18世紀、メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導したジョン・ウェスレーの教会は、ジョージ・ミュラーの住んでいたブリストルにあります。
大きなデパートなどのある通りを一歩入ったところに、ひっそりとたたずんでいます。
この偉大なウェスレーは、大学を出てアメリカのインディアン伝道に行きましたが、失敗してしまいます。
インディアンから怪我をさせられたのを助けてくれた女性を好きになりますが、すでに彼女には婚約者がいたのです。
やがて、その女性は結婚しますが、ウェスレーの教会で分裂問題を引き起こしました。
失意の中で、イギリスにもどり、真の信仰に目覚めます。
そして、リバイバルを起こし、素晴らしい神の器となりましたが、奥さんは最悪な方でした。
ウェスレーが病院にお見舞いに行くと、浮気をしているのではないかと疑ったり、お客の前で彼の髪の毛を引っ張って怒鳴るのです。
目の前で、そんな光景を見た他の教会の牧師は、家に帰ると息子に「今日初めて、人を殺したいと思ったよ。あのりっぱで気高い神の器の髪の毛を夫人がむしり取っているのを見た時、打ち倒したいと思った。」と告白しています。
ある方は「ウェスレー夫人は、狂的に近い憤怒の性癖と嫉妬心の権化であった。」と言っています。
怒りっぽく、年じゅうイライラしていて、機嫌の良い日は無かったそうで、結婚して4ヵ月目から、それが爆発しています。
別居を勧める人々に対して、彼は奥さんをかばい遠し、愛したのです。
悪妻は、忍耐を生み出し、偉大な神の器や、ソクラテスのような哲学者を作るのですね。
それにしても、ウェスレーは、女性に関して見分けができなかったのですね。
一昨年の11月にイギリスに行った時、ロンドンにあるチャールズ・スポルジョンのメトロポリタン・タバナクル教会に行きました。
中に入れなかったのが残念です。
スポルジョンは、1834年生まれで、ジョージ・ミュラーとは28歳違いです。
16歳で伝道メッセージを語り、18歳で、酒とけんかとわいせつに満ちた漁村ウォータービーチのバプテスト教会の牧師に就任しましたが、な・なんと一年間で会員数10人から400人の教会に成長したのです。
それで、20歳の時ロンドンのニュー・パーク・ストリート・バプテスト教会の牧師になりました。
身長168cmで太っていて、見かけは悪かったのですが、声が良く「講壇の貴公子」と呼ばれ、王侯貴族までが押し掛けたのです。
礼拝には、6000人の人々が押し掛け、あっという間に1万5000人近い教会員になりました。
サリー・ガーデン音楽堂の礼拝では、12000人、ロンドン・クリスタル・パレスでは23654人が説教を聞きました。
1866年、見知らぬ未亡人から当時のお金で4000万円くらいが送られてきて、孤児院を作ってほしいと、書いてありました。
あまりにも突然だったので、未亡人に会いに行き、このお金はブリストルで孤児院をしているジョージ・ミュラーに送ったほうがいいのではないかと言いました。
しかし、彼女からロンドンに孤児院が無いので作ってほしいと言われ、ストックウエル孤児院を作りました。
8棟の家を建て、それぞれ別個の家族制を持たせたのです。
彼らの中から、スポルジョンの作った牧師大学に入学して、何人もの牧師や宣教師が出ました。
しかし、多くの批判中傷もされ、病との戦いでもありました。
大きな器は、厳しいところも通らされるものなのです。