Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

アクメでなくアタメでもなく、アクネです。

2012-05-31 00:15:00 | コラム
※新藤監督が亡くなられたけれど、後日、しっかとした追悼文をアップしますです。
とりあえず、合掌。

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先日―世話になったひとの引退の会? があり、幹事をやった。

呑み会としては、まぁ成功したほうだと思う。

ただ贈り物が「やや」かぶってしまったのが惜しい! というか、やっぱりなぁ! と。

出席者全員からということで花と商品券を、それとはべつに、(主役さんも自分も好きなので)ももいろクローバーZのTシャツと、「労働」ネクタイ鉢巻(ピンク)を個人的に贈ったのだが、
やはり「ももクロ」好きの同志Aも、ライブDVDやらなにやらを贈ったのだった。

うちら、どんだけ好きなんだよって話である。

主役さんは妻子ありなので、帰宅後、なにかいわれなかったんだろうか・・・と、ちょっとだけ気にかける。

まぁいいや。


本日のテーマは、「かぶる」ということ。

内容が偶然「かぶる」という映画は、よくある。
キューブリックの『博士の異常な愛情』(64)と、シドニー・ルメットの『未知への飛行』(64)とか。

核ミサイルを扱った物語だが、発表時期まで重なっているという「出来過ぎた」偶然。
しかしこの偶然によって、「パクッた」「パクられた」という話にはならなかった。
もし、どちらかの作品が翌年に発表されたものだとしたら、たとえそうでなかったとしても「前年のがオリジナル」という認識を持たれたことだろう。

物語の「かぶり」は、中身に触れてみなければ分からない。
厄介なのは「タイトルのかぶり」のほうで、たとえば『クラッシュ』というタイトルの映画は、
95年のアメリカ映画、96年のカナダ映画、2003年の日本映画、2004年のアメリカ映画・・・という具合に、4本も存在するのだった。

このなかで有名なのは、96年と2004年の映画。
我々? 映画小僧のあいだでは、前者を「クローネンバーグの『クラッシュ』」、後者を「オスカーを取ったほうの『クラッシュ』」といっているが、まぁややこしい。

過去にあたり、同じタイトルの作品を見つけたとしたら変更すればいいだけの話ではあるが、
作者はタイトルを直感で決めることが多い、「これだ!」と思ったら、そのままいきたいものなんだよねー。


新作が公開中の変人ペトロ・アルモドバルが日本で有名になったのは、89年の『アタメ』発表(=トップ画像)のころ。
メインタイトルだけではピンとこないが、サブタイトルは「私を縛って」ときたもんだ。

サブタイトルに負けぬインパクト充分の物語が展開されたが、自分が現在執筆中のシナリオタイトルは『アクメ』という。

かぶってはいないが、一文字違い。
ただエロスを題材にしているという点では、仲間? である。
だってアクメとは、性的絶頂を指しているのだから。

そしてもう1本、ペトロと自分のグループ? に割り込んでくる映画が、ウルグアイ・アルゼンチン・メキシコ・スペイン・アメリカの合作という形で出現した。

その名は、『アクネ』という。

おいおい、またまた一文字違いだ。
しかも、やはり性を主題としている。

このショットだけを観ると「かなり」やばそうだが

じつは、けっこう可愛らしい―少年が、キスを欲する―物語なのである。


なるほどねぇ。

で、なんとなくの結論。

たぶん。
たぶんというのを強調しておいて話を進めるが、最初に「ア」がつき最後に「メ」のつく映画は、エロを主題に「しがち」であると。


作家さんたち、そのへんに気をつけてタイトルをつけましょう。


ところでこの『アクネ』、公開する『シアターN渋谷』では、主人公の少年がニキビについて悩んでいるという設定から、特別割引を企画している。

ウケ狙い丸出しで、こんな広告を出しているのだが・・・


<但し意外とハードルの低い割引という事で下記注意書きがございますので必ずご確認下さい。

(1)割引対象のニキビは顔面限定でお願いします。

(2)青春時代のニキビの跡は無効とさせていただきます。

(3)30歳を過ぎたら間違いなく吹き出物ですがこの際有効とします。

(4)傷等をニキビと言い張るのはやめて下さい。受付スタッフが気の毒です。

(5)必ず当日券をお求めの際に受付でニキビをご提示下さい。

(6)ニキビご本人様のみ有効です。

(7)ビキニを着てきてもタダにはなりません。違う映画です。

(8)他の割引、他のニキビとの併用は出来ません。

(9)ニキビ割引を今回利用された方は、くれぐれも良く洗顔をして下さい。>


(7)とか、ちょっと狙い過ぎかな・・・と、思ったり。





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明日のコラムは・・・

『巻頭言&上半期の美女たち』


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初体験 リッジモント・ハイ(7)

2012-05-30 00:15:00 | コラム
「初めての創作」の、つづき。

前日にリンクした初めての小説は、クラスのなかで「なかなかに」好評だった。

「褒めて伸びる」子なので、不評であったとすれば、創作とは「さっさと」縁を切っていたかもしれない。
だから敢えて逆にいえば、中途半端に受け入れられたため、この世界への憧れを強くしたのだった。
こうして、「年がら年中」書きまくる日常を送るようになっていく。

得意科目は自ずと国語になり、、、いや厳密にいえば国語全体ではなく、感想文や自由作文などの「書き問題」であり、
これだけはクラスの優等生にも負けない―というプライドを宿していたのだ。

鑑賞したすべての映画の情報と批評を記していく『映画日記帳』は、中学1年よりスタート。
30歳の夏まで記録していたから、15年間続けていたことになる。

高校生のころ、批評家から出発し映画監督となったゴダールの存在を知る。
そうか、そういう手もあるのかと映画だけでなく、テレビのバラエティやドラマの批評まで手がけるようになっていく。

しかし物語とはちがって、批評は他者に読んでもらい難いもの。
というわけで、雑誌への投稿を開始。

これは、雑誌『ロードショー』などに載った新作映画の批評の一部である。

批評家・内海陽子氏の「牧野さん、おとなっぽくなった」の選評がうれしい。

掲載料として数千円の図書券・商品券がもらえるので、小遣い稼ぎにもなる。
こうして批評だけでなく、一時期は単なる投稿マニアと化していた。
そのころの代表的な投稿が、これ


基礎を学んだわけではなく、そのすべてが「見よう見まね」だった。
シナリオも特殊な書きかたや技法があるということは「なんとなく」は分かっていたが、
とりあえず専門誌『月刊シナリオ』を一冊だけ購入して「なるほど、こんな風に書くのか」と一冊だけで分かったつもりになり、書き始めてみたのだった。


そうして、こんな男が出来上がったと、、、そういうわけである。


※ちなみに本コラムの平均的な文字数は、1800~2000字。
『映画日記帳』でルールにしていた文字数とほとんど同じであり、映画を観る度にこのくらいの文章を書いていれば、誰だって少しくらいは文章力が上達するものだよね? と、自分を信じて? 問うてみる。

ただ今回は、それぞれに読み物をリンクしてあるので、本文は短めにしておきました。

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初体験 リッジモント・ハイ(6)

2012-05-29 00:15:00 | コラム
きょう・あすのテーマは、「初めての創作」。

映画の批評や脚本で食べていくんだ―と決意したのは高校生のころだったが、ことばを紡ぐ、とくに長文を書くのは小学生のころから好きで、好きというだけでなく、
それが自分の、最も得意とするところなんだ―という自覚も持っていた。

初めての本格的な批評は、中学生のころから記していた『映画日記帳』のなかの特別篇『デヴィッド・リンチの考察』。
初めてのシナリオは、高校の授業中に記した『白昼夢』。
ちなみに小学生のころ、『キャプテン隼』という漫画を描いたこともあった。

『白昼夢』はリンチ映画のパクリ、漫画にいたってはタイトルからも分かるように『キャプテン翼』を『隼』に変えただけのパロディだった。

ただ、創作は模倣から始まる―といわれるし、それでよかったんだと思う。
大事なのは完成させることと、それを誰かに読んでもらうこと。

プロであれば「未完」も「ある意味で」格好いいが、アマが「未完」では単に向いていないということになるし、
誰にも読まれぬまま「お蔵入り」になってしまえば、それは作品とはいえない。
だから、自信があったわけではないが、とりあえずクラスメイトや教師に読んでもらうことにした。

速読のひとであっても、ある一定の時間を要するわけで。
つまり自分のために、そのひとの大事な時間を使わせる―そこに思い至れば、どうすれば飽きさせないか、楽しませることが出来るのかを考えるようになり、自ずと技法を取り入れるようになるのだと思う。
それが最初から出来るひとのことを、自分は天才と呼ぶ。
映画監督でいえば、スピルバーグやタランティーノのことを指している。

小学生のころ、国語の授業で小説を書いてみるという企画があった。
その優秀作数篇が、文集に載ると。

きょうのコラムは短めにしておいて、文集に載った自分の処女作をリンクしておきたい。
おそらくこれが、自分にとっての初めての創作、、、のはずである。

そりゃ、いま読んでみるとダメダメな文章だよ、小学生だもの。
いろんなパクリが散見されるし。
ただ話の展開、つまり構成力は、なかなかのものではないか―と思っちゃったりもするのだが、どうだろうか。


その壱

その弐

その参

その四

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『初体験 リッジモント・ハイ(7)』

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カウパー激情・劇場(2)

2012-05-28 00:15:00 | コラム
爽やかなエロ? を目指すという、自分しか楽しんでいないシリーズの第二弾。

少し前の話題になるが、AV業界30周年を記念し、AV女優の人気投票が企画された。
もちろん自分も投票したが、その結果がこれ。

まぁ納得。
意外な子も居るには居るが、まぁそうだろうなという結果である。

最近の子が多いのは、活躍期間が「アスリートよりも短い」特殊性によるものだろう。
つまり「よほどの子?」でないかぎり、忘れ去られてしまうのだ。

自分が投票したのは、1位の「つぼみ」(トップ画像)。
人気があるのは分かっていたが、3位くらいにつけると思っていた。

自分ひとりだけでベストテンを作ると、こうなる。

(1)つぼみ
(2)井上詩織
(3)吉井愛美
(4)川島和津実
(5)瑞穂このみ
(6)朝岡実嶺
(7)麻生舞
(8)大橋未久
(9)やまぐちりこ
(10)堤さやか

AVに詳しいものならば、あぁなるほどね、オメーは典型的なロリコンなんだなと突っ込むことだろう。
この子たちの美しい顔が「ぶっかけ」によって汚されていく瞬間こそ、自分にとっての最高のヌきどころというわけだ。

ところで上のリンク先のメニューに「アダルトメディア年表」というのがあって、これがなかなかによく出来ている。
よく出来ているゆえ、もうちょっと細かくやってほしかったかな、、、とも思う。


んなこと、自分でやれよ?

というわけで。
自分が10年くらい前に書いた「AV史」の一部を載せてみよう。

史実的な誤りや幼い表現が散見され、いろいろと訂正したいが、そのままの状態のほうが面白いので「いじらないで」おく。


「アダルトビデオの歴史は、今から20年以上も遡る。これはもちろん、一般家庭にビデオデッキが普及していく歴史と、ぴったり重なる現象である。
それまでは、ポルノ映画とビニ本が、孤独な男たちのアイテムだった。このあたりの歴史は海外も同様であり、ポルノ映画の隆盛と衰退は、アメリカ映画『ブギーナイツ』に詳しい。

80年代前半、ビデオデッキの普及に目を付けた数人の男たちが、アダルトビデオを製作する会社を設立。宇宙企画やKUKIは、現在でもヒット作を量産する、メジャー系ビデオ会社である。
この時代の潮流は、「美少女」だった。過激さとは無縁というわけではなかったが、色白で清純そうな少女がブルマ姿で登場し、ゆっくり脱いで・・・という展開が多く、雰囲気が重要視されていた。

86年、上品で美しい日本語と脇毛がミスマッチな魅力を放つ黒木香が『SMっぽいの好き』でデビュー。ほら貝を駆使したパフォーマンスは、社会的なトピックであった。クリスタル映像の斬新なセールスの勝利だが、真に評価すべきは、監督の村西とおるであろう。彼は、ボクシング界のドン・キングであり、映画界の奥山和由とも形容出来るほどの才能があった。

80年代後半は、技術革新の時代。
87年、アダルトビデオの世界で最大の壁であった「ぼかし」問題に、真っ向から闘いを挑むシリーズが誕生。アリスJAPANが放つ『フラッシュ・バック』シリーズである。
性器が映された映像には、ぼかしを付けなくてはいけない―このぼかしが青少年にとっても、製作スタッフにとっても、大きな壁だったわけである。『フラッシュ・バック』シリーズは、性器に強烈なライトを当てることによって、無機質なぼかしを取り除いても、法律には触れない事を証明したのである。これは、大きな発見だった。

88年、「ハメ撮り」の開発。
これは、男優自身がカメラを回し、女優と1対1で撮影に望む手法で、カメラと女優の距離感は、実際にその女優と性行為を行っている錯覚を起こすほどの臨場感に溢れ、ユーザーのハートをがっちりと掴んだ。

20数年の歴史の中で、アダルトビデオが真の意味において隆盛期を迎えたのは、80年代後半から90年代前半にかけてである。私の青春時代であり、それ故に、この業界に対する愛憎は、深く、大きい。

美穂由紀、豊丸、後藤えり子、星野ひかる、桜樹ルイ、朝岡美嶺、飯島愛、憂木瞳。まぁ、列挙しても、知らない人は、1人も知らない世界かもしれない。単体女優が完全に認知される時代でもあるのだが、現在とは一線を画するルールがあったように思う。
現在の単体ビデオでは、本番撮影(実際に、男女が性行為(挿入)を行う撮影。挿入しない撮影を、擬似と呼ぶ)は当たり前だし、男優とのキスもあり、クライマックスとなる射精は、女優が、顔で受ける(顔射)のが主となっている。だが、この時代の単体女優は擬似が多く、キスの披露も滅多にないし、顔射を了解する女優など、居なかったはずだ。そういう過激なビデオが見たい男は、企画物のビデオを手に取っていたのではないか。

この劇的変化は、隆盛期を経過したビデオ会社の、生き残りをかけた大きな挑戦だった。その結果、今ではキスや本番は当たり前、引退の花道として、可愛い単体女優が10人もの男優を相手する『人間廃業』(バビロン)という怪作まで誕生するに至る。

そんなわけで、90年代中頃から世紀末にかけては、女優の質が向上し、過激度がアップする、という状況が続いた。
前述した涼木もも香は本当にアイドルのようだったし、あっけらかんと「彼氏のために出演している」と告白した川島和津美に至っては、「お嫁さんにしたい女性ナンバーワン」に選出されても不思議ではないほどに、可憐だった。清純で過激という、論理矛盾が生み出すエロスが強烈だった井上詩織の登場は、私の睡眠時間を、1時間は確実に奪い取った。母親が娘(森下くるみ)のデビューを応援する、といった特異な例もある。

製作サイドの「つわもの」達も、言及せねばならないだろう。
裸と絡みを捉えるだけで成立するように見えるこの世界にも、突出した才能が現れるから面白い。前述した村西とおるの他にも、カンパニー松尾、代々木忠が監督する作品は、「絡み以外は早送りする」と決めている男子でさえ、じっくり鑑賞しようという気にさせる名作が多い。

男優もバラエティに富んでいる。黄金の指を持つ、「吹かせ屋」加藤鷹、この人が出てくると(個人的に)性欲が失せてしまう「なりきり中年」吉田潤、コメディアンにしか見えない「髭の禿げオヤジ」平野勝之、などなど。

アダルトビデオを見ない男子も、数多く存在する。そんな男子諸君にも、これだけは見てほしいという傑作がある。
92年に発表された、『ボディコン労働者階級』(V&Rプランニング)である。
山谷のドヤ街に潜んでいる垢だらけの男たちの前に、1人のアダルトビデオ女優を放り込んだら、どうなるのだろうか―純度100%のノンフィクションとして展開される、バクシーシ山下(監督)+石原ゆり(女優)+ドヤ街の男たち(男優)の三つ巴の闘争を見て、何も感じない男は、もう男を放棄していると断言出来るだろう。バクシーシの演出はクールな視点を保ち続け、並みの劇映画以上の迫真性を獲得している。

これが、(あくまでも極私的な)アダルトビデオの歴史である。
単に「性欲処理におけるネタ提供」として存在していたはずのアダルトビデオは、わずか20年足らずでその存在価値を広げ、無視出来ない人材を輩出し続けている。こんな現象は、わが国だけである」


これを、いまの文章力と知識で書き直してみたい―と思ったが、表現上の自主規制をしたくないので公序良俗に反する文章が出来上がる。

だから、またの機会に・・・としておこうかね。





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ねうち

2012-05-27 00:15:00 | コラム
叔父の遺品を整理したねーちゃんから、「これって、どのくらいの値打ちかな?」という画像つきのメールが送られてきた。

開くと、レコードのコレクションだった。
ビートルズの『アビーロード』や映画『サウンド・オブ・ミュージック』のサントラ、石川セリのアルバムまで多岐にわたる。

画像で見るかぎり、保存状態もよさそう。
専門家ではないが、けっこう値がつくのではないか―と思って、いちどプロに見てもらったら? とアドバイスをした。

プロの答えは、「オークションに出したほうが、、、」というものだったらしい。
有名なアルバムばかりではあったものの、希少価値という意味ではそれほどでもない。多少カビなども発生しており、送料で±ゼロになる可能性もある・・・とのことだった。

へぇー! そんなものなのか。

そこで。
改めて自分の部屋を見回してみた。
自慢のコレクションが所狭しと並んではいるが、値打ちという視点で捉えるとどうなのか。

いつ死ぬか分からんし。
現金という名の遺産はないし。
もし、あした死んだとして、いろいろ迷惑をかけた家族の助けになるようなものがあるのだろうかと。


(1)DVDコレクション

惜しいことをしたと思う。
10年くらい前は、市販の映画DVDが300枚以上あった。
ほとんどが「コレクターズ・エディション」みたいな豪華版であり、「2枚で1000円」というセール商品とはちがう。
しかし借金地獄にはまったとき、あろうことか、希少度? ではなく劣化度のみで判断をするブック・オフにすべて持っていってしまった。

現在は、映画に限っていえば「自分で録画した」DVDとブルーレイのみ。
これじゃあ1円の価値もつかん。

AVは市販のものであるが、ほとんどが「ぶっかけ」ジャンルであるため、売る家族は赤面してしまうことだろう。
もし自分が先に死んだら、荼毘にふす際に一緒に入れておくれ。

あぁでも、燃えないものはいけないのだっけ。

(2)書籍

まぁこの年齢にしては持っているほうだとは思うが、ほとんどが文庫なので値はつかないだろう。
全集のような重たいヤツもあるが、これはとーちゃんのコレクションを勝手にいただいたものなので保存状態は悪い。

石井隆のサインつき劇画集(トップ画像)、見沢知廉のサインつきハードカバーとか、どのくらいの値がつくのかね。

(3)音楽

レコードは、すべて処分してしまった。

レコード→CDの移行時期に青春を送ったものなので、持っていたとしても、おニャン子とか斉藤由貴くらいだけれど。

CDもすべてパソコンに取り込んでから、ブック・オフに持っていってしまった。

(4)有名人のサイン

色紙に、ベンガル。
Tシャツの裏に、蛭子能収。
オープンフィンガーグローブに、ヒョードル。
オープンフィンガーグローブに、吉田秀彦。
写真集に、さとう珠緒。
写真集に、奥菜恵。
映画パンフレットに、ギャスパー・ノエ。
映画パンフレットに、塚本晋也。
野球ボールに、(なぜか)槇原寛己。

さぁハウマッチ?

(5)エロ本

自分のザーメン臭が漂うばかりだ、一銭にもならんどころか、マイナスだろう。

(6)その他

黒澤の記念ジッポーは、故障していてアウト。
Tシャツ、ピンバッジやキーホルダー、ストラップなど数量限定で生産されたものもあるにはあるが、そのすべてが未使用でないからペケ。

海外のビール瓶コレクションなんて、もう100本ちかくあるが、放っておいたら地震で割れるだけだし。

想い出という意味では人生が刻み込まれた品々だって多い、しかし市場の価値というシビアな視点で捉えれば、こりゃダメだという結論に達した。


いまからでも遅くはない・・・と「ちょっとだけ」考えたけれど、
後世を思うより、この一瞬一瞬を大事に生きればいいのだ、、、と、自分に都合よく解釈することとした。


叔父を追悼して・・・




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明日のコラムは・・・

『カウパー激情・劇場(2)』


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