今日は、ジョージ・ミュラーのマンガ「ブリストルの風」を描いています。
ジョージが、再婚した頃、イギリスにはアメリカからムーディーが伝道に来ました。
前にも書きましたが、いつも感動するお話なので、もう一度ご紹介します。
イギリスに来る前に、ムーディーを招待した牧師たちから何の返事もなく、交通費も送って来ませんでした。
不思議に思い祈っていると、何も知らない友人から献金が来たのでそのお金で渡英しました。
イギリスにやって来ると、なんと招待してくれた二人の牧師は召天されていたのです。
びっくりですよね
今なら、メールですぐにやり取りできますが、当時は船便で何ヵ月もかかりました。
とにかく、ムーディーと賛美のサンキーは、神の導きを祈りました。
そして、働きが次々と開かれ、2年間で、3回渡英しますが、イギリス教会最大のリバイバルが起きるのです。
大きな働きの前には、落ち込むようなことが許されるものですね。
同じ頃、ジョージの新孤児の家三号館でもリバイバルが起きています。
そして、この時、ヨーロッパにいた岩倉使節団は、キリシタンに対する迫害を民衆から非難されます。
その結果、日本ではキリスト教に対する黙認がなされるわけです。
神さまの働きと言うのは、一か所だけではなく、世界中が繋がっているのです。
今朝、スーパーに行ったついでに本屋をのぞいてみました。
久しぶりにマンガの本を見ていると、来年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」に先立って新島八重のマンガが載っていました。
戊辰戦争の時、会津は朝敵とされ、官軍に追い詰められます。
飯盛山にこもった白虎隊は城に火が放たれたと勘違いし自決します。
数年前にその山に立ち、城を見ながら、神さまにお祈りを捧げたことがありました。
旧姓山本八重も袴をはき、銃を担いで官軍と戦ったのです。
官軍の中には、後にクリスチャンになる方もいましたが、白虎隊でひとり生き残った方も、クリスチャンになりました。
この虐げられた会津から、多くの逸材が排出されたのです。
その中で山本八重の一族もクリスチャンになります。
お兄さんの山本覚馬は佐久間象山や勝海舟に指示し、会津藩蘭学所の教授になりました。
藩主・松平容保に従い京都に出て、洋学所を開きます。
この頃、眼病にかかり、鳥羽伏見の戦いで捕まった時に、目が見えなくなります。
失明しても、その才能を買われ明治になって京都府顧問になりますが、脊髄の病気で歩行困難になります。
やがて、新島襄に共鳴して土地を捧げ同志社を作り、妹の八重は襄と結婚しました。
山本覚馬の後妻から生まれたのが山本久栄で、とかく噂の多い方でしたが、徳冨蘆花の初恋の相手です。
父親の覚馬もその仲を認めていたのに新島襄夫妻と兄の徳冨蘇峰や父親から反対され泣く泣く別れたのです。
手も握ったことのない初恋でしたが、そのことが蘆花の生涯に影を落としました。
好きな人とは無理やり別れさせられ、妻になる人は兄が選んだ会ったこともない人だと言うジレンマが生涯彼と、兄弟の間に溝を作ったわけです。
それにしても、兄の蘇峰は、家に帰ってきたら自分の部屋で女の人が本を読んでいるので、びっくりすると親が勝手に決めた奥さんだったという時代でした。
そんな時代に新島譲は奥さんのことを「美人ではないが、心がハンサムです。」と言い切るなんて、すごいですよね。