コテージは年代物という代物で、昭和の良き時代を思わせる。
14インチなのだと思う小さなテレビは映りが悪い。
まぁ、コテージでテレビを観るというのは”ついで”みたいなもの。
映れば充分だ。ちょいとWIIを繋げられた事だけで感動する
そういう時代物のテレビがイトシク思えるものである。
トイレは和風だ。
どうも伊豆の宿泊施設や寄る観光地はトイレは和風が主流である。
私は洋風が好きだ。どうも、和風は窮屈だ。で、なんか落ち着かない。
まぁ、そんな贅沢な事はお腹の状況が許してくれはしない。
日本人の癖に西洋被れしている自分自身はいつから洋風トイレを
好むようになってしまったのだろう。
なおかつ、自宅も会社もウォシュレットなど使っているものだから
軟な根性になっちまったものである。
昔は水で流れるような事はなく溜めていたのに。
キャンプ場に行った時にはお釣りが跳ね返ってくるのを
避けたような記憶さえある。
私の生きている時間だけなのにトイレ事情は大きく変わったものである。
そういう古(いにしえ)を懐かしく思わせてくれる。
コテージは扉の開け閉めには濁音が付いた音がする。
昼間はなんとも思わないが、丑三つ時から朝方にかけて
戸をあけて在るのだけど律儀な人は
トイレに行く度に開け閉めをちゃんとしてくれる
『ギィーキー、カッチ、ゴン』
たいてい自分のイビキ以外には敏感な私は起きる事になる。
だが、不思議な事に、人を悩ます自分のイビキは聞こえないものである。
ただ、喉がカラカラで気付くのはイビキの結果なのだろうと
なんとなく想像する。
カラカラ度=翌日『イビキ煩かったよ』の指摘度数は
かなり同調しているというか、結構ニアイコールである。
出来れば、イビキなどかきたくないのだ、誰だって。
車で寝ていろと冗談で言われると、そうかもしれないと思う。
出来れば、寝ないで過すという事も考えてはいるが
酒の入った後は、睡魔が襲ってくるのだから困りものだ。
酒の入った後はよりイビキをかく事になるのも困りものだ。
自分の気付かない所で迷惑をかけているというのは
手段が無く困り物である。
前に薬局に行って、イビキ防止策の道具を買った事がある。
入院を3日くらいする検査があるというので
個室など高い部屋を頼むにはちょいと経済的つらかったし
同じ部屋の入院患者の方々の安眠を妨害してはいけないと思った。
で、入院ちょっと前に旅行に行く機会があり
その防止策道具を実験的に使ったのだが、寝ぼけた私は
スンナリと外してしまったようだ、恐るべき睡眠中の自分。
一筋縄ではいかない暴れん坊なのだ。
二日目、前の日に早寝した(我々-自分)は早々と6時頃起きた。
私の寝ている部屋にしかテレビは無いので
音を小さくして観ていてくださる優しい方々だ。
私も出来る限り、睡眠をするように心がけたものであるが
どうも、多勢に無勢。起きることになった。
お茶など入れてくれる優しい方に対して
起きたての機嫌の悪さを悟られないようにしながらも
絶対にばれてしまう、子供じみた野郎はどこにでも居るものである。
私だ。
大人の皆様にここで感謝をするわけである。『御免なさい、ありがとう』
こうして二日目の朝が始まった。
だが、旅行記ブログは明日へcontinue。
長くなりそうだ。