Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ポパイやリトル・ビルは、じつは暴力を嫌悪していた~追悼ジーン・ハックマン~

2025-03-02 00:10:00 | コラム
暴力映画・暴力描写を得意とするスコセッシはしかし、暴力そのものが大っ嫌いだった。

ボクシングもその例に漏れず、
いやボクシングは拳闘好きからいって「暴力に非ず」なのだが、
それはいったん置いておいて、スコセッシには「暴力と変わらないもの」に映っていて、だからボクシングのファイター、プロモーター、さらにいえばそれに熱狂する観客は理解不能だった。

『レイジング・ブル』(80)のような、世紀の大傑作を創っておいて!!

『ラリー・フリント』(96)を放ったミロシュ・フォアマンも同様のことがいえる。

フリントの、表現の自由のために国と戦う姿勢には激しく共感するものの、
フォアマンはポルノグラフィ全般が理解出来ないのだった。

ここが映画・映画監督の面白いところで、その世界に精通・信奉・理解を示しているとはかぎらないものが創る―それによって距離感が生まれ、客観性が保たれることがあるってことでしょう。


ジーン・ハックマンは演じてきたキャラクターによって、好戦的・暴力的なイメージが強いひとかもしれない。

フランク・スコット牧師(=ポセイドン・アドベンチャー)のような例外はあるものの、

ポパイことジミー・ドイル刑事(=フレンチ・コネクション)はもちろんのこと、


ルパート・アンダーソン捜査官(=ミシシッピー・バーニング)はエリートのFBIのはずなのに、悪を追いつめる手法は「ある意味で」悪以上に手荒い。


リトル・ビル・ダゲット(=許されざる者)は劇中において「最大の悪」であり、

フランク・ラムゼイ大佐(=クリムゾン・タイド)も同様であった。



しかしハックマン自身は「イコール暴力」と捉えられることに抵抗を感じ、『許されざる者』のオファーもいちど断っている。

ハックマン「暴力的な映画は、もうごめんだ」
イーストウッド「ちがうよ、これは暴力を否定するために創るんだ」

そして実際のハックマンは「どちらかというと」気弱なほう、
オスカー授賞式における「控えめなスピーチ」に、そのあたりがうかがえる。


ほぼほぼ引退状態となって約20年が経過していた―年齢を考えると大往生、
しかし愛犬も死んでいて、アジア系の夫人の遺体はすでに腐敗が始まっていたというミステリ的な状況。


こころがざわざわするが、いまはともかく冥福を祈りたい。


詳しい経歴は、列伝のアーカイブ↓を参考にしてください。
https://blog.goo.ne.jp/macky2466/e/39fb8dd751814492832c01ddc5b8c646


享年95歳、合掌。。。


~ジーン・ハックマンのキャリア10傑~

①『許されざる者』(92)

②『フレンチ・コネクション』(71)

③『ミシシッピー・バーニング』(88)

④『スケアクロウ』(73)

⑤『ポセイドン・アドベンチャー』(72)

⑥『クリムゾン・タイド』(95)

⑦『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)

⑧『追いつめられて』(87)

⑨『地獄の七人』(83)

⑩『カンバセーション…盗聴…』(74)






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明日のコラムは・・・

『わたしが棄てたおんな 2025年度版(前)』
コメント (2)
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