2024年3月15日(金)
#344 ドクター・ジョン「Iko Iko」(Atco)
#344 ドクター・ジョン「Iko Iko」(Atco)
ドクター・ジョン、72年リリースのシングル・ヒット曲。ジェイムズ・シュガーボーイ・クロフォードの作品。ジェリー・ウェクスラー、ハロルド・バティストによるプロデュース。全米73位。5thアルバム「Dr. John’s Gumbo」に収録。
米国のシンガー/ピアニスト、ドクター・ジョンについては「一日一枚」で2回取り上げだが、共にどちらかといえばジャズ寄りのアルバムだったので、今回はドクター初期のニューオリンズ・サウンドに注目してみたい。
ドクター・ジョンことマルコム・ジョン・レベナック・ジュニアは1943年ルイジアナ州ニューオリンズ(以下NO)生まれ。もともとはギターをメインに弾いており、50年代からマック・レベナックの名前で活動していた。左手の重傷によりギターを断念、ピアノにシフトする。
67年にアルバム「Gris Gris(グリ・グリ)」でドクター・ジョンの名前でソロデビューを果たす。なぜその芸名になったかについてはいろいろと来歴があるが、書くと長くなるので割愛させていただく。
ひとつだけ説明しておくならば、ドクターというのは、西洋医学の医師ではなく、ブードゥー教の司祭、つまりまじない師の意味である。
そういう呪術的な、おどろおどろしい演出(実際その司祭の扮装でジャケ写にうつっている)で衝撃的なデビューをしたわけだが、単なる際物に終わらず、NO伝統のR&Bをきちんと継承したサウンドにより、ドクターは高い評価を得ることになった。
本日取り上げた「Iko Iko」はNOのフォークソング。それをR&Bシンガー、ジェイムズ・シュガーボーイ・クロフォード(34年生まれ)が「Jock-A-Mo」というタイトルでチェッカーレーベルより54年にシングル・リリースしている。
シュガーボーイ版は、ホーンをフィーチャーした、いかにも陽気でダンサブルなR&Bナンバーだ。ラテン色も濃い。
そして65年にはNOの女性ボーカル・グループ、ディキシー・カップスが「Iko Iko」としてカバー、全米20位のヒットとなった。これが、世間的には一番知られているバージョンだろうな。
これをさらに7年後、再び甦らせたのが、ドクター・ジョン版の「Iko Iko」というわけだ。
はっきりとしたセカンド・ライン・ビートにのせて、ドクターがその特徴ある塩辛声で、がなるように歌う。そして、転がるようなピアノ・ラインが続く。心地よいグルーヴが印象的なナンバー。
このキャッチーなサウンドでドクターは、NOサウンドを代表するアーティスト、プロフェッサー・ロングヘア(1918-1980)を継ぐ存在となったのだ。
「Iko Iko」はその後も幾つものアーティストにカバーされて、スタンダード化している。例えば、女性ボーカルグループ、ベル・スターズ、NOのインディアン民族色の強いザ・ワイルド・マグノリアス、レゲエシンガー、ジャスティン・ウェリントンとスモール・ジャムなど。
「Iko Iko」はいってみればNOサウンドのシンボルのような曲なのである。その歌詞も、ビートも。
筆者的には、かつてはハード・ロック一辺倒だった自分の音楽的嗜好を、セカンド・ラインという異種のビートを通じて、アメリカン・ミュージック全般に向けさせてくれた曲でもある。
「Gumbo」レコーディングに先立ち、ドクター・ジョンはローリング・ストーンズに招かれて、アルバム「Exile On Main Street」のレコーディングにコーラスとして参加しており(マック・レベナック名義)、そのアルバムは「Gumbo」リリースの一か月後に完成している。
世界一のロック・バンドにもその実力を評価されたことで、ドクター・ジョンはNOローカルの枠を越えて、世界的な知名度を得るようになる。
ドクターの出世作、NOサウンドの象徴的ナンバー、「アイコ・アイコ」。そのノリはまっこと強力無比だぜ。