きょうは雨が降ったりやんだりだし、
湿気もあってせんたくものもかわかない。
あいかわらず足も痛いし。
すわってしまえばなんとかなるんだけど、
移動の歩きがつらいし、車の乗り降りもつらい。
となりにぎゅうぎゅうに詰められると、
ほんとに手も足も出なくなる。
せまい駐車場でとりあえず広いところに、
一瞬だけ停めて荷物だけおろして、
すぐに出ようとしたら、二台ほど軽自動車が入ってきた。
どうやらおともだちらしく、手を振りあったあとに、
自分の車のとなり、一つ空いたスペースに、
一台は頭から(!)もう一台はその左となりにバックで。
まさかの運転席のドアがぶつかる状態。
で、詰め詰めに止めてるもんだから、
二人ともすごくきゅうくつそうに車から出る始末。
この人たちがとなりじゃなくてよかった、と思ってたら、
もう一台おばさまの軽。
4ドアなんだけど左の後ろがぼっこりへこんでる。
あわてて車を出しましたとさ。
そのあとはなるべくドアを目いっぱい開けられる場所に。
「100分de名著」見た。
大きい本屋さんで探したら新潮文庫は1巻だけなかった。
いやいや1巻ないとダメでしょうと思って、
在庫の検索をしてみたら13冊…
いやいや、どこに?
で、図書館に行けてないのでまだ借りられてない。
いらいらするし読まないほうがいいのかな。
でも、ギルバートのエピソードはなぜか知ってる。
何年も口きかなかったっていうやつ。
なにで知ったんだろう。
アンの個性がどうこうっていうより、
まわりの人がいい人すぎるだけのような。
ふつうはせっかく作った服に文句をつけようもんなら、
「もう着ないでいい」って言われてもおかしくない。
まず自分が変わることが必要なはずで、
ふつうはそんなにチャンスはもらえない。
ボタンを一回掛け違えたら一生そのまま。
アンはしあわせだったけど、
まわりの人の忍耐やがまんはあたりまえのものではないし、
自分の意見だけを押し通すのはわがままでしかない。
それを認めない人がいたとして批判されるべきでもない。
寛容を強要することこそ不寛容。
そして自分の不幸をすべて赤毛のせいにしていたアンだけど、
そうやって"不幸"を他人のせいにする人は少なくない。
他人のせいにしてる間は成長もしないし、なにも変わらない。
まさに「思考停止」状態。
こういう番組自体、うっかりすると、
そうなりがちな危険性は持ってるとは思うのだけど、
「安全基地」だとか「身体性」「ミラーニューロン」
「黄金の法則」「脱学校化」などなど、
講師の人の聞き心地のいい言葉への言い換えのせいで、
なんかうすっぺらい感じがしてしかたがない。
よく駅の売店にあるような、
「赤毛のアンに学ぶ人生論」的な本みたいな。
簡単に言い換えられないからこそ、本を読む意味があるのだろうと思うから、
彼の言葉で言い換えたものは、彼のフィルターを通った彼の考えでしかない。
我田引水とまでは言わないけれど。
まあ「お声がけ」なんていうのは、
「ギリギリセーフ」とか「皮肉として書いた」と並んで、
今年の真の流行語大賞にノミネートされていいくらいだし。