まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

とうとう!

2012年06月21日 | Weblog

久しぶりに、鎧(よろい)姿を描きました。
日本キリスト教史で、この間TVを見ていた教えられた、伏見城がつぶれたシィーンの手直しです。
史実では、この時、秀吉はどこからか責められると危険だと思い、最初は女の着物を着て逃げました。
しかし、その後、鎧に着替えたそうです。
この時は、朝鮮の使節団を迎えるためにひかえていた女性が何十人も亡くなっています。
ところで、文字もきれいに貼り直そうと思ったら、プリンターがとうとう壊れてしまいました。
ここのところ調子が良く、今日もちゃんと使っていたのですが、紙が無くなったので替えたでけなのに、動かなくなってしまいました。
本当に、感謝なことが多いですね。

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生涯!

2012年06月21日 | 歴史

津田塾の創設者津田梅子の生涯を思うと、本当にいたるところに神さまの手を感じます。
6才でアメリカに行き、船の上で7歳になりましたが、日本女性最初の留学生になります。
この時、5人の少女たちが同行しましたが、15歳の二人は、数ヵ月でホームシックにかかり体調を崩して帰国しました。
年齢が、上過ぎたのでしょう。
明治の初め、女性の15歳と言うのは、結婚する年齢だったのです。
津田梅子は、津田塾を作り、大山捨松は公爵夫人として慈善事業や日赤などで大活躍をします。
瓜生繁子は、男爵夫人になりました。
先に帰った二人のうち、一人は若くして亡くなりますが、もう一人は平凡な人生を送りました。
後に、3人がそろって、彼女を訪問したことがありましたが、その時、みんなの活躍を知るたびに自分は途中で挫折してことが恥ずかしくて連絡できなかったと言って泣き崩れるのです。
年齢の差はあっても、同じスタートラインに立たされたのに、途中で放棄したことにより、生涯つらい思いを抱かなければなりません。
そうならないためにも、生涯神さまの御心の道を突き進めるように祈りたいですね。

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