maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



おフランス革命で、おおいに謳われた自由と平等。

ここ何年かでやたらと平等という甘い言葉が飛び交うようになりました。
平等それ自体はいいとは思うのですが、
やはり程度というものがあると思っています。

人間生きている以上、平等では有り得ない。
まずはここが出発点であるべきで、何がなんでも平等だと突っ走った
革命に異議を唱える本、前回に続きフランス革命の省察です。
(参考:[新訳]フランス革命の省察 PHP 佐藤建志訳)

曰く
 身分や階層を無くせるというのは途方もない大嘘だ。
 こんな嘘は社会の下層で生きる人々に間違った考えや空しい期待を
 抱かせて、社会的な不満をつのらせるだけである。
 あらゆる格差や不平等を無くすことはどんな社会にも不可能である。

また、日本人が大好きな、有名人や権力者のスキャンダル。
謝罪しろだの、なんだの、自分は道徳がある人間だと言いたげな、
バッシングの嵐、炎上は珍しくありませんが、こんな事も書いてます。

 優れたものの地位を引き下げる事で平等が達成されることはない。
 どんな社会でも多種多様な人間で構成される限り
 支配層が出てくるのは避けられない。
 引き下げ平等主義にこだわる者は、物事の自然な秩序を狂わせる。

また、
 人権は加減を知らず、妥協を受け付けない。
 人権の名のもとになされる要求を少しでも拒んだら、インチキで
 不正だとされてしまう。

異論もあるでしょうが、ずばり核心をついている。
ニーチェの言うルサンチマンもこれに近い。
結局、不平不満を吐き出す事が目的になってしまう。
バーグも、全て批判している訳ではなく、
感情的になって、あれこれ考えもせず、古いものはダメ、新しいものは良い、
という単純思考で行動する事を戒めています。

こう書くと、今の格差社会を認める気かと怒られそうですが、もちろん
行き過ぎた格差は社会にとって良くないので、是正すべきです。
他人を妬むだけとかマイナス感情に走る事は、
スピノザも戒めるところでもあり気を付けるべきだと思います。

でも、今の世の中も変わっていませんね。

今でこそ、保守主義の父とか評価される著者ですが、
当時は辛口のフランス革命評が批判されていたようです。
でも、ある事で一気に評価が高まります。
ナポレオンの登場を予言するような事を書いていたからです。
本人はそれを目撃する前に亡くなっています。

続きはまたいつか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日だったか・・・(忘れた・・・つい最近なのに・・・)
Eテレで夜にやってるドキュメンタリー番組で、
マリーアントワネットの最後についてやっていたので、
見入ってしまった。

ちょうど、エドマンド・バークのフランス革命の省察(再読)と、
ハンナ・アーレントの革命についてを読んでいる所で、
なんという偶然・・・

フランス革命の省察からちょっと一部抜粋すると、
自国の在り方を全面的に否定して改革に走る、
これは出発点からして間違っている。
これは元手のないまま商売を始めるようなものだ。
というようにフランス革命を否定的にみている本です。

コロナ初期、日本は他国に負けている、とかいう批判の嵐で、
完全に冷静さを欠いていました。いまも欠いていると思います。

まるで、コロナ革命とでも言うべき事をやってきた。他国に倣って・・・
まあ政権を倒した訳ではないから革命とは言いませんが、
ある意味、市民にとっては、同じ政権であっても、がらっと世の中を
変えてしまった訳で、似たようなものと言えます。

いろいろ壊しまくった。
その他国は、成功しましたか?
自分は、マスクも否定的に考えていますが、それはある意味、
今回の革命的出来事の象徴みたいなものだからです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




孤独になる事を、恐れる人が多いのかもしれません。
孤立は怖いけど・・・
それは、まさしく孤立無縁の状態です。
孤独は、別にどこかしらに繋がりはあるけど、
一人でいるという状態です。

孤立は、本当に独りぼっちの世界なので、
問題ありですが、この状態なら、なんとか脱するほうが良い。

ショーペンハウアーは、幸福論の中で、孤独になれ、群れるなと言う。
アーレントは、責任と判断で孤独になって思考しろと言う。

孤独って、思考停止した世界では、必要なんじゃないかと。
そんでもって、”自分で”いろいろ考えたりする事ができる。
思考停止している人ほど、それが苦手なのでは?
SNSで繋がってないと不安とか・・・
あくまで、個人の感想ですが・・・
孤立と孤独を混同していると、怖くなる。
或いは、何かに依存しているのかも。

この一人でいるという事も、能力の一つなのかなと思います。
孤独を恐れることなかれ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




スピノザが言う、理性で物事を考える事や、
感情や同情に乗っかって物事を考える事との比較。
これが頭のなかで繰り返される毎日です。

寄付をする人は、恐らく同情もさることながら、
なにかしらの罪悪感を持っていると思います。
でも、歴史を振り返ったり、見える事、聞こえる事以外にも
注意を向けたりする余裕があるうちに、それをやるべきではないか・・・

どちらか一方を悪者とし、
自分や、自国がその対極にあるという宣伝。
それが正義だという宣伝。
悲惨な事を起こすのは、悪の側だけという宣伝。
自分たち、自国の行いは、それを正すものという宣伝。

こういう言説だけが盛んに世の中をぐるぐる回り、
世界中(西側諸国)をめぐり、煽られた感情が支配する。
もちろん、相手側も、こちら側を悪者として宣伝する。
感情も連鎖反応していきます。そのうち、ロシアと聞いただけで
怒りがわいてくる人も、出てくるでしょう。(既にいるか・・・)
こうやって戦争は広がる。
この事を想像している人は、どれだけいるのでしょうか?

いつかこの流れも終わるだろうとか思っているだけでは終わらない。
寄付金おくっても、終わらない。
終わらせようという意思が働かない限り、終わらない。
自分に出来る事をするだけというのは正しいのだけれど、
何が出来るのか・・・?

行為だけができる事なのか?・・・違うと思います。
色々調べたり、本を読んだり、勉強するという事が必要なのでは?
そういう時、哲学や思想の古典的名著は役立ちます。
批判を恐れず敢えて言うと、
寄付金だして、少し罪悪感は減るでしょうが、
それでは解決には近づかないと思います。
ただ、本にも色々あるので注意は要ります。なので、色々な意見を聞く必要があります。
ネットで陰謀論系でないサイトをみるとかでも違います。
これが出来るのは、日本にいるからです。
平和の日本にいる罪悪感を感じるのではなく、その利点を活かすべきです。

確かに、何かしたいという思いは大切なのですが、
それだけで思考停止しているなら、ダメだという事。
考えるという事、ただ単に可哀そうとかいう感情レベルではなく、
物事の本質は何なのか?
ロ・ウ双方の言い分は?
アメリカの言い分は?
それまで何してきた?
そして、どうなった?
を思考する事だって大事です。
それが出来るのは、戦闘行為に巻き込まれていないうちだけです。
当事者意識を持てと言うのも分かりますが、
当事者でないから出来る事もあります。そしてそれは貴重です。
いまのメディア、その逆をやってますので要注意。
メディアからの情報を受け身でとらえるだけで良いのか?
もう少し能動的に動いても良いのではないか?という事です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




自由からの逃走を以前出しましたが、
エーリッヒ・フロムといえば、愛についてが有名で、
確か、もうスゴイ昔に読んだ気がします。
でも内容はすっぱり忘れました。
もう一冊、有名なものが、悪についてです。
歴史的にはつい最近、1964年の本なのですが、古典といって差し支えない。

この冒頭部分で、こんな事を書いています。
人間は暗示にかかりやすく、半分しか目覚めていない子供みたいで、
脅しや甘言を使う人に簡単に意志を委ねる。
現実には大衆の反対に負けずに声を上げられる人は例外で、
数世紀の経って称賛されても、今の世の中では嘲笑されてしまう。

まさに、今、これですよ。
本当の事が、デマになり、
大衆はテレビの報道に流され、権威主義が幅をきかせ、
専門家、政治家、政府、メディアは情勢を煽りまくり、
人を不安にさせ、分断させる事に躍起になっている。
常識が非常識になり、新しい常識が登場し、
それに従わないと非国民になる。
本当の悪人は何処にいる?
本当の悪人は誰だ?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いま外は雪が降っている。
この前の煽り予報とちがい、今回は夜から本降りになったみたい・・・
今日は煽り予報はなかったけど、
テレビの逆をいけば、物事は当たるようで。

さて、ワクチンは他人の為に打つというのが正論のように言われていますが、
あくまで個人を守るためなのは、言うまでもありません。
そんなのは戦時中の発想です。

ゲーテが個人の幸福を築くには、
全体の幸福のために働かねばならないという説・・・
人は全体の為に働かねばならないという事に関して語った言葉・・・
おおまかにいうと、

自分自身の足元から始め、
自分の幸福をまず築かなければならい。
そうすれば、全体の幸福も得られる。
めいめいが自分の範囲内で義務を果たし、
職業の範囲内で有能になれば、おのずと全体の福祉もよくなるだろう。

端折りましたが、もちろん困った人を見捨てろとか、
そんな極端な事を言っている訳ではない。その時は、
助ける事が、義務にもなる。
でも、このコロナワクチンは違う・・・
とくに今の出来損ないワクチンで起こっている、接種ありきの全体主義は、
個人も全体も幸福にはしない結果になるでしょう。
ワクチンに限った事ではありませんが。

逆に、自分ならこう思うのですが、
まずは個人の免疫を高め、コロナに負けないようにするのが先で、
うつらないようにするとか無理な努力をせず、
効かないワクチンで予防とか考えず、
おのおのの仕事をやり、社会を回せば、それすなわち全体の福祉にも
貢献するだろうと思っています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いろいろ、ありがたい言葉を沢山語ったことをまとめた本、
といっても、自己啓発の本ではなく、
ドイツの生んだ有名人、ゲーテの言葉を記した、
ゲーテとの対話という本があります。

科学者について語ったところがありました。

科学に携わる人は、何らかの偏狭な心情に囚われてしまうと、
たちまち素直で正確な理解ができなくなる。

まさに、いま、似非専門家という人たちの事ですね。
素直に、コロナに関する色々な事実を素直にみれば、
わかるだろうに・・・

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




よく語り継がれる本のなかに、
坂口安吾の堕落論があります。

戦時中から戦後にかけての日本人を観察した、
独自の視点が面白いエッセイです。
その中に、誰もが早く戦争が終われと思っていたのに、
誰もそれを言い出せず、天皇陛下の放送を聞いて、
陛下が言うのなら仕方ないと思っていた人たちを、
嘘つきであると言う非難する部分があります。

このコロナもまた、だれか影響力のあるエライ人が、
もう良いですよと言うまで、心のなかで、
もう嫌だとか、いつまで対策やるんだとか、
仕方なく従っている人が多いと思います。
或いは、本当は大したことないと思っていても、
大変ですねとか、何時まで続くんですかねとか、
怖いですねとか、世間話でしてくる人が多い事・・・

でも、結局その従う事が事態を長引かせる事になり、
自分に跳ね返るんです。
何時まで有難いお言葉を待つのですかね。
待つのではなく、少しでも過去に学ぶのであれば、
そろそろ、いい加減にしろと声をあげていかないと。

堕落論の同じ部分の続きで、欲するところを欲し、嫌だと思う事は
嫌だと言う事が、人間の正しい姿だと著者は言う。
この当たり前が、出来ない全体主義の今の世界、
嫌なら嫌といって言いのです。
少しづつ、怖い怖いと相槌を打つのを止めてみる事からでも、
始めてみたらどうでしょう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近、どこかの番組で、三浦瑠璃が良い事を言っていた。
ワクチンパスポートは、人間を区別し、行動を制限する訳で、
それはディストピアですよ。
という内容のコメントだった。

打てない人はPCR検査で陰性ならOKとかいう問題でもない。
そでもまた、おかしな議論だ。偽陽性・偽陰性があるのに、

一方的にワクチンは安全、ベネフィットが上、
解決するにはワクチンしかなく、パスポートは安全性を証明し、
国民の安心に繋がりますっていう事ばかりの報道で、
こういった意見を聞くと、少しほっとする。
こういう感じで、両論を報じるのが、正しい報道であって、
一方的なもの(しかも感情論で煽る)はプロパガンダと一緒です。

自由からの逃走では、
超おおまかにいえば、社会構造の変化などの影響で、
これまでの生活が脅かされたりすると、人は権力に頼るようになり、
支配される事で、安心を得ようとする。
人間には、サド・マゾ的な傾向があり、不安から人を支配する人と、
逆に、人に支配される事を望む人が出てくる。(まあ圧倒で気に後者が多そう)
これは表裏一体であって、実は根っこは一緒。
権威主義にハマり、
何かしらの権威とされる人に追従してしまう。
ところが、この権威主義、一旦権威を失墜した相手に対しては、
反旗を翻して、罵倒するようになる云々と、ちょっとおおざっぱすぎますが、
詳しくは読んでみる事がおすすめです。

いろいろな事柄について、当てはまる部分も多い。
本の中では、宗教改革の思想などにも論考を多めに割いていたり、
資本主義の悪い面を強調している気もしますが、
でも、読み継がれる本は、それを踏まえて尚読まれる本です。

多くの人が、自由を捨てて、みんなでディストピアに向かうなんて、
冷静に見ている人は、少なからずいます。
戦時中も、同じような感じだったと思います。

中国人は慣れているので、別に悪い事をしなければ罰せられないのだから
(党に従っていれば)それで良いというメンタリティーですが、
そんな中国にだって、少なからず自由を求める人もいます。

その差は、それを失う事は自己自身をと失う事だと考えるかどうかだと思います。
その自己がぼんやりしている人が多い。オルテガの言う大衆もそう。
浮草のように流される。とくに、今は感情に流されてしまう。

今の時代、資本主義が行き過ぎ、格差が拡大し、
今迄のように生きられないという予感めいたものを感じ取り、
不安を抱く人(自分もそうですね)が多いなかで、
急に起こったコロナ騒動で、多くの人が思考できなくなったのが今だと思います。
そういう意味でも、自由からの逃走で書かれている事は、うなずけます。
(ショックドクトリンで書かれている事は、これを悪用したものですね。)

何故、人は進んで自由を手放すのか、そのすべてではないかもしれないけど、
納得させられる事が多かった本でした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




古典かどうかはおいといて、
これは、色々なところで紹介されています。
映画誌に出した伊丹万作の意見表明。
長い間、読み継がれてきたのだから、もはや古典という感じ。
なので、いまさら感はありますが、分かったつもりで分かってない事も多い。
自分もそうですが、改めて読んだりすると、その凄さを再確認します。
文章って、言葉とは違う感覚で伝わってきます。

これ、今の日本の事かと言いたくなる。
コロナ対策を批判するのに旧日本軍を持ちだして、
政府は無能だと批判する人もいますが、そういう人たちは総じて、
今回も騙されたと言うのでしょう。
そんな人は、何に騙されているのかも考えない。
様々な事実を無視、ワクチンは神、マスクしてないと非国民、などなど、
今の時代の事とダブりすぎる。

戦争責任者の問題 伊丹万作

なぜ、これを取り上げたかというと、
日曜日だったか、東京新聞に、アビガンは有害で、ダメだという記事があった。
でも昨年、コロナ脳の人たち、知識人、そしてテレビなどなど、
狂ったように、アビガン、アビガン、政府は早くアビガン使わせろ!
総文句ばっかり言っていた。
この記事は半分評価できるが、
残りの評価できない部分は、安倍首相が使えるようにしたと言っている点だ。
何度でもいうけれど、自分はアベ的なものが全て嫌い。
でも、アビガン使わせろと文句を言っていたのは、どこの誰だよって話です。
ワクチンでも、同じ事になるのではないですか?

だまされた、なんて言い訳は聞きたくない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »