TBA

(仮)

人間とは 自己とは

2017-12-21 | テレビ番組

お正月近くになると値段が上がるし、

そうでなくても、肉とか魚とか安いのを買って、

冷凍しておいたりしてるんだけど、

買いすぎで冷凍庫がぱんぱん。


また電気屋さんにおこられるけど、

食べてしまっても意味がないからどうしたもんか。

でも、すこしは減らさないと、

この時期に冷蔵庫がこわれた方がたいへん。

まあ、どうにかしないと。


で、そろそろ毎週見ているTV番組の予告が、

次回は1月〇日の放送です、とか、

年を越しはじめた。


むかしはこういう特別番組とか、

なんか楽しみだったけど、

いまはもうなるべく、

ふだんと変わりない日常が続いてほしい。

ばたばたするのはいやだ。


カラオケのリモコンの次は、パンダパンダ。

横並びじゃないようにはできんのかと。

「ヒルナンデス」はぶれない感じだけど。




そういえば某国の報道官が笑ったとか話題になってるけど、

『4点の共通認識と4つの共同文書に照らして、

 問題を適切に処理するよう希望する』

っていうのは、なんの質問にたいする答えなんだろうかな。

そっちのほうがものすごく気になるんだけど。




今週は「グレーテルのかまど」も「100分de名著」もちゃんと見た。

カポーティってフィッツジェラルドとなんか重なる感じ。

村上春樹さんが訳してるからそう思うのかも。

もっと前の「ティファニーで朝食を」は読んだけど、

なんとなくオー・ヘンリーとかアーウィン・ショーとかみたいな、

こじゃれた小説を書く人かと思ってたら、

けっこう重たい人だと知ってあとでおどろいた。


こういう、なんていうか長編小説の番外編みたいな、

楽しい時代もありました、みたいなのは、

つらくてあんまり読みたくないかも。




「100分」は3回目。

死んだはずの人がまた現れる、っていうのはよくある。

「黄泉がえり」もそうだし、

梨木果歩さんの「家守綺譚」もそんな感じ。

幽霊ものとはまた違うのか。


うちにいたインコが旅立っていくと、

さびしくなるので、また次のを家族に迎えていたころ、

同じカゴに同じ食べ物をあげて同じように接していると、

前のインコたちと同じ行動をしてくれる時もあるけど、

まったく違うことをし始めることもあった。


それはやっぱり自分の頭の中の前のインコたちを投影していて、

なんか全部ひと続きのように感じていて、

別の存在だとは思っていなかったのかもしれない。

じっさい、最後の方になると新しい名前を付けるのもめんどうになって、

同じ名前で読んでたし。


あのインコたちはその瞬間瞬間だけを生きている感じだったけど、

実際に自我があるような存在だとどうなんだろうな。


ハリーは自我がある存在になっていくけれど、

あくまでもクリスの記憶の中で美化されたものでしかない。

読んでないけど、日常の生活とかはどうだったんだろう。


最初は、綾波レイみたいなかも、って思ってたけど、

伊集院さんがAIの話をしてたこともあって、

タチコマのほうが近いかもなと思った。


でも、そもそも人間なのかそうでないのかっていうことに、

意味があるんだろうか。


インコたちとは気持ちが通じているような気がしてたけど、

おなじ「ニンゲン」で言葉が通じていたとしても、

まったくかみ合わない人もいるし、

言葉が通じていなくても気持ちが通じる人もいるだろうし。


正直、イヤな人と一緒にいるくらいなら、

動物と一緒にいたいし、ひとりのほうがもっといいかもしれない。


「火の鳥」のムーピーってそういうのだったかな。
コメント
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