最近は、会津藩に興味を持っています。
会津には、かつてたくさんの クリスチャンがいましたが、かなり迫害を受けました。
鶴ヶ城の石垣には、十字架を刻んだ石がいくつか使われています。
数年前に、会津若松に行ったとき、野口英世が洗礼を受けた教会の牧師さんにお目にかかりました。
会津藩祖の保科正之は、家康の子で二代将軍・秀忠の庶子で、七歳の時保科家の養子になりました。
その後、三代将軍・家光から肥沃な土地会津23万石をもらい松平を名乗るようになったのです。
会津藩では、子供たちの教育に力を入れ、日新館では、漢学・和学・神道・天文・医術などを学び、弓道・馬術以外にもプールまでもあったそうです。
家族から、遊び仲間から、日新館から徹底的に藩訓をたたきこまれ、藩士の地区を9つに区分して子供たちもそれに沿って行動していました。
「生徒の什」「遊びの什」「お話の什」というグループがあり、年長者のリーダーのもとに行動を共にしました。
遊ぶ前には、年長者が
1、年長者に背いてはいけない。
2、嘘を言ってはならない。
3、卑怯なふるまいをしてはいけない。
4、弱いものをいじめてはいけない。
5、年長者には、お辞儀をしなけらばならない。
と言い聞かせ、子供たちは「はい」という返事を一つ一つしていました。
これだけ集団行動を徹底されると、キリシタンが信仰を持ち続けるのも難しいと思います。
キリシタンは子孫までも厳しく見張られていたそうです。
ちなみに、明治学院の日本人最初の院長・ 井深梶之助も会津出身です