2024年3月20日(水)
#349 ジョン・ブリム「Ice Cream Man」(Chess)
#349 ジョン・ブリム「Ice Cream Man」(Chess)
ジョン・ブリム、1969年リリースのコンピレーション・アルバム「Whose Muddy Shoes」からの一曲。ブリム自身の作品。レナード・チェス、フィル・チェスによるプロデュース。
黒人ブルースマン、ジョン・ブリムは1922年ケンタッキー州ホプキンズヴィル生まれ。10代の頃よりギターを弾き、歌うようになる。おもにビッグ・ビル・ブルーンジー、タンパ・レッドの影響を受ける。
41年にインディアナポリス、47年にシカゴに移住して、本格的な音楽活動に入る。50年代にチェスでレコーディングを重ねたものの、残念なことにそれら音源の一部は長らくお蔵入りしていた。
日の目を見たのは、実に十数年後の69年だった。ブリムとエルモア・ジェイムズのスプリット盤(複数のアーティストを1枚に収録した編集盤)「Whose Muddy Shoes」によってである。
その中に本日取り上げた「Ice Cream Man」が含まれていた。レコーディングは53年5月。
ハープのリトル・ウォルターらチェスのミュージシャンをバックに、マディ・ウォーターズ風のサウンドで自作のブルースを歌ったのが、とある新人白人ロック・バンドのメンバーたちの関心をひいた。
他ならぬ、ヴァン・ヘイレンである。
彼らは78年リリースのデビュー・アルバム「Van Halen(邦題・炎の導火線)」に、「Ice Cream Man」のカバー・バージョンを収録した。前半はアコースティック・ブルース、後半はハード・ロックというアレンジで。
このアルバムは全米19位となったほか、世界中で売れに売れ、なんと最終的には1000万枚を超えるベストセラーとなり、ダイヤモンド・ディスクに認定された。
これにより、クリーニング屋とレコード屋の兼業で生計を立てており、ミュージシャンとしてはまったく食べていけていなかったブリムに、一大転機が訪れた。
「Ice Cream Man」の作曲印税が入るようになったブリムは、その利益でシカゴにナイトクラブを開店できるようになる。ミュージシャンとしての知名度もグンと上がり、ライブやレコーディングの機会も増えていく。
まさに、ヴァン・ヘイレンさまさまである。
89年にはドイツのウルフレーベルでレコーディング、94年にはトーン・クールレーベルよりアルバム「Ice Cream Man」をリリース。2003年に81歳で亡くなるまで、悠々の音楽人生をまっとうしている。
ジョン・ブリムのライブ映像を観るとよく分かると思うが、彼はブルースマンといっても、ギター・プレイを前面に押し出していくタイプではなく、弾き語り中心のシンガーソングライターに近いタイプだ。その魅力はなんといっても、メロディが覚えやすい曲、飾り気のない素朴な歌声にある。
また、ソフト帽を被りレスポールを構えた、スマートな立ち姿が、太っちょが多いブルースマンたちの中では、なかなかにカッコよい。
その音楽は、いわゆるビッグ・ネームのブルースマンのものとは違って、多くのリスナーに支持されるわけではないが、聴くと妙に心が安らぐ、あるいはホッとする何かがある。これは、ブリムの人間性によるものだろう。
隠れた名曲を掘り出したヴァン・ヘイレン(とりわけ、ソロでも再びカバーしているデイヴィッド・リー・ロス)のセンスに感謝し、成功とは無縁でも地道に音楽活動を続けていたブリム自身にも、大いなる謝辞を送りたい。
アイス・クリーム・マンは、単なる歌のモチーフというよりも、ジョン・ブリム自身の二つ名となったと言えるだろう。彼の人生を大きく決定づけた一曲。筆者も、そんなナンバーを持ちたいものだ。