maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



古典かどうかはおいといて、
これは、色々なところで紹介されています。
映画誌に出した伊丹万作の意見表明。
長い間、読み継がれてきたのだから、もはや古典という感じ。
なので、いまさら感はありますが、分かったつもりで分かってない事も多い。
自分もそうですが、改めて読んだりすると、その凄さを再確認します。
文章って、言葉とは違う感覚で伝わってきます。

これ、今の日本の事かと言いたくなる。
コロナ対策を批判するのに旧日本軍を持ちだして、
政府は無能だと批判する人もいますが、そういう人たちは総じて、
今回も騙されたと言うのでしょう。
そんな人は、何に騙されているのかも考えない。
様々な事実を無視、ワクチンは神、マスクしてないと非国民、などなど、
今の時代の事とダブりすぎる。

戦争責任者の問題 伊丹万作

なぜ、これを取り上げたかというと、
日曜日だったか、東京新聞に、アビガンは有害で、ダメだという記事があった。
でも昨年、コロナ脳の人たち、知識人、そしてテレビなどなど、
狂ったように、アビガン、アビガン、政府は早くアビガン使わせろ!
総文句ばっかり言っていた。
この記事は半分評価できるが、
残りの評価できない部分は、安倍首相が使えるようにしたと言っている点だ。
何度でもいうけれど、自分はアベ的なものが全て嫌い。
でも、アビガン使わせろと文句を言っていたのは、どこの誰だよって話です。
ワクチンでも、同じ事になるのではないですか?

だまされた、なんて言い訳は聞きたくない。

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誰もがしっている、福沢諭吉の学問のすすめ。
学校で習いますが、いつ習ったんだろうか?
多分、小学校か中学校・・・

文系の学校で読むのが必須とかでなければ、
実際に読んだ人は少ないという本の一つかも。
で、読んでみた。

結論、日本人なら一度は読むべし。

明治の初期に書かれたものなので、時代色が濃いですが、
いろんな人間がいるけれど、成功する人、貧しい人
この差は学問による処が大きい。
学問は、人生において助けになる。
実学を大切にせよ。
個人としても国家としても、独立の精神を大事にせよ。
政府と民は協力しあえ。でも間違った事は違うと主張しろ。
西洋の学問を見習え。
でも、何でもすぐに信じてしまうのは愚民。
物質的にだけでなく、精神的に独立せよ。
西洋と日本の違いは考えて取捨選択せよ。

などなど、今でも全然余裕で通用する内容です。

自分も大した人間ではないですが、
読んでいて考えたのは、
今の日本人も、独立心がないように思いますね。
特に精神的な独立。

福沢がこれを書いたころ、人々はエライ人には、へいへいと腰を低くし、
従うだけだと嘆いていましたが、何の疑問も持たず、
へいへいと権威に従う姿勢は、変わりませんね。
他人の顔色を伺う事も必要だと思いますが、余りにも自分の考え、
アイデンティティーを持っていない人が多いように思えます。


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良い事なのか、悪い事なのか、
このままだと、テレビは終わる。
トランプがフェイクニュースだとか言っているのを、
バカにするように否定していたのに、
今やメディアが老朽化している。

今、権威が失墜していく世の中の流れがある。
専門家、政治家、学者、評論家・・・
それらを登場させるメディア・・・
特に、メディアがひどすぎる。
主張したい事があるなら構わないのだけど、
明らかに視聴率狙いで、意見もコロコロ変わり、
よくまあ、あんな低レベルな物を情報源にする人が多いなあと呆れるが、

それ自体は、今に始まったことではない。
昔から、何度も何度も言っている。
けれど、それでもなお、さらに呆れてしまうのが現状。

そして、民主主義の危機。
ギリシアでも、民主主義はデマゴーグでダメになっていった。
プラトンやアリストテレスも民主主義の問題点を指摘している。
どうも、民主主義について、誤解も多い。国を市民の関係など、
国民がエライとか思っている人が多いような気がする。
せめてルソーの社会契約論くらいは、義務教育の中で概要でも学ぶべきだと思う。
そして、フランス革命も、ちゃんと結末まで教えるべきだと思うし、
最初の民主主義と言われるギリシアについてもそうだ。

自分も若いころを思い出せば、褒められたもんじゃないけれど、
それでも、テレビに出てくる人の浅はかな意見を聞くと、
がっかりするようになった。専門家だろうが、芸能人だろうが、同じだ。
こいつら何を学んでいるんだ? 実社会の何を知っているんだ?
とか突っ込みいれたくなりすぎて、もはや観たくない。

それなら、古典を読む方がいい。答えは自分で探す。(これが本当の勉強なのかも)
そうやって、結構な本を読んできて(とはいえまだまだ読むべき本が、次から次へとわいてくる)、
元から色々考えている処に、紀元前の人の本や、数百年前の本などから、
人間は今も全く同じ、進歩してない事を教えてもらったりする。
もしかしたら、劣化しているかもしれないと、教えてもらったりする。
これから、混沌とした世の中になっていくのかなと、思ったりする。
実際、絶望的になってしまうが、そうならないよう、ニーチェがいたりする。
だから、再読しないといけないと思う本まで、何冊もあったりする。
とはいえ、阪神が絶好調なので、ネットで中継をみてしまった(笑)。

ただ、良い本を読んでいくと、考え方は変わる。これは確かだ。

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テレビを観るのはおやめなさい。
単なる自粛警察のテレビなんかみて過ごすのは、人生の無駄。

本を読むことです。

でも、本屋に並んでいる本のうち、
読む価値のある本は少ない。

何を読むか・・・ショーペンハウアーの「読書について」でもいかが。
流行りの本ではなく、古典です。
世界のとびきり頭のいい人の思考を、取り入れる。
その注意もあるけれど、そういう事が書いてあります。

生き方にも関わってきます。
テレビに人生左右されるなんて、そんな人生生きてて楽しい訳がない。
SNSもそう。
全部否定はしないけど、まずは、しっかり自分の考えを持つのが先。
その考えも、テレビじゃだめ。
はるか昔に出版されたのに、今も残る本、そういう本には意味がある。
でないと、他人の意見に右往左往させられるだけ。


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真面目に読めば読むほど、
戦争中の、欲しがりません勝つまでは、なんてのを連想してしまった。
他に何があるのか調べてみた・・・例えば、
産めよ殖せよ国のため、
ぜいたくは敵だ!
何が何でもカボチャを作れ
進め一億 火の玉だ
なんてのがあって、当時は真面目に言っていた人もいたと思うが、
今の世の中では恥ずかしい・・・

ソーシャルディスタンスなんてのも、
そんな感じになるのかな。
横に並んで食事するとか、
暑いときは、他人との間隔が2mあればマスクを外してOKとか、
なんだか、そんなのインフルエンザで気にもしない事なのにね。
コロナ様は特別なんだろうな。素直にマスク外さないと熱中症になるって。
今年の熱中症死者が物凄い事になったら、誰が責任取るのか?
自己責任とかになるんだろ?

新しい生活・・・を真面目に考えるのは、学者バカという人たちなんだろうか・・・
丁度、再読していた、大衆の反逆という本に、そういった事が書いてあった。
再読って大事だね。二度、三度、読み返せる本は素晴らしい。映画もそうだ。

大まかに・・・色々な専門職があるが、その中でも科学者が最高の位置を占めている。
この科学者は、物事が専門的になりすぎて、思慮ある人間になるために知っているべき事のうち、
特定の科学だけしか知らない。しかも、自分の専門分野だけだ。
彼らは知者ではないが、その分野は詳しいので無知ではない・・・という。

つまり、これも大衆という人間の特徴を良く表しているのであって、
科学者なだけに、色々意見を言うし、影響力もあるだけ恐ろしいのだという事だ。
まさに、コロナ騒ぎで、失業者を沢山生み出すような事をやる・・・
でも、実は日本ではインフルと比較して大したことないのに・・・
本当に、どうするの?
これから社会に出てくる人に、滅茶苦茶不景気な世の中を用意して、新氷河期世代を作るつもりかね。
となると、数十年は続くよ。大丈夫かね。
ほんで、それを信じた人たちは、政府に金払えと大合唱。
普段は、政府に無駄遣いするなと言うのに・・・しかも、安倍政治は独裁だとか言う人が、
コロナでは、いう事聞かない人に罰則を設けろとか言う。独裁が嫌いなんじゃないのかねえ。
知の劣化は、日本中に蔓延している。
ウイルスより怖い。

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有名な、オルテガの「大衆の反逆」を再び読み始めた。

この本は、1930年に発刊(昭和5年)され、
アメリカでは20世紀で最も重要な本と紹介された。
因みに、19世紀はマルクスの資本論、18世紀ではルソーの社会契約論がそれぞれ紹介されている。

その時代、それまで人がいなかった部分に、大衆が進出してきたという。
群衆という言葉も使われている。
大衆とはなにか・・・自分を評価せず、自己をよくしようとも努力せず、
他人と同じでいる事を嫌がらず、むしろ喜ぶ、浮草のような人たちだという。

もう、言いたい放題です。

でも、下層の人達だけにいるわけではなく、上流にもいるという。
逆もありで、大衆でない人は、下層にもいる。

そして、優れた伝統を持つような知的な集団でさえ、大衆が支配的だと嘆く。
知識人も似非知識人が、政治の世界でも、資格のないものが支配するという。

まるで、今の世界をそのまま描写したような冒頭部分です。
政治も、貴族的な人たちが行うべきという見解ですが、
ここでいう貴族は、華やかな貴族とは違い、徳のある人たちを指します。

なんだ、自分は政治家でもないから、いいんだ、などと思わない事です。
良くも悪くも、選挙で政治家を選ぶのは、有権者ですから。

ただでさえ、のほほんと流されて生きてしまうのだけど、
そこは、ぐっとこらえて、自らの知を鍛えていく必要があります。
でも、これは大変だ・・・古代ギリシャやローマの時代から、
徳とは何か、知識とは何か、など論じているのだから。
でも、それに触れる事は、無駄ではないですよ。
そうしないと、日本の2世、3世の世襲政治家みたいに、みっともない醜態をさらしても、
それにすら気づかない恥ずかしい人間になってしまうし、
コロナ騒ぎで右往左往する事もなくなるし、
芸能人の浮気問題もばかばかしく思えるし、
自然と世の中を見る目が変わり、大衆と違うものを観て感じているはずです。

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最近、Youtubeで安倍信三の器論とかいうのが、
あの似非保守番組で討論されていた。
雑誌の、表現者・・・という保守論壇の思想誌が基になっている。

やっと、保守の立場にいる識者と言われる人たちが、
安倍批判を大っぴらにやり始めたか・・・

でも、今更感の方が強い。
この雑誌を試しに買って読んでみたけれど、
適菜収の寄稿文が全てで、ここまで日本が壊れてから、
批判するなど時既に遅しで、後から自分たちは批判をしてましたと言う
アリバイ作りだろうとしか思えないと言うのと、同じ感想を持った。
批判すべき時に批判しないようでは、個人的には、
この人たちは、日本をダメにした共犯ともいえる。
一応、政権批判はしていたと言い訳っぽく言っているけれど、
一体何に遠慮していたのやら・・・だ。

正直、この政権を批判的に見ている論者は、とっくに知ってる事ばかりで、
目新しい内容ではない。ただ、保守という人たちが、
声を大きくしての批判が始まったという事に意味がある。

討論を聞いていると、所々に韓国の事を引き合いに出したり、
アメリカ頼みの事を言ってみたり、左翼がどうのとか、
そんな事を思わず口にするくらいだから、ダメだったんだろうなと思った。

だけど、流石にアベ批判をしないと、
自分たちの立場も危ういと思う状況になったことの現れだから、
流れが変わったきっかけだと思う。右も左も関係ない。

その一端は、山本太郎だという事も分かった。
討論や本にも出てくるくらいだから、相当に意識をしている。
本当は、保守の人達が言うべき事を、山本太郎が言っている部分も大きい。
(ただ、MMTについては懐疑的なんだけど・・・そこが怖い)

本か討論の中で、一つ怖いなと思った事は、
菅官房長官・・・・これも、安倍と同じ空虚な器だそうで、
こっちのほうが狡猾で問題だとこの人たちが言うという事は、本当に怖い。
なので、安倍さえいなくなれば・・・なんて思っていると、もっと怖い。
でも、これもまた、批判的に捉えていた人には、感じている事だろうけどね。

これからは、右も左も、イデオロギーの深い罠に落ちることなく、
議論をしていかないとダメ。

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ショーペンハウアーの、「幸福について」という本を読んでいる。
(光文社文庫の鈴木芳子訳)

何が気に入って読み始めたのかというと、
よくある幸福論のように、
みんな幸せになる為に生きているとか、
やりたい事だけやるとか、楽しもうとか、
そういう、あまい事が書いてある本とは違って、
逆に戒めているところが気に入ったからです。

やりたい事だけやって、ハッピーになる。
人生は楽しい。楽しくなければならない。
さあみんなで楽しもう・・・
じゃあ、誰もゴミ収集とか、
トイレ掃除なんかやらなくなるよ。

でも、この本の中では、幸せについて、
幸せな人生は、あまり不幸せではない人生であると。
そして、人生とは何かを克服するものだと。
さらに、最大の楽しみを基準にして幸福を測るのは、
間違った物差しを持っているのだと切り捨てる。

そのなかで面白かったのは、幸福を感じるものとして、誇りや名誉なんてのも出てくる。
が、ここで、国民の誇りは最も安っぽい誇りだとバッサリ言っている。
気持ちいい。
昨今の、日本スゴイですね~的なもので、
自尊心をくすぐられている日本人に聞かせてあげたい。
ちゃんとした個人であれば、大勢の人と共通して持っているものを
わざわざ誇ったりはしない・・・
そういう誇りに執着する事は、個人としては何も持っていないという事だと。
そういう人を愚か者とまで切り捨てる。
この本の中では、一貫して、自分はどうなのかが問題にされる。

優れた人が、あるテーマをどう見ているか、それを知る事は楽しいし。
さらに、色々な人の言葉を引用していて、金言集のような本でもある。

今は、昔の人が書いて今でも読まれている本を読むのが楽しい時期にいる。
どんな本を読むかも、サイクルがあって、今はそういうところにいる。
音楽でも一緒で、今はロック系が多いけど、ひとたびスイッチが入ると、
べつのジャンルに飛ぶ。
飛んだ時に、新たなものを観たり聞いたり読んだりして、増えていく。
そういえば、最近は写真を撮っていないなあ・・・


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本だけではないけれど、
映画にしても、音楽にしても、
結局、古典というものは、今後も廃れずに残っていく、
素晴らしいものだ。

すでに何十年、百年、数百年前から、
読まれたり、聴かれたりしているものは、
普遍的なものが備わっていて、
流行にも流されず、古くならず、それどころか、
新しさを感じる。

最近、オルテガの大衆の反逆を読んだ。
大衆(といっても、一般大衆の意味ではない)という、
自分に甘く、他人から何かを学ぼうとか、過去から
いいものを引き継ごうなど考えない残念な人を
愚か者としていて、職業や階級など関係なく存在するタイプといい、
反対の人達を貴族として、自分に義務を与え、努力し、奉仕の精神を持つという、
二つのタイプに分けたところが今でも通じる。
評論家、政治家、ジャーナリスト、医者、官僚、企業経営者、作家など、
こういう処にも大衆は沢山いる。
とても残念な見識を披露しても、恥じる事のない人が、
確かに今も大勢いますね。

右や左という主義的な概念ではなく、
残念な人という感じで分ければ、右にも左にも、エライ立場の人にも
残念な人は沢山いる。納得させられることの多い本。

そして、こういう古典を読むと、
作者が引き合いに出す他の人の言葉が、これまた的を得ていて、
なるほどと思わせてくれる。

「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」(アトナール・フランス)
愚か者は死ぬまで愚か者だからだそうだ・・・
今の日本、いろんな分野の愚か者が沢山テレビに出てきます。
これで、この国の未来が心配にならない方がどうかしている。


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活動的な馬鹿ほど怖いものはいない

とゲーテは言った。


今の世の中は、上に立つ人の中に、
こういう馬鹿が多いから怖い。

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