Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

黄金週間特別企画(6)け、けだもの…

2014-04-30 00:30:00 | コラム
愛らしいのか、恐ろしいのか。

アーティストが創造してみせる「実在しないイキモノ」に中間はなく、そのどちらかになるのだろう。

そりゃそうか。
実在しないイキモノなんだもの、実在するものに近づけても面白くはない。
左右どちらかに振り切ってしまったほうが、映像的なインパクトを期待出来るというものだ。


でもね。
ヘビやイグアナを可愛いというひとも居れば、映像でさえ顔を背けるほど苦手なひとも居て。

怖がらせよう・震わせようと思って創造したキャラクターが「かわいい♪」なんて評価されたら、アーティストはずっこけちゃうよね。
しかし制作意図とは逆の現象が起こってしまうのも充分にあり得ることで、ホラー映画の裏主人公? たちも頭を悩ませていることだろう。

以下の10人・匹・頭? のキャラクターにしたって、ひとによって「かわいい♪」「キモい!」と意見が分かれるはず、
難しい時代だなぁ、、、なんて思うのだ。


(1)ギズモ…『グレムリン』(84)

そりゃあ、ワンちゃんも驚くよな




(2)エイリアン・クイーン…『エイリアン2』(86…トップ画像)

美しさとおぞましさが同居している!!

デザインは、アーティスト志望の若者たちから絶大な支持を集めるH・R・ギーガー。

(3)タールマン…『バタリアン』(85)

「タールだらけ」だからタールマン、
緑色したオバサン風? ゾンビだから、オバンバ。

日本が勝手につけた「トンデモ」ネーミングではあるが、この作品の性質上、それも「あり」か。

(4)ゴジラ…『ゴジラ』(54)

日本が誇る怪物。

本年夏、オリジナル作品のデジタルリマスター版が公開され、
さらに、米国版『GODZILLA』が上陸する。

名前は「呉爾羅」に由来するとされているが、アルファベットで「GOD」だもんね、いろいろ想像出来て面白い。

(5)チューバッカ…『スターウォーズ』シリーズ(77~)

年齢200歳、身長2m以上の毛むくじゃらのイキモノ。

でもなぜか憎めず、向こうが嫌いだったとしても、なんとかして仲良くなりたいと思わせる魅力がある。

(6)ジャック…『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(93)

キャラクター化され易いガイコツのなかで、おそらく最も長身で、最もスマート、最も歌が巧く、そして、最もイケメン。

つぎはぎ人形サリーと幸福な人生を送ってほしいが、こういう男はじっとしていられない性なんだよねぇ。

(7)ハワード…『ハワード・ザ・ダッグ』(86)

ラジー賞(最低映画賞)に輝くSFの駄作といわれているが、主演のリー・トンプソンは可愛いし、アヒルっぽい(というか、アヒル?)メインキャラは愛嬌があるし、それほどひどいとは思わない。

日本ではまったく知られていないが、『スパイダーマン』同様、この作品もまた原作はマーベル・コミックスなのだった。

(8)プレデター…『プレデター』(87)

頭がいいのに容姿はカブトガニ、なんだか可哀想にも思えるプレデちゃん。

1作目の主役はあくまでもシュワ氏であったが、続編以降の主役は「完全に」プレデちゃんだよね?

(9)テッド…『テッド』(2012)

命が宿ったテディ・ベア。

「小」生意気、いや生意気な彼は助平だが生殖器がない―クドくなり過ぎなかったのは、この体質? が要因だろうか。

(10)ねこバス…『となりのトトロ』(88)

トトロも小トトロも「まっくろくろすけ」もいいが、ふわふわな乗り心地は想像するだけで気持ちよさそうなので、ぜひ乗りたい。

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黄金週間特別企画(5)せんせい

2014-04-29 06:37:08 | コラム
学生時代に出会った先生で、印象的だったひとを思い出してみる。

<小学校時代>
休み時間中、パンツを下げて女子にちんちんを披露して恐れられて? いたのだが、担任に怒られてやめた。

「たいして大きくないんだから、恥ずかしいと思え」

そうか、自分のは大きくないのか―ガツンとやられた。

<中学校時代>
申し訳ないが、とくになし。

<高校時代>

1.無茶な減量により体調を崩し、1年生の2学期はたびたび保健室に。
保険の先生は、伊藤蘭を「ちょっとだけ崩した」ようなひとで、いろいろ相談に乗ってくれた。

いま思うと、軽く惚れていたのかもね。

自慰のネタにもしていたし。

2.国語の教師に自作シナリオを添削してもらった。

イヤな顔せず引き受けてくれて、小説までプレゼントしてもらう。

『耳をすませば』(95)で、小説を読んでくれたジイサンがヒロインに感想をいうシーンがあったが、そうなんだ、「最初のひと」が肝心なのだ。
ここでどういわれるかで、書き続けるかどうかが決まるといっていい。

そういう意味で、ほんとうにいい先生に出会ったなぁと思う。


成人以降も・・・
シナリオ技術を教えてくれる師匠、
酒の呑みかた・女の口説きかたを教えてくれる人生の先輩などと出会い、
さらにいえば道場では、自分が先生になる立場だったりする。


自分、いい先生かなぁ?

ダメだね。
まったく、ダメ。

魅力がない。なさすぎる。

どうすれば先生としての魅力を備えることが出来るのだろう?

以下の10傑に登場する先生の言動を観察し、良くも悪くも「インパクトだけでも」残せるようにしたい。

ん?

考えかた、間違ってる?

そうかもしれないが。


(1)ヨーダ…『スターウォーズ』シリーズ(77~)

身長66cm、しかしグランド・マスターの称号を持つジェダイの騎士。

彼に教えを乞うことが出来るルークは、もうそれだけで幸福なのだ。

(2)デューイ・フィン…『スクール・オブ・ロック』(2003)

子どもは嫌い。働くことも嫌い。
そんな大人が、唯一好きな「ロック」のために、学校の先生になる。

その学科を「好きで好きでたまらない!」という感じで教えてくれる先生と、「お仕事、お仕事。」という感じで教えてくれる先生―どっちがいいのかって話でもある。

(3)キーティング…『いまを生きる』(89)

分かっちゃいるけどグッとくるラストシーンを、少し長いけどノーカットで。




(4)森口悠子…『告白』(2010、トップ画像)

キーティングと真逆のような先生・・・かもしれないが、子どもたちと真剣に向き合っているという意味では同じ、、、なんじゃない?

(5)ミヤギさん…『ベスト・キッド』(84)

テキストブックなんかで強くなろうとするな―そう主人公に教える空手の達人は、1日中、車のワックスがけを命じる。

主人公も真面目でいい子だから、それに従い、そうして、受けの型をマスターしたのである。

(6)インディアナ・ジョーンズ…『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~)

教室は満杯になるが人気先行型といえるので、実力のほどは分からない。

ただ本題ではなく寄り道をしたときのエピソード話は楽しそう。

(7)グレン…『陽のあたる教室』(95)

音楽だけを生きがいにしてきた教師、だが生まれてきた子どもは耳が聞こえなかった・・・という物語。

「いい話過ぎる」という感想もあるが、それでもやっぱりラストはグッとくる。

(8)フォーリー軍曹…『愛と青春の旅だち』(82)

先生と生徒が、ある過程を経て逆の立場に。

中学生のころに観た映画だが、そのころはまだ士官学校の仕組みを知らず「???」と思ったんだけれど笑

(9)大石久子…『二十四の瞳』(54)

2007年のリバイバル公開時に再見、そのとき3度目の鑑賞であったが、初めて落涙した。

自分の教え子たちが自分より早く死ぬなんていうのは、やっぱりおかしなことなんだ。

(10)フランソワ…『パリ20区、僕たちのクラス』(2008)

第61回カンヌ映画祭、パルムドール受賞作品。

出身国も生い立ちも「まるでちがう」24人の生徒と、ひとりのフランス語教師―彼ら彼女らの軋轢の数々をじっくり見つめ、緊張感は途切れない。

原作小説を書き、脚本・主演を担当したフランソワ・ベゴドーは「実際の先生」でもあったそうで、あぁ、生々しさはそういうことだったのか、、、と合点がいった。

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黄金週間特別企画(4)あく、たい

2014-04-28 00:30:00 | コラム
口喧嘩をする。

議論、ではなく、あくまでも口喧嘩。罵り合い。

悪態をつく行為というのは、そんな過程で生じるもの。

間近で「そのサマ」を見た経験があるので、有名人の最強・最凶「悪態つき」を挙げろといわれれば、自分にとってはデヴィ夫人か。
このひとの豹変ぶりはすごい。
キレどころも分からないから、受けるほうは「???」で、罵詈雑言を浴びるほかない。

敵にまわすと厄介極まりないので、「本意ではなくても」彼女の意見には頷くことにしておきましょう。

悪態とはいえないが、これもすごい。
こうなったら、もうこっちは黙るほかないだろう。




恫喝かな。

つまり悪態や恫喝っていうのは、相手を黙らすことが出来る。

出来るが、なんというかスマートとはいえないよね。
トシは取っているが中身はガキ、ほんとうにそう思う。

先日―たぶん生まれて初めてのことだと思うが、自分も悪態をつかれた。

ほほう、受けるほうはこういう感じになるのか、、、と勉強になった。

などと冷静に書いてはみたものの、じつをいうと未だ腹が立っている。モヤモヤが残っている。

ことばは凶器になる―久し振りに、そのことを実感したよ。


今宵は、そんな悪態や恫喝、口喧嘩が描かれる映画を集めてみた。


(1)『8Mile』(2002)

これは芸になっている。

理想的な悪態のつきかた



(2)『アリスの恋』(74)

ヒロインが働くダイナーで、ヒロインとその恋人が口喧嘩。

迫力満点、台詞を生み出したのは脚本家かもしれないが、そこに魂を宿らせるのは生身の俳優なのだ。

(3)『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(66)

舞台劇を映画化。
台詞の汚さで問題視されただけあって、いま観ても刺激的。

ちなみに映画史上で初めて「fuck!」を使用した作品でもある。

(4)『ゆきゆきて、神軍』(87)

奥崎じいさんは権威に屈せず、誰にだって噛みつく。

だからだろう、重い映画のはずなのに爽快感さえ抱くのだ。

(5)『ダイハード』(88)

爽快さでいったら、この映画も負けていない。

トランシーバーごしではあるが、テロリストやロス市警察本部次長を「小」馬鹿にすることばたちが、いちいち爽快痛快なんだもの。

(6)『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007)

姉妹同士の罵り合い。

相手を仕留めようとするほどのことばの暴力は、結局、自意識の高さからくるものだと教えてくれる。

(7)『ローズ家の戦争』(89)

夫婦の危機を戦争にたとえて劇画化してみせた快作。

愛憎という漢字の組み合わせはよく出来ていて、愛と憎しみは表裏一体なのだろうね。

(8)『レイジング・ブル』(80…トップ画像)

兄弟なのに、夫婦なのに。
いや、兄弟だから、夫婦だからこうなるのか。

相手を、そして自分を傷つけることしか出来ぬ、ヒトの罪深さ!!

(9)『天国と地獄』(63)

主人公は犯人と、妻と、右腕と、刑事たちと口喧嘩を繰り広げる。

それでも自己を失わず、「これからが、いよいよほんとうの俺なんだ」といってのける強さ―感動的だし、自分もそうありたいと強く思う。

(10)『レスラー』(2008)

娘と父親による、ちょっと切ない口喧嘩。

分かっちゃいるけど、夢を捨てられない。
この物語を体現したのが、ボクサーから総合格闘家に転身した西島洋介だろう。

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黄金週間特別企画(3)ひとりぼっちの、よる

2014-04-27 08:27:51 | コラム
♪ ひとり上手とよばないで こころだけ連れてゆかないで
あたしを置いてゆかないで ひとりが好きなわけじゃないのよ ♪
(中島みゆき、『ひとり上手』)


ひとりの空間ではなく、その他大勢が存在する空間でこそ、ほんとうの孤独を実感することが出来る―なんてエラソーに書いてはみたけれど、自分はほんとうの孤独を経験したことがあるかな、、、などと考えてみる。

あるかもしれないし、ないかもしれない。

あるような気がするけれど、ないような気もする。

と、どっちつかずの答えかたしか出来ないのは、きょうの10傑を並べてみたとき、彼らのような境遇・心境に自分が置かれたことがないから。

孤独の実感って、意外と難しい。

その境遇に酔いまくっているだけだとしたら、絶望とは無縁な気がするし。
孤独と絶望ってイコールだと思うから、酔っている時点でほんとうの孤独とはいえないのではないか。

そう、孤独とは境遇というよりも心境、こころの状態を指す。
ロンリーウルフといえば聞こえはいいが、誰にも理解されないことからくる絶望はなかなかのものだろう。


酔えるだけマシ、君たちはこの孤独に耐えられるか―と、10本の映画は我々に語りかけてくるのだ。


(1)『ジョニーは戦場へ行った』(71…トップ画像)

戦争から帰還したら、喋ることが出来なくなっていた。
それどころか腕も脚もなく、かろうじて「目、のようなもの」は機能しているみたいだが、自分が単なる肉片になってしまったことに気づく。

SOSを送り続けるジョニーの、絶望の深さ。

(2)『タクシードライバー』(76)

トラビスは、はっきりと病んでいる。
だがそのことに気づかず、周囲こそ病んでいるのだと捉えている。

周囲が病んでいることは正解だが、
他者とコミュニケーションを取ることが出来ないと、自分自身の病には無自覚になってしまうのだ。

(3)『マン・オン・ザ・ムーン』(99)

誰かの理解を得られたい―ほとんどの表現者が願っていること。
そう捉えれば、主人公アンディ・カウフマンの壮絶が分かる。

誰にも理解されない笑いを描き続け、散っていったコメディアン・カウフマンの物語。

(4)『カノン』(98)

「ちんぽ」を自称するダメ親父の、生きるか死ぬかの物語。

開き直り、意地を張って生きてきたジジイの号泣に「もらい号泣」したひと、沢山居るんじゃないかな。

(5)『市民ケーン』(41)

映画史の古典。

金でも孤独が癒されることはなかったと映画は語るが、主人公と監督オーソン・ウェルズをダブらせる映画小僧多し。

(6)『告発』(95)

アルカトラズ刑務所の独房のなかで人生をあきらめ、友達だけを欲した男の物語。




「童貞を捨てたい」と願う主人公に弁護士は娼婦を紹介するが、
その娼婦を演じたのがケビン・ベーコンの奥さん、キーラ・セジウィックだったというキャスティングがうれしい。

(7)『太陽を盗んだ男』(79)

原子爆弾を作るにしても、仲間を募ればいい。
でも男は、たったひとりで原子力発電所に忍び込み、プルトニウムを奪い、原子爆弾を作った。作り切った。

しかし。
作ってはみたものの、それを使ってなにをすればいいのか分からない―このとき男は、自分が孤独であることを実感するのだ。

(8)『エレファント・マン』(80)

象人間と呼ばれた男の数奇な人生。

寄ってくるものは多くても、触れてくるものは「ひとりも」居ないという絶望。

(9)『十九歳の地図』(79)

この10傑のなかで、いちばん感情移入し易いキャラクターかもしれない。

感受性の強い青春期は、孤独感や絶望を抱きがち、、、だからね。

(10)『ゼロ・グラビティ』(2013)

最新マシンに囲まれてはいるけれど、宇宙空間でたったひとり―。

まだ、太平洋ひとりぼっちのほうがマシだと思う。

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黄金週間特別企画(2)ひとが、わんさか。

2014-04-26 00:30:00 | コラム
ヒトひとりの内面をきっちり描くには90分近くを要する―だから映画は90分くらいがちょうどいい、なんてなことをシナリオ教室で教えるセンセーも居るけれど、
『グランド・ホテル』(32)によって「ひとが、わんさか。」でも「それぞれの人間の内面」を描けることは証明されており、
自分は単一を描く映画も好きだが、複数を描く映画は「もっと」好きだ。

複数を描くドラマを「群像劇」という。


頭のなかを広げることが出来れば・・・

同一の時間帯である必要はなく、
同一の場所で物語を進行させる必要もない。

別の地域の、別の時代の、まったく異なる人種でさえ、表現によってはメビウスの輪のような効果をもたらすことも可能。

それが創り手に刺激を与えるのだろう、群像劇が創られない年はないと断言出来るほど、野心的な表現者によって新作が発表され続けている。

自分?

うん、もちろん挑戦した。

それぞれのキャラクターの描き分けに苦労したが、書き上げたとき、なんか自分がモノスゴ頭良くなったように感じたものだ。

それじゃあ単なる自己満足じゃないか?

まぁそうだが、そういうなかから傑作が生まれることもあるから、勘弁してくれや。


(1)『ショート・カッツ』(94)

ロバート・アルトマン、晩年の傑作。

10組のカップルが交錯する物語。
「昨日はなかった、短い切り傷」―このキャッチコピーが、抜群にいい。

(2)『マグノリア』(99)

そんなアルトマンの後継者とされていたのが、ポール・トーマス・アンダーソン。

『ショート・カッツ』のクライマックスは地震だが、この映画では、なんとカエルの雨が降る。

この映画のキャッチコピーは、「20世紀の最後を生き抜く、愛と希望のものがたり」。

(3)『どん底』(57)

ゴーリキーの同名戯曲を日本の江戸時代に置き換えた黒澤の傑作。

傑作の割には黒澤を語る際に「外されがち」な作品であり、群像劇を論じる際も、やはり無視されがちなのだ。

なぜ!?

(4)『トラフィック』(2000)

麻薬の売買、その取引を追い、それがどう末端(高校生)の手にまで渡るのかを絶妙な編集スタイルで描く。

売るほうも買うほうも、そして取り締まるほうも必死―キャッチコピーは「戦わなければ、のみこまれる」で、まさにそのとおりだと思った。

(5)『クラッシュ』(2004)

自動車の衝突にからめて人間関係の衝突を描く、オスカー作品賞受賞作。

日本でも描けそうな題材だが、多民族国家ゆえの複雑さは出せないかもしれない。

(6)『パルプ・フィクション』(94)

QTタランティーノ初期の代表作。

パルプな連中の薄っぺらい犯罪を重層的に描き、「時代を撃つ」というキャッチコピーどおり、若い世代に衝撃を与えた。

(7)『桐島、部活やめるってよ』(2012)

ヒットした原作小説の構造をさらに複雑にさせ、それでいて分かり易い物語にした吉田大八の演出力はたいしたものだと思う。

個人的にいちばん共感したのは、前田(神木隆之介)の親友・武文(前野朋哉)。
そう思った映画小僧、多いんじゃないかな。

(8)『ラブ・アクチュアリー』(2003)

クリスマスに観たい映画のベストワンに輝いたらしい、群像劇風恋愛映画。

男女あわせて19人、いちばん共感出来たのは「ラブシーンのボディダブルを演じる男女」だった。

(9)『ナッシュビル』(75)

群像劇といえばアルトマン、アルトマンといえば群像劇―そんな認識は、この映画で生まれた。

複数をつなぐのは「音楽」。
しかしアルトマンの批評眼は冴えに冴え、その矛先は政治へと向かう。

(10)『バベル』(2006)

モロッコ、カリフォルニア、メキシコ、そして日本を舞台に様々な人間模様が描かれる。

はっきりいうと本編そのものよりキャッチコピーの「届け、心。」にグッときた。


極論をいえば、すべての映画が「それ」を描いているわけだから。


※あらためて追悼、フィリップ・シーモア・ホフマン―『マグノリア』より




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