NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#336 アーサー・コンリー「Sweet Soul Music」(Atco)

2024-03-07 07:02:00 | Weblog
2024年3月7日(木)

#336 アーサー・コンリー「Sweet Soul Music」(Atco)






アーサー・コンリー、1967年のシングル・ヒット曲。コンリー自身、オーティス・レディング、サム・クックの共作。レディングによるプロデュース。

アーサー・コンリーは46年ジョージア州マッキントッシュ郡生まれの黒人シンガー。同州アトランタで育ち、10代はアーサー&ザ・コルヴェッツというグループのフロントマンとして活動、NRCレーベルより3枚のシングルをリリース(63〜64年)。

ソロシンガーとなり、ボルチモアのRu-Jacレーベルからリリースした「I’m a Lonely Stranger」(64年)が当時トップシンガーのオーティス・レディングの目に止まり、レディング自身のJotisレーベルより再録音版がリリースされる快挙となる。

その後、ふたりは67年にじかに会うことになる。彼らはソウルの先駆者サム・クック(64年没)の曲「Yeah Man」を改作した「Sweet Soul Music」を作って、マッスル・ショールズでレコーディング、コンリーのシングル曲としてAtco傘下のFameレーベルより67年2月にリリースした。

これが、とんでもない大ヒット。全米2位となっただけでなく、全英で7位となったほか、ヨーロッパの多くの国でトップ10入りを果たしたのである。ミリオンセラーを記録、ゴールド・ディスクを受賞している。

その内容は、どストレートなソウル・ミュージックへの賛歌。歌詞には、レディング、コンリーが愛好する他のアーティストの名前や曲名などを、ふんだんに織り込んでいる。100パーセント、ソウルへのオマージュなのである。

ざっと例を挙げてみると、サム&デイヴの「Hold On, I’m Comin’」、ウィルスン・ピケットの「Mustang Sally」、ミラクルズの「Going to a Go-Go」、ルー・ロウルズの「Love Is a Hurtin’ Thing」などなど。レディング自身の「Fa-Fa-Fa-Fa-Fa(Sad Song)まで入っているのが、微笑しい。

もちろん、ソウルの帝王、ジェイムズ・ブラウンも最大級の敬意を持って取り上げられている。

言って見れば、「企画もの」ソングなのだが、コンリーの達者なボーカルのおかげで、単なるイロモノでなく本物のソウル・ミュージックに仕上がっている。

この大ヒットの勢いをかりて、コンリーは67年中に2枚のアルバムをアトランティックレーベルよりリリースしている。一躍、スターダムにのし上がったのである。

しかしその後の67年12月、レディングは飛行機事故のため亡くなっており、彼らのコラボレーションはこの曲だけで終わることとなってしまったのは、いかにも残念である。

余談だが、クレジットは当初ふたりの名前だけだったが、クックのビジネス・パートナーのJ・W・アレクサンダーが「クックの曲を無断使用している」と訴訟し、裁判の結果、クックの名前を連名で入れることで解決している。

コンリーのその後はといえば、「Shake, Rattle & Roll」など何曲かの小ヒットを出したものの、当然ながら「Sweet Soul Music」のような大当たりは二度と出なかった。2匹目の泥鰌は、やはりいなかったのである。

70年代半ばに活動拠点をヨーロッパに移し、2003年に57歳で亡くなるまでマイペースの音楽活動、プロデューサーとしての活動を続けた。

「一発屋」の典型のようなコンリーの生涯だが、人生にただの一度、規格外の大当たりを出せただけでも、相当な才能と強運の持ち主だったんだなと思うよ。

この曲は極東の小国、日本においてさえ、けっこう話題になり、ソウルファンを増やすことにつながった。

かのオーティス・レディングさえ「ドック・オブ・ベイ」のヒットまでは、わが国ではほぼマイナーな存在であり、マニアにしか聴かれていなかったことを思えば、この「スウィート・ソウル・ミュージック」こそが、日本におけるソウルの火付け役だったのではないだろうか。

何度も聴いたよというオールド・ファンも、初めて聴くよというヤング・リスナーも、心を沸き立たせてやまないナンバー。ぜひ、聴いてみてくれ。

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