ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

ありがとう高橋大輔、そしてさよならフィギュアスケート

2014-04-20 19:40:00 | 日記
本来ならソチオリンピックが終わった時点で何か書くべきだったのですが、どうにもまとまらないまま世界選手権も終わってしまいました。
正直、書くことが多すぎて何から書けばいいのか分からないのですが、ものすごくかいつまんでいうと、

ボブスレーが面白かったので、フィギュアスケートはもういいや

って事になります。

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私はフィギュアに関してはあくまでも素人なので、ここでは技術的な事やルールなんかには極力触れない方向性で来たのですが、それでもトリノから足かけ8年大ちゃん見たさに競技の方にも付き合って参りました。

その経験から思ったのは、フィギュアのルールって言うほど難しいものじゃないんじゃないかという事です。

スケートの本質はエッジのコントロールにあり、エッジをコントロールするという事はイコール重心をコントロールするという事。
(これは自分でスケート靴を履いて見るとすごくよくわかります)

例えば自転車で右に曲がる時、ハンドル操作だけで曲がる人ってあんまりいないですよね。大抵は曲がりたい方向に体重をかけ、タイヤを傾けて曲がるはず。
傾きが大きいほど大きく弧を描いてスムーズに曲がれますが、大きく傾けるためにはスピードを上げて遠心力を得なければならない。そして遠心力を得るためにスピードを上げれば、それだけコントロールはシビアで難しくなる。
原チャリライダーは傍目にはほぼ垂直のまま曲がっていますが、これがプロのレーシングライダーともなると、膝が路面に擦れるくらい大きく傾いてコーナーをクリアします。

スケートも同じ。足は左右に2本あるから、右足で右に曲がればアウトエッジ、左足ならインエッジ。
スピードが出るほど安定して、大きく傾けて滑らかな曲線を描きますが、その分重心のコントロールは繊細で難しい。

よくフィギュアのファンで足下「だけ」を見ている人もいますが、足下をスムーズに運ぶためには全身でバランスを取って重心をコントロールする必要があります。
ヤジロベーのように上半身でバランスを取りながら滑るより、自在に踊りながら滑る方が、「スケートの」技術としてもより高度だと思うのは、私が踊れるスケーターのファンだからでしょうか?(でも自分で滑ってでも実感するんですよね)

例えばルッツやフリップの不正エッジを見るのなら、エッジの傾きだけをやたら注視して足下に分度器を当てるより、全身のバランスを見てどこに重心が乗っているかを見る方が分かりやすいし正しく判断できるんじゃないでしょうか。
重心はまっすぐなまま、足首を曲げてエッジだけ傾けるのを、果たしてアウトエッジと呼んでいいのか。

でもそういう事を、テレビなどで解説してくれるスケートの関係者を、私は見た事がありません。
寧ろフィギュアの関係者たちは、一般のファンたちに、フィギュアスケートのルールを理解して欲しくないんじゃないのかとさえ感じています。

だって一般の視聴者がルールを理解してたら、そうそう変な採点はできませんから。
素人にはルールは分からないまま、ブラックボックスのままにしておけば、いくらでも好き勝手な採点ができるというもの。

…と、そう思わずにはいられない程、昨今のフィギュアの採点は不可解な事になっています。

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一体いつの間に、フィギュアの試合は、スケート連盟がタレントとして売り出したい選手のためのプロモーション興業になってしまったんでしょうか。

大手事務所のタレントに、箔を付けるために賞を取らせるのと同じように、スケート連盟がタレントとして売り出したい選手を、いくらでも自由に勝たせる事が出来るんですね。

私がフィギュアを見初めてから8年。思えばこの8年で、フィギュアの審判たちは、「自分たちがルールを恣意的にねじまげて自分たちに都合の良いように結果を操作しても、一部のファンが騒ぐだけでさして問題にはならないし、試合の結果も覆らない」事を学習したんだなと思いました。
どこまでならやってOKか?を探り探りやってた結果、どれだけ好き勝手やっても大丈夫だと言う結論に達したんだなと。

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夏のオリンピックでは、審判の下した判定に選手側が異を唱えて採点の見直しを要求したり、審判の判定の妥当性をジャッジする第三者を設定している競技が目に付きました。
その結果試合の結果が覆る事もあり、物議を醸すシーンもありましたが、競技の公平性を担保するために試行錯誤を重ねていることが感じられました。

フィギュアスケートも、選手の判定への異議を認めるルールを制定したり、審判の判定の妥当性を監視するポジションを設けたりすれば、もっと透明性のある採点が出来るんじゃないのかなと思います。
審判の判定に問題がないのなら、それでも誰も困らないはず。
でもそんな事には絶対にならないだろうなあ…とも思います。

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この冬、テレビを見る代わりにラジオを聞く事が増えました。
そして気づいたのは、ラジオのDJたちがフィギュアスケートを話題にする時、口を揃えて「フィギュアの採点がわからない」と発言していた事。
たまたまその人が分からない、というよりも、もはや「フィギュアスケートの採点は分からないものなのだ」というのが世間一般の共通認識になっている、という印象でした。
なるほどね。そりゃ、審判も好き勝手できる訳だよなあ、と思いました。
そして同時に、欧米でこの競技の人気が落ちて来てるのも無理ないな、と思いました。どんなルールで勝ち負けが決まっているのか分からないものに対して、競技そのものを面白いと思える訳もありません。

日本(韓国もか?)では盛り上がってるように見えるけど、これも結局は自国の選手が活躍しているから、その選手にタレント的な人気があるだけで、競技そのものに対する人気ではないんだろうなあ、と思います。

個人的には、きちんとルールを理解しさえすれば、フィギュアって寧ろ男性に取って面白いものなんじゃないかと思うんですけどね。
点数の付け方のルールや法則性をマニアックに追求するのは男性の方が好きな傾向にあるし、勝負事へのこだわりも強い。
でもそれはあくまで、ルールが適切に運用されている場合。
「こういう事をやればこういう点が出る」事を理解したはずなのに、全く違う点数が出て来るようでは、勝負事の面白さなんて感じられる訳もありません。

予め筋書きの決まっているフィクションの世界でさえ、「なぜ、どうやって敵を倒す事ができたのか」を説得力を持って描く事ができなければ「ご都合主義」と呼ばれてしらけるだけ。まして、現実のスポーツの世界では…。

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そこでボブスレーの話に戻ります。
F1ファンの一人として、「氷上のF1」と呼ばれるボブスレーは、冬のオリンピックの密かな楽しみだったりします(何故ならオリンピック以外で試合を見る機会がまずないから)。
一見、フィギュアとはかけ離れているように見えますが、「氷の上での、エッジのコントロールを競う」という意味では、実は根本では繋がっているのではないかとも思います。
コーナーで如何にスピードを殺さず、コースギリギリのラインをスムーズにクリアできるか。
ハンドルを握るドライバーやブレーキを担当するブレーカーだけでなく、全員での体重移動が重要なファクターになって来ます(あと、そりの性能も)。
コントロールの上手下手はコーナリングのスムーズさで見た目にも分かるし、それがそのままタイムとなって現れる。その上でのコンマ数秒を争う様子は実にスリリングでエキサイティング。
日本チームが残念な結果(26位)に終わっても、特に思い入れのある選手やチームがいなくても(というか、日本選手含めて出場選手の中に知っている人が一人もいない)、競技としてすごく楽しむ事が出来ました。

そして翻って、フィギュアって何なんだろう…と。

「Be Soul2」で大ちゃんはこう語っています「時には、不条理な採点も受け入れなければいけない」と。
選手に取ってはそうなんでしょう。競技の中に身を置く以上、他に選択の余地はない。

でもファンの立場にして見れば、そもそもこの競技に付き合う義務なんてないんです。

競技そのものを盛り上げたい、と常々発言している大ちゃんには非常に申し訳ないとも思うんですが…。

ジャンプの回転不足も、GOEもPCSも基準があってないようなもの。
氷の上でガリガリエッジを引きずるような、見てるだけでイライラさせられるもたもたしたスケーティングに平気でSS9点台が付く。
…或いは、手足を機械的に動かしているだけの選手と、肩や背中の間接までを効果的に使い、体の軸を美しく保ち、ポーズからポーズへ移るまでの途中の動きでさえどこで切り取っても絵になるように動き、指先まで神経の行き届いた選手。
普通に「ダンスの技術」として見ても明らかな差のある両者を、単に「好みの違い」で片づけて、申し訳程度に1点2点差が付くだけ(それでさえ平気で逆転させたりもする)。

ついでに報道するマスコミの関係者も、「体重が軽い事」と「軽やかなスケーティング」の区別が付かないし、「手足が細い事」と「しなやかに体を動かす事」の違いもわかっていない(それとも、わかっててわざとごっちゃにしてるの?)。

正直私、この世界に付き合うの、うんざりしました。

ついでに言うと、今日本スケート連盟にくっついて、試合や連盟主催のアイスショーを一手に仕切ってるCICとかいう会社のセンスのダサさにもうんざりしています。

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どうもフィギュアのファン層というのは特殊というか、特定の選手だけを応援するのはフィギュアスケート全体のファンではないと非難するような変な風潮があります。

でもどんなスポーツでも、興味を持つきっかけが特定の選手やチームだったりするのはよくある事。
そこから競技に対する理解を深めた結果、どういう対象を応援していくかは人それぞれだし、それをとやかく言われる筋合いなんてありません。

私は8年前に高橋大輔の演技を見て大きな魅力を感じました。高いチケット代はじめ交通費や時に宿泊費、そして時間と労力をかけても見に行く価値があると。

そしてあくまで「フィギュアスケート」ではなく「高橋大輔」のファンですというスタンスを取りながら、「フィギュアスケート」がどういうものか、自分に取ってどれほどの魅力があるものかを一観客の視点で見極めようとしてきました。

その結果として、自分で滑る楽しみを見いだす事ができた、その事には大変感謝しております(神戸ポーアイのスケート教室に入るのはおすすめしませんが)。

でも一観客として見た「競技」としてのフィギュアスケートにつきましては、失望したというのが正直な結論でございます。
ネガティブなエントリーですみません。

でもホント、大ちゃんの情報ならどんな断片的なものでも…と思えた8年前が懐かしいですね、今となっては。
若手スケーターの踏み台扱いで引っ張り出されるくらいなら、無視される方がよっぽどいいと思える今日この頃です。