お正月近くになると値段が上がるし、
そうでなくても、肉とか魚とか安いのを買って、
冷凍しておいたりしてるんだけど、
買いすぎで冷凍庫がぱんぱん。
また電気屋さんにおこられるけど、
食べてしまっても意味がないからどうしたもんか。
でも、すこしは減らさないと、
この時期に冷蔵庫がこわれた方がたいへん。
まあ、どうにかしないと。
で、そろそろ毎週見ているTV番組の予告が、
次回は1月〇日の放送です、とか、
年を越しはじめた。
むかしはこういう特別番組とか、
なんか楽しみだったけど、
いまはもうなるべく、
ふだんと変わりない日常が続いてほしい。
ばたばたするのはいやだ。
カラオケのリモコンの次は、パンダパンダ。
横並びじゃないようにはできんのかと。
「ヒルナンデス」はぶれない感じだけど。
そういえば某国の報道官が笑ったとか話題になってるけど、
『4点の共通認識と4つの共同文書に照らして、
問題を適切に処理するよう希望する』
っていうのは、なんの質問にたいする答えなんだろうかな。
そっちのほうがものすごく気になるんだけど。
今週は「グレーテルのかまど」も「100分de名著」もちゃんと見た。
カポーティってフィッツジェラルドとなんか重なる感じ。
村上春樹さんが訳してるからそう思うのかも。
もっと前の「ティファニーで朝食を」は読んだけど、
なんとなくオー・ヘンリーとかアーウィン・ショーとかみたいな、
こじゃれた小説を書く人かと思ってたら、
けっこう重たい人だと知ってあとでおどろいた。
こういう、なんていうか長編小説の番外編みたいな、
楽しい時代もありました、みたいなのは、
つらくてあんまり読みたくないかも。
「100分」は3回目。
死んだはずの人がまた現れる、っていうのはよくある。
「黄泉がえり」もそうだし、
梨木果歩さんの「家守綺譚」もそんな感じ。
幽霊ものとはまた違うのか。
うちにいたインコが旅立っていくと、
さびしくなるので、また次のを家族に迎えていたころ、
同じカゴに同じ食べ物をあげて同じように接していると、
前のインコたちと同じ行動をしてくれる時もあるけど、
まったく違うことをし始めることもあった。
それはやっぱり自分の頭の中の前のインコたちを投影していて、
なんか全部ひと続きのように感じていて、
別の存在だとは思っていなかったのかもしれない。
じっさい、最後の方になると新しい名前を付けるのもめんどうになって、
同じ名前で読んでたし。
あのインコたちはその瞬間瞬間だけを生きている感じだったけど、
実際に自我があるような存在だとどうなんだろうな。
ハリーは自我がある存在になっていくけれど、
あくまでもクリスの記憶の中で美化されたものでしかない。
読んでないけど、日常の生活とかはどうだったんだろう。
最初は、綾波レイみたいなかも、って思ってたけど、
伊集院さんがAIの話をしてたこともあって、
タチコマのほうが近いかもなと思った。
でも、そもそも人間なのかそうでないのかっていうことに、
意味があるんだろうか。
インコたちとは気持ちが通じているような気がしてたけど、
おなじ「ニンゲン」で言葉が通じていたとしても、
まったくかみ合わない人もいるし、
言葉が通じていなくても気持ちが通じる人もいるだろうし。
正直、イヤな人と一緒にいるくらいなら、
動物と一緒にいたいし、ひとりのほうがもっといいかもしれない。
「火の鳥」のムーピーってそういうのだったかな。