ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

深淵、或いは悪魔のステップ

2006-08-20 00:29:01 | 日記
そもそも何で私がここまで高橋大輔にどっぷりハマってしまったかと言う話は、ここでは既にさんざんして来たような気がするんですが、私的には実は一番重要なことをまだ書いてなかったりします。というか、今頃になってやっとここで書いてみようかという気分になりました。

いつものことですが、痛いです。今回は特に激痛です。しかも、かなり訳のわからん話になります。中途半端にメタフィジカルです。
地雷の気配を感じた方には、出口の方も御用意したのでここから脱出して下さい。

逃げ遅れた方はいらっしゃいませんね?

***

とは言うものの、どこから書けばいいのか。

以前に「天才・秀才・努力の人」でも書きましたが、私にとって「能力が優れている人」は基本的に「秀才」です。だから、世間で「天才」と呼ばれていても、私から見れば『ああ、ものすごい「秀才」だな』という人が多くいます。
私が「天才」と呼ぶのは、根本的に何かが普通と違う人。

そんな私が、「なるほど、これが本物の天才ってものなのか」とはっきり実感した数少ない人が高橋くんな訳です。しかも、それだけでは済まなかった。
個人的に、ものすごいカルチャーショックを受けてしまったんですよ。

***

前提としてまず、現実の認識。
人間は外の世界を感じるためのセンサーを持っていますが、捉えたものそのままではなく脳内で情報処理されたものを、それぞれが『現実』だとして認識している。
つまり、人それぞれによって『現実』は違う。
そしてその『現実』=『認識』に大きな影響を与えているのが言葉の力。
「バラの名前を口にすれば、人は幻の花を見る」というように、人は言葉の力によって現実を認識し、意識を固定しているわけです。

で、私はどっちかというと、言葉を操るのは割と得意な方に入ります。
そして今年の冬までは、言葉によって世界の本質を認識し、言葉によって現実を再構築できると思っていました。
そしてそれがとんだ思い上がりであることを思い知らされたのが、高橋大輔の踊る「ノクターン」を見た時でした。

以前にも書いたように、「ノクターン」の振付けには言葉による解釈の痕跡が見えない。
「言葉によって理解し、それをパーツの組み合わせによって表現する」というやり方では、理解することも想像することもできない、イメージそのままを形にした動き。
それを見た時初めて私は、「言葉では理解することも表現することもできない世界」の存在を認識した(というかさせられた)訳です。

言葉は意識を明確化する。
それは曖昧なものを切り捨て、灰色を白と黒に塗り分け、単純化することで明確にするという作業なのだと言えます。
そうやって単純化され、明確になった世界は分かりやすくて安全。
私は言葉によるシールドで自分の周囲を囲って安心していただけなのに、自分では世界を知ったような気分になっていたんです、多分。
実際には、言葉の壁の外にこそ本当の世界が広がっているのに、その得体の知れない世界、自分にとって不安で恐ろしい世界を、見ようともしていなかった。

……なのに、「ノクターン」はそれを表現していたんです。私が見ようともしていなかった、言葉の壁の外の世界を。
それに気付いた時は、そりゃもうショックでした。

***

例えば現実を、ひらひら飛んでるチョウチョだとすれば、言葉によって現実を捉えることは、チョウチョを捕まえて標本にするのに等しい。標本にすれば蝶の姿は細部まではっきり確認できるけど、標本になった蝶が蝶の本質だと言えるのかどうか。
……大輔くんは生きて飛んでいる蝶を(ひらひらして捉え所のないそのイメージそのものを)、そのままそこに現出させているように見えました。
そこでは、今日飛んでいる蝶と、昨日の蝶が別物であっても、それはそれで構わない。
何故なら、そうやって常に変化し続けるのが生(ライブ)の現実なのだから。

一度そういうものを知ってしまうと、これまで自分が絶対だと思っていた「言葉」というものが信じられなくなりかけました。私が今まで言葉を使って表現して来たことは、実際にはせっせと蝶を殺して標本を作ってただけなんじゃないのかと。

***

この辺で流石に「ヤバい」と感じ、師匠(仮)に相談しました。
でも師匠は基本的に冷たい人なので、「やっと気付いたかバカめ」とかそんな感じ。
それでも、「その内に、言葉の力を前よりも信じられるようになるよ」とは言ってくれましたけど。
それで私が、「でも彼は多分、私には見えない世界を見てますよね。私には、彼の目に何が映ってるのか気になるんです」って言ったら「それはお前は見ない方がいいよ。こっちの世界は色々と大変だから」って。……ちょっと待って。
「こっちの世界」って師匠……見えてるんですか? その世界が。
そう言えば師匠も天才と呼ばれている人だった。マジだったのか。

その時に師匠が教えてくれたのが、「悪魔にギターを習った男」の話でした。
何でなのか誰も知らないけどそう呼ばれている。そして、彼とセッションしたミュージシャンは口を揃えて「あいつは悪魔だ」とつぶやく。
……「ノクターン」を見た後の私には、何となくその話が分かるような気がしました。何か、人知では理解し得ないはずのものを見てしまった、そんな気分を私は既に知っている。
言ってみれば、私にとって彼は、悪魔のステップを踏む男。一旦魅入られてしまうと、地獄の底までズルズル引きずり込まれて行くような……。
でも人間、美しいものよりも、恐いものの方により強く魅かれます。恐ろしいものは忘れられない。

***

今は師匠の言った通り、「言葉の力」というものを再び信じられるようになりました。言葉によらない表現を知り、その恐ろしさも知ったからこそ、却って逆説的に言葉の力が実感できるようになったというか。
でも師匠が言う「こっちの世界」は結局いまだに見てないままです。高橋くんの演技の向こうに、時折薄ーく透けては見えるんですけど……その深淵を本当に覗いてしまうと、自分の依って立っている世界が足元から崩れ去って行くような気がしてやっぱり恐い。
きっと私には無理なんだーと思いつつ、でも同時に恐いもの見たさも消えなかったり、多分これからもそんな感じなんでしょう。

***

あー……ここまで文章に書いてまとめたら、ちょっとだけ気持ちがスッキリしました。
やっぱりそういう意味では、「ノクターン」が一番悪魔的なのかも。

もうじき関西へ戻ります。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (朱美)
2006-08-23 10:39:42
虹川さん、おかえりなさい。興味深く読み、読んだ後ひたってました。
ノクターンは不思議ですね。有明と長野となみはやを繋いでるんですけど観ていて終わりがくるとあ~、、、ってまたリピートしてしまう。終わらないでずっと踊っていてほしい。脳が気持ちいいんでしょうね。
おかげで私の生活はぼろぼろです。DVD観るよりすることがあるやろ・・・。
二十歳の大ちゃんになんでここまで翻弄されるのか・・・。
二十歳といってもスケート始めて12年、国際大会もでてるし年齢は関係ないとは思うけど、大ちゃんにどんな世界がみえているのか知りたい。
でも、狂気の世界と紙一重だからpericolo。
虹川さんも気をつけて見てきてね。
返信する
Unknown (虹川 章)
2006-08-23 21:53:51
朱美さん、いつもコメントありがとうございます。
多重投稿とそれに関するコメントは削っておきまし
た。サーバーメンテ以来動作が不安定になっている
ようで、こちらこそ申し訳ないです。
ノクターンは私も最初に見た有明の映像を、飽きず
に何回でもリピートしていました。
大抵のものは一度見ると「もう分かった」になっ
ちゃってリピートしないこの私が。
彼は、アスリートとしてはまだまだ発展途上だと思
いますが(そして私にはその辺は語れないのです
が)、芸術的な部分で言うなら、年齢云々以前にそ
もそも最初から立ってる場所が違うように思いま
す。(もちろん才能だけに安住せずに感性を研いて
行く事は大事ですが、その点も抜かりはなさそうに
見えますし)
年齢を重ねてこそ見えて来るものもありますが、同
時に、感性が足りない人には一生かかっても見えな
いものもあると思います。
芸術って、本来狂気じみているものだと思います
(普通はフィギュアスケートにそこまでは求めませ
んけど)。だからこそ見てみたいし、でも同時に恐
いんですよね。
返信する

コメントを投稿