NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#348 ディープ・パープル「Hush」(Tetragrammaton)

2024-03-19 08:46:00 | Weblog
2024年3月19日(火)

#348 ディープ・パープル「Hush」(Tetragrammaton)






ディープ・パープル、68年6月リリースのシングル・ヒット曲。彼らのデビュー盤でもある。ジョー・サウスの作品。デレク・ローレンスによるプロデュース。デビュー・アルバム「Shades of Deep Purple(旧邦題・紫の世界)」に収録。

英国のハードロック・バンド、ディープ・パープル(以下パープル)は同年のデビュー。もともとはサーチャーズのドラマー、クリス・カーティスの声がけで作られた「ラウンドアバウト」というバンドだった。米国のポップス曲の題名にちなんでディープ・パープルと改名し、68年2月に米国のテトラグラマトン・レーベルと契約してレコード・デビュー。

このデビュー・シングルが予想を大きく上回るスマッシュ・ヒットとなる。なんと全米4位となり、カナダやイタリアでもヒット。不思議なことに本国の英国ではヒットしなかったという。わが国では、翌69年4月に日本グラモフォンからリリース、小ヒットした程度。

デビュー当時のパープルのメンバーは、ボーカルのロッド・エヴァンス、ギターのリッチー・ブラックモア、キーボードのジョン・ロード、ベースのニック・シンパー、ドラムスのイアン・ペイス。

われわれがよく知っている70年代のパープルのメンバー(いわゆる第2期)とは、2人違う。つまり、エヴァンスとシンパーが、のちにイアン・ギランとロジャー・グローヴァーに交代するのである。

本日取り上げる「Hush」という曲は、もともと米国の白人シンガー、ビリー・ジョー・ロイヤル(1942年生まれ)が67年9月にリリースし、ヒットさせたカントリー・ソウル・ナンバー。白人シンガーソングライター、ジョー・サウス(1940年生まれ)がロイヤルのために作曲し、のちに自身も歌っている。

ちょっと補足しておくと、ジョー・サウスは68年に「Games People Play(邦題・孤独の影)」で全米12位の大ヒットを出しているシンガー。というより、日本では彼が作った「Rose Garden(ローズ・ガーデン)」がリン・アンダースンにより70年代に大ヒットしたので、そちらの方が有名かもしれない。白人ながら、ソウル・ミュージックのセンスも感じさせる曲作りで、異彩を放っている。

「Hush」はオリジナル・リリース後は豪州のバンド、サムバディズ・イメージがカバーしていたが、翌年のパープルのカバーによってオリジナルを大きく上回るヒット曲となった。彼らが取り上げていなければ、いずれ埋もれた存在になってしまったに違いない。

歌担当のエヴァンスは、のちのパープルの看板シンガー、イアン・ギランとはかなーり雰囲気が異なる。例えていうなら、ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカー(エンゲル)みたいな、ブルー・アイド・ソウルのシンガーってイメージなのだ。

ソウルっぽさは感じられるものの、ゴリゴリのハード・ロックを歌うには、ちとパンチというかエモさが足りんな、正直言って。だから結局、パープルの音楽性がハードな方向へシフトして行くのには、ついて行けなくなったのだろう。

まぁ、この曲については、うまくエヴァンスの個性と合致したと思う。ほどよくソウルフルで、ほどよくサイケデリック。ノリの良さはバッチリ、ダンスには最適と言えるだろう。つまり、踊るためのサウンド。

それに対して、ハードロックは聴くためのサウンドという気がする。ダンス・ホールとかパーティよりは、コンサート会場がふさわしい。あるいは、自宅でステレオに耳を傾けるというのにも合っている。

翌69年7月、パープルは3枚目のアルバムをリリースした後、ギラン、グローヴァーの新メンバーを迎えて再スタートを切る。

羽化した鳥の如く、それまでの中途半端なノリを払拭して、ハードな音を極めていくパープル。そこからは、みなさんもよくご存じだろう。

「Hush」だけの「一発屋」では終わらなかったのが、ディープ・パープルのスゴさ、ホンモノの証明。やっぱり、凡百のバンドとは格が違うと思うよ。

とはいえ、どんな音楽性の高いバンドもヒットなしでは生き残っていけない。「Hush」の予想外のスマッシュ・ヒットも、彼らの成功のためには、必要不可欠な幸運だったと言えるだろうね。いま改めて、曲のヒット要因を、聴いて確かめてみて欲しい。




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