですが、大ちゃんが自分の口から語るのを改めて聞くと何て言うかこう…。
この人の、自分自身の欲求への素直さと、自虐的なまでの謙虚さが同居してる感じがなんか凄いなと。
「子どもみたいに自分の欲望へまっすぐ向かって行くのが強み」って書いてたのは今回の聞き手の原記者のテキストでしたっけ。
モスクワ世界選手権の後の(“みんな“”が自分から離れて行くのを本能的に感じて)「それはやだ、って思った」というエピソードを聞いて、ホントにそうだなと思いました。
でも自分の欲求をはっきり口に出すのも、自分自身にダメ出ししまくるのも、根底にあるのは自分を実際以上に大きく見せようとしない飾り気のなさなんでしょうね。
何度も書くけど、私は虚栄心の強い人が生理的にダメなんで、こういう、自分のワガママもダメな所もさらっと表に出せる人って安心します。
大ちゃんの場合、公の場面では他人にも万全の配慮をしながらそれをやるんだから、ある意味名人芸。
それと大ちゃんの自分へのダメ出しが嫌みにならないのは(たまにキツ過ぎて聞いてるこっちにぐっさり刺さる事ならあるけど)、あれ心にもない『謙遜』で言ってるんじゃなくて、シビアな現実認識から来てるからなんだろうなと思います。
今回のセミナーでも、『空気を読み過ぎてしまう』『見ない方が良いものまで見てしまう』『勘違いできない』って言ってましたが、感受性の強さ故に、自分に都合の良い幻想ではなく、不都合な部分も含めた現実が見える(本人曰く「見えてしまう」)って事なんでしょうね。
昔聞いた話ですが、誰でも小さいうちは根拠もなく『自分は特別』『自分は天才』って勘違いしてて、成長するに従って現実を突きつけられて挫折する。でも実はその挫折した所が本当の成長のスタートで、そこから一つずつ『でも自分にもここまでできた』っていう事実を積み重ねて自信に変えて行く。その自信は事実という根拠に基づいているからそうそう崩れないし揺るがない。…んだそうです。
(そういう『挫折』を上手く経験しないと、子どもの頃の万能感を持って現実に向き合えないイタい大人になりそうですが、それはここではおいといて)
大ちゃんは挫折するまでもなく、最初から現実見ちゃってたある意味特殊な子どもだったのかなあ…とちょっと思いました。
勘違いも含めて『自分が一番』なタイプが主流なスポーツの世界では、確かに珍しいと思います。周りの指導者の方に取っても、おだてて調子に乗せるみたいな事が通用しにくいって意味では難しい選手だったのかも知れないですね。
そういう現実を見過ぎてしまうが故に弱気になってしまう所は、確かにアスリートとしてはマイナスだったのかも知れませんが、逆にシビアに自分を客観視する事で自分に足りないものを素直に認めて克服への努力につなげる事もできるし、そうやって事実を積み重ねて納得して手に入れた「自信」は本物だからそう簡単には崩れない。そういう強さでもあるんじゃないかなと、そんな事を考えた今回のセミナーでした。
あと最近大ちゃん自分がナルシストである事を否定するようになりましたね。鏡を見るのが好きな人が全員ナルシストじゃなくて、鏡の中の自分を見てうっとりして初めてナルシストの要件を満たすのだという事に最近気付いたんじゃないかと勝手に思ってます。
(余談ですが、男性のナルシストは自分の容姿にうっとりっていうより、自分の能力や正しさを過信するタイプの勘違い君が主流らしい…大ちゃんとは寧ろ真逆)
***
という訳で読売新聞『挑む』。上中下の三部作。「もしかしてナルシスト?」な渡部トレーナーのファーストインプレッションから始まる「見せるという意識」など、限られた紙面に効率よく色んなエピソードが詰まっていて、大ちゃんの事をよく知らない人にも彼の素顔を分かって貰えるんじゃないかと思いました。プロのお仕事と呼ぶに相応しい良い記事でした。
…なんか、特にトリノの頃の大ちゃんてあの気合の入った髪型や眉毛があまりよく言われてなかった印象があって、スポーツ選手って(特に男子は)「見た目に気を使ってません」ってタイプの方がストイックに競技に集中してそうで印象が良いし、流行について行けない人(お洒落に疎いタイプやもう若くない人)にとっては安心するんだろうなあ…としみじみ思った記憶があります。
でもフィギュアに関して言えば、普段ダサい選手が試合の時だけがんぱってキレイな衣装着たって着こなせないと思うんですよね。おじさんやおばさんが思う「爽やかで若者らしい服装・髪型」なんて若い子から見ればダサいだけだろうし。面接の時だけ敬語使っても普段の言葉遣いが汚いとボロが出るのと一緒で、普段からがんばってお洒落してないと絶対演技にも出ると思います。
ていうか個人的に、普段着のセンスの善し悪しって結構「表現力」に比例してると思ってます。私の感じる「表現力」が必ずしも点数に反映されてる訳じゃないけど。
(言っときますが採点への批判じゃないですよ。私はあくまで素人なので、専門家の採点する基準とは違う見方をしてるという事です。まあその専門家の基準が分からないから素人な訳ですが)
読売新聞では原先生の連載もあって、その3回目が大ちゃんのお話でしたね。こちらも良い記事でした。
(下)氷上の復活劇に感謝:カルテの余白に
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=53706
***
あと、ピアノスコア買いました。
ピアノが手元にないので、ウインドシンセで遊んでます。
そう言えばこれ買った時、大ちゃんのプログラム曲を吹きたいなと思って楽譜探したけど、以外と良いのが無かったのを思い出しました。こういうのが欲しかった。ジャズトランペットの音色でマンボの出だしを吹くとかなりそれっぽい感じになって楽しいです♪
あとこういうのも出るのね。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=urokonotubuya-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4055009259" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
***
そろそろ4大陸選手権も近づいて参りました。
お守り代わりに辰年の龍を貼って健闘を祈りたいと思います。
高橋大輔「明日への一歩」~ケガから復活、五輪秘話 電子版セミナーから
http://s.nikkei.com/AhkpCZ
これ、すごく興味あったんですけど平日だし東京だしと思って諦めてたらユーストリームで中継があって、Web生中継なんて初めて見たけど良い時代になったもんだと思いました。
フィギュアに詳しくない人でも分かるように的なセミナーなので、大ちゃんファンにはおなじみのエピソードも多かったですが、大ちゃんが自分の口から語るのを改めて聞くと何て言うかこう…。
この人の、自分自身の欲求への素直さと、自虐的なまでの謙虚さが同居してる感じがなんか凄いなと。
「子どもみたいに自分の欲望へまっすぐ向かって行くのが強み」って書いてたのは今回の聞き手の原記者のテキストでしたっけ。
モスクワ世界選手権の後の(“みんな“”が自分から離れて行くのを本能的に感じて)「それはやだ、って思った」というエピソードを聞いて、ホントにそうだなと思いました。
でも自分の欲求をはっきり口に出すのも、自分自身にダメ出ししまくるのも、根底にあるのは自分を実際以上に大きく見せようとしない飾り気のなさなんでしょうね。
何度も書くけど、私は虚栄心の強い人が生理的にダメなんで、こういう、自分のワガママもダメな所もさらっと表に出せる人って安心します。
大ちゃんの場合、公の場面では他人にも万全の配慮をしながらそれをやるんだから、ある意味名人芸。
それと大ちゃんの自分へのダメ出しが嫌みにならないのは(たまにキツ過ぎて聞いてるこっちにぐっさり刺さる事ならあるけど)、あれ心にもない『謙遜』で言ってるんじゃなくて、シビアな現実認識から来てるからなんだろうなと思います。
今回のセミナーでも、『空気を読み過ぎてしまう』『見ない方が良いものまで見てしまう』『勘違いできない』って言ってましたが、感受性の強さ故に、自分に都合の良い幻想ではなく、不都合な部分も含めた現実が見える(本人曰く「見えてしまう」)って事なんでしょうね。
昔聞いた話ですが、誰でも小さいうちは根拠もなく『自分は特別』『自分は天才』って勘違いしてて、成長するに従って現実を突きつけられて挫折する。でも実はその挫折した所が本当の成長のスタートで、そこから一つずつ『でも自分にもここまでできた』っていう事実を積み重ねて自信に変えて行く。その自信は事実という根拠に基づいているからそうそう崩れないし揺るがない。…んだそうです。
(そういう『挫折』を上手く経験しないと、子どもの頃の万能感を持って現実に向き合えないイタい大人になりそうですが、それはここではおいといて)
大ちゃんは挫折するまでもなく、最初から現実見ちゃってたある意味特殊な子どもだったのかなあ…とちょっと思いました。
勘違いも含めて『自分が一番』なタイプが主流なスポーツの世界では、確かに珍しいと思います。周りの指導者の方に取っても、おだてて調子に乗せるみたいな事が通用しにくいって意味では難しい選手だったのかも知れないですね。
そういう現実を見過ぎてしまうが故に弱気になってしまう所は、確かにアスリートとしてはマイナスだったのかも知れませんが、逆にシビアに自分を客観視する事で自分に足りないものを素直に認めて克服への努力につなげる事もできるし、そうやって事実を積み重ねて納得して手に入れた「自信」は本物だからそう簡単には崩れない。そういう強さでもあるんじゃないかなと、そんな事を考えた今回のセミナーでした。
あと最近大ちゃん自分がナルシストである事を否定するようになりましたね。鏡を見るのが好きな人が全員ナルシストじゃなくて、鏡の中の自分を見てうっとりして初めてナルシストの要件を満たすのだという事に最近気付いたんじゃないかと勝手に思ってます。
(余談ですが、男性のナルシストは自分の容姿にうっとりっていうより、自分の能力や正しさを過信するタイプの勘違い君が主流らしい…大ちゃんとは寧ろ真逆)
***
という訳で読売新聞『挑む』。上中下の三部作。「もしかしてナルシスト?」な渡部トレーナーのファーストインプレッションから始まる「見せるという意識」など、限られた紙面に効率よく色んなエピソードが詰まっていて、大ちゃんの事をよく知らない人にも彼の素顔を分かって貰えるんじゃないかと思いました。プロのお仕事と呼ぶに相応しい良い記事でした。
…なんか、特にトリノの頃の大ちゃんてあの気合の入った髪型や眉毛があまりよく言われてなかった印象があって、スポーツ選手って(特に男子は)「見た目に気を使ってません」ってタイプの方がストイックに競技に集中してそうで印象が良いし、流行について行けない人(お洒落に疎いタイプやもう若くない人)にとっては安心するんだろうなあ…としみじみ思った記憶があります。
でもフィギュアに関して言えば、普段ダサい選手が試合の時だけがんぱってキレイな衣装着たって着こなせないと思うんですよね。おじさんやおばさんが思う「爽やかで若者らしい服装・髪型」なんて若い子から見ればダサいだけだろうし。面接の時だけ敬語使っても普段の言葉遣いが汚いとボロが出るのと一緒で、普段からがんばってお洒落してないと絶対演技にも出ると思います。
ていうか個人的に、普段着のセンスの善し悪しって結構「表現力」に比例してると思ってます。私の感じる「表現力」が必ずしも点数に反映されてる訳じゃないけど。
(言っときますが採点への批判じゃないですよ。私はあくまで素人なので、専門家の採点する基準とは違う見方をしてるという事です。まあその専門家の基準が分からないから素人な訳ですが)
読売新聞では原先生の連載もあって、その3回目が大ちゃんのお話でしたね。こちらも良い記事でした。
(下)氷上の復活劇に感謝:カルテの余白に
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=53706
***
あと、ピアノスコア買いました。
ピアノが手元にないので、ウインドシンセで遊んでます。
そう言えばこれ買った時、大ちゃんのプログラム曲を吹きたいなと思って楽譜探したけど、以外と良いのが無かったのを思い出しました。こういうのが欲しかった。ジャズトランペットの音色でマンボの出だしを吹くとかなりそれっぽい感じになって楽しいです♪
あとこういうのも出るのね。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=urokonotubuya-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=4055009259" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
***
そろそろ4大陸選手権も近づいて参りました。
お守り代わりに辰年の龍を貼って健闘を祈りたいと思います。