Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

愛をとりもどせ

2018-02-28 00:10:00 | コラム
もうすぐ米オスカー授賞式、映画界最大の祭典なので、受け手としても存分に楽しみたい・・・のだが、今年は「そうさせない=楽しませない」空気が出来上がってしまっている―のが、ここ日本からでも「よーーく」分かる。


ワインスタインから始まった、セクハラ・性暴力騒動の余波は留まることを知らず・・・

ケビン・スペイシーのドラマ降板、
暴露本出版を予定していた女優のエージェントが自死、
ウディ・アレン、ロマン・ポランスキーへの「あらためての」バッシング、

そして一昨日は、人気イケメン俳優ブレンダン・フレイザーが若かりし頃のセクハラ被害を告白し、

情報通デイヴ・スペクターであっても、おそらくすべてのスキャンダルを把握し切れていないであろう状況になってしまっている。


角界ではないが、膿があるとするならば、そんなものはすべて出し切ってしまったほうがいい(に、決まっている)。

しかしすでに、賞がらみの争い―ノミネートされた直後にDV暴露があった、ゲイリー・オールドマン。逆に、セクハラ騒動が尾を引いてノミネートされなかったと見られるジェームズ・フランコ―を呈しているケースも見られたり、
黒ドレス統一の動きを「同調圧力」と批判する向きもあれば、

ブリジッド・バルドーやカトリーヌ・ドヌーヴが指摘するように、行き過ぎていて魔女狩りを彷彿とさせる怖さもある。


そういうゴッタゴタを知った状況で、祭典だから楽しもうといわれてもね。

みんな、映画を・表現を愛するという「根っこ」は同じはずなのに。

そんなひとたちが創った、キラキラな映画愛の映画。


ひとに幻滅することはあっても、これらの作品が裏切ることはない。
当たり前のことだが作品そのものに罪はなく、
だから思うんだ、渦中の誰それが関わっているからという理由だけで、
その作品を認めなかったり、
出演したのを後悔しているとか、いわないでほしい。

映画愛を、取り戻さなきゃいけないよ。

(1)『アルゴ』(2012)

驚き、感心した。
ベン・アフレックの、映画に対する深い愛情に。



(2)『ミッドナイトクロス』(81)

意外と似合っていた、トラボルタの職人(録音技師)演技。




そしてエピローグは、こういう仕事に携わる「すべての無名なひとびと」に対する鎮魂歌になっていた。
そこが、とっても感動的。

(3)『バートン・フィンク』(91…トップ画像)

NY派劇作家の視点で捉える、異様な街ハリウッド。

しかし異様には映るが、イヤなところではないのがポイントだと思う。

(4)『イングロリアス・バスターズ』(2009)

映画的発想で歴史をひっくり返す。

QTの面目躍如でしょう。

(5)『エド・ウッド』(94)

映画監督としての才能は「おそらくゼロ」だった男の一代記を、底抜けに明るいタッチで描くティム・バートンの最高傑作.

(6)『蒲田行進曲』(82)

演者が出てきて挨拶するエンディング構成は、けっこう勇気が要ることだったのではないか。

(7)『アビエイター』(2004)



病んだ富豪、ヒューズは映画制作にも乗り出した。

プロデューサーとしての能力は、けっして「ゼロ」だったわけではない、、、らしいね。

大金に目がくらんで、分かりづらいけれども。

(8)『ホワイトハンター ブラックハート』(90)

映画監督イーストウッドから見た、映画監督ジョン・ヒューストンとは。

捉えどころのない主人公だが、ゲージツ家って、みんなヘンクツだから。

(9)『ニューシネマ・パラダイス』(88)

いわゆる「ベタ」かもしれない、しかし愛情表現って、凝る必要なんかないものね。

(10)『アメリカの夜』(73)

デジタル時代では見られなくなった、かつての映画制作方法とは。


※さぁ、取り戻そう



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明日のコラムは・・・

『まだ。43歳といっちまう + 02月コラムの目次』
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ずっと好きなことに触れていられたら…

2018-02-27 08:33:42 | コラム
「そろそろかな…」と覚悟はしていたが、
その日、目覚めた瞬間に「スギ花粉の気配」を感じ、憂鬱な気分になった。

あぁ今年もか。
誇れるものでもないが、花粉症キャリアは30年である。

しかし、
突然罹るひとが居るように、突然治るひとが居るとも聞く。
ひょっとしたら今年は罹らないんじゃないか・・・と、少しだけ期待していたのだけれどもね!!


始まったからには、終わるまで付き合っていかねばならない。

自分の症状は、割と早めで2月真ん中~3月真ん中ぐらい。

このあいだは酒は不味い(でも、呑む)し、煙草は不味い(でも、吸う)し、
つまり味覚がバカになり、
ただでさえ一般以下と自覚する集中力が「より低下する」し、
基本、なにをしていても楽しくない。

ただ。
ごく稀に、「あれ自分、花粉症を脱した?」と勘違いしてしまうような時間が訪れる。

「特別」といっていいほどの、素晴らしい映画に出会えたとき、、、とか。

その年のベストバウト候補に挙げられるくらいの、エキサイティングな格闘技に触れたとき、、、とか。

一生撫でていられそうな女人のフトモモに出会った? とき、、、とか。


「花粉症、しんどいんだぜ」アピールをするのに「病は気から」要素は余計なのだけれども、
実際、好きなことに触れているあいだは、その症状は「ゼロ」とはいわないが「弱め」であることはたしかなのだった。


だから、そういうものばかりに囲まれて過ごせたらなぁ―と、現実逃避の発想が自分を支配していくのである。


まぁでも、実際は「当然」無理なので、がんばれ自分! と ♪ 夢中で頑張るキミにエールを ♪ 贈るしかない。




といいつつ、少しでも長く好きなものに触れたい、、、という思いは、(いつだって抱いているが)この時期はとくに強く。

そんな自分は、3月1日の再戦が、とっても楽しみなのでした。


※ポイントはディフェンスでしょうね、

キレイに勝ってから引退、ぜひその流れでいってほしい。



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『愛をとりもどせ』
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自分が自分が病

2018-02-26 00:52:38 | コラム
きのう書いたとおり、きょうはサボり系? のコラムで。


自分は自分のことが大好きで、「自分が自分が」病に罹っている。

それは本ブログを見てもらえば分かると思うが、
それでも、症状そのものは10年前に比べれば和らいできた感がある。

その証拠に、ほぼ自撮りしていない。

そりゃそうだろう って?

まぁそうだよね、顔で勝負しているわけじゃあないし、モデルさんでもないし。
(だからFacebookはやっていても、画像が主体のInstagramには手を出さない)


きょうは、敢えて「自分が自分が」度の強い写真をアップしてみようと思う。

自撮りもあれば、そうでないものもあるけれど、いずれも「自分が自分が」を感じさせるものでしょう。

なお、推定110kg時代の写真は、しょっちゅう載せているので今回はカット。


ではいくぜ!!


(1)高校の卒業アルバム、その壱

笑顔だが、ひとり斜に構えた感じ



(2)高校の卒業アルバム、その弐



誰が、いつ撮ったのか覚えてもいないが

(3)いちばんモテていたころ



ほんとうか?

(4)いちばん痩せていたころ



総合格闘家(もちろんアマチュア)時代、減量を終えた試合1日前です

(5)自撮り覚えたて



目の焦点がおかしい

(6)それが、少し慣れてきたころ



(7)そして、トップ画像が近影であると。



ヘアスタイルの変化はあるが、顔そのものの変化は少ないよね。

うん、若いってことで。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(240)

2018-02-25 01:24:09 | コラム
きっ「く」→「く」りんといーすとうっど(クリント・イーストウッド)

「―チャールトン・ヘストンが登場予定なんだが、なぜか来ない。
そこで、三行以上の台詞をいったことがない自分が、代役ということで、ここに上がっている」

クリント・イーストウッド、ユーモラスにオスカーのプレゼンター代役を(途中まで)こなす

※1分10秒あたりから


…………………………………………

そんな自虐ユーモアが「当時」「世界一」似合っていたアクション俳優が、まさか映画界で最重要とされる映画監督になるなんて、
本人はもちろん、
このひとを育てたドン・シーゲル、セルジオ・レオーネ、
そして映画ファンさえ想像しなかったこと。

ほんとうは『映画監督別10傑』シリーズで取り上げたかったひとなので、きょうは少し長めになるでしょう。
(その代わり、あすはサボり気味のコラムにしよう笑)


87歳の巨匠は、ウディ・アレンのように精力的に映画を撮りつづける。

撮りたい題材が溢れ出てきて尽きず、受け手もそれをすべて受け入れるつもりでいるので、これはもう神様、イースト爺には永遠の命を与えてもいいんじゃないでしょうかね。


個人的に、語りたいことはふたつ。


まずは映画とは無関係なことで・・・

このひとには、「ハイムリッヒ・マニューバー」ということばを広めた功績がある。

人命救助のひとつで、

(1)背後から両腕を腹部に回し、
(2)片腕は拳を作り、もういっぽうの掌をその拳に重ね、
(3)胸骨と臍の間を上向きに強く圧迫する



※ブログ『たけぱみゅりんの木と森たち』より


イースト爺はこれで、喉にチーズを詰まらせた男性を救った。

信じられないだろ、
80代のじっちゃんが、50代を救うんだぜ!!


そしてもうひとつが、自分にとって・映画小僧にとっての、最重要項目。

「観客より、大事なもの・ことがある」

かつてイースト爺は、そんなようなことを語ったとされている。

監督としてのフィルモグラフィを眺めると、なんとなく頷けないかい?


そのことを踏まえ、まずは映画監督としての個人的3傑から。

(1)『許されざる者』(92)



ひとをバンバン撃つキャラクターを演じてきた男が後年、ひとがひとを殺すことの是非と難しさを描いてみせる。

自己否定と捉えかねぬ映画を、堂々と放った。

(2)『ミスティック・リバー』(2003)

後味の「すこぶる悪い」、ほとんど悪夢のような物語。

しかし、どこかの国で実際に起こっていること―と、なんとなく想像させる怖さがある。


この映画を観た知り合いの女の子が、「なぜ映画を観て、こんなにイヤな気分にさせられなければいけないのか」といった。

そのときの議論で出てきたのが、「観客より、大事なもの・ことがある」。


このくらいのひとが発してくれると、作家主義の映画を貫こうとする後輩たちは、たいへんに勇気づけられるのではないだろうか。

(3)『恐怖のメロディ』(71)

記念すべき、監督第1作。

本人はいうことはないと思うので代弁? してしまうが、正直、「監督としていけるぞ」という感触があったと思う。

そのくらい、よく出来た映画。


次に、映画俳優としての個人的3傑を。

(1)『アルカトラズからの脱出』(79)

脱獄モノの決定版だと思う。



菊の花や爪切り、スプーンなどの小道具も素晴らしかった。

(2)『ダーティハリー』(71)

イーストウッドのイメージは、これで固まった。

ばかりか、70年代刑事映画の方向性まで決定づけた。

(3)『ザ・シークレット・サービス』(93)

おじさんが、ひたすら頑張る映画。

そりゃ、レネ・ルッソだって惚れるよ。


最後に。
個人的に、唯一「ノレなかった」監督作品を。

それが、『マディソン郡の橋』(95)。

「よろめきモノ」は割と好きなのだが、この手のジャンルにしては弱かったように思う。


生ける伝説のようなひとなので、こういう作品がひとつあると逆にホッとする・・・といったら、ちょいと性格悪いかな苦笑


結論。
「観客より、大事なもの・ことがある」ということばの印象が強く、一見「作家主義」の監督のようにも見られるが、その実、手がけた作品は多岐にわたり、「職人監督」のようにも見える―そんな、ユニークな爺なのでした。


※最新作、もうすぐ公開



次回のしりとりは・・・
くりんといーすとうっ「ど」→「ど」らむ。

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明日のコラムは・・・

『自分が自分が病』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(239)

2018-02-24 00:10:00 | コラム
ちしぶ「き」→「き」っく(キック)

実戦? において、脚を武器にするというのは、出来そうで、その実なかなか出来ない。

まず手が出るのがふつうでしょう。

それに慣れているひとは、頭突きなんかも。

ただ全身を駆使していいはずなのに、脚って「意識しないと」出てこない。

例外もあるけれど、一般的にはそういうもの。


自分?

この歳で実戦―試合とかではなく、日常生活における殴り合いのこと―なんかするような武闘派ではないが、ちょっと異色で、すぐにタックルしちゃう傾向にある。

アスファルトだろうがなんだろうが、寝かしてどうこうするっていう。
寝ちゃえば強いぞって。


参考にならないよね。


脚は、使いようによっては拳以上の威力を発揮する。

それでも素人は(下半身を攻撃する)ローキックどまりでしょう、あとうまくいって腹への攻撃が限度。
膝からの攻撃や、ふくらはぎから下を使って(頭部を攻撃する)ハイキックなんていうのは、それなりの鍛錬を積まないと自爆してしまう。

格闘技好きでなくとも知っているハイキックの使い手は、クロアチアのミルコ・クロコップ。



このひとのハイキックは、エグくて、そうして美しい。


ただ技術的に魅かれるのは、軌道が読めないブラジリアン・ハイキックのほうかな。

※2分20秒あたり




いかんいかん、これは格闘技ではなくって映画のコラムだった。


以下が、映画のなかで印象に残る「キック5傑」。

使う機会なんて訪れないほうがいいに決まっているが、シミュレーションしておくだけでも効果がある・・・かも、しれない。


(1)『キック・アス』(2010)

最後は、キックで決めます。



(2)『GO』(2001)

―これは僕の、恋愛に関する物語だ。

とはいうものの、ビッグインパクトを残すのはドロップキック。

ただここから恋愛は始まったので、それでOK。

(3)『少林サッカー』(2001)

馬鹿々々しさも、突き詰めれば感動へとつながる好例。



(4)『スパルタンX』(84)

ベニー・ユキーデ(キックボクシング元王者)との、身体すべてを駆使した死闘。



(5)『ハイキック・ガール』(2009…トップ画像)

この分野に関して本職? である武田梨奈が注目されるきっかけとなった快作。


あすのしりとりは・・・
きっ「く」→「く」りんといーすとうっど。

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『シネマしりとり「薀蓄篇」(240)』
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