ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

XOIというかスケートその他についての雑感

2016-01-10 20:58:00 | 日記
前回の記事上げて、ああそうだせめてツイッターでお知らせするくらいしないと誰にも気づいて貰えないなーと思って超久しぶりに(変なリツイート以外の)ツイートしたら、何やらすごい勢いで(自分比)リツイートされるしお気に入りされるし、以前から大ちゃんの記事上げたらカウンター200くらい回ってたのが、今回さくっと4桁に乗ったし。
…やっぱりみんな大ちゃんに飢えているんだな、と思いました。

一方私の方はというと、前回のXOIみて、大阪のSOIみて、そして神戸チャリティーを見て…ちょっと大ちゃん離れというか、スケート離れしてました。
意識してそうした訳じゃないけど、なんか、自然に興味なくなって。
もちろん大ちゃんへの興味が薄れた訳じゃないけど、今は追いかける時じゃないな、と思ったので、うっすら情報を追いながら別の事やってました。
何せフィギュアスケートというものに関して、自分でもびっくりするくらいどうでもよくなってたので(何故か自分で滑る方のスケートにさえ興味が失せて、かれこれ1年くらいスケート靴履いてないのがヤバいです。こっちもそろそろ復帰しないと)。

まず何よりテレビを見ない。
もともとあんまり普段の生活でテレビを見る習慣がなくて、大ちゃんが現役の時にはテレビも録画機材もほぼ大ちゃん専用機だったので。
大ちゃんが引退した辺りで録画できる機械も処分して、そうしたらテレビ自体ほとんど見なくなりました。
そしてテレビを見なかったら、フィギュアって本当何も情報なくて、つくづく「テレビのための」競技なんだなあ…と。

最近ネットの記事の方で、「元フィギュアスケーターがテレビで大活躍!!」みたいな記事が出ているのを見て、それって喜んでいいことなの?と思います。
なんだかまるで、フィギュアスケートっていう競技自体が、テレビをはじめとするマスメディアに取っての、都合の良いタレント育成・発掘システムとして扱われているような気がし出したんですね。

最近のテレビって、タレントの知名度で手取り早く視聴率を上げるような番組が多くて、タレント事務所の力がやたら強くなる。見る方にもいい加減それが分かってるから、「このタレントが良く出てくるのは事務所の力」って、冷めた見方が広がって来ている。
そんな中では、タレントよりは「実力で出ている」形にできる有名アスリートやアスリート出身のタレントはテレビに取って何かと都合がいいんだろうなと思います。

中でもフィギュアは。
競技人口が少ない割に選手の知名度は高く、アマチュアの段階で(あくまでも一部の選手は、だけど)有名タレント並み。
現役の間はCMタレントとしてスポンサーマネーを引っ張り、引退後はバラエティーの雛壇を埋めるのに便利に使うなんて事も可能というか、実際そのように使われている人がいる。

その上で、思う訳です。
でもそれ、本当に実力なの?って。
今や、レコ大も日本アカデミー賞もベストジーニストやら何やらも、所詮事務所の力関係であってタレント本人の実力ではない、とみんなが思い始めている。
で、フィギュアはどうなの?「スポーツ」だからガチの実力?本当に?

不正な採点がなされている、という証拠はありません。というか、どんなに探しても「証拠」なんて出てこないと思っています。
でもそれは決して、不正な採点が「されていない」という証明にはなりません。
だってこのスポーツ、よくよく見ると一切の証拠を残す事なく、結果をコントロールできる構造になってるんですね。

明確に見えるジャンプの成否ですら、エッジのイン・アウトや回転の過不足等、審判の判断に委ねられる余地が十分にあります。
それにスピンやステップのレベル判定、1つのエレメンツにつき最大6点もの差をつけられるGOE。その上、「スケート」に於いて最も重要な「スケーティング」の評価は100%審判の判断によるPCSという点数で評価されます。

一見すると客観的なように見えて、実は極めて主観的というか、審判の独断による採点が可能なのが新採点というシステムなのだな、というのが、どうやらド素人の私にも分かって来ました。

ぱっと見には厳密な採点基準が設けられているように見えますが、それらの基準が「適切に」適用されているか否かを第三者がチェックする仕組みが見当たらない。

「ジャッジミーティング」という密室の中でどんな話し合いが行われているのかは部外者にはわかりません。そこで全員が口裏を合わせる事ができれば、或いは全員でなくともある程度の人数を予め「味方」として抱き込んでおければ、そこまでしなくとも、「この選手を勝たせなければならない」という同調圧力だけでも作り出してしまえば…。

疑い出せばキリがない。

採点競技に比べると、審判の判断の入る余地が少ない球技などでさえ、審判の判定に不満があれば競技者の側から抗議が入るし、ビデオ判定などで裁定がひっくりかえる事もある。サッカーのワールドカップなど大きな大会では、判定の是非を巡って世界中で議論が起きる事さえあります。

しかしフィギュアは、これだけ審判に全権が委ねられているにも関わらず、審判が一度出した判定は覆りません。抗議した選手に対して、次の試合から判定が辛くなる「報復採点」の恐れがあるから、選手側から意義を申し立てる事もまずない(これまた「証拠のない」不正採点ですが、「そのような可能性」がある限り選手側はリスクを犯せない)。

なんともまあ、「審判」がまるで神ででもあるかのような、すごい絶対の信頼の下でないと競技として成り立たない競技があったもんだなあ…と改めて思ってしまいました。

私がフィギュアを見始めたというか高橋大輔を「発見した」のは2005年だからかれこれ10年前になりますが、新採点が出来たばかりの当時は、まだ手探りで、でも審判もそれほど無茶はできないという空気感があったような気がするんですが。

あれから10年。もう何やったって文句は言われないぞ、と審判の側が気づいてしまった。ような気がしてしょうがない。

個人的に、どう考えてもこれはおかしいと思い始めたのは2013年くらいかな。
多分2014年の4CCだと思うんですが、あの大阪であった「月光」初披露の大会。
あの試合、試合の前にわざわざ日本スケート連盟のお偉い方からご挨拶があったんですよ。
「審判は皆ちゃんと公平に審査しています」って。
本来、競技が競技として成立ための大前提とも言えるこんな事を、わざわざ言葉にしなければならない段階で、既に語るに落ちている。
「疑われている事を自覚しています」って白状しているようなものじゃないですか?
それに、上に散々書いてきたように、「不正の証拠は発見できない。そして同時に不正を「やっていない」という証明もできない」競技である以上、いくら言葉だけで「公平」ですと言われた所で、「口ではどうとでも言えるわな」としか申せませぬ。

信じて欲しいならば、見た者が「なる程これなら公平だ」と思える結果を出し続けるしかないと思うのですよ。信頼って、事実の積み重ねでしか得られないものですから。
(「公平だ」と思える基準は人それぞれに異なるでしょうけど。自分以外の全員が納得していたって、自分に取って納得できないものは納得できない。「腑に落ちる」という言葉の通り、腹に落ちなければ納得できないのです。頭だけ、理屈だけでは足りません)

しかしフィギュアスケート界は、実際には逆の事をやって来ました。
この4CCの前、2012年の全日本。「採点に納得できなかった」多くのファンに対して、まるでそれが「悪」の所業であるかのように書き立てたのは、スケート連盟に極めて近い場所にいる一部の記者たちだったと記憶しております。
そしてその直後の4CCで、これ。お偉いさんの有難いお言葉とは裏腹に、実際の採点は、到底公平だと思えるものではありませんでした。
(あの試合、私は現地で生観戦しています。生だからこそ、基本のスケーティングの上手い下手は見ればわかる。もう、理屈じゃなくてですね、下手なスケーターは滑ってないんですよ。ターンの際にスピードが出過ぎるとコントロールできないから、(多分無意識に)スピードを抑えている。アクセルとブレーキを同時に踏んでるようなスケートで、見てて微妙にイラっと来る。でもそんなスケーターのSSが全選手の中でもほぼトップ。誰とは言わないけど。笑うしかない)

スケート連盟の姿勢として、審判の公平性を担保する為の、第三者のチェックは一切受け付けないし設けない、と。表明されたようなもんです。
「信頼に価する」採点をする代わりに、採点に疑問を呈するファンの声を押さえ付ける事を選んだ。
「採点に疑問を表明するのは悪である」
という「ルール」を作ってしまったのだから、後はもう、やりたい放題ですよね。

もちろん、今のフィギュアスケートを純粋な「スポーツと芸術の融合」だと信じて、高い点数が出ているのは素晴らしい演技なのだと思っている人を非難する気もないし、そんな資格も権限も私にはありません。
私が一人で勝手にシラけて興味を無くしている、それだけだ!!
(一応、今の「アマチュアの」スケーターにも応援したい選手はいるんですよ。でも彼らがどう扱われるのかと思うと、正直、見るのがツラい。宇野昌磨選手は、某選手がいなければきっともっと大きく扱われていたでしょうね。なんかもうマスコミが、その辺のさじ加減を気にしながらスケーターをどう扱うか考えている、その感じがすごく、嫌)

前置きが長くなりました。
要するに何が言いたいかというと、私は大ちゃんが今のフィギュアスケートの世界から距離を置くのは賛成。というか、距離を置きたくもなるよね、と勝手に思っています。
大ちゃんが引退を宣言したとき、あんなにもマスコミ各社が色めきたったのは、大ちゃんを「タレント」として自分たちの業界に引っ張れると思ったからなんだろうな、と思います。
でも大ちゃんがその道を選ばないで、さっさとアメリカに行ってしまったのはある意味爽快でした。大ちゃんが見れないのは寂しいけど、しょうもないバラエティーのひな壇で賑やかしに座らされたり、現役選手のヨイショ要員に使われるのを見たい訳じゃないから。

しかも行った先がアメリカ。特にニューヨーク、ブルックリン。
やっぱり私、この人の感性が好きだな、と思いました。

思えば約10年前。まだ初々しかった大ちゃんが倉敷イオンで「フランス、パリがオシャレで好き」と言ってた頃。
あの頃確かにパリはちょっとしたブームだったと思います。
ルーブル美術館だけじゃなくて、ポンピドゥーセンター行ってから小さい路地裏に散在する小さなギャラリーを巡るのが、当時最先端のアートの楽しみ方とか言われていたような記憶があるんですね。

で、今はブルックリン。実は私がここに来てる「波」を知ったのは某ミスドのキャンペーンからだったりするんですが(笑。思わずミスドのお皿とマグカップ買っちゃいました)。
古い物が逆にオシャレ。
古い建物群が残っている所へ、センスのある若者が集まる。古い建物を、その味わいを残して改装し、カフェやギャラリーや雑貨店が生まれる。
日本でもその流れが出来ていますよね。京都や奈良や倉敷の町家を改装したカフェやショップ。秋に行った鎌倉も相当なものでした。これが神戸に来ると乙仲通りやトアウエストの古い雑居ビルになります。
その流れの、ある意味世界の最先端がブルックリンなんだな、と。
大ちゃんがインスタグラムに載せていたメリーゴーランドは、あれは遊園地とかにあるものではなくて、一人のアーティストがコツコツとレストアして復活させたヴィンテージ物だというのですよ。

大ちゃん、多分分かってあそこへ行ってる。単に英語を学ぶだけではなく、世界中の、感性が豊かな人たちが集まる場所で、時代の最先端の空気を吸収しようとしているんだな、と思いました。

フィギュアを好きな人は趣味が保守的な人が多いから、(ある意味「やんちゃ」な人たちが担い手になっていたりする)新しい物に拒絶反応を示す人も多いと思いますが。

私が大ちゃんを好きになったのは、ある意味彼を追う事が、いろんな意味でライブ感がある事、常に、その時々の「今」という瞬間を彼がそのスケートで具現化している事も大きいんだろうなと思います。

だから、究極スケートでなくてもいい。彼の感性から出てくるものは、それがなんであっても、私を満足させてくれると思います。
今のフィギュアスケートの世界には(上記の理由で)胡散臭さしか感じないし、個人的に今年のXOIの全体のクオリティが昨年よりずっと高かったのは、去年出た一部のスケーターが今年はいなかった事も大きいだろうと思うので。
有体に言うと、上に書いたような曖昧な採点基準の中で、「タレントとして」価値が高くて高い点数を貰っているけど、スケートには全く魅力を感じられない選手。そんなスケーターには出て欲しくないのですよ。

しかし同時に、大ちゃんの感性を最も強く表現できるのもスケートなんだろうな…というのが悩ましい所でもあります。
私が子供の頃、その辺の道路でローラースケート履きながら夢想してた事。

…スケートの「滑る」という動きを「踊り」に上手く融合させたら、地上で普通に踊るのとは又違う素敵な「踊り」になるんじゃないか?という夢。

でも実際に、テレビで見たフィギュアスケートは全然違ってたんですよね。
足はスケートを滑りながら、申し訳程度に音楽に合わせて手を動かして、そして徐にジャンプとかスピンが始まる。或いは、爪先のギザギザで「滑らずに」踊る。
なんか、期待してたのと違うな、と思ってたんです。大ちゃんの、あの「ノクターン」に出会うまでは。

何度も言うけど、スケートって重心なんですよ。全身でバランスを取らないと滑れない。だから、踊りながら滑るって、実は全く違う事を全身で同時にやるって事なんです。
それが中々できないから、大抵の人は「上半身で踊って下半身で滑る」か、「滑る時は滑る、踊る時は踊る」状態になる。
でも大ちゃんはすごく自然に(見えるように)全身で踊りながら全身で滑るんですよね。
まさに私が見たかったスケート。

だからまあ、やっぱり大ちゃんもスケートに戻って来たんだな、と思いました。
彼の感性を、最もストレートに表現できるのはスケートだから。
今後の事は未定との事ですが、多分ショーの方を主体に活動して行くのかな、とぼんやり思っています。テレビには出なくていいよ。私見てないから(笑)。

今の時代の流れとして、テレビの視聴率が落ち続けている、CDもまともに売れなくなって来ている。
でも音楽業界そのものはある意味活気付いていて、それが何かというとフェスだというのですよ。
言われてみれば確かに、年々フェス系のイベントは増えていて、音楽の現場がメディアを通したものからライブへと移っているのを感じます。
大ちゃんは色んな意味でタイムリーな人だから、そういう時代の空気感もきっと感じてるだろうし、そして大ちゃん自身もライブとすごく相性がいい。

今回のXOI、宣伝が少なかった事に不満なファンの方もいるようですが、一応イベントを主催した事もある人間から言わせて貰うと、宣伝なしでチケットが売れるっていうのは主催者に取って理想なんですよ。

広告・宣伝費って結構バカ高いから、いくらチケットが売れても、宣伝にかかる費用でごっそり持って行かれたら儲けにならない(そして同じ理由で、協賛スポンサー大事です。イベントによってはチケット収入より、協賛収入の方が大きいくらい)。
だからこのショー、主催者に取っては笑いが止まらんレベルの大成功だったんじゃないかな、と思います(そういう訳で是非来年以降も大阪でやってください正直新横浜遠いです)。

思えば荒川さんのFOIも、最初は平日の1公演だけだったし、最初の2~3年くらいはチケットも余裕で取れていました。一度見た人が「来年もみたい」と思って、年々リピーターを増やして行ったからこそ10年続いたし、チケットを取るのは年々難しくなって行きました。

みなさん、大ちゃんのスケートをもっと信じましょう。ライブで見に来た人に「良いものを見た、また来たい」と思わせて、宣伝しなくても口コミでチケットが売れる。それが理想のイベントの形です。
そして大ちゃんには、それができると思っている(だからこそ、「名前」が大きいだけで、ショーのクオリティを落とすようなスケーターをゲストに呼ぶのはやめて欲しいです誰とはいわんけど)。

また長々と書いてしまいました。
結論を言えば、楽しみにしているのです、私は。
これから大ちゃんが何をやってくれるのかっていう事に。

***

▪️拍手コメントへのお返事

▫️2015/12/23 22:28
こんにちは。人それぞれに事情がありますから、誰もが生でショーを見られる訳ではないですね。私にも見られないショーや試合はたくさんあります。
ただ、多少無理してでも見たい!と思わせる人もいれば、そこまでしなくてもいいや、という人もいる。大ちゃんは前者です。それが彼のショーに人が集まる原動力だと思います。

▫️2015/12/30 12:15
こんにちは。やはり大ちゃんの演技は良いものですね。
昔あるクリエイターの方が、創作するという事は自分の内面をさらけ出すという事だと仰っていました。少なくとも大ちゃんの演技には、彼のその時々の内面が強く現れていて、だからこそ、「今」見なければと思わされます。まさに「ライブ」ですね。

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2 コメント

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Unknown (NIVEA)
2016-01-12 00:42:15
個人的に、どう考えてもこれはおかしいと思い始めたのは2013年くらいかな。
多分2014年の4CCだと思うんですが、あの大阪であった「月光」初披露の大会。

「多分2013年・・・」が正当ですよね?

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Unknown (虹川 章(ウロ子))
2016-01-12 20:24:32
>NIVEAさん

紛らわしい書き方ですみません。
2013年の年末あたりに「う~ん…」となって、年明けて2014年の4CCで「あーやっぱり」ってなった、という事なのです。
で、大ちゃんが道化師滑ってたのは2013-14シーズンでよかったでしょうか?
テキトーですみません。シーズンの途中で年をまたぐからいつもわからなくなってしまいます。
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