TBA

(仮)

ちがう

2015-07-12 | 日記

「美の巨人たち」はムーミン。

講談社文庫のピンクの背表紙のやつを、古本屋でこつこつそろえたっけ。


ぼんやりと見ながら、

波とか雨とか、浮世絵っぽいよねえ、

って思いながら見てたら、ほんとにそういう感じになってた。


また戦争にからめてる人がいるけど、

フィンランドの歴史を調べてみればいいのに。

非武装中立なんてお花畑だってすぐにわかる。

いまも徴兵制がある国なんだし。





笑う洋楽展

超絶技巧のメンバーがそろったウインガーを、

「顔で選んだんでしょ」とか言いたい放題で、

最終的にはまさかのエアバンド扱い。

もうめちゃくちゃでおもしろかった。


アイスハウスって、BS洋楽グラフィティーで見て、

ちょっと気になってたんだけど、

特に参考になるようなことは教えてくれないよね、やっぱり。

調べてみたら、ガイ・プラットがいたらしい、とか。


ジューダスのビデオで、火ついてたギターって、

わりと最近まで使ってたやつじゃないのかな。

これが入ってるっていう Electric Eye ってDVD、持ってたような。

また、見て見よう。








たまに思う。

たとえ話がわからない人っているけど、

あれはほんとうにわからないのか、わからないふりをしてるのかどっちなんだろう。


前になにかの番組で犯罪被害者の話をしてて、

「被害者の家族の立場に立って考えてみたら」って言われて、

「なったことがないからわからない」って言い放った人がいた。

ちょっとあぜんとしたんだけど、

これはわからないふりをしてるのか、

ほんとに他人に共感する能力が欠如してるのかどっちなんだろう。


ほんとにつらい立場に立った人の気持ちが、

実際に理解できるかっていうと、

やっぱり完全にはわかってあげられないような気もする。

でも、自分がそうなったらどうだろうかって、

想像することくらいはできるだろうと思うんだけどな。


そういう人が、加害者擁護の立場に立って発言しているのを見ると、

なんで被害者の気持ちはわからないのに、

加害者が更生しようとしている、とか、

加害者の気持ちはわかるのかふしぎでしょうがない。



人と違う意見を持ってる、

人とは違う、自分は特別っていう、

そういう自分に酔ってる人が、いるってことなのかも。





人と「ちがう」っていうことを、

ネガティブにとらえる必要はないし、

「ちがう」ということをプラスに変えていくことは、

すごくいいことだと思う。


でも、人と「ちがう」ということそのものは、

別にすごいことではないし、そのことがえらいわけでもない。

もちろん、特別扱いをされるのがあたりまえなわけはない。

なんかそのへん、誤解してる人が多いような気がする。


民主主義では、多数決で物事は決められるけど、

少数意見を無視していいわけではない。

でも、少数意見を特別扱いしてしまったら、それはもう民主主義とは言えない。


マイノリティが迫害されるっていうのはあってはいけないことだし、

一定の配慮をされるのは当然のことだと思うけど、

マイノリティであることが特別扱いされるのは、また本末転倒な話。


自分たちの意見は正しいはずなのに、

なぜ少数派なんだろう、って思った時は、

「自分たちの意見」が本当に正しいのかどうか疑った方がいい。


絶対に「正しい」っていう意見が、常にあるわけではない。

あるときに「正しかった」意見が、

別のときには「正しくない」ってこともありうる。


自分たちにできることは、

無数にある選択肢の中から、

なるべく「最悪の選択」ではないだろうと思うものを、

とにかく選んでみることしかないんだろう。


そのためには、なるべくたくさんの情報に触れるべきだし、

そのいろんな情報の中から、

なるべく自由な立場で、理念とか信念とかに左右されないで、

できるかぎり「正しい」選択ができるように、

ひとりひとりが知識や教養を持つ努力をしないといけないんだろうな。
コメント
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